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◆ ラスエル(1)


 ――終わったのかと、訊く必要は無かった。

 中で、なにがあったかなど些末事だろう。
 救出されたなら共に居るはずの、前守護天使の姿も見えず。
 がらんとした城の跡地に、蹲ったナーサディアを……同じように膝を折って抱きしめているクレア。その傍らに立ち俯いて微動だにしない、傷だらけの青い獣を見れば。

 倒しきれずに残っていた魔物の群れも、気づけば悪霊の類は消え失せ、すっかり無害な大きさに縮んだ野獣は、散り散りに逃げ出して――暗い森に、漂う血生臭さが急に濃く絡みつき。
 覚束ない足取りで歩み寄ってきたジャックハウンドが、ぼそりと漏らす。
「……ベルフェゴールは滅びた」
 感情すべて押し殺したような、抑揚に欠ける口調で。
「ラスエル様は、助からなかった」
 返す言葉を見つけられずにいるシーヴァスの隣で、ティセナが 「そう」 と相槌を打ち。
「百年は、長過ぎたね――」
「しばらくここに居ても、かまわないだろうか?」
「好きにしたら良いよ」
 軽く頷いて、背を向ける。そのまま立ち去ろうとする少女を、シーヴァスは戸惑い呼び止めた。
「ど、どこへ行く気だ?」
「渦巻いていた瘴気は完全に途絶えました。もう、ボルサに用はありません」
 応えは短く、戦いの最中に浴びた血飛沫もそのままに。
「出来るのは……あのヒトたちの気が済むまで、好きにさせておくことくらいでしょう」
 そうして、ふいと消えてしまう。
 黙礼したジャックハウンドも、天使たちの元へと戻り。
 残されたシーヴァスは取るべき行動を決めかね、しばらく突っ立っていたが――ひとつ首を振り、踵を返した。
 互いの気配が届かぬ程度に、距離を取り、手近な木の根元に腰を下ろす。

 ラスエルを直接に知らない自分たちは、しょせん部外者に過ぎない。
 事情を聞きかじっただけの人間に、あの三人が抱える想いを共有など出来ようはずもない。

 “気が済むまで”

 彼女たちが再び、立ち上がるまで。
 今のシーヴァスに出来るのは、新手による襲撃に備え、見張りとして留まることくらいだった。

×××××


 たぶんね、とっくの昔に解っていたの。
 生きていることは確かでも、無事には済まない――助かるような状態で、生かされてはいないだろうって。
 魔界に、堕天使の手中に落ちるとは、そういうこと。

 ナーサディアは、ジャックハウンドも、きっと考えないようにしてただけ。
 聡いあの子、ティセナだって、言わないでおいてくれただけ。
 どんなに判りきったことでも……指摘されたくなかった、事実として突きつけられることだけは耐えられなかった。
 万に一つの希望だとしても、縋っていなければ。
 果たして、ボルサに踏み込む勇気が持てただろうか? 私たちに。

 本当にもう、気力だけで生きていたんだろう。
 ベルフェゴールを倒して、霧が晴れるように現れた通路の先に、倒れていた兄は――駆け寄ったナーサディア、私と、ジャックを見とめ。
『……良かった』
 やつれた青白い顔に、すべて理解したような安堵の色を浮かべて、
『ごめん、ありがとう――』
 それだけ呟くと、消えてしまった。

 懐かしい声を懐かしむ時も与えてくれないまま、跡形も無く、灰色の塵になって。

 ナーサディアの無事を確かめて、安心したから……堕天使の魔手から守りきれた、もう、呪い殺される心配は無いんだと悟ったから。
 今日まで痩せ細った魂を繋ぎ止めていた、気力も何もかも、ふっつり切れてしまったんだろう。
 逃げて先延ばしにしたところで、いずれラスエルの精神力が限界を越え、完全に魔族化するか消滅して――ナーサディアまで、死んでしまっていただろうけれど。

『いつか消えてしまう希望なんて、無い方がマシだ』

 今になって実感を伴い、胸に刺さる。
 異端天使と呼ばれる者たちが、淡い望みを断たれた日の記憶。

『夢から覚めたときに、こんな絶望が待ってるなら……もう、最初から要らない』

 過去の映像と入れ替わり、ベルフェゴールの嘲笑が脳裏にこだまする。

『本物のお兄様だったらどうするつもりだったんだ? 小娘。ただでさえ瘴気に侵されて弱っているお兄様には、致命傷になって死んでしまうだろうに――』

 本来は天使であっても、瘴気に蝕まれ変質が進んだアストラル体にとっては、浄化魔法も毒となる。
 騎士リーガルに対して、回復魔法が無意味だったのと同じように。
 おそらく天界が、インフォスの異変に気づいた時点で手遅れだった。
 だけど、もっと迅速に調査を進められたなら、あと少しでも早くベルフェゴールに辿り着いていれば……せめてナーサディアと、言葉を交わす時間くらい残されていたかもしれないのに。
 それさえ私は、遅すぎた。

(――ダメじゃない、兄様)

 約束したんでしょう?
 ナーサディアと一緒に生きるんでしょう? 恋した人なんでしょう?
 早く戻って、だいじょうぶだって言って、泣きやませてくれなきゃ……だって、こんなに。
 ずっとずっと待っていて、探し続けて、やっと会えて。
 逝かないでって、愛してるって。

(ナーサディアが、泣いてるのに――)

 亡羊と沈み込んでいた意識が、ふっと浮かび。
「ナ、ナーサ……!?」
 目線を落としたクレアは、慌てて彼女の体調を確かめる。
 溺れかけた者のように強く硬く、こちらにしがみつき泣きじゃくっていた勇者が――いつの間にか、ぱたりと動かなくなっていた。
 苦しげに歪んだ顔は、涙に濡れたままだけれど、耳を済ませてみても嗚咽は聞こえない。
 泣き疲れて眠った……というより、心身両方の疲労から気を失ってしまったようだ。

 驚きと冷や汗に、ようやくクレアも我に返る。

 自分はともかく、ナーサディアは人間だ。
 ベルフェゴールが滅びて、ラスエルによる相殺の術も解けたなら、もはや不老などではないのだし――
「……クレア殿?」
「宿に戻って、休ませないと」
 こちらの身じろぎに反応して訝るジャックハウンドに、答えつつ周りを見渡す。
 幻の城が消え失せた為か、発つ時に吹き荒れていたひどい雷雨は止んでいたけれど。こんなところで眠っていたら、夜風で冷えて風邪を引いてしまう。
「それに、アポルオンには逃げられたまま、ガープの居場所も判っていないんだもの。ベルフェゴールの消滅を知れば、いつまた仕掛けてくるか分からないわ」
 後悔に浸っている場合じゃない。
「堕天使――」
 呟いた神獣の双眸にも、わずかながら力強さが戻り。
「ラスエル様が命懸けで守りたかった、彼女がいる世界を、守り切れたなら……少しは、償いになるだろうか?」
「なるわよ、きっと」

 務めを、果たそう。
 志半ばに逝った、ラスエルが――安心して眠れるように。



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戦闘導入部→描写すっ飛ばす……ゲームそのまんまの会話シーンを飛ばして、間延びを防ごうとすると、どーしてもこんな感じになってしまう。