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◆ 王都、奪還(2)


 ――転移した瞬間に、アーシェの悲鳴が聞こえてきた。

「ウォルフラム将軍! しっかり……!!」
「なんの、これしきの傷――ご心配には及びません」

 さらには低い、くぐもった呻き声。
 あわてて城内を見渡せば渡り廊下らしき場所、階段の手前に、大小ふたつの人影がうずくまっており、
「アーシェ」
「!」
 縋るように振り向いた勇者に、仕草で “静かに” と注意しつつ訊ねる。
「包帯か、代わりになるものありますか?」
「あ……」
 ティセナも自分も今はアストラル体だ。
 ウォルフラムなら他言しないだろうと思うものの――必要に迫られない限り、天の遣いだとは知られたくなかった。残る堕天使を倒して、インフォスの時を正常に戻すまでは、謹慎など受けていられない。
「そうだ、止血しなきゃ」
 常人には天使が見えないことを思い出したらしく、独り言めいた相槌を打ったアーシェは、懐を探るもすぐに困ったように眉を寄せ、
「包帯は使い切っちゃったのよね……敵陣を突っ切ってきたから、汚れてないか気になるけど」
 ダガー片手に、ひらひらしたドレスの裾を勢いよく裂いた。
「あ、アーシェ様!?」
「動かないで」
 ぎょっとする将軍を制止した少女の手に、手を添えて指示しながら。
「もう少し強く」
「このくらい、かな?」
 血に染まった太腿を、ぎゅうと縛り上げる。
 他にも、ところどころ軍服が破れて赤黒く変色しているが、そちらは掠り傷のようだった。
「脚以外は、さほど深い傷ではありませんね。安静にしていれば出血も止まりますよ」
「うん。これでよし、っと」

 安心したように立ち上がったアーシェは、破けて見る影も無くなったドレスを見下ろすと、
「私も、こっちの方が動きやすいかな」
 残った布を、短い巻きスカートのようにクルリと腰に巻きつけ。
「物に引っ掛かったり掴まれたりしたら、不利になるし―― “王女らしい衣装” でいる必要も、ここまで来れば無いわよね」
「アーシェ様?」
 不安げに眉を寄せたウォルフラムを見つめ、宣言する。
「ここで待ってて。ファンガムに混乱を齎した逆臣、ステレンスを討って来るから」
「は?」
「この怪我じゃ、あなたは思うように戦えないでしょう? だから、私が行く」
「な、なりません! ステレンスが、誰の御命を狙っていると……!!」
 血相を変えて立ち上がろうとする将軍だが、やはり足の自由が効かないらしく、
「敵兵を退けた者たちが合流するまで、お待ちください! もはやステレンスには、逃げ場など無いのですから」
 その場に倒れ込みながらも、必死にアーシェを引き止めようとする。
「でも、交戦が長引くほど被害は拡大するわ」
 そんなウォルフラムに、きっぱりと首を振りながら反駁する少女。
「クーデター兵だってファンガム生まれの戦士よ。そう簡単には通してくれないでしょう――城へ向かう途中で、正門や広間で――ここは任せて、先に行ってくださいと。我が軍の兵士たちが言ってくれたから、あなたと私は、最上階まで後一歩というところまで辿り着けた」
「そ、それは……」
「クーデターに加担した者たちの大部分は、ステレンスが、凶悪な魔物を意のままに従える男だという事実に勝機を見出したんだと、私は思う」
 将軍は、黙って頷いた。
「だけど、ここへ来る途中、見た目にも強そうな魔物ほど、戦列を離れてどこかへ行ってしまっていたでしょう? 敵兵も驚いて慌てていたわ」
「……はい」
「やっぱり、人間がモンスターを操るなんて、そうそう出来るはずが無いのよ。どんな手を使ったのかは知らないけど――ステレンスを倒せば、まだ敵軍にいる魔物だっておとなしくなるかもしれない。首謀者を討てば、クーデター兵も投降を考えだすでしょう」
 両軍の戦力は拮抗している、だからこそとアーシェは訴えた。
「あなたたちほどの腕は無いけど、私だって戦えるわ。ここへ来るまでの間、見ててくれたでしょ?」
「面目ございません。敵は、目前だというのに……」
 ずっと王女を庇いながら進んで来たんだろう。
 全身傷だらけで、体力も底を尽きた様子の将軍に対して、アーシェの体調はほぼ万全と呼べる状態だった。
「そう思うならちゃんと休んで。くれぐれも、その足で追って来ようだとか無茶なこと考えないでよ?」
 責任感に囚われ思い詰めかねない気性の将軍に、釘を刺して。
「あなたには長生きしてもらわなきゃ。ファンガム女王、アーシェ・ブレイダリクの側近として、まだまだ働いてもらうんだから」
 アーシェは不敵に笑って言い切った。
「それにね。私は負けないわ――この世界を想ってくれる天使様の、ご加護があるから」
 ぽかんと目を丸くした、ウォルフラムを見据え。

「絶対に勝つの。信じて」

 まるで決定事項であるかのように断言した、アーシェと。
 身を硬くしつつも握りこぶしを固めた、クレアを眺めやり、ティセナは穏やかに微笑していた。




 そうして勇者と踏み込んだ、大きな扉の先――おそらくはアーシェの父が、生前、志を胸に座していた場所に。


「これはこれは……先王の娘、アーシェ」

 どっかりと玉座に腰を下ろす、初老の男が頬杖をつきつつ薄笑いを浮かべていた。
「新しい王に、祝いの言葉でもくれるのか? ふははは!」
 ブレイダリクの姫が無傷で現れたとなれば、自軍が敗北した可能性を考えそうなものなのに、さほど驚いた素振りも無く。
 己の勝利を確信しているのか、なにか策を隠しているからか――まさか膠着していた戦況が動いた? 王族派が追い詰められていると、使い魔から報せでも受けたんだろうか?
「……ステレンス」
 クレアが嫌な予感に駆られている間にも、アーシェは、元大臣に向かって一歩踏み出していた。
「どうして、お父様やお兄様を殺したの」
「目障りだったからな。それ以外に理由などないわ」
 怒りを押し殺した少女の問いに、返された台詞は、相手の神経を逆撫でしたがっているとしか思えない代物で。
「我が野望に比べれば、ブレイダリク王を葬ることなど大事の前の小事! メインディッシュの前のオードブルよ――ふはははっ!!」
「野望……? こんなふうにファンガムを占領しておいて、まだ何か企んでるって言うの?」
 訝しげなアーシェに、よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに高らかに。
「私は選ばれた人間なのだよ。ファンガムはおろか、地上すべてを支配することを許された! 偉大なるアポルオン様に認められたのだ!!」
 爛々と目を輝かせながら語る、ステレンスの形相は狂気じみていた。
「アポルオン?」
「インフォスにちょっかい出してる、堕天使の名前」
 ますます意味が分からないという顔をした勇者に、舌打ち混じりにティセナが答える。
「あちこちの事件、裏で糸を引いてた――罠張り巡らせて、獲物が掛かるのを待ってるタイプでね。今まで出くわした中で一番タチ悪いよ」
「そう。薄々そんなところだろうとは思っていたけど……」
 はあっと溜息を吐き、冷ややかに。
「くっだらない」
 軽蔑もあらわな眼を向けられたステレンスは、ここへ来て始めて、動揺に近い表情を見せた。
「……なんだと?」
「他国を恐怖に陥れていた、武力を誇っていた昔のファンガムを取り戻す為だったって言うならまだしも――笑わせてくれるわ」
 家族の仇を前にして、怒りを我慢する自制心も限界に達したか、
「許された? 認められた? どこの馬の骨とも知れない輩に唆されて、クーデターを起こしたですって?」
 元大臣の “野望” を、容赦なく否定して退けるアーシェ。
「そいつが一番偉いわけ? 曲がりなりにもファンガムの支配者を名乗る男が、他人の言いなり? お父様の理想を踏み躙ったうえ、太古から、誰にも屈することが無かった国の誇りまで売り渡したのね」
 こんな反応が返ってくるとは想定外だったらしく、しばらく唖然としていたステレンスは、わなわなと震えだした。
「い、言わせておけば、小娘が……!!」
「だから、なに? あなたが知ってのとおり、親不孝な家出娘だったけどね――国を出ている間ずっと遊んでた訳じゃない!」
 壇上のステレンスと激しく睨み合い。
「お父様の後を継ぐのは、私よ」
 ダガーを抜き放ったアーシェは、凛とした声で告げた。

「民の暮らしを守るどころか脅かした、なにひとつ背負う覚悟も信念も無い人間なんかに、ファンガムは渡さない!!」

「――減らず口をォオオオ!!」

 ひたいに青筋を浮かび上がらせたステレンスが、吠えるように、呪文と思しき言葉を紡ぐなり。
「な、なに?」
「黒魔術……!?」
 轟と吹き荒ぶ瘴気の禍々しさに、クレアは、反射的に一歩後ずさり――逆に、間合いを詰めようとするアーシェの腕を、
「ダメ!」
 いつになく焦った調子で、ティセナが掴んで引き戻す。
「どうしたのよ? 魔物を操ろうとしてるんなら、今のうちに止めなくちゃ」
「近づいたら取り込まれる」
「え?」
 青褪めたクレアと、いつになく強ばったティセナの表情に。
 アーシェは、とりあえず近寄らない方が良いらしいと判断して留まるも、なにがどう危険なのかは具体的には理解出来ずにいるようだった。
「馬鹿が。ろくに制御も出来ない術を……」
 天使と勇者が、それぞれ身構えつつ注視する中。ステレンスの肉体は、断末魔にも似た悲鳴を上げながら、縦へ横へと歪んで膨張していき――
「あ、アポルオン!?」
 以前フィアナの精神世界で対峙した、忘れようはずもない堕天使の姿へと変化した。
「ス、ステレンス……?」
 確かに大臣だったはずの “それ” を、唖然として見つめるアーシェ。

「――影の依代にされた。もう、戻れない」

 淡々としたティセナの声が、ひどく空虚にその場に響いた。



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考えてみたら、王族派を集めてステレンスを討ちに向かったのに、王女自ら直接対決って? (汗)
ウォルフラム将軍たちは……途中で敵の足止めに残ったり、負傷で離脱したってことにしときましょう。うん。