◆ 水の畔(1)
今はなにも感じられない、ボルサ上空を通り過ぎ――
ルースヴェイク城に滞在中のアーシェを訪ねて、ひとしきり、お互い会えなかった間にあった出来事を報告したあと。
「それでね。あなたのこと話したら、ミリアスもだけど、ユリウス様が “ぜひ紹介してほしい” って言ってたのよねー」
「ミリアスさんなら知ってますけど……ユリウス?」
「カノーア国王の名前よ。彼の、一番上のお兄様」
「彼の?」
ただなんとなく相槌代わりに、アーシェの言葉を反芻して。
ああ、王子のお父さんはもう統治者の座から引退して、ユリウスという長男が後を継いでいるのかと――数秒遅れて理解した、クレアの隣で。
「べっ、べつに深い意味は無いのよ? 彼とか彼女って、誰でもフツーに使うでしょ代名詞として!」
なぜか顔を赤らめた勇者は、ひたいをぶつけんばかりの至近距離までにじり寄って来た。
「はぁ。そう、ですね?」
いきなり意味も不明な熱弁を振るわれ、たじたじとなりつつ頷けば。
「うん、そう!」
頬を朱に染めたまま、やけに浮き足立った様子で提案してくる。
「だからさ、ちょっと実体化して正門から来ない? 今から私にお客さんが来るって、門番たちには話を通しておくから」
「うーん……私も、あなたを支援してくれるという諸侯や武将には、きちんと御挨拶して。出来ればファンガム奪還作戦についても、詳しくお話を窺いたいと思っていましたけれど」
特にミリアスには、くれぐれもアーシェをよろしくと頼みたい、とはいえ。
「王族の方に面会するとなると、自己紹介して5分や10分でハイさようならという訳にはいきませんよね?」
「そりゃあ、いくら私の知り合いだって言ってもね。まずは広間で謁見、それから軽食会って流れになるんじゃないかしら」
それは正直、困る。
謹慎が解けてから、まだ、こことナーサディアのところしか訪問していないのだ。
「せっかくのお誘いなのに、すみません。長らく同行も出来ず、ひどい負担をかけてしまったはずだから――まずは皆に、お礼と、任務復帰の報告をしに行きたいんです」
「そっか、分かった。こっちはべつに急ぎの話じゃないし……気にしないでよ。また今度ね?」
「はい。今から南大陸をぐるっと回ったあと。グルーチ市街やお城周辺の様子も、少し、空から偵察してきますね」
レイヴにも会って。
ヴォーラスの騎士団長だったら、クーデター兵の制圧にどんな作戦を立てるか助言を請おう。
「ホント? 助かるわ」
ぱぁっと表情を輝かせた、アーシェは嬉しそうに両手を打ち鳴らし。
「領内に潜入して偵察してる兵士もいるんだけど、あんまり目立っちゃ危険だし、さすがに王宮周辺へは近づけずにいたから」
バルコニーから飛び立つクレアを見送りながら、以前よりも少しおとなびた笑顔を見せた。
「こっちもまだ準備は整ってなくて。カノーアのヒューバート将軍と、ウォルフラム将軍が中心になって練ってる作戦がまとまり次第、ファンガム奪還に向かうから――そのときは、私のサポートお願いね?」
×××××
カノーアより一路南へ、クヴァール大陸の一点目指して降りていくと……見るも無惨に焼け爛れていた教会跡地は、すっかり様変わりしていて。
布製のテントを煉瓦で補強したような造りの家がひとつ。
隣接して、新たな礼拝堂まで建てられていた。
けれど子供たちの姿は見当たらず、戸惑う――晴れの日はたいてい外で遊んでいたのに。
(太陽の位置からして、お昼ごはんの時間はとっくに過ぎてるはずだけど)
ひょっとして火災をキッカケに、どこかへ引っ越してしまったんだろうか? もしくは再建完了まで、ジェシカのような卒業生の元へ何人かずつに別れて身を寄せているとか。
フィアナがいれば確信を持てたろうが、よく分からない。
狭い空間に、かなりの人数がひしめいているようで、テントから感じる気配だけでは住人が旧知の相手かどうか判断つかなかった。
「……あ、お花」
知らない人しかいなかったら恥ずかしいな、と迷いつつ。
敷地内を歩いて花壇を見つけたり、礼拝堂を見上げてみたり――けれど、そうそう都合よく誰かが顔を出すはずもなく。
「ごめんください。どなたか、いらっしゃいますか……?」
思い切って声をかけると、扉代わりと思しきカーテンがバサッと開いて。
「クレアさん?」
エプロン姿の若い女性――ジェシカが、驚きに声を弾ませた。
「やだ、久しぶり! 元気にしてた?」
ああ、なるほど。
時計は今、午後の3時を回ったところ。子供たちには “おやつの時間” だったのか。
(だから、孤児院も兼ねている教会へ行くって話したら、アーシェは 『おみやげに』 ってお菓子をくれたのね……)
昼夜など無きに等しい結界牢で、しばらく過ごしていたから。インフォスでの生活感覚もいささか狂ってしまっていたようだ。
「それ僕の、僕が先!」
「あー、順番無視した!? 返してよっ」
「たくさんあるだろ、押すな馬鹿! ひっくり返したら食えなくなっちまうぞ!」
「もー、あんたたち! ケンカするなら没収するよ?」
「揺らさないでよ、こぼれちゃう! コップ割れちゃうじゃない!」
「これこれ、お客さんの前で……」
バスケットを囲むように全員が座っただけで、ぎゅうぎゅう詰めになったテントの中。
リオやエミィといった年長組が諌めるも、押し合いへしあいの大騒ぎは止まらず――ラグマットの隅に腰を下ろしたクレアは、眼前の騒がしさに眩暈さえ覚えていた。
閉ざされた無音の空間に、すっかり耳が慣れてしまっていたらしい……そういえば昔は、人込みも苦手だったっけ。
ともあれ、みんな元気そうでなによりだ。
それから十数分かけて、どうにかこうにか全員へ均等に、焼き菓子とジュースが行き渡り。さっきまでの喧騒から一転――黙々と、菓子に夢中な子供たち。
やれやれと一息ついた、大人も苦笑を交わしあう。
「突然おじゃまして、すみません。エレンさん」
「とんでもない! ありがとうよ、遠いところから来てくれて」
シスターは、微笑みながら肩をすぼめ。
「あなたは仕事で故郷に戻ってるんだって、フィアナが言ってたけど。ごめんねぇ……こんな有り様で」
「びっくりしたでしょ? 来る途中に噂聞いたかもしれないけど、派手な火事があって、あっちもこっちも焼けちゃってさ」
その傍らでジュースの瓶にフタをしつつ、ジェシカも溜息をつく。
「いえ――」
どうやらフィアナが、差し障りない範囲で “最近来ない理由” を話してくれていたらしい。まさか上空からほぼ一部始終見てましたとも言えず、クレアは曖昧に言葉を濁した。
「…………」
そこへ自分のカップと菓子を手に、とてとて近づいてきた幼女が隣に座った。
「セアラ。いい子にしてた?」
問いに、青い瞳をぱちくりとさせ。
保護者の感想を求めるようにシスターたちの方を見やり、ほやっと小首をかしげて。
「もちろんだよねぇ」
「みんなと仲良く出来るし、ちゃあんと早寝早起きして。ニワトリの世話も上手だし」
二人から太鼓判を押されたのに、照れ臭げにうつむいてしまった。
「お菓子、美味しい?」
重ねて訊くと、今度はにっこり笑い返して、ちょっとずつ味わうようにクッキーを齧り続ける。
ぴったり寄り添う温もりに、心和むものを感じつつ。
「あの、フィアナは? ここにはいないんでしょうか?」
さっきから気になっていた勇者の行方を訊ねると、湯気を吹き始めたティーケトルの火を止めに立ちながら、ジェシカが答えた。
「ああ、市場に食料の買い出しに行ってるんだ。日暮れ前には戻ってくるだろうから、お茶でも飲んで待っててよ」
(夕方、かぁ……)
グリフィンの元へは、夜に訪ねて行ってもまず迷惑がられはしない。
逆にフィアナは、教会のことに加え、賞金稼ぎの仕事もあって多忙だろうし――2時間程度なら、ここで待った方が良さそうだ。
そう判断して。
湖へ水を汲みに行ったり、夕飯の準備を手伝っているうちに、あっという間に西陽が差し始め。
キレイに乾いた洗濯物を取り込んでいると、ふと、だんだん近づいてくる馴染みの感覚に気づいた。
砂漠地帯であるからこそ、なお明瞭な……勇者の波動と繋がる結晶石の。
「フィアナ!」
その場にカゴを置き、敷地の外まで迎えに出れば。
「――クレア!?」
「お帰りなさい。お久しぶりです」
緩やかな坂を、リヤカーを引きつつ登って来ていた人影が、駆け寄ってくるのに互いに抱きついた。
「んもーっ、あんたこそお帰り! 心配ばっかかけてくれちゃって……!」
「すみません、ご迷惑おかけしました」
「迷惑だなんて思っちゃいないけどさ――良かったぁ、守護天使交代なんてことにはならなくて済んだんだね?」
「ええ、なんとか」
ふうっと表情を緩めたフィアナは、嬉しそうに笑って。
「よっしゃ! 堕天使の奴ら、特にアポルオンには、たっぷり報いを受けてもらわなきゃね〜……あ、もしかして早速、依頼?」
「え? いえ、それはまだ」
「じゃあ、立ち話もなんだし、とりあえず教会に戻ろ?」
坂の途中に放ってきたリヤカーを取りに、踵を返した。
「そうそう。今日は、けっこう珍しい食材が手に入ったんだよ。せっかくだから夕飯も、ちょっと豪華にして――」
確かにリヤカーには、野菜や果物がぎっしり詰まっているようだ。
けっこうな量に見えるけれど、あの大所帯では一週間分にも満たないかもしれない。いくら体力に自信があるとはいえ、市場から一人で運ぶのは大変だったろう。
(普段なら、リオが一緒に行くはずなのに。どうしたのかしら……?)
不審に思ってよくよく見ると、もうひとつ人影があった。
考えてみれば――リヤカーを後部から押し上げる者がいなければ、いくら緩い坂でも、フィアナが手を離した瞬間にずるずる滑っていってしまうだろう。
夕焼けの眩しさに辟易しつつ、目を凝らす。
強い西陽が逆光となって、ほとんどシルエット状態の影は長身だった。どうやら男性のようだ……ヴァンディークか?
けれど、それにしては――陽射しに映える頭髪は、鮮やかな金色をしていて。
「……シーヴァス?」
呆然としたクレアの呟きに、
「ああ、うん。こないだから手伝いに来てくれてるんだよ、騎士様も」
ごく普通に、振り返って答えるフィアナ。
けれどシーヴァスは、遠目にも判るほど表情を強ばらせていて――伝わってくる困惑と、気まずげな空気。
「ご、ごめんなさいっ!!」
反射的に叫んだ、クレアは、脱兎のごとく逃げだした。
なにか後ろでフィアナが、シーヴァスも声を荒げたようだったけれど、それらを聞き取る余裕も足を止める勇気も無かった。
走って走って、とにかく闇雲にひた走って。
気が付けば無意識に、教会にほど近い湖まで走ってきていた。
「ああ、びっくりした……」
息を切らしたまま湖畔にへたり込み、すくった水を一口飲んで――ようやく息をつく。
そうして途方に暮れた。
(洗濯物、庭に放って来ちゃった……どうしよう?)
自分から訪ねて行っておいて、挨拶も無しに帰るわけにはいかないけれど、シーヴァスには――両親を死に至らしめたそもそもの元凶が、大切な思い出の場所をうろうろしているなんて不愉快極まりないだろう。
だけど、まさか彼がいるなんて。
考えてみれば火災の折、タンブールに居たのだから。
そのままシスターたちを心配して教会に留まったとしても、なんら不思議はなかった……ただ自分が、もうヨーストに帰っていると思い込んでいただけで。
(そういえば――シーヴァスの気配は全然、感じなかった)
……フィアナと同じ場所にいたのに。
それはつまり彼が “水の石” を手元に置いていないということで、言外に、天使の訪問を煩わしがっているという意味で。
「やっぱり、怒ってるんだろうなぁ」
当分シーヴァスに依頼はしないつもりだと、ティセナも言っていたし。ある程度、避けられてしまう予想はしていたけれど――こんな不意打ちで顔を合わせてしまうとは。
(思いっきり、逃げて来ちゃったし)
失礼もいいところだと、頭を抱え項垂れる。
しかし落ち込んでいても状況の悪さはまったく変わらない。
フィアナには会えたし。
シスターや子供たちも、元気そうだったし。
気分的には、このままキンバルトへ発ってしまいたいけれど、それはさすがに無責任すぎるから……とりあえず30分くらい、どこかで頭を冷やして出直そう。そうだ、リメール海でも眺めて。
溜息混じりに立ち上がり、実体化を解きかけたところで――唐突に、ぐいっと右腕を引っ張られた。
「!?」
中途半端にアストラル体となって宙に浮きかけていた身体は、元素干渉にバランスを崩され、そうして。
「きゃあああっ!?」
ばっしゃーん!! と水飛沫の音を響かせ、湖に転げ落ちた。
地上の物質に強く干渉されると実体化を解けないという、My設定の基準は。人間が行動の自由を奪われる程度の物理的な力ってことで。