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◆ 裏切りの帝国騎士(2)


 星空を流れ落ちるような感覚が、不意に途絶え――かすかに草の柔らかさ残る、地に足がついた。

「……?」

 おそるおそる目を開けると、そこは小さな村だった。
 夜の帳が落ちた空間に聴こえる、微かな川のせせらぎ、そよ風に揺れる樹林。
 まばらに立ち並ぶ家々から漏れてくる灯りと、頭上に浮かぶ月に照らされた情景は、ほんのり明るい。

(何処なの、ここは?)

 帝都では見慣れぬのどかな静けさに、面食らっていると、後ろからパタパタと複数の物音が近づいてきた。
「あ、ティセナ様! 囚われていた騎士様は――って」
 淡紫の髪を三つ編みにして豹柄の薄布を纏う、手のひらに乗るほど小さな生き物に。
「なな、なんでシーヴァス様に化けてらっしゃるんですかッ!?」
 続いて現れ、若葉色のポニーテールを揺らして叫んだ、娘の背にも淡く透ける羽があって。
「けっこう絵になるでしょう? こうやって、彼女と並んだら」
「似合う似合わないの問題じゃありません!」
 ふっと微笑む青年に、すかさず投じられるツッコミ。自己主張のタイミングを逃したレイラは、ぽつねんと所在なく立ち尽くす。
「もしかして向こうで、なにかトラブルがあったんですか? ティセナ様」
「あー、そういう訳じゃないんだけど」
 さらに飛んできた猫耳の少女に問われ、傍らの人物は肩をすくめた。
「牢獄に、かなり性格悪そうな男がいてさ。気づかれないように彼女を連れ出すのは、簡単だけど、それだと残された看守さんが八つ当たりされそうな感じだったから」

 ……と、気取った仕草で剣をかまえ直し。

「生憎だが、貴様のような輩には渡せんな。レイラ・ヴィグリードの身柄――これより、騎士、シーヴァス・フォルクガングが貰い受ける!」

 つい先刻、アルベリック相手に言い放った台詞を、大仰に再現してみせた。

「――っとまあ、宣戦布告して帰ってきました♪」
「わー、似てます! いかにもシーヴァス様が言いそうな台詞ッ」
「カッコイイですぅ、ティセナ様ー!!」
「うむ。勝負は正々堂々と、に限りますからな」
 演技がかったその様に、ランプの精だかペンギンだか判別困難なものまで加わり、やんややんやと囃し立てる。
「だって一般兵の皆さんに、とばっちりが行くと困るじゃない?」
 茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばす、貴公子然とした青年に、ひとり騒ぎに加わらずにいた若葉色の彼女が頭を抱え。
「その格好で、かわいらしく女言葉で話さないでください怖いからあー!!」
「分かったって、ごめんごめん戻るから」
 金髪の彼が立っていた辺りの空気がぽんと弾けた、次の瞬間には、牢で出会った女天使が何事もなかったように佇んでいた。

「悪ノリしすぎですよ……もう」
「このくらいの遊び心が無きゃやってられない、因果な稼業なんだよねー」

 ぐったり疲労の滲んだ声で咎められても、ティセナは、どこ吹く風という態度である。

「あー、ごめんね驚かせて。ふざけてる訳じゃないのよ」
 そうして、やっとこちらに向き直った彼女の、
「でもまあ、あのアルベリックって奴に一泡吹かせてやったのは、悪くなかったでしょ?」
「……ええ、そうね」
 あっけらかんとした問いに、適応力を使い果たして固まっていた思考が、溶けるように緩んでいって。
「ざまあみろ、って感じだわ!」
 ここ数日というもの、見たくもないのに避けられなかった薄っぺらい余裕面が、無様に癇癪を起こすさまを思い出した、レイラは――憑き物が落ちたような気分で、天使と顔を見合わせひとしきり笑った。

「さて、と……そろそろ休もうか? あんなところに何日も居たんじゃ疲れたでしょう」
「え? あ」
 息も切れ切れに笑い止んだところで、うながされたレイラはためらう。
「私はダメよ。ゆっくりしていたら、追っ手が――」
「だいじょうぶ、ここはエクレシアの田舎町だから。脱獄したからには、指名手配は避けられないだろうけど……今すぐどうこうってことはないよ」
 あっさり首を横に振った天使は、空中から色違いのロングコートを二枚取り出すと、自ら羽織り、レイラにも着せかけた。
 北央のレイゼフートから、いつの間にそんなところまで移動したのか。天使だから、魔法でなんでも有りなのか? 深く考えたら負けなのか。
 ティセナを追って歩きだした自分と一緒になってついてくる、色も形もとりどりな生物について訊ねると 「妖精よ」 との答え。我先に自己紹介する彼女らの名を、きちんと覚えようとして、レイラはまた睡眠不足の脳細胞に鞭打つこととなった。


 誘われた先は、こぢんまりした宿らしい建物だった。
 正面には鳥を模した看板が据えられ、窓辺のカーテン越しに、あたたかな光が零れている。


「あら。お帰りなさい、ティセちゃん。お友達?」
 扉をくぐると、紅茶色の髪を肩のあたりでひとつに結わえ、淡いクリーム色のエプロンをかけた30代半ばと思われる女性が、カウンターに顔を出した。
「ごめんなさい、ルイーゼさん。遅くに出入りして」
 天使は慣れた様子で応じ、軒下に留まっていたレイラを手招く。
「彼女、とりあえず今日は泊まっていくんだけど。追加料金、いくら払ったらいいですか?」
「やあね、いらないわよ」
 ルイーゼと呼ばれた女は、左手首をはたはたと前後に振った。
「ルシード君、今日は戻らないって言ってたから――その分だとでも思って。どうせベッドは余ってるんだし、二人で好きに使ってちょうだい」
 家族的というかなんというか、アバウトな経営体制である。
「外、寒かったでしょう。なにか飲む?」
「好き嫌いある? レイラ」
 特に無いわ、と答えると、ティセナは 「じゃ、ホットミルクふたつ」 とオーダーした。
「そう、後で部屋まで持っていくわね」
 女性はにこやかに奥の台所へ引っ込んでいき、レイラは天使に案内されて二階へ上がる。

「向こうがお風呂で、あっちがお手洗い。ルイーゼさん……あ、さっきのヒトが、宿の女主人ね。彼女の寝室は一階だけど、なにか足りないものがあったら、先に私に言って?」

 そういえば、着の身着の儘で来てしまったのだった。
 投獄されたときに取り上げられて、剣も財布もなにひとつ手元にない。
 あらためて己が置かれた状況を自覚した、レイラは、取り戻した冷静さのぶんだけ途方に暮れた。
「この部屋、どうぞ。ちょっと散らかってるけど、日用品はそろってるし、着替えなんかも適当に使ってくれてかまわないから」
「あなたは?」
「留守にしてる部下のところを占拠しまーす、この子たちと一緒に」
 ティセナが宣言すると、妖精たちはそれぞれ陽気に、おっとり、はたまた生真面目に 「お気遣いなく」 と一礼して、隣室へと姿を消した。

 二人がかりで暖炉に薪を放り込んでいる間に、甘い香りのホットミルクが届けられ。

 自分のマグカップを手に、それじゃごゆっくり〜と出て行こうとする天使を、
「あの、ティセナ」
 呼び止めると、彼女は 「ん……」 と首をかしげ振り向いた。
「助けてくれて、ありがとう」
「お礼を言われるようなことだった? これから大変よ、あなた。獄死した方が、楽だったんじゃない?」
 こちらの謝辞に、返されたのは皮肉めいた苦笑で。
「覚悟の上よ」
 それでもレイラは、真っ向からアイスグリーンの眼を見つめ返した。
「だったら、私が手を貸すわ。こっちの事情も、話さなきゃいけないしね――だけど」
 推し量るような沈黙のあと、ふっと表情を緩めたティセナは、
「今日はもう、おやすみなさい」
 なだめるような口調で囁いて、ぱたんと扉を閉めた。


 硬く冷たい牢獄から、一転。
 心地よく暖かな空間の、ベッドサイドに腰をかけ、マグカップに口をつける。


「……」


 ずっと気を張り詰めていた、反動か。
 その日、レイラは生まれて初めて、着替えもせずに熟睡してしまうという無作法な姿をさらしたのだった。



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リアルに考えると、レイラさん、この時点で一文無し……? 帝国の軍服が、他国でどの程度知られているのかも謎ですねえ。