NEXT  TOP

◆ やがて雨は上がり(1)


 深夜、降りだした雨は、東の空が白み始める頃に止み。
 凱旋したヴォーラス騎士団を、ヘブロンの民は喝采して迎えた。

 それから半日が過ぎ、指示報告その他諸々からようやく解放されて、仮眠室に現れたレイヴは――憑き物が落ちたような穏やかな顔をしていた。
 なんの陰りも無く屈託なかった昔とは、また別種の。

「……勝ったのか?」
 無事に帰ってきたからには確かめるまでもないんだろうが、他に、なんと声をかけたものか思いつかず問えば、
「いや。結局、俺は――」
 レイヴは眼を伏せ、静かに首を振った。
「あいつには一生、敵わない……そんな気がする」
 負けたようなことを言いながら、卑屈さなどまるで感じさせない口振りで。
 どんな形であれ決着は付いたんだろうと見て取れた。
 事の顛末を根掘り葉掘り聞き出したところで、なにが変わる訳でもない――アンデッドモンスターの脅威が失せ、レイヴが納得しているならそれで良いのだろう。
「そうか……まあ、おまえがいるんだ。ヘブロンの治安に関しては心配あるまいな」
「クヴァールへ行くと言っていたな。すぐに発つのか?」
「ああ、しばらくは戻らないつもりだ」
「頼まれていた木材だが、数が集まるには後二日程かかりそうだ。貨物船いっぱいになり次第、タンブールへ届けさせる――かまわないか?」
「ああ。私も、ヨーストの港に船を待たせているのでな。どのみち、向こうで積み下ろすにも時間がかかるだろう」
 壁に立てかけていた剣を手に取り、窓の外を仰ぎ見る。
「雨も上がった。船旅には、ちょうどいい」


 大気中の塵すべて洗い流されたかのような、空は、眩しすぎるほど青く澄んでいた。


 そうしてレイヴと別れ、城を出て。
 旅立つ前に話しておくべきかと、ヴォーラスの本家に立ち寄ったところ祖父は不在。どこへ行ったのかと執事に訊ねても、
「申し訳ありません。馬車が一台無くなっているので、少し、遠出なさっているとは思うんですが……」
 行き先はおろか、いつ戻ってくるのかさえハッキリしない。
 執事やメイドに伝言すら残さず馬車を出させたとなると、十中八九、なにか気に入らないことがあって御者に当り散らしながら出掛けたんだろう。
 フォルクガング家に引き取られてからの15年間というもの、次期当主としての自覚を持てとか何とか散々説教され続けてきたが――あの祖父の傍若無人な性格も、現当主としては些か問題ではなかろうか?
 それから約2時間待ちぼうけ。
 出発を一日延ばすかどうするか考えつつ、ひとまずヨーストの屋敷に戻ると、

「坊ちゃま? お帰りに――」
「いい加減にしろ、シーヴァス!! 今までどこをほっつき歩いていた!?」

 ジルベールの呼びかけを掻き消して、想定外の罵声が響き渡った。
「!?」
 玄関口に立ち塞がった人影は、行方不明だった祖父本人で。
「諸侯の手を煩わせ、なにかと思えばタンブールに木材の輸送? 寄付だと? くだらん慈善活動に費やす暇があるなら、少しは王族や議員方の元へ顔を出して来い! だいたい、おまえは次期当主としての自覚が――」
 開口一番、往来まで筒抜けになりそうな勢いで喚き散らす。
「…………」
 最初、あっけに取られていたシーヴァスだが、小言の洪水は本家を訪れる前に予想していたものであったから、べつだん動じはしなかった。
 むしろ、生涯相容れそうにない人物ではあるが、こんなときどういう態度に出るか想像できる程度には理解していると言えるんだろうか――などと少々場違いなことを考えつつ。幼少期からの経験則に従って、怒声は右から左へ聞き流している。
 どうやら、シーヴァスが知人に依頼して回った “タンブール再建用資材の寄付” について、どこからか聞きつけ怒鳴り込んできたらしい。
 つまりは執事たちの困惑、とばっちりを受けたろう御者の胃痛も、原因は自分という結論になるのか?
(彼らには、悪いことをしたな……)
 しかし祖父の機嫌を気にしていては何も出来ないし、特に、この件に関しては譲る気も無い。
 散々怒鳴り散らして息が切れたらしく、ぜいぜいと肩を怒らせ睨み上げてくる祖父の後ろで、ジルベールは心配そうに、現当主と次期当主を交互に見ている。

「タンブールで大規模な火災があったことは、お聞きになったんですね? ――ならば話は早い」
 一息ついて、シーヴァスは切り出した。
「……両親の仇を、討ちに行きます。片を付けるまで、ここへは戻りません」
「!?」
 祖父とジルベールは、同時に眼を瞠った。
 騒ぎに気づいて駆けつけたものの顔を出せずにいたらしい、グレンやフレディ、メイドたちが柱の影からギョッと飛び出しかけ、また慌てて引っ込み――そんな使用人らに心和むものを感じつつ、シーヴァスは続けた。
「15年前、ヨーストに火を放った魔物が……あの街をも焼き払った」
「なにを――」
 乾いた声で呟いた、祖父は嘲るように強ばった笑みを浮かべ。
「なにを言い出すかと思えば。あの大火が、魔物の仕業だった? いったい今更、なにを根拠にそんなデタラメを」
「向こうからペラペラしゃべってくれましたよ。魔物といっても人語を解す、巨人族でしたから」
 あっさりした返答を、否定することも出来ずに押し黙り。
「あなたが焼き捨てたがっていた。教会に飾られていた天使の絵も、すべて燃えました」
「…………」
 皺だらけの顔を強ばらせ、息を呑んだ様子に、シーヴァスもまた少し戸惑う。

 幼い頃から間近に見てきた、狂人じみた言動を思えば。
 シスターエレンに拒否され、長らく手出しできなかった “娘を殺した男の作品” が、労せず消え失せたのだから――つい、うっかりと笑顔くらい浮かべそうなものだが。
 けれど相手の、喜んでいるとは言い難い反応に、安堵を覚えているあたり。自分はまだ心の何処かで、なにか期待していたんだろうか? ……この祖父に?

「アドラメレクと名乗った魔物の息の根は、この手で止めましたが――まだ、そいつをけしかけた悪魔が、インフォスのどこかに潜んでいる」
 イウヴァートは死滅したようだが、今もアポルオンを筆頭に、複数が残っているはず。
「探し出して、倒します」
「馬鹿を言うな! 私は許さんぞ――」
 簡単に了承するとは思わなかったが、やはり、ひたいに青筋をたてた祖父は拳を握り、ブルブルと小刻みに震えだした。
「そんな化け物の討伐は、騎士団に任せておけば良いのだ!」
「レイヴたちが出払っては、城下の警備も手薄になりますし。なにより、未だクーデター兵に占領されたままのファンガムが、今が好機とばかりに攻めて来かねませんよ」
「だからといって何故、おまえが行かねばならんのだ!?」
「互角以上に戦える自信があるから、です」
「なっ……!?」
 絶句する祖父。ジルベールも、ぽかんとしている。

 傍からすれば自意識過剰と呆れてしまう台詞だろうが、なにも、祖父を黙らせるための方便ではない。
 堕天使イウヴァートは、グリフィンが倒したのだとティセナは言っていた。
 ソルダムで共闘したときから、どれほど腕を上げたかは分からないが――事件現場に赴き、戦ってきた敵の数や質に極端な差があるとは思えないし、天使や妖精の話し振りからして、自分が、勇者の中では主力として扱われている自覚と自負もあった。
 ならば堕天使とは、もちろん個別差はあれど――人間が束になっても敵わないような桁外れの怪物ではないんだろう。

「たとえ両親の死とは無関係であったとしても、平和の為に戦うは騎士の務め。危険と判りきっている魔物を放置して、再び、家族を失うのも真っ平です」
「…………」
 無言で口許をわななかせている祖父を見下ろしながら、ふと思う。
(そういえば……目線が入れ替わったのは、いつだったか)
 昔は、ただ畏怖の対象であった厳格な老人は。子供だった自分の背が、年を重ねる毎にずいぶん伸びたという事実を差し引いても――やや背筋も曲がり、小さくなってしまったようだ。
 亡き母にとっては、どういう “父親” だったんだろう? 遠い昔には、優しい月日もあったのか。
 死ぬまで、死んでからもなお拒絶され続けている父が、石頭の舅をどう思っていたのかも……今となっては解らないが。
「従わねば勘当するというなら、どうぞご自由に。自分が大貴族の当主に向いているとは、自分でも思えませんしね――ですが」
 もし自分が、その立場にあったなら。
 身分違いの恋だと、不幸になるだけだと反対されたなら。
「否定されても認められなくとも、私は、あなたの娘と――しがない貧乏画家との間に生まれた、あなたの孫です」

 愛した者が想いに応えてくれた喜びを、未来を、祝福して欲しいと願っただろう。



NEXT  TOP

ゲーム中には登場しないおじいさんですが、彼が亡くなっているとなると、天使の依頼でふらふら出歩くなんて無理だろうから、まだ当主交代はされてないんだろうと思います。最愛の妻が早死にして、生き写しの娘を溺愛してた……なんて考えるのはベタ過ぎるかしら。