NEXT  TOP

◆ 雷鳴(2)


 雷撃に削り取られてしまった防御魔法を紡ぎ直しつつ、辺りを探れど兄の姿は見えず。
 それどころか振り返った先に道は無く、ぼんやりと暗闇が広がっているだけ――どうやら退路も絶たれてしまったようだ。
 しかし神獣の嗅覚をも欺くとは、ラスエルは少し前まで確かに居たか、匂いが染みついた何かを敵が持っているということか……どちらにせよ、ここが最もベルフェゴールに有利な最奥部。城内のどこよりも、魔界に近い場所に違いない。
 障壁越しにもヒシヒシと感じる圧迫感――直に触れたら、無傷では済まないだろう。
 外ではティセナが、これ以上の瘴気流出を遮断しようと試みているはずだが、成功したか否かを感じ取る為にと結界を解いてみる訳にもいかなかった。
 下級天使のクレアにとっては、熱湯に飛び込む自殺行為に等しい。たとえ即死を免れても、正気を保っていられるか心許ない。
(誘き寄せられた……ってことね)
 焼けつくような閃光が薄れて、一帯が、元の暗さに戻ったときには。
 自分たちと “ラスエル” を隔てていた鉄格子は溶け崩れ――聞き及んでいた “騎士リーガルの遺言” どおりの姿をした堕天使が、天井付近まで舞い上がり、不遜な眼でこちらを見下ろしていた。

「すまない、クレア殿……」

 とうとう正体を現した仇敵を睨みつけながら、低く自嘲するジャックハウンド。
「猿芝居に嵌められたようだ」
 なにを憤り悔しがっているかは明白だったため、クレアも苦笑して返す。
「いいのよ。ベルフェゴールと戦わずに、なんて――そう都合良く、助け出せる筈なかったんだもの」
 兄が無事だったという喜びに、気を取られたままだったら。
 あるいは “今の姿” そのままに化けて演技されていたら、本物と信じ込んだまま、三人揃って感電死していたかもしれない。
「ラスエルは、どこ!?」
「はーっはっはっは! 残念だったなぁ? たった今、私が止めを刺したところだ」
 ベルフェゴールの嘲笑に一瞬たじろぐも、
「……それも嘘ね」
 ナーサディアは身構えたまま、毅然と切り替えした。
「今の今まで生かしておいた人質を盾にもせず、ただ殺すとは思えない。惨殺死体を突きつけて絶望させる、なんて悪趣味な真似も、命尽きれば消えてしまうアストラル生命体には不可能だもの。なにより――彼が殺されたなら、私も死んでいるはずよ」
 以前、ティセナが断言していたこと。
 相反する魔法。
 インフォスの異変とは無関係に、停まった時。
「私たちが通って来た道が消えてるわね。ボルサは散々調べて回ったけど、こんな城自体、ついこの間まで無かった。魔術で生み出された、触覚を伴う幻ってところかしら?」
 思いがけぬ推論に、クレアは戸惑う。
「幻覚? この、城そのものが……ですか?」
「ええ。ジャックの鼻が鈍ったと考えるより、ラスエルは、すぐ近くにいると考えた方が辻褄も合うわ。たとえば――その行き止まりにしか見えない壁の向こうに、捕まったまま動けずにいるとかね」
 ナーサディアの口調は、憶測というより確信に満ちていた。
 だとすれば、自分たちはベルフェゴールの腹の中で暴れているようなものだ。ここで決着を付けない限り、ラスエル救出どころか撤退も叶うまい。
「なるほどな……」
 瞠目したジャックハウンドは、自らの嗅覚を確かめるように首を巡らす。
 対する堕天使は顔色ひとつ変えず、勇者たちをせせら笑った。その両手からバチバチと生み出された青白い光によって、不自然な明るさに満ちる袋小路。
「ふん。奴が死んだと認めたくないあまりに、現実逃避か?」
「逃避かどうかは、術者を倒せばハッキリすることよ!」
 槍のごとく真っ直ぐにベルフェゴールを狙い撃った鞭は、直撃する寸前、半透明の膜めいた “なにか” に遮られて、ぽとりと床に落ちる。
「……そうだったわね」
 体勢を立て直しつつ、唇を噛むナーサディア。
「こういう術を使うヤツだったわ。あのバリアが厄介で、どの堕天使よりも手こずったのよね」
 共有する経験なんだろう、こくりと頷き。
「まさか取り逃がしていたとは思わなかったがな。消滅する瞬間まで、この目で見届けた――そう思い込まされていた訳か」
 ベルフェゴール目掛けて跳躍した神獣の爪撃も、さっきと同じように弾かれてしまった。
「クレア。あのバリアが張られている間は、私たちの体力回復だけに専念してちょうだい。向こうからは仕掛けて来れないはずだから」
「大技を使えば、障壁を貫通して多少のダメージを与えることも可能だが、あれが解けた隙に集中攻撃した方が確実だ。ある程度の衝撃を与えれば、バリアは崩れ落ちる」
 代わる代わるに指示を出す、勇者と神獣。
「それから、ああして身を守っている間に蓄電して、逃げ場も無くなるくらいの落雷を起こすことがあるの。当たり所が悪ければ一撃で戦闘不能になりかねないから……」
「だったらなおさら、防御魔法を途切れさせる訳にはいきませんね」
「いいえ。通常の打撃や小技まで魔法で防いでいたら、効率が悪すぎる。インフォスに降りたばかりの頃より、あなたの魔力値も上がったでしょうけど――それでもきっと、消耗が早すぎて持たないわ」
「紙一重の勝利だったからな」
 障壁に包まれたベルフェゴールの姿は、曇りガラス越しに物を見たようにおぼろげで。己が性質を見抜かれている事実に、どういった反応を示しているのか分からない。
 ナーサディアたちの記憶が正しくとも、長い時を経て、より驚異的な力を身につけている可能性だって充分に有り得る。
 けれど闇雲に行動するよりは、戦闘経験者に従った方が良いに決まっていた。
「昔……ベルフェゴールと戦ったとき。奴が消滅しておらず、異空間へ逃げ込んだだけだと誰も気づけなかったのは、皆、疲労困憊の有り様だったからだろうと思う」
「私もジャックも、電撃のひとつやふたつ避けられるし、仮に浴びてしまっても耐えられるから。瘴気の変化から察知して、“雷雨” のときだけ防御魔法をかけるようにして――それ以外のときは、あなたは、自分の身だけを守っていて」
「ええっ!?」
 さりげなく、とんでもなく難易度が高い要求をされたような?
「そうでなくちゃ全員が、力尽きることになるわ」
 実際に戦い、傷つくのはナーサディアたち。後衛に徹している自分が、泣きごとを言っていられる状況ではないけれど。
 雷雨?
 いったい、なにを基準に判断すれば良い……?

 戸惑っているうちにも勇者と神獣は、バリアに向かって攻撃を続け――青白いダイヤモンドめいた幾何学模様を浮かび上がらせていた膜が、ふっと消えた。
 とたん、押し寄せた圧迫感に、急には反応出来ず。
 さっき紡ぎなおしたばかりの障壁を、瞬く間に粉微塵に叩き壊して霧散した代物は、確かに “雷雨” と呼ぶべき現象だった。
 時折、稲妻が混じる大雨――ではなく。

 雷の雨。

 あんなものマトモに浴びたら、いくら天界の防具で身を固めた勇者とてひとたまりもないだろう。
「今のが “雷雨” よ、クレア! 分かった?」
「え、ええ、でも……私の反射神経じゃ」
「ここは堕天使の領域よ。視覚はアテにならないわ。それより自分の感覚を信じて――いっそのこと、目も閉じてなさい!」
 早口でまくしたてたナーサディアは、神獣に一歩遅れて、ベルフェゴールの間合いに突っ込んでいった。

×××××

「半分くらいには、減ったか……?」
「そうですね」
 シーヴァスのぼやきに、短く相槌を打つティセナ。
 侵入者を食い殺さんばかりに次々と襲い掛かって来ていた大型モンスターは、ほとんど見当たらなくなっていたが――人型であっても物理攻撃が効かない死霊や、動きが素早く的を絞りにくいコボルトが群れを成して向かってくると、ダメージは避けられず。
 ティセナの援護が無ければ、5分と持ち堪えられなかっただろう――多勢に無勢にも程がある。
「クレアたちはどうなった? ここから、なにか判るか?」
「いいえ。でも……おそらく、まだ戦闘中でしょう。漂ってくるベルフェゴールの瘴気が、まったく薄れていませんから」
「敵はラスエルを、人質として利用するつもりだろうからな。無事に助け出せれば良いんだが――」
 当然、同意を得られると思いながら呟くが、応えは返らず。
「…………?」
 飛来した吸血コウモリを一刀両断に斬り捨て、窺い見たティセナは、なんとも言えない顔をしていた。
 困惑を、無表情で押し隠しているような。
「なんだ? どうかし――」
「他所見してる余裕あるんですか?」
 漠然とした疑問は、耳に痛い一言によって遮られ。ここぞとばかりに突進してきたサラマンダーの火炎放射を、すんでのところで屈んでかわす。

 そうして、不自然な反応の理由を問うことも出来ぬまま。
 シーヴァスたちによる魔物殲滅を待たず、堕天使の城は、まるで初めから幻であったかのように唐突に消え失せた。



NEXT  TOP

ラスエル戦は対ガープよりも苦労したなー、とか。あのバリアに苛々したなーとか。勇者の体力ゲージと敵から次に受ける推定ダメージと、回復魔法の限度回数と計算しながら必死で戦ってました。単調なようで奥深かった無印の戦闘。続フェバは本当に単調でしたが。