◆ 王都、奪還(1)
王族派の軍勢は、ヘブロン西端に差し掛かっていた。
ここからまず旗印たるアーシェが、ウォルフラムたちを護衛に城へ向かい、正面突破を試みる。
ブレイダリク王家、ただ一人の生き残りとなった王女が姿を現したとなれば、ステレンスに心酔している者ほど戦功を立てようと押し寄せてくるだろうから――そのぶん、市街地から郊外にかけては手薄になるはず。
ミリアス率いるカノーア軍は、住民の避難誘導、保護に専念。
レイヴたちは国境を警備しつつ、順次、切り開かれた道に小隊を送って、負傷者や伝令の退路を確保する。
カノーア王家にしてみれば、アーシェへの支援を約したとはいえ、ミリアスの身に万が一のことがあっては堪らない。
また、長らく平和だった国の兵士たちは戦い慣れておらず。
逆にヴォーラス騎士団は、ファンガム軍に負けず劣らずの猛者揃いだが……彼らにとって、まず優先されるべきはヘブロンの安全に他ならないことを踏まえれば、必然とも言える戦力配分だった。
まだ少女とも呼べる年頃のアーシェを、激戦の矢面に立たせる作戦を渋る声も多かった。
けれど、ほとんど政治の表舞台へ出ずに暮らしていた彼女は、ブレイダリク王の娘という肩書きを除けば、これといった実績も無い “姫” に過ぎず。
たとえばカノーアに嫁ぎ、ミリアスの后として暮らしていくにはそれで充分だったかもしれないが――ファンガム奪還後、女王として国を治めていく覚悟を決めているからには、統治者たる器を示す必要があるのだと。
『……女王なんてね、前例が無いのよ。ファンガムには』
氷に覆われ起伏も激しい、北の大地では、強くなければ生き残ることさえ出来なかったから。
好戦的な狩猟民族を祖に持ち、群雄割拠の時代に国を興したブレイダリク家は、その中でも武勇に優れた豪族であったと伝えられている。
もちろん今は文明が発達して、冬の厳しさも柔らいでいるけれど。
強い者を無条件に認める価値観は、今も、年長者であるほど根強く残っているから――後継者に相応しいと認めさせなければ、第二、第三のステレンスが現れかねず。
混乱がすんなり収まらなければ、平和を望んだ民の心も、次第に離れていくことは想像に難くない。
クーデター軍さえ討伐すれば平和になると、そんな単純な話ではない。
ファンガムは変革期にあり――武力ではなく対話による平和をと、軍事政権からの脱却を目指して、志半ばに倒れた父王の遺志と血を、継げる人間は一人きり。
だから安全な場所で待っているのではなく、アーシェ自身がステレンスを討ちに行く必要があるのだ。
もちろん、剣など持ったこともない箱入りの姫君で、自分が即位するなんて無理だと尻込みするような性格だったら、誰もそんな無謀な賭けをしようと考えもしなかったろうが。
『そりゃあ、ヴォーラスの騎士団長さんと戦えって言われたら、さすがに勝てる気がしないけど……すっかり身体も鈍ってる元大臣相手に、遅れを取るつもりはないわ』
なまじアーシェが戦える上に、国を背負って立つ気でいるから、皆の期待も集まっていく――それが良いことなのかどうかは、決着が付くまで判らないけれど。
(きっと、だいじょうぶよね。一人で斬り込んでいく訳じゃないんだから……)
騎馬の手綱を取り、手を振って。
グルーチ目指して駆け出していった少女の姿を思い返しながら、後ろ髪引かれる想いでいたクレアは、
「……行くぞ」
「! はい」
レイヴに呼ばれ、ハッと我に返った。
救護班の一員として迎えてもらったのに、ぼんやりしていては迷惑を掛けてしまう。
本音を言えばアーシェに同行したいところだったが、ウォルフラムたちが一緒にいては魔法を使うわけにもいかず。
いくら腕に覚えがあろうと、女子供が戦場に出るべきではないという考えの武人たちにとっては、王女の参戦こそが必要に迫られた例外――勇者と天使の関係を知る由も無い人々にしてみれば、そもそもクレアたちは、国運をかけた戦いに加わるべき立場ではないのだ。
実体化を解いておけば見咎められない……代わりに、瞬時に傷が治る、なにもしていないのに魔物が吹っ飛ぶといった怪現象を目撃されることになる。
それは困るからと言って、気づかれない程度に留めてはサポートにならないし。決戦中に揃って姿を消しては、やはり守旧派の回し者だったのではと例の誤解を蒸し返されかねない。
ならば、ひとまずローザに同行してもらい。
アーシェたちが城へ踏み込んだ時点で、ティセナと共に急行する。
ステレンスとの直接対決が何時間にも長引くことは、まず無いだろうから――その間の不在については、レイヴに誤魔化してもらうのが得策という結論に落ち着いたのだった。
「最初に、派手に戦ってるとこ見せつけておけば。手強いヤツを追って行ったとか何とか、良いように解釈してくれるでしょうからね。それに……」
四方八方から迫ってくる瘴気に、眉をしかめながら。溜息混じりにティセナが言った。
「結局のところ、魔軍を束ねる器じゃないんですよ。元大臣殿は」
ステレンスは魔物を使役している。
だが黒魔術とは本来、堕天使や高位魔族であってこそ扱える呪法。
邪な心が源とはいえ、悪意しか持たぬ人間など滅多にいない。大抵は、どこかに欠片でも良心を残しているもの――デュミナス后妃ミライヤがそうであったように、適性も無い人の身に、そう易々と制御出来はしないのだ。
モンスターを洗脳したなら、その効果は時が経つにつれ弱まりつつあるはずで。
魔性の本能は、人間よりも天使を “天敵” と嗅ぎつける。
だから自分たちが一点に留まれば、クーデター軍として編成された魔物たちは、手強いものほどステレンスの命令を無視してこちらへ向かってくるだろうという、ティセナの予測は的中したらしかった。
「……浄化魔法、行けますか? クレア様」
「もちろん」
以前、ボルンガ族の洗脳を解くために使ったときは、一回きりで息切れする有り様だったけれど。
当時に比べれば、ずいぶん魔法力も上がっていた。
「でも、何回も使える訳じゃないから――なるべく多く、術の効果範囲内に引き寄せてもらえると助かるわ」
「分かってます。アーシェの援護に向かうときに、バテ上がってちゃ元も子もありませんからね」
「土着の獣は、北へ追い散らせば良いのだったな……?」
「ええ。魔族は極力、私が片付けますから」
一般人の目には “モンスター” と一括りに表現されがちだが。今のインフォスには、磁場狂いによって入り込んだ異界の怪物と、元から星に生息する大型種が混在している。
前者は駆逐する必要があるけれど、後者は、ファンガムの民と同じく被害者だ――傷つけずに済むに越したことは無い。
「他の、正気に返ったモンスターが、誤って市街地へ逃げ込まないようにしてもらえますか?」
「善処しよう」
頷いて返したレイヴも、グランメタリカを抜き放ちながら言う。
「俺たちも、無益な殺生は避けたいからな」
そうして、浄化の光が迸った後。
ヘブロンの騎士たちは、挑みかかってくるクーデター兵を次々に捕らえ、洗脳を解かれて惑うモンスターを山岳地帯へと追い払い。
救護班のテント前に待機、敵襲警戒の任に就いたティセナは、他の兵士らが舌を巻くほど鮮やかに魔物を薙ぎ払って――
郊外にひしめく敵部隊を退けたヴォーラス騎士団が、ようやく一息つこうというタイミングで。
「クレア様、ティセナ様っ……!」
息を切らしつつ急降下してきたローザが、迫る決戦の刻を告げた。
「アーシェ様が、間もなく目標の敵と接触します!」
「分かった」
「すみません。後のこと、宜しくお願いします」
「気にするな。早く援護に行ってやれ」
レイヴの言葉に頷いて、転移魔法の発動体勢に入ったティセナは――ほんの一瞬だが躊躇いを覗かせた。
いつも淡々と仕事をこなす少女が、なにを気にしているかは容易に想像がついて、傍に寄ろうとしていたクレアの足も鈍る。
今のところ戦況は、こちらに有利で。
けれど、すんなりと任せて行きにくいのは――ステレンスに “力” を与えた魔族が、どこでこの戦争を眺め、いつ横槍を入れてくるか分からないからだった。
ファンガムの混乱は止めなければならない。アーシェが、逆臣に敗れることなどあってはならない。
二人がかりで万全のサポートをすべきだという意見は、妖精たちとも一致していた。
だが、その間に、同じく勇者であるレイヴが狙われないとも限らないのだ。
「……行こう、ティセ」
少女の腕に軽く触れて、うながす。
自分たちと入れ替わり、レイヴの補佐にはローザが付いてくれる。
シェリーも今は、ベテル宮に待機して、インフォスの混乱度と睨み合っているはずだ。
勇者たちの誰かが、堕天使一派による奇襲を受けても――自分たちが駆けつけるまで持ち堪えてくれると、信じるしかない。
なんかこういう政治背景みたいなのを、公式資料集の記述から連想するのは楽しいです。ファンガムとカノーアの遠距離恋愛、しかも片や女王、相手も一国の王となると結婚ムリだよなー……と思うので、ミリアスは時期国王ではなく兄王がいて、ファンガムに婿入りというのが無難そう。