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◆ 心の在り処(1)


「……消滅したあとに、指輪が?」
「はい。おそらく遺品だろうと――親族へ返すため、グリフィン様はクヴァールの城へ向かわれました」
 天界の離れ小島、結界牢の檻を挟んで。
「それからビュシークを倒した直後に、奇襲を仕掛けてきた “シェード” も――」
「 “シェード” って……前に一度フィアナが戦った、あの?」
「ええ。今回は、無事にティセナ様が撃退なさいましたが、やはりアポルオンの本体を探す手掛かりにはならなかったようです」
 ローザの話に耳を傾けていた、クレアは、ほっと息を吐く。
 ならばひとまず彼は、因縁の敵と決着をつけられたのだ――現れるたび無差別に人里を襲っていた、ビュシークの脅威も消えた。
 子供狩りを行った領主が死んだからといって、グリフィンの家族が生き返るわけではないけれど。
「他の地域では今のところ、特に目立った動きはありません」
「報告ありがとう、ローザ。ごめんね……ただでさえ忙しいのに、余計な時間を取らせちゃって」
 大人数で働いていれば一人くらい欠けても、さして影響は無かったろうが。四人から三人となれば――個々への負担は、一気に膨れ上がる。
「このくらい、どうってことありませんよ。私もシェリーも、ベテル宮へは定期的に戻っているんですから」
 しかしインフォスへ降りたばかりの頃と違って、今は、堕天使や上位魔族の脅威が間近に迫っているのだ。
 雨を呼ぶため消耗していた “力” も回復してしまうと、余計に、こんなところでじっとしているだけの自分が歯痒くなってくる。
「また来ます」
 一礼した妖精は、若草色のポニーテールをなびかせ飛び去っていった。


 どこを向いても真っ白な空間では、昼夜の感覚も狂ってしまう。
 壁に寄りかかって、クレアは目を閉じた。
 一点の曇りも無い景色は美しい、けれど、ずっと眺め続けるには眩しすぎる。ここしばらく天界で過ごすより、インフォスを飛び回っている時間の方が長かった所為だろうか……刻々と色を変える地上の風景が、無性に恋しかった。

 そんな静寂を不意に断ち切って、こつこつと柔らかく響く靴音、羽ばたき。
 また誰か来たようだ。


「……眠っているのですか、クレア?」


 聞き覚えのある声だったが、とっさに誰かは分からず。
「いいえ。起きてます、けど――」
 ぼんやり瞼を押し上げ、来訪者の姿を見とめたクレアは、いつの間にか眠ってしまっていて寝惚けているんだろうかと我が目を疑った。
「レッ、レミエル様!?」
「面会に来たのですが。起こしてしまったようですね……」
 フォレストグリーンの瞳に、回復魔法の光を透かしたような淡緑の翼。
 頬にかかる髪はアースブラウン。
 黄と金に彩られたローブを纏う、エミリア宮の統括者にしてプレア大聖堂の管理者たる大天使が――こちらを覗き込むようにして立っているではないか。
「い、いいえっ!」
 慌てふためき後ずさり、きょろきょろと左右を窺いつつ首を振る。
 レミエル様お一人? お付きの人たちは? そもそも、どうしてここに……? ああ、それは面会に来たんだと言われたっけ。
「だいじょうぶですか?」
 うろたえるクレアと向かい合わせ、檻の前に屈んだレミエルは気遣わしげに眉根を寄せた。
「あ、あのっ! すみませんでした!!」
 居た堪れなくなって跳ね起きるも、憧れの人物を見下ろしている体勢にまた焦り――がばっと正座し直して、頭を下げれば。
「……悔いているのですか? 戒律を破ったことを?」
「え、ええっと」
 真正面から問われてしまい、クレアは返答に詰まる。
「違反そのものは後悔していないんです、けど――私、守護天使に任命されるまでは、エミリア宮勤務でしたし――ひどい迷惑をお掛けしてしまったのではと」
「そんなことはありませんよ。ただ、さすがに任命権者だったガブリエル様は、騒ぎたてる上級天使たちに手を焼いていらっしゃるようですが……」
 レミエルは苦笑して、小首をかしげた。
「己の選択を悔いていないなら、正しいことをしたと考えているのですね? クレア」
 正しい?
 その表現も、なんだか……違う気がする。
「いいえ、違反は違反ですから。正しくない、けれど間違ったことをしたとも思っていません」
 良し悪しの問題ではなく自分がそうしたかったから。
「あの人たちの命と、戒律を遵守すること。どちらかを選ばなければならない局面に遭遇したら、私はきっと、また同じことをします」
 たとえ咎められ、守護天使の役目を剥奪されることになっても。
「そんな事態が起きる前に、堕天使の一派を倒すことが先決だとは――重々承知していますけれど」
「そうですね」
 レミエルは、物静かに頷いた。
「命を慈しむ心は尊いものです。あなたの想いが間違っているとは、私も思いません」
「……え?」
「けれど、すべての生物には、定められた寿命があります。数多の命を守り、癒し、救う――その行為に “完璧” を求めれば、終わりはありません」
 叱責されるものとばかり思い込んでいたクレアは、予想と違う話の流れに戸惑い、
「人災、天災に限らず、死を齎す要因と成り得る多くのものを、我々天使が “力” を以って排除出来ることも事実です。あなたが、炎を消すため雨を呼んだように」
 穏やかに語る大天使を、ただ見つめ返す。
「あなたの兄が、かつて拒否した……勇者に仮初の命を与える行為が、私には可能であるように」
 水属性の能力ひとつ取っても。
 火災を防ぐだけでなく、旱魃による飢餓も避けられる、嵐を押さえれば津波なども起きまい。
「そうした術を持たぬヒトの子でありながら、生きたいと願うあまり、堕天使によって運命を捻じ曲げられた人間の末路が――先ほど、提出された報告書にもありましたね」
「勇者グリフィンが、倒した……?」
「そう。ビュシークという老人の狂気を煽り、弄んだアポルオンこそが裁かれるべきだとしても。道を踏み外しかけている人間に気づき、手遅れになってしまう前に止める役目を負うべきは――本来、その傍にいる人間です」
 物憂げに目を伏せた、レミエルが言う。
「また、善意から来る衝動であれ、悪意が根底にあれ……望みは欲望へと歪みやすいもの。禁呪と忌まれる邪法に手を出した、人間が引き起こした惨劇は絶えることなく、歴史書にも記録されていますから」
 該当文献を読んだ記憶は、クレアにもあった。

 恋人を甦らせるため。父親、母親を、あるいは我が子を生き返らせるために。
 ヒトは禁じられた、封じられた呪術書を紐解く。

「焼失しかかった街を救えた。人々を助けたという自負があればこそ――あなたは再び、同じような事態に直面すれば、なにかせずにいられないでしょう。誰が手を差し伸べたかを知る勇者たちも、期待せずにはいられないでしょう」
 同じように、駆けつけて行って。
「あのとき助けておきながら、なぜ、今度は見て見ぬふりをするのか。目を背けるのかと……失望する日が、遠からず訪れる」
 たとえば、シスターエレンが大怪我をしていたら?
 応急処置では間に合わない、そのとき、回復魔法を使わずにいられるか?
 子供たちが、目の前で泣き叫んでいても。
「だからこそ己を律し、戒めなければ道を踏み外してしまうと――古来より、地上に関わった者たちが己の経験を踏まえ、伝え残した規範でもあるのですよ。戒律は」
 レミエルはどこか寂しげに、諭すように問いかける。
「……分かりますか?」
「はい……」
 戒律は、ただ戒律であると。決まりとして。
 意味や根拠など考えたことは、ほとんど無かったけれど。
「そうした物事の是非を踏まえ、なお、インフォスに心を傾けるなら。それがあなたなのでしょうね――」
 微苦笑を浮かべながら、レミエルは立ち上がった。
「まだ正式に決まったわけではありませんが、今回の違反行為に対する処分は、十日間の謹慎となるようです」
「!」
 思いがけず告げられた内容に、喜びと落胆が同時に押し寄せ。
 クレアは、大天使を仰ぎ見たまま口ごもる――罰としては軽い部類に思えるが、釈放される頃には、インフォスでは半年以上が過ぎてしまっているだろう。
「今後も守護天使として、地上に関わっていくつもりなら」
 そんな焦りをも見透かしたように、レミエルは去り際に、柔らかくも厳しい口調で言った。
「ここにいる間に、少し……頭を冷やしなさい。クレア」



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純白のレミエル様がおっとり美人さんな感じで憧れます。ラツィエル様は無印でも続編でも印象はあまり変わらないけど、レミエル様は特徴・色調一緒でも別人みたいだ……。