◆ 焼け跡に芽吹く花(2)
タンブールの教会跡地に辿り着いた、翌朝。
運びこんだ資材を以って、早速、再建作業に取り掛かった矢先に。
「――どういうことだ、それは!?」
柄にもなく取り乱してしまったが、動揺するなと言う方が無理な話だったろう。
「異端審問官とは何者だ? なぜ、彼女が……」
天使は最近もここへ来たか、なにか事件を抱えているのかと、それとなく問うてみれば、
「なにって、知らなかったの?」
シーヴァスの剣幕に気圧されたように目を瞠りつつ、フィアナが返した台詞は予想だにしなかったものだった。
クレアは半年ほど前に、天界へ連行されていったまま帰って来ないと。
「あ、そっか――ローザたちと連絡取れなくなってたんだっけ? 水の石、失くしちゃあね」
こちらの答えを待たず、それじゃしょうがないよねと自己完結した彼女は、
「あんたがアドラメレクって巨人を倒した、すぐ後だったはずだよ。タンブールを火の海にした、そいつの能力が生まれつきの代物で、堕天使の契約云々とは無関係だったらしくて」
思い出した鬱憤をぶつけるように、顔を顰めて話しだす。
「インフォスの生物には手出し無用だから、炎を消すために魔法で雨降らせて、死ぬはずだった住民の運命を変えたクレアは罪に問われるんだってさ……ふざけてると思わない?」
教会再建といっても、まともに力仕事をこなせる者は自分とフィアナの二人きり。
まだ子供たちはぐっすり眠っている早朝のこと、辺りは静かなもので聞き取れぬはずもなく――しかしシーヴァスは、とっさに告げられた内容を理解出来なかった。
「そりゃあ、過干渉が悪影響を与える場合だってあるとは思うよ? ……けど、お世辞にも戦闘向きじゃない医者の卵やら、あんな小っちゃい妖精に、いくら腕が立つったってティセナみたいな子供まで魔族との戦いに追いやって。自分らは高みの見物決め込んでるくせに」
まさか、任務放棄して戦列を離れている間に――そんな事態に?
「グダグダ文句つけるくらいご立派で有能な天使様なら、こっちに降りてきて、あの子ら以上の仕事してみせろって言うのよねー」
シーヴァスの困惑には気づかぬ様子で、まったく腹が立つったら、と空を睨みつけるフィアナ。
「それで、彼女は……」
いつだったか、ケルピーと一戦交えた夜の情景が思い浮かぶ。
“たとえ誰のためだろうと、どういう状況だろうと。戒律違反は、天界では重罪ですから”
勇者以外の人間に手出しさせるなと告げた、少女の横顔が。
「どういう処罰を受けるんだ? インフォスに戻って来れるのか、クレアは――」
「うん、違反には違いないけど人助けの為だったことが考慮されて、十日間の謹慎処分で済んだって」
「十日……?」
とっくに過ぎているじゃないかと訝るシーヴァスに、そうじゃなくて、と片手を振りながら。
「あっちとこっちじゃ時間の流れ方が違うらしいから、インフォスの暦でだいたい半年って話だったよ。聞いたとおりなら、もうそろそろ出て来れるんじゃないかな――」
苦笑したフィアナは、金槌と釘を手に溜息をついた。
「石頭のお偉いさんたちに、また妙な言いがかり付けられてなきゃいいんだけど」
「……そうだな」
シーヴァスは曖昧に頷く。
何度か耳にする機会があった、天界上層部に対するティセナの口振りからして、フィアナが懸念しているような展開は充分に有り得る気がした。
謹慎が延びる程度で済めばまだ良いが――と、次々浮かぶ嫌な想像に。
「…………」
木材を担げるだけ抱え上げ、半ばムリヤリ思考を中断する。
自力で打開できる問題ならまだしも、いくら考えたところでなんら役に立ちはしないのだから、教会の建て直しに勤しんだ方が遥かに有益だ。
しかし、まず謝らねばと考えていたが、ここで待っていれば会えるのだろうか?
いまさら痛感した現実に、浮かぬ気分がさらに沈む。
クレアが、インフォスへ降りてこなければ。
しょせん人間に過ぎぬ自分は、けして空には手が届かない――謝罪ひとつ叶わないのだと。
×××××
ボルサに程近い町の外れ。
野草香るなだらかな丘陵に、寄り添って寝そべる紫と青の人影を見つけ。
「ナーサディア! ジャック――」
逸る気持ちを持て余しながら、まっしぐらに彼女らの元へ降りていけば。
「……クレア!?」
昔からアストラル体の気配に聡かった勇者と、かつてラスエルに仕えていた神獣は――こちらの声が届くだろう距離に至るより早く、ばっと空を仰いで立ち上がった。
「心配したわよ、もう!!」
「わっ、ぷ?」
手を伸ばしたナーサディアに引き寄せられてそのまま、ぽふっと彼女の胸の中。
「話はティセナたちから聞いてるわよ。だいじょうぶだった? もう、謹慎は解けたのね?」
質問攻めに加え、ぎゅうううぅっと抱きしめられて動くに動けず。
「はい。牢を出られても、しばらくは拘束されるかと思っていたんですけれど……ガブリエル様から、許可が下りました」
面食らいつつも、こそばゆい心地で抱きしめ返した。
謹慎の終わりを告げに来た、異端審問官に左右を挟まれたまま。
連れて行かれた場所は、始まりの日と同じ――聖グラシア宮の大広間で。
『……気持ちの整理は、ついたようですね』
任務復帰するには、まだ上級天使たちによる追及を乗り切らなければならないだろうと、覚悟していたら予想は外れて。
『再び戒律を破れば、今回のような処罰では済みませんよ。クレア』
そこには直属上司たるガブリエルが、いつになく厳しい表情で座しているだけだった。
物言いたげな審問官にまで退室を命じてしまい、静まり返った空間に二人きり。
『インフォスを魔手から解放するため、そうして正常な時を戻すために、守護天使であり続けると誓えますか?』
一も二もなく 『はい』 と頷いた、クレアは懸命に訴える。
『信任を望める身でなくなったことは、重々承知しています。けれど、私は――あの世界を護りたい』
戒律に縛られるがゆえ、非情だと冷たいと罵られる日が来ようとも。
なにひとつ出来ずに天界から眺めているだけよりは、ずっとずっと自由だ。
本来それで充分と思わなければならなかったのに欲張りすぎた、分を弁えずに振る舞ってしまった自分が逸脱していただけ。
『解任、しないでください……お願いします』
縋るような想いで両手を握りしめ、頭を垂れると。
『分かりました。ならば、早くお行きなさい』
『――え?』
あまりにも簡単にうながされたため、他に誰もいないと判っているのに、思わず周りを見渡してしまう。
『あの、ガブリエル様? 審議や再就任の手続きは? また後日に行われるのでしょうか? 私は、ベテル宮で待機していれば良いですか?』
『インフォスへ降りたいのではなかったのですか? 事務処理を先にと思うなら、もちろんベテル宮はあなたたちの執務室に変わりありませんから、立ち寄るも寄らないも自由ですが……』
ガブリエルは微苦笑を浮かべ、告げた。
『上級天使たちの意向ならば、あなたが気に病む必要はありませんよ。クレア・ユールティーズは、私の権限でインフォス守護天使として派遣する――異議がある者はグラシア宮のガブリエルにと、申し渡してありますから』
驚きとともに、以前、面会に来てくれたレミエルの話が思い返される。
“任命権者だったガブリエル様は、騒ぎたてる上級天使たちに手を焼いていらっしゃるようですが”
反対意見が多かっただろうことは想像に難くない。
問題を起こしたうえに反省の色も見られなかった下級天使など解任して、誰か、適当な者を後任に据えた方が楽だったろうに――それを押さえ、待ってくれていたのか。
『ありがとうございます』
深々と頭を下げるクレアに、ガブリエルは軽く首を振ってみせ、
『礼を言われることではありません。それに……彼らの気が済むまで詰問に応じていたら、インフォスの時が尽きるまで終わりませんよ?』
どことなくおどけた雰囲気で頬笑んだのは、一瞬のこと。
想いは今後の働きを以って示しなさいと、厳しくも優しい口調で最後に言った。
『愛しき幼い天使よ。汝に大いなる祝福が与えられますように――』
そうしてようやく戻って来れたインフォスは、目が眩むくらいに色鮮やかで。
「ジャックも、ありがとうね」
ナーサディアの腕が少し緩んだところで、黙って斜め後ろに控えていた神獣に、きゅうと抱きつき囁いた。
「あなたが彼女と一緒にいてくれてるって聞いたから、安心だったわ」
「いや。軽い罰則で済んだようで、なによりだった……日頃、真面目に務めておられたからこそだろう」
鼻面をクレアの肩にすり寄せたジャックハウンドは、語尾に安堵を滲ませつつも、
「だが、すまない。貴女がお戻りになるまでに、ラスエル様の居場所を――せめてベルフェゴールの痕跡を見つけておきたかったが」
成果らしい成果のひとつも上げられなかったと、悔しげに項垂れた。
騎士リーガルの遺言ともなった、ラスエルの名と姿を騙る堕天使の存在は、ここにいる誰にとっても最たる気掛かりで――けれど、唯一、手掛かりと呼べるボルサの森は常と変わらず。
冬になれば必ず変化が起きるという保証も無い。
「……どんな前兆も見逃したくないから。私たちは、まだ当分ここにいるわ」
「じゃあ、私も一緒に――」
「そういう訳にもいかないでしょう、あなたは? ティセナや妖精たちも休ませてあげた方が良いだろうし、他の勇者たちだって心配しているはずよ」
ナーサディアの指摘を尤もと思いつつも、内心迷う。
仕事の優先順位に、兄が関わっているという私情を挟むべきではない、けれど今は他に急を要する事件が発生しているわけでもないはず……ああ、だけど。
「早く、顔を見せに行ってあげて」
焼失したタンブールの復興作業がどうなったか、シーヴァスがどうしているか、ファンガム王統派の決起がいつになるか、それぞれ仇敵と決着をつけたグリフィンとレイヴが、元気でいるかどうかも――気になることが山積みだ。
「 “ラスエル” が現れたら。そのときは呼ぶから、すぐに来てね?」
「はい、もちろんです」
ひとまず順に勇者たちの元を巡って来よう。
そう決めて、ナーサディアとジャックハウンドに見送られながら、まずは南へと向かうことにした。
なんで苦境に陥ったラスエルや、ヴァスティールが放置されてたのかって考えてみると。ガブリエル様も、ラファエル様も、地上に降りた元部下や元勇者がどうしているかは意図的に見ないようにしてたのかもしれない……懐かしくなったり、恋しくなったりしないように。