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◆ 天使の勇者(2)


「……シーヴァス? いつから戻っていたんだ?」

 ヘブロンの首都ヴォーラスに聳え立つ、シャリオバルト城内。

「ヨーストには立ち寄ったのか? ジルベールさんが心配していたぞ。おまえの外泊は珍しくもないが、ファンガムで保護したという令嬢をカノーアへ送って行ったきり、伝書鳩ひとつ寄こさないと言って――」
 探していた人物の声に、振り返れば。
 すっかり回復したらしい騎士団長が、相も変わらずの仏頂面で立っていた。
「俺の実家にも、使者が訪ねて来ていたようだ。次期当主が行方不明だ、どこにいるか知らないかと」
「私の?」
 予想外なレイヴの第一声に、シーヴァスは困惑した。
「本家の人間が……か? 何故わざわざ」
「何故もなにも。主役が一度も顔を出さなくては、誕生パーティーなど催しようがないだろう」
「パーティー?」
 なんの話かさっぱり分からず首をひねれば、レイヴは、拍子抜けたように問い返す。
「もう8月だぞ。まさか、自分の誕生日を忘れていたのか?」

 ああ、そうか。もう夏だ。
 カノーアを出て、クヴァールへ向かったのが11月頃だったから半年以上、音信不通だった計算になる。
(……半年?)
 胸の内で繰り返して、シーヴァスは苦く笑った。
 そんな概念に意味があるのか? 時が流れていないのに。
 思い返せば、ここ数年―― 天使の依頼でヘブロンを離れたまま、“23歳の誕生パーティーに欠席したこと” は一度や二度じゃなかったはずだ。

「幸か不幸か、その “まさか” だ。ずっと船の上で、今日、港に着いたばかりでな……ジルベールの小言は、後で聞くさ」
「そうか。なら仕方あるまいが――フォルクガングの爺さんが特に、青筋たてて探し回っていたという噂だからな」
 最後に祖父と話をしたのも、いつだったろう?
 クレアのことで言い争った覚えはあるが、その後は……? 記憶に靄がかかったように思い出せない。
「気は進まんだろうが、先に、本家へ顔を出した方が良いんじゃないか?」
 やや心配そうに促すレイヴは、どうやらまだ、なにも聞かされていないようだ。
 単に連絡が遅れているのか、それともシーヴァスの戦線離脱など天使には些末事ということか?
「そんなことより、おまえ――」

 どのみち “異常” にも気づいていないんだろう。知っていて、平然と過ごせるわけがない。
 元々、真っ先にレイヴに訊ねたかったこと。

『クレアたちと知り合って何年が過ぎ、その間に、何度24歳の誕生日を迎えたか?』

 自分が狂っているのでなければ。
 永遠に変わらない世界を生きているなら――魔族や堕天使相手に足掻き、戦った先に、なにがあると言う?
 疑念も現実もすべて、ぶちまけようと口を開きかけたところで、

「……なにか、あったのか? 妙に騒がしいようだが」

 城内を漂う、どこか浮き足立った空気に、シーヴァスは眉根を寄せて辺りを見渡した。
「ああ。リーガルの居場所について、目撃証言を得た」
「なんだって……!?」
「北の森を歩いていた猟師がな。アンデッドモンスターの群れを見かけ、命からがら逃げてきた――化け物の先頭に立つ人影は、漆黒の甲冑姿であったと」
 無意識にだろう。レイヴは低く答えながら、剣の柄を握りしめる。
「黒衣の騎士というだけなら、他にもそういった出で立ちの者はいるだろうが。死霊を連れ歩いていたとなれば、リーガルだとしか考えられない」
 尤もな推論だ。間違いないだろう。
「目的は不明だが、アンデッドの大群など、市街地へ近づかせる訳にはいかん。出撃準備が整い次第、森に包囲網を敷く」
「……だいじょうぶなのか?」
 思わず、懸念が口を突いて出た。
「リーガルは、生きていた訳ではあるまい。魔族によって仮初の命を与えられ、ある程度の自我を保ちつつも、操られている可能性が高いと――以前、天使が言っていた」
 同じ轍は踏むまいと決意しても。再び本人を前にしては、動揺せずにいられないだろう。
「あいつと戦えるのか? おまえが」
「……バルバ島を脱出した後にな」
 危ぶまれる理由は解っているらしい。レイヴは苦笑しつつ、思いの外、落ち着いた口調で応じた。
「逆だったらと、考えてみた」
「逆?」
「ああ。本隊への連絡をリーガルに託し、俺が敵地に残って……一度死に、甦ったとして」
 いったん言葉を切り、自嘲めいた笑みを浮かべる。
「再会したあいつが、剣はおろか騎士団長の責務をも放棄して。膝を折り、殺してくれなどと言い出したなら――それを友情とは思えまい。幻滅しただろう」
 だが、語るレイヴの眼光は、昔とは比べ物にならないほど強く鋭いものだった。
「騎士の誇りを何より重んじる……少なくとも、俺が知っているリーガルはそういう奴だった」
 確かに。
 プライドが高く、己に厳しいぶん、他人の醜態も我慢ならないといった性格の男だった。
「だから俺は、あいつと戦って。今度こそ決着をつける」
 真正面からシーヴァスを見返した、その表情に、失踪以前の翳りは無く。
「すでに命は無く何者かに操られているというなら、なおさらだ。魔族を率いて人々を苦しめるような真似を、これ以上、続けさせる訳にはいかない」
「……そうか」
 こいつは変わったんだな、と複雑に思う。

(逆、か……)

 たとえば自分が天使だったとして?
 堕天使との決戦を目前に、勇者が、戦う意味が分からなくなったなどと言い出したら――
(まあ、呆れるだろうな)
 元から自分を嫌っていたティセナが、なけなしの愛想を尽かすのも無理からぬ話だ。

『仇や平和の為などと思って戦っているようだが、その実、おまえは利用されているに過ぎん』

 利用、協力と表現を変えても、求められる役割に差異は無い。
『それでも私たちは、地上への干渉を禁じられているから…… “勇者” に押し付けるんです。誰かを傷つけたり、殺すようなことを』
 最初から、クレアも明言していたこと。

『天使と堕天使が争わなければ、おまえの両親が死ぬことも無かったはずだ……なあ? そこの天使よ』

 事実は事実。
 だからあのとき、矛先を向けられた彼女が、アドラメレクの言葉を否定しなかったのは当然で――
(……言葉?)
 ちょっと待て、駒云々はともかく。

『天使と堕天使が争わなければ、おまえの両親が死ぬことも無かったはずだ』

 ああ言われて、責任感の塊めいた天使が 「違う」 と―― 「自分の所為じゃない」 と突っぱねられるか?
 …………無理だな。

 というか、そもそも――なぜ私は、天使の依頼に従って戦い続けるのが嫌だと思ったんだ?
『おまえも、我と同じ駒に過ぎんということだ』
 瀕死の巨人に、嘲笑われて。
 クレアが否定せずに黙っているから、しょせん堕天使にとってのアドラメレクと、同程度の価値しか無かったのかと――
(馬鹿か、私は……?)
 本当に、捨て駒扱いされていたなら。
 レイヴは未だ発見されることなくバルバ島の地下牢に、フィアナ・エクリーヤは堕天使に呪い殺され、シーヴァス自身、アドラメレクの自爆に巻き込まれて死んでいただろう。
(よりにもよって駒だ、などと――クレアがそんなふうに思っていないことくらい、少し考えれば分かるだろう)
 だったら、なにをそうまで、まともに頭が回らなくなるほど動揺していたんだ?
 いったい彼女に、なにを。どんな言動を望んでいた……?

「――おい。聞いているのか? シーヴァス!」

「あ、ああ?」
 いきなり耳元で怒鳴られ、あわてて返事をすれば、
「長旅で疲れているのは分かるが、ヒトの話を聞きながら呆けるな。寝不足なら、仮眠室で一眠りして来い。本家に行ってもそんなふうでは、また爺さんが癇癪を起こすぞ」
 辟易したように咎めるレイヴの表情からして。
 いきなりと感じたが、どうやら、さっきからずっと呼んでいたらしい。
「そういう状況だから俺たちは、早ければ明日にも発ち、しばらく城を空ける。騎士団全員が出払う訳ではないが――おまえが戻ったのなら、しばらくヴォーラスに留まってもらえると心強い」
「……分かった、留守は引き受けよう」
「すまん。また借りが出来るな」
「また?」
「以前、王の暗殺を企てた賊を、取り押さえてくれただろう」
 しみじみと呟かれて思い出す。それも、ずいぶん昔に起きた事件のような気がするが――
「そろそろ返さねばな。なにか、俺に出来ることはあるか?」
「いや……」
 少し考え、シーヴァスは首を振った。
「その必要は無い。もう、返してもらった」
「は?」
 目を丸くしたレイヴが、怪訝そうに顔をしかめる。
「返した覚えはないぞ」
「こっちの事情だ、気にするな。今から留守を預かることを差し引いても、釣りを出さねばならんくらいだ」

 ろくに知ろうと、考えようともせず――すぐに背を向けて。
 時流が狂っている中でもレイヴは変わりつつあるというのに、自分ときたら、18歳から確実に5年が過ぎても進歩が無かったようだ。
 誰かに、なにか言われるまで、肝心なことに気づけない。

「気にするなと言われても、それでは俺の気が済まん」
 不満げに抗議したくなる気持ちは解らないでもないが、素面で語って聞かせるには、どうにも情けなさすぎる話だ。これ以上の追及は勘弁して欲しい。
「……なら、ひとつ頼みがある」
「なんだ?」
「先々月の話になるが――タンブールで大規模な火災が起こり、私が出入りしていた教会も焼けてしまってな」
「教会? おまえの母の絵が飾られているという?」
「ああ。正確には “いた” か……もう残っていない。すべて焼け落ちた」

 痛ましげに眉間にシワを寄せたレイヴの反応からするに、ヘブロンまでは伝わっていなかったようだ。
 今は諸国の政情も不安定なうえ、言葉どおり、対岸の火事であるから無理もないか。

「今も復興作業は進んでいるだろうが、クヴァール大陸はほとんどが砂漠だ。木材不足は避けられまい――私も今から、友人知人に話を通すが。ヴィンセルラスの名でも寄付を募れるだけ掻き集め、輸送してもらえると助かる」
 それこそ伝書鳩でも飛ばしておけば、もっと早くに手配出来たろうが。
 タンブールの惨状に気が回ったのは今し方、過ぎたことを悔やんでいても始まらない。
「おまえが目的を遂げ、帰ってきたら。私は再度、クヴァールへ向かう」
「分かった、容易いことだ」
 ヴォーラスの騎士団長は、軽く笑って請け負った。



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考えすぎて動けなくなるタイプっぽいレイヴと、考えたくないことは意識の隅に追いやって自己防衛を計りそうなシーヴァス。どっちも難儀なヒトです。