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◆ 光と影の不文律(2)


 ……天界に着いた後は、あっという間だった。

 聖グラシア宮、大広間の壁際には、まるで任命式典を再現したように――けれど上級天使ではなく、異端審問官が並んでいて。
 突き刺すような視線を浴びながら、歩く足元はフワフワとおぼつかず。
 事ここに至っても、大変なことをしでかしたという実感は湧かないままだった。

 戒律は、秩序を維持するためのもの。遵守すべきということは分かるけれど。
 焼け落ちるタンブールを放置して。
 シスターや子供たちを見殺しにしておいて、フィアナやシーヴァスに向かって 『どうしようもなかった』 なんて言えない。
 だって、それは嘘だ。
 出来ないんじゃなくて “やらなかった” だけ。
 そんなことをしたらもう、勇者たちの前に立てない。守護天使だなんて名乗れない。だから、悪いこと、間違ったことをしたとは思えない。
 こんな惨事を招いてしまうまで、インフォスの混乱を収められないままだったことは悔やんでいるけれど――
 苦りきった顔つきで、事実確認を進める審問官長に、ありのままを答えたら。

「……嘆かわしいことです」

 中央の玉座、大天使ガブリエルは形良い眉をひそめ、小さく溜息をついた。


「少し、頭を冷やしなさい。クレア」


 そうして謹慎を命じられ、離れ小島の結界牢、だだっぴろくて真っ白な檻に放り込まれてしまった。
 強力な結界に阻まれては脱走不可能だからか、それとも温情ゆえか、手足は拘束されず。
 なにも縛られたかったわけではないけれど、纏わりつく所在無さに――しばらく牢の中を行ったり来たりしたあと、隅の壁に凭れてボーッとしている。
(こんなところで無駄にしてる時間、ないのに……)
 違反そのものは後悔していない、けれど自分が戦列を離れては、ティセナの負担が倍増するし――こんなときに事件が相次いだら、サポートに付く人数も足りなくなってしまう。
 早く許しを得てインフォスへ戻るには、おとなしく反省しておくのが一番なんだろうけれど。
 悔いてないことを悔やんでいるフリしたって、それも “嘘” になるし……

『彼らを正しく導き、異変の原因を突き止めてください』

 始まりの日、ガブリエルが掛けてくれた言葉を、ぼんやり思い出す。
 期待に応えるどころか裏切ってしまった。

『愛しき幼い天使よ。汝に大いなる祝福が与えられますように――』

 求められた成果は、あくまで勇者を介して速やかに、淀みの元凶を排除することだったのに。
 魔法を使わなければ、炎に巻かれた人の子ひとり助けられない。
 ……力量の限界。
 精一杯がんばろうと思っていたけれど。
 誰かもっと、有能な上級天使が派遣されていた方が、インフォスの為には良かったのかもしれない。

(ああ、ガブリエル様にも迷惑がかかるなぁ……)

 禁を犯したのはクレア自身だが――任命権者たる大天使も、当然、決定の是非を問われるに違いない。
 それでもやっぱり、あの場で魔法を使ったことを 『間違いだった』 とは思えないんだから、口先だけの謝罪に意味は無いだろう。
「戻れるのかな、私……」
 たとえ謹慎を経て結界牢から出られても、インフォス守護の役目は解任されてしまう可能性だって充分にある。
 独り言をつぶやき、抱えた膝の上に突っ伏していると。

「ちょっと、クレア!」

 ぐわっしゃん、と金属質の音がして。
「……ラヴィ?」
「んもぉおお、なにやってんのよあんたはっ!?」
 驚いて顔を上げると、幼なじみの女天使が、両手で掴んだ檻をガシャガシャと揺すっていた。
「なんで、ここに」
「面会に来たに決まってるでしょうが! あんたが異端審問官に捕まったって聞いて――ラツィエル様に話を通してもらって」
「そっか、ありがと……心配かけてごめんね」
 申し訳なく思いつつ、気心知れた相手を前に嬉しくなって、笑って問い返す。
「久しぶり、元気だった?」
「久しぶり? あの海辺のお屋敷に見舞いに行ってから、もう三ヶ月は経つから、久しぶりっちゃ久しぶりだけどさ――」
 対するラヴィエルは、今にも頭を掻き毟りそうな勢いだ。
「たいして変化無い毎日だったけど、今日で寿命一気に縮んだ気分よ!」

 ……三ヶ月。
 インフォスでは、淀んだ七年半が経過しているのに――こっちでは、任命式典の日からたった半年。
 時々忘れてしまいそうになる、天界と地上の時流差。

「仕事熱心なのは立派だけどさ、なんで戒律違反までやらかすわけ? 火事に遭った街の人間を助けようとしたってことは聞いたけど……他にやりよう無かったの?」
「もしかしたらあったかもしれないけど、そんな方法、今でも考えつけないよ」
 あのとき、誰かから。
 雨を呼ぶため魔法を使えば戒律違反になると、忠告されていたら――二、三秒は、迷ったかもしれないけれど。
「また似たような状況に居合わせたら、たぶん同じことやっちゃうと思うし」
「だから、なんでそこまで……」
「だってね」
 砂漠のオアシスみたいな、街を想う。
「優しいシスターがいる教会があって、そこは勇者が育った場所で、大切な形見の絵も置いてあったんだよ。両親を盗賊に殺された、重い病気が治った女の子が、他に帰る家も無い孤児たちが、やっと落ち着いて暮らせるようになったのに――事件を解決するときお世話になった医師や、賞金稼ぎの剣士さんだって、あのまま火が燃え広がったら逃げ道も塞がれて焼け死んじゃってた」
 長くて短い日々の間に、出会った人間たちを想う。
「なんとかする方法はあるのになにもしないで、そんな守護天使じゃ……連行されなくたって、もう勇者たちに依頼なんか、しに行けないよ」
 いったい私は、いつ牢を出られるだろう?
 あの星に残された時は、もう残り少ない――天界で、これから二ヶ月が過ぎる頃には、インフォスの未来は永遠に閉ざされてしまう。
「だからね。魔法を使ったこと、後悔はしてないの」
 反省の色が見られない限り、謹慎が解かれることも無いだろうとは想像がつくのに。
「戒律を蔑ろにするなんて天使失格だし、悔い改めなきゃいけないとは思うんだけど……私には、出来そうにないわ」
 苦笑いするクレアを、途方に暮れたように眺めやり。
「だからってこんな罪人扱いされちゃ、あんた前科者よ? 分かってんの? 昔から言ってた、レミエル様みたいな医者になるって夢、どーすんのよ――」
 ラヴィエルは、じれったげに、泣きたいんだか怒りたいんだか分からない声を絞り出した。

×××××


 タンブールを発ったあと、ローザは事件探索に戻って。
 私は、経緯と状況を伝えるため、ティセナ様の転移魔法で各地へ飛んだ。

「けっ。ろくでもねぇな、天界上層部ってヤツはよ――」
 クルメナ近郊の森を移動中だった、盗賊団のお頭は、話を聞くなり腹立たしげに吐き捨てた。
「あいつに言っとけ。なにも悪事を働いたわけじゃねーんだ、胸張ってろって」
「ん、分かった」
「……あとな」
 いったん言葉を切ると、鋭い眼で道の先を見据えて。
「エスパルダのフィチカ近郊で、炎と腐臭を撒き散らす化け物を見たって、噂を聞いた」
「えっ? それって――」
「ビュシーク?」
「よくいるモンスターともかけ離れた異形だったらしいからな。放っちゃおけないだろ」
 代わる代わる質問する私たちに、頷いて言う。
「手掛かりには違いないしな。俺は今から、現地へ向かう」
「ひとりで特攻しないでよ? エスパルダ領に差し掛かる頃には、同行に来るようにするけど……もし、途中でビュシークと出くわしたら、ちゃんと私たちを呼んで」
「おう。そこまで無謀じゃねーから心配すんな」
 釘を刺すティセナ様に、勇者様は、気合に満ちた笑みを返した。
「クレアが動けねーってんなら、なおさらだ。騒ぎの元凶は、きっちり潰すぜ」


 デュミナスの国境付近、草原では。
「なんですって……!? それで、あの子はだいじょうぶなの?」
「戒律を破ったとはいえ、ヒトを傷つけたわけではない。護る為の行為だったなら――魔族侵攻の脅威もある。それほど長く、拘束されはしないだろう」
 顔色を変えた踊り子さんを、宥めるようにジャックハウンドが応えた。
「ただ、インフォスと天界では、時流がまるで異なるからな……上層部が結論を出すまでに十日程度としても、ここでは五ヶ月以上が過ぎてしまう」
「うん。半年は戻れないって前提で考えてもらった方がいいと思う」
 憂鬱そうに同意した、ティセナ様に、
「クレア殿に、伝言を頼みたい」
 ラスエル様に仕えていたっていう、青い神獣は言った。
「気休めにもならないかもしれないが――あなたが戻るまで、私がナーサディアと共にいると」
 一人と一匹がたたずむ緑の平野を、強い風が吹きぬけていった。


 カノーア王国、首都ノティシア・ルースヴェイク城。
「なに、その訳わかんない戒律ッ!!」
 話を聞いたとたん、ものっすごい剣幕で憤慨していた黒髪のお姫様は、
「……あのね、クレアに伝えてくれる? ちゃんと話してみたら、ミリアス王子って、そんなに嫌なヤツじゃなかったわ」
 しばらくして、気を取り直したように近況報告を始めた。
「他の王族や城の人たちも、みんな親切で――私が生きてたって聞いて、王統派につくと決めた諸侯も集まり始めてるところよ」
「奪還戦決行は、結集した軍勢の統率が取れ次第?」
「うん。ずっと助けてもらうばかりだったから、今度は、私が皆を守りたい……ファンガムだけじゃない、インフォスに平和を取り戻すためにも」
 ティセナ様に向かって頷いた、彼女は、なんだか凛々しくなった表情で続けた。
「だから――アーシェ・ブレイダリクは王女として、人の為に生きます。もう、ワガママは言いません」


 ヘブロンのシャリオバルト城にいた騎士団長様は、相変わらず言葉少なだった。
 片眉を跳ね上げて、鎧の腕を組んだまま。
「……そうか」
 私たちの話を聞き終えても、重々しく頷いたっきり、うんともすんとも言わないから。
 驚いたり怒ったりすごく親身な、他の勇者様たちの反応を、立て続けに見てきた私は拍子抜けちゃって、
(気にならないのかなぁ、クレア様のこと?)
 薄情だなぁ、なんて思いながら横顔を観察してみたら、無表情でも眼の色は心配そうに曇っていた。
 そういえば元から、こんな感じの人だっけ。
「彼女が欠けたぶんを埋めるには、到底足りまいが――」
 バルバ島の監禁生活でやつれていた印象は、もうすっかり消えていて。
「俺が戦う。インフォスを脅かす輩を倒すため、全力を尽くそう。騎士としての精神を失い、勇者の務めも果たせずにいた時を償うためにも……」
 依頼があればいつでも来いと、頼もしいことを言ってくれた。


 ぐるっと勇者様のところを訪問し終えて、それから。
 もう火事で元素が乱れた影響も消えたかなって、タンブール上空に引き返したけど、やっぱりシーヴァス様の気配は掴めなかった。

「シェリー、探しといてくれる?」
「は、はい……」

 ティセナ様は、天界に戻ってしまって。
 私は事件探索も兼ねて、クヴァール大陸を東へ行ったり西に行ったり、ぐるぐる探し回ったけれど。

 次の日も、その次の日も、シーヴァス様は見つからなかった。



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シーヴァス失踪。行方が掴めないのは、傷心勇者が “水の石” を教会跡地に捨てていったからで、それはティセナが見つけて拾って、あんにゃろう……くらいに腹立ててます。