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◆ やがて雨は上がり(2)


 真っ白な天井。

 何日も閉じ込められていればさすがに見慣れる、けれど、いつまで経っても馴染める気はしなかった。
 ここまで極端ではないにせよ、天界では、同質の静寂に満ちた情景が当たり前だったのに――地上の色鮮やかさが、こんなにも恋しいなんて。

(あと一日、か……)

 今日が終われば、謹慎も十日目。
 インフォスに想いを馳せながら、結界牢にうずくまり、指折り数えて過ごす日々からようやく解放される。

 こちらの感覚では短い空白にも、やはり地上の変化は目まぐるしく。
 仇敵ビュシークを倒したグリフィンに続き、レイヴも、騎士リーガルと決着をつけたのだと、シェリーが報せに来てくれていた。
 そうして、消滅間際に残された言葉。
 インフォスに度々姿を現していた “ラスエル” の正体は、堕天使ベルフェゴール。
 ティセナから経緯を告げられて、慌ててカノーアへ戻ったナーサディアたちが再度調べたものの、ボルサの森に変化は無く――有事に備え、そのまま近郊に待機しておくという。

 失踪した理由がジャックハウンドの推測どおりなら。兄は今どこで、どうしているのか……?
 考えた瞬間にゾッとしてしまい、大きく頭を振って、浮かんだ想像を振り払う。
 状況は、間違いなく悪くて。
 それでも生きているという事実は、救いに違いないけれど。
 助け出せるのか、間に合うのか? ――分からない。もはや一刻の猶予もならないのに、未だ居場所さえ突き止められないなんて。

 ぎゅっと目を閉じて膝に突っ伏していると、軽快に、近づいてくる誰かの足音。

「クレア? 寝てんの?」

 鉄格子越しに声を掛けられて顔を上げた、そこには、小首をかしげ覗き込んでくる幼なじみの姿。

「ううん、起きてる……」
 見たところ彼女は手ぶらで、書類や何かを預かってきた訳ではなさそうだ。上層部からの通達なら、異端審問官が伝えに来るだろうし。
「どうしたの? 仕事はいいの?」
「ラツィエル様に許可とって、休み時間に抜けてきた。明日は、ちょっと忙しくて顔出せなさそうだし――明後日になったら、あんたがバタバタしてるでしょ」
 ちょこんとその場にしゃがみ込んだ、ラヴィエルは、
「あんたホントに、任務復帰してだいじょうぶ? 堕天使まで現れちゃってさ。インフォスの混乱、酷くなってく一方なんでしょ?」
 柘榴色の瞳を翳らせ、不安を吐き出すようにまくしたてた。
「だからって、次にまた戒律違反やらかしたら、レミエル様だってガブリエル様にだって庇いきれたもんじゃないわよ」
 そうして、ぽつんと付け加える。
「お兄さんのことも……シェリーちゃんから聞いたけど」
 心配して来てくれたのかと、クレアは、強ばっていた表情を少し綻ばす。
「生きてるにしたって。敵に捕まって十年以上経ってたら、どう考えたって無事で済んじゃいないでしょ」
 言いにくそうにしながらも語尾を濁さず、ずばりと指摘してくる幼なじみに、
「……そうだね」
 苦笑して、頷いて返す。現実は直視しなければ。
 なにを見聞きしても動じないように最悪のパターンを想定して、覚悟を決めておかなきゃならない――明日が終わって、この牢から出るときまでには。
「だいじょうぶ。ちゃんと、頭は冷えたから」
 以前、アポルオンを倒す好機を得ながら、取り逃がしてしまったときもそうだった。

『そうやって情に絆されるあたりは、別だがな!』

 一瞬の気の緩みが、潰せたはずの脅威を野放しにしてしまった。
 フィアナたちは “気にするな” と笑ってくれたけれど……インフォスに残された時間はもう、残り僅か。
 堕天使に、付け込まれる隙など見せられない。
 天使には天使の役割がある。
 だからこそ妖精を補佐に据え、勇者たちに協力を頼んでいるのだから。

 しょせん、すべてを完璧には出来ないのだから。
 己を “天使” と律することで、護れるものが失われるものより多いなら、それで充分と思わなければ――そうしたことで向けられる非難の目や、後ろめたさも含めて。

(……兄様は)

 おそらく “たった一人” を選んだんだろう。
 自覚していたのか、無意識にかは分からないけれど。
 補佐妖精にもジャックハウンドにさえ、行き先や理由を告げず。恋人を蝕む呪いを打ち消す魔法だけかけて、単独行動に踏み切ってしまうなんて――守護天使が取るべき行動じゃない。
 おかげで残されたナーサディアは百年も待ちぼうけ、事態を知った私たちも、手掛かりが少な過ぎて今の今までなにも出来なかったじゃないか。
 そんなにも慌てていた? 失敗した場合のことを考えなかった?
 それとも……上に判断を仰げば、こんなふうに拘束されると思ったんだろうか? だから無謀な賭けに出た?
 分からない、けれど。

 天使である限り、愛しい人を守る自由さえ許されないのは確か。
 だからラスエルは人間になろうと――そうして共に生きていくと、ナーサディアに誓ったんだろう。


×××××


 帆に風を受け滑らかに進む船の甲板に凭れ、ぼんやり空と海を眺めながら。
 シーヴァスは、邸を出発する前のゴタゴタを思い返していた。

 怒鳴り返す、無視するといった形でなく、真っ向から祖父に逆らったのは今回が初めてだったかもしれない。
(……とっくに二十歳も過ぎた今頃になって、反抗期か?)
 我が事ながら、考えてみると少し笑える。
 確かに、世間一般で子供が親に歯向かうだろう年頃には、ヴォーラスの本家で息が詰まるような生活を送っており、命令に盾突くなど思いつきもしなかったが。

『私は、あなたの娘と――しがない貧乏画家との間に生まれた、あなたの孫です』

 そう言った瞬間。
 祖父は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして。けれど、あっさり納得してくれる訳もなく――むしろ火に油の勢いで怒りだした。
『うるっせえ!!』
 そこへ怒号とともに乱入してきたのが、庭師のジョセフで。
『嬢ちゃんを他所の男に連れてかれちまったからって、イイ年した親父がいつまでもネチネチと逆恨みして、肩身の狭い思いさせた挙句に死なせちまいよってからに!』
 取り消し不能な暴言に、柱の陰で一様に凍りつくメイドたち。
『いくら娘だからって、おまえの所有物じゃねえんだよ! それに坊ちゃんだっていつまでも、おとなしくジジイの言うこと聞いてくれるガキじゃねえんだ!』
 やぶからぼうに指差されたシーヴァスは、呆気に取られ目を瞬いた。
『ちったぁ学習せんか、この石頭!』
『なんだと……貴様、使用人の分際で!!』
 わなわなと震えだす祖父に、けっと唾吐く勢いで言い捨てる一介の庭師。
『ああ? この年になっても働いてとるのはワシの趣味だ、いまさらクビにされても一向に困らんわ! そもそも本家に庭師が居付かん理由が、どういうことだかちったぁ考えてみろ! 馬鹿野郎が!』
 そのまま、睨み合いの大口論を始めてしまい。
『お、おい。ジョセフ――』
 あまり怒らせるとクビどころじゃ済まないぞと、シーヴァスを筆頭におろおろと焦る一同を他所に、
『だいじょうぶですよ、放っておいても』
 みっともなく罵りあう両者を横目にして、しれっと肩を竦めるメイド頭。
『大貴族の息子と使用人とはいえ、腐れ縁の幼なじみですからね。まだ二人とも、若い頃は、よくああやってケンカしていたものです』
『そ、そうだったのか……?』

 勤続二十年を越えるグレンもどうやら知らなかったらしく、みな揃って唖然としている。

『……どうしても行くんですか?』
 罵声飛び交う玄関口に立ち、ジルベールだけが、いつもと変わらぬ口調で問いかけた。
『旦那様の言うことにも一理あると思いますよ。騎士団がヘブロンを離れられないからといって、坊ちゃんが、その魔物と戦う義務は無いはずです』
『そうだな。義務は無い、が――行かずに逃げ隠れして、怯えて暮らすなど性に合わん』
 レイヴがリーガルと決着をつけたように。
 アドラメレクをけしかけた堕天使の一派を、討ち果たさない限り、自分は未来を想えまい。
『すまんな、留守を頼む』
『止めても無駄と言うなら、さっさと片を付けて帰って来てくださいよ? 旦那様と和解するなんて――十年、二十年の気構えでなければ無理なこと。それに』
 やれやれと溜息混じりに、ジルベールは請け負った。
『私も、もう若くはないんです。旦那様より長生きする保証などないんですからね』



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主役二人、復帰間近。シーヴァスのおじーさんは手強いと思います。いくら孫のお相手が元天使でも、簡単に気を許すことは無さそうだ。神様も信じて無さそう……ま、娘が夭折してしまったら頑なになるのも無理ないかな。