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◆ 天使の勇者(1)


「ナーサディア様っ、ジャックハウンドー!」
 
 探していた二人の姿を川岸に見つけて。私は、ぶんぶん手を振りつつ急降下していった。
「こーんにちはっ♪」
「あら、今日はどうしたの?」
「探索任務の途中か? シェリー殿」
「そうでーす。ついでに回復アイテムとか足りなくなってないか、様子見に」
 だけど体調は一目で判る。
 こっちが拍子抜けちゃうくらい、怪我や体力の消耗も無くて元気そうだ。
「お二人とも、ずっと朝から晩まで戦ってるでしょ? カノーア界隈だけ、異様に混乱度低くなってますもん」
 次に治安が安定してるのは、レイヴ様も完全復帰して、騎士団が使命感に燃えてるヘブロンと。
 后妃ミライヤの失踪を機に穏健派が政権奪還――モンスターと人間のいざこざなんかも、リュドラルさんたちの手で、しっかり押さえられてるデュミナスで。
「クレア様は、まだしばらく結界牢から出られないし。堕天使の襲撃も怖いから、私たちとしては大助かりなんですけど……あんまり無茶しないでくださいね?」
 最悪に荒れてしまってる地域は、クーデター兵に占拠されたままのファンガムと。
 隣国の内乱に加えて、ビュシークに襲われた恐怖も人々の記憶に新しいエスパルダ。
 クヴァールは、交易の中心都市タンブールが半焼しちゃった影響はあるけど、目立ったトラブルは無くて――元々荒っぽい土地柄なキンバルトも、グリフィン様が頑張ってくれてるから、比較的落ち着いている感じだ。
「だいじょうぶ、心配いらないわ。ジャックがとにかく強いから……あなたやローザに付き添われて目的地へ移動していたときより、楽なくらいよ?」
「にゃっ!? 神獣さんと比べられちゃったら、そりゃあ立つ瀬ないですよー」
 シェリーちゃん、思わず涙目。
「ウソウソ、ごめんね? 得意分野が違うんだものね」
 よしよしと宥めるように私の頭を撫でた、勇者様の横から、ジャックハウンドも苦笑混じりに言葉を添える。
「ああ。私には回復魔法など使えないからな。凶暴化したモンスターと戦うことは出来るが、彼女が傷を負ったときにはどうしようもない」
「ポーション類のストックは今のところ余裕があるけど、来月あたり、また持って来てくれると助かるわ」
「了解しましたー♪」
 ナーサディア様が、道具袋のヒモを締めなおす様子を眺めながら。

「そういえば……お二人とも、どこか行くんですか?」

 ふっと周りの景色に目を留めて、気がついた。
 ここ、ボルサじゃない。カノーア東部を横切るゾルダ川――流れに沿って、このまま獣道を下っていったら、国境代わりの海峡を隔ててデュミナス大陸が見えてくるはずだ。
「ええ。今日は、天気も良いし……魔物退治はちょっとお休み」
 ヒモをちょうちょ結びにし終えたナーサディア様が、陽射しに目を細めて、空を仰いだ。
「せっかくジャックと一緒なんだから、お墓参りして来ようかと思って」
「お墓?」
 予想外の単語に面食らって、首をひねる私に、
「……インフォスへ降りたラスエル様が、一番初めにスカウトした勇者のものだ」
「自他共に認める剣術バカって感じの剣豪でね。二人、妬けちゃうくらい仲が良くて――だけど」
 懐かしそうに寂しげに、代わる代わる説明した勇者様と神獣は、
「ちょうど今みたいな、堕天使との決戦を間近に控えた時期にね。重傷を負って、助からなかったから……リメール海がよく見える崖の上、岩を削って墓碑にしたの。ここからだと一時間くらいの距離かしら」
 右手に聳える山岳地帯を、ちらっと眺めた。あのどれかを登った先にあるんだろう。
「堕天使との戦いが終わって――ううん、終わったと思って。4、5年くらいの間は、まだ花を供えに寄ったりしていたんだけど」
 ナーサディア様は、半分独り言みたいに話し続けている。
「ジャックと離れて暮らすようになって、ラスエルも戻ってこなくて。何年経っても年老いない私が、だんだん周りに気味悪がられ始めて、ひとつの街に長くは留まれなくなって……」
 ジャックハウンドは無言で、彼女に寄り添って歩いていた。
「近くを通るたびにね、行ってみようかなって考えたのよ。でも、もしも――嵐や崖崩れなんかで無くなっていたら、探しても見つけられなかったら。本当に、ぜんぶ夢だったとしか思えなくなりそうで、怖くて――他の勇者仲間を、訪ねて行く気にもなれないままだったけど」
 種族も事情も違うけど。
 インフォスを守るために、ラスエル様と一緒に戦って。
「雨ざらしになって墓碑銘は消えかかってるけど、それでも残ってるって、この子が教えてくれたから。また天使の勇者やってるのよって……今までのこと報告がてら、ね」
 天使様がいなくなって帰って来なくて、当時の戦友が、みんな寿命で死んでしまっても。
「ファンガムには、さすがに入れないだろうから。海を渡ってクヴァールから、キンバルトを経由して、エスパルダまで――昔の仲間たちのお墓も、故郷がどこだって聞いた記憶を辿って、探してみようと思うの。魔物退治の旅がてら」
 独りきり取り残されて、百年以上、ほとんど変わらない姿で生きてきたんだ。
「今度こそ負けないからって、決意表明に」
 二人にしか解らない伝わらない、クレア様でもちょっと踏み込めない気持ちがあるんだろうなぁ、と思う。
「それに晩秋は、まだ先だもの。たまにはガルフへ帰らせないと、ヤルル君やお母さんが心配するわ――竜の谷のボウヤと、ヴォーラスの騎士団長様が隣国を守っていて。ファンガムのお姫様もカノーアに滞在しているなら、私がしばらく離れても問題ないでしょうしね」
 ラスエル様が天界でも失踪してるんだって判ってから、ずっとナーサディア様の横顔にあった揺らぎは、不思議と影を潜めていた。
「……あの、私もご一緒していいですか?」
「え?」
「探索任務続けなきゃだから、ぜんぶに同行は無理だけど――戦闘で亡くなったっていう勇者様のお墓だけでも」
 せっかく、そんなに遠くないみたいなんだし。
 ナーサディア様たちは死なせませんからって、私も、決意表明しておきたい。
「ええ、もちろんよ。お参りついでに、クレアの笑える真面目さ加減でも教えてあげてちょうだい……ねえ、ジャック?」
 私の申し出に笑って応じた、勇者様が同意を求めるのに、
「大勢で、にぎやかに騒ぐのが好きなヒトだったから。きっと喜ぶわ」
「ああ、そうだな」
 ジャックハウンドも、物静かに頷いた。


 それから、とことこ山登り。


「わーい、楽チン♪」
 私はジャックハウンドの背中に乗せてもらって、不謹慎と思いつつ、ちょっとハイキング気分だった。
「ひょっとしてナーサディア様も乗れるんじゃないですか?」
 青い毛並みはふかふか、しなやかな身のこなしだから振動も少なくって、快適快適。
 タンブール大火災の一件以来、寝る間も惜しんで (それでもティセナ様やローザに比べれば寝ちゃってたけど) 飛び回ってたから、目的地へ着くまでの数十分だとしても――というか、限られた時間と判っているからこそ、サボってるような後ろめたさも無くって――ごろごろ出来て幸せだ。
 猫のおなかより、ずっと良い枕になりそう。毎日乗り放題だったなんて……いいなぁ〜、ヤルル君。
「うーん、ちょっと無理があるんじゃないかしら? ティセナくらい華奢なら、ジャックにも負担は少ないだろうけど」
 ……そっかぁ。
 ナーサディア様、そこそこ身長あるしグラマラスだもんなぁ。
「それにね、歩きたいの」
 私の目の前、ジャックハウンドの首筋を掻くように撫でながら言う、彼女もなんだか楽しそうだった。
「こうやって後ろから、この子が付いてくる足音が……懐かしいから」
 昔もこんなふうに一人と一匹で。
 ラスエル様も一緒に、インフォスのあちこちを旅してたんだろうか。
「だいたい今でこそ、こんな馬より大きくなっちゃったけど。ジャックも昔は、もっとずっと小さくて仔犬みたいだったのよ? 角もあんまり目立たなかったから、なおさら」
「ええっ!?」
「ちょうど成長期だったみたいで。私の腕で抱き上げられたのは、出会って半年くらいの間だけど――」
 ナーサディア様は、当時に想いを馳せるような遠い目をして呟いた。
「可愛かったなぁ……よく、抱っこして街を歩いたわ」
 そりゃあ神獣にだって、バーンズだって、赤ちゃんだったときもあるんだろうけど。
「通りすがりの子供が、青い毛並みを珍しがって。 “お手” って言ったりするものだから、犬のフリして付き合ってあげたり」
「へぇーっ、そんなにラブリーだったんですか?」
「そうよ。香水の匂いが苦手で、嗅ぐと鼻が利かなくなっちゃって。市場ではぐれて迷子になったのを、慌ててラスエルと手分けして探し回ったこともあったっけ――」
「うわ。意外〜」
「……ナーサディア。そんな、本人も忘れているようなことを……」
 バツが悪そうに、控えめに抗議する神獣に
「だぁって、ジャックったら! 長年、保父さんしてたからなんだろうけど、学者か牧師みたいな喋り方なんだもの」
 間髪入れず言い返した勇者様が、ふふんと笑って。
「カッコつけても無駄よって、ちょっとくらい暴露してやりたいじゃない?」
「…………」
「だーいじょうぶですよっ! あんまり完璧すぎるより、たまには失敗することもあったんだなって思う方が、親近感とか湧くじゃないですか!」

 がくっと脱力した神獣の肩を、ぽすぽす叩いて慰める私。

「でも、じゃあ――ちょっと遠出しに行くってことは、ボルサを探しても何も見つからなかったんですね?」
「ああ。ラスエル様は、あの森にはいない。秋から冬にかけて、再度調べてみる必要はあるが……」
 気を取り直したように、ジャックハウンドは答えた。 
「確かに、ラスエル様の匂いは残っていたが、それは本人が降り立ったような濃さではない。ナーサディアの素性まで詳しく知っていたことから考えても――ボルサに現れたという堕天使は、間違いなく、あの方を知って」
 そうして、いや……と首を振る。
「ラスエル様を、どこかに捕らえている可能性が高い。いくらアストラル生命体といえど――知人に怪しまれぬほど、声から姿までを正確に模して現れるには、容貌のイメージが明確に固まっている必要がある」
 そういえば前に、ティセナ様も言ってた。
“イメージ固まってる知り合いの姿なら、なんとかなるだろうけど”
 アーシェ様に頼まれて、キースさんの姿でパーティー会場に潜り込んだときだ。
「そうと仮定すれば。別れ際に私へ残した言葉、ボルサに漂う微弱な残り香、未だナーサディアの元へ戻らずにいること、相反する二種の魔法……すべてに筋が通り、説明もつく」
「一度、闇の眷属を排除して、時空の乱れも正された世界には――堕天使や高位魔族でさえ、とうぶん手出しできなくなるって。昔、ラスエルが言ってたのよね」
「ああ。人間が起こす戦争や犯罪の余波で、何年かの誤差は生じるにしろ。最低でも五百年の平穏は約束されたはずだった……」
「それが、二百年も経たないうちに、これだもの」
 ナーサディア様は、きゅっと赤い唇を噛みしめて。
「堕天使ベルフェゴールを倒して、インフォスに平和を取り戻せた、もう戦いは終わったんだと思い込んでいたけれど――終わっていなかった」
 相槌を打つように、ジャックハウンドも 「あまり、考えたくないことだがな……」 と低く唸る。

「たぶん、そもそも――あいつらとの決着が付いていなかったんだわ」



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思い出を共有できる相手がいるのといないのじゃ、記憶の鮮明さって桁違いだろうなぁと思います。なんか形に残したり誰かと語ったりしなきゃ、どんどん薄れていっちゃう。