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◆ 逆臣の最期


“ステレンスだったもの” の咆哮がビリビリと、一帯の空気を震わせる。
 異形化によって苦しんでいるのか、殺意の発露か判らないけれど――言語ですらなくなった、それは聞くに堪えない響きだった。

「どういうことよ! 依代って……あれがアポルオン? ステレンスは取り憑かれたってわけ?」
「そういうこと。ただし――」
 真っ青になりながらダガーを握りしめた勇者の問いに、平淡な声音で応じるティセナ。
「悪魔祓いをすれば元に戻るなんて、生易しいモノじゃないけどね」
「戻せないの!?」
「……地面に落ちたリンゴは、実を養分にして発芽するでしょ? そんな感じだから」

 堕天使もアストラル生命体。
 インフォスに物理的に干渉する為には実体化しなくてはならないが、今のアポルオンは、時空の隔たりに阻まれ降りられずにいる――だから勇者候補だったフィアナを “呪い” で蝕み、不老不死を願ったビュシークに突け込むなどという、回りくどい手段を取っていた。
 主君を裏切ってまで王座を奪ったステレンスも、結局は、合成獣にされた狂領主と変わらぬ末路を辿るのか……? ヒトが本当に欲しいものなど、悪魔に祈って叶えられるはずも無かろうに。
 同情とも怒りともつかぬ不快感を持て余し、唇を噛みしめていたクレアは、

「クレア、ティセナ! 援護して」

 勇者の呼び声に、はっと振り返る。
 ブレイダリクの血を継ぐ少女は、ステレンスの異形化に怖気づいた様子もなく、まっすぐに顔を上げてその場に立っていた。
「家臣の不始末は、王族の責任よ」
 どしんどしんと足を踏み鳴らしながら近づいてくる元大臣を睨み据え、威風堂々と言い放つ。

「これ以上、ファンガムに仇を成す前に――あなたを処罰するわ。逆臣、ステレンス」

 応える代わりに再び咆哮した、魔物の鼻が鞭のごとく伸びてうなり。
 華奢な少女ひとり串刺しに出来そうな勢いで叩きつけられる、寸前、横っ飛びに避けたアーシェは敵の懐へ突っ込んでいった。

 以前、フィアナの前に現れた“シェード” の中身は呪符だった。
 ステレンスを依代に肉体を得たぶん、物理攻撃の破壊力などは格段に増しているようだが……それでも敵の脅威は、アポルオンの劣化版というレベルで。
 かつて勇者の精神世界で対峙した堕天使とは、姿形こそ酷似していても、放つプレッシャーや衝撃波の威力がまるっきり違う。
 天使二人がかりの援護を受けた勇者が、まともな自我も無く力任せに暴れるだけの怪物に、遅れを取ることはなかった。

 防御魔法に全身を守られ。
 スピードや反射神経も跳ね上がった勇者の連撃に、ほどなくステレンスは斃れて、巨体が地震のごとく辺りを揺らす。
 その震動が収まり、ややあって慎重に距離を詰めながら――動かなくなった相手を覗き込んだアーシェは、ひっ、と小さな悲鳴を漏らした。
 クレアも、思わず後ずさる。
 生命はおろか魔力も失ってミイラのごとく干乾びた、胸部から下は奇怪な象の形をしたまま。唯一、ファンガムの大臣だった面影を留めながら、苦悶に歪んだ顔は正視に堪えない痛々しさだった。


「……お父様、お兄様……仇は取りました」


 心情的にも、手放しに喜べる勝利ではないんだろう。
 やや沈んだ口調で呟いたアーシェに応えるように、溜息混じりの声が響いた。

“やれやれ、どこまでも邪魔をしてくれる……”

 今ここにいる誰のものでもない、男の。

「あんた、アポルオンね? どこに隠れてんのよ、潔く出てきて勝負しなさいッ!!」
 クレアたちが何を言わずともピンと来たようで、素早く臨戦態勢に入りながら、視線を巡らすアーシェだが、
“残念ながら今は、忌々しい壁に阻まれているのでな”
 どこにも、堕天使の姿は無かった。
 声は以前と変わらず、直接、脳に響いている――魔界から、精神面を介しての干渉だ。
“だが、もうすぐだ……歪みによる境界の崩落も、間もなく最終段階に達する。そのときは私自ら、おまえたちを皆殺しにしてやろう”
 おそらく媒介はステレンスの骸だが、あれを攻撃しても遺体が消失するだけで、アポルオン本体には届くまい。
 命尽きた魔族は、通常、塵になって消滅する。
 どんな状態であれステレンスが形を留めているということは、つまり、完全には死にきれていない――おそらくは、アポルオンが魔力を以って魂を拘束している。遺骸を盾代わりに話しかけて来ているのだ。
 ティセナも、そう判断したんだろう。
 剣の柄に手をかけて油断なく辺りを見渡してはいるが、攻撃を仕掛ける様子はない。
 今ここでステレンスを消し飛ばせば、クーデターの首謀者が倒された、魔物化していたという証拠が消えてしまう。
 どのみち堕天使が失せれば、遠からず消滅してしまうだろうけれど……せめてウォルフラム将軍には、直に確かめてもらいたいところだった。

“貴国の大臣は役立たずだったが、最低限の仕事はしてくれた。ものの見事に楔を破壊してくれたからな”

 そんなこちらの心の内を知ってか知らずか、唐突に、嘲るようにアポルオンは言った。
”愚か者を野放しにしてくれたこと、感謝するぞ。天使の勇者”
「なっ!?」
 とたん、アーシェがいきり立って怒鳴り返す。
「なにそれ、ふざけるんじゃないわよ! あんたなんか絶対、返り討ちにしてやるから!!」

 耳障りな哄笑が、やがて聞こえなくなって――
 静寂に包まれた玉座の前。

「ねぇ…… “楔” って、なんのことかな? ステレンスが破壊したって」
「ファンガムだよ」
 不安げなアーシェの疑問には、ティセナが即答した。
「ずっと平和だったからね」
 混乱が続き、人心が荒れるほど世界の理は崩れていく。魔物が凶暴さを増していく。

 すでに堕天使イウヴァートは、実体を得てインフォスに現れた。
 さらに強大な力を持つアポルオンは、まだ魔界側に留まっているようだが――勇者たちの働きを以ってしても、やはり境界は崩れていく一方だ。新たな堕天使の襲来を、防ぐことは難しいだろう。
 それでも、諦める訳にはいかないけれど。

「インフォスにとっては高位魔族の侵入を防ぐ、最後の堤防と同義だった。それもズタズタに裂かれてしまったら……どうしたって、泥水が流れ込んでくるのは止められない」
「――そう」
 嬉しげに、けれど寂しげに青い眼を伏せて。
「じゃあ、お父様たちは、それくらい大きな仕事をしてたんだ」
「そうだね。年月含めて考えたら、勇者な王女様の百人分くらい働いてるよね」
「だったら堕天使を倒しても、ずうっと戦いは続くのね。壊れちゃった堤防を、造り直していかなきゃいけないのよね? インフォスに生きてる私たちが、みんなで」
「そうですね」
「気の長い話ねー……」
 ティセナやクレアの相槌に苦笑して、今は誰もいない玉座を仰ぐ。
「だけど、頑張らなくちゃね」

 子供の頃はただ見上げていたんだろう。そういった立場や責任を疎んで、城を飛び出した時期もあった場所。
 けれど彼女は、この先――ファンガム初の女王として、ここに座るのだ。

「……ちょうど良く、かな? お迎えが来たよ、女王様」

 ティセナに言われて、振り向けば。
 バタバタと近づいてくる複数の足音、騒々しい話し声、そうしてバタンと扉を開け放つ音。

「アーシェ様!」
「姫、御無事ですかっ!?」
「ウォルフラム将軍? あれほど、安静にしていてと……!」
 我先にと駆け寄ってくるミリアス、きょろきょろと忙しなく辺りを見回す兵士たち、その中に老将の姿を見つけて仰天するアーシェ。
「敵は魔物を操るステレンスですぞ! なんの、これしきの傷。少し休めば――」
「なに駄々っ子みたいなこと言ってるの!? せっかく止血したのに、また血が滲んで来てるじゃない!」
 懲りずに精神論を押し通そうとするウォルフラムを、ぴしゃりと遮り、滔々と説教を始めた少女を背後に庇うように。
「大臣は? いったい、どこへ?」
「見当たらないな。まさか……隠し通路か何かから逃げ出して?」
 じりじりと前へ進んでいった兵士の一人が、玉座の傍に転がる塊に気づいて、うわずった声を上げた。
「うわあっ! なんですか、このミイラ!?」
「す、ステレンス……?」
 愕然とした面々の叫びに我に返ったらしく、アーシェが表情を改める。

 階下からは、アーシェやウォルフラムの名を呼びながら、どんどんこちらへ集まってくる気配がひとつ。またひとつ――ステレンスの魔力を失ったクーデター軍が、完全に劣勢に陥り。
 立ち塞がる敵を倒した王族派の軍勢が、次々と、一足先に城内へ向かった旗印を追って来たものだろう。

「……後は、アーシェたちの問題です。事後処理は任せて戻りましょう、クレア様」
「そうね」

 まずは協力してくれたレイヴに、顛末を報告して。
 それからはまた、インフォス守護の任務が続く――今度こそ、アポルオンに遅れを取らないように、厳戒態勢で臨まなくては。



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当初は、アーシェが普通にステレンスを倒して、殺さずに、私が女王として君臨するところを見てなさいよ〜みたいな流れを考えていたんですけれど。脳内イメージのアポルオンが、そうは問屋が卸さないと干渉して来まして……だいぶ違った結果になりましたです。はい。