◆ 吸血鬼ハンター(1)
辺りは、静寂に浸されていた。
滴るような暗闇に、冷たく無機質な墓石の群れ――死の匂い。風雨にさらされ、少しずつ大地に還り、すでに原型を留めなくなった魂の残り香。
目的地へ降下する途中、ふわりと視界を白いものが掠め。
(……ゆ……き?)
とっさに思うが、それは水の結晶ではなかった。
なんのことはない、はばたいた拍子に抜け落ちた、自分の羽で。
夜風に煽られ、どこへともなく消えていく。
少し、がっかりした。
だけど、ここは北の辺境だから、遠からず雪景色に出会えるだろう。アストラル生命体の身には――熱いのか寒いのか、よく分からないけれど。
きらきら、きらきら、遠い空から。
街中ぜんぶ覆い尽くすくらい、真っ白に積もって、地平線の果てまで見えなくなったらいい。
(クライヴ・セイングレント、か)
とりとめもない物思いに耽りながら、遮るもの無き空を横切って。
ぼろぼろに朽ちた亡骸が無造作に散らばる中、わずかに月光照り返す刀を手に、たたずむ長身の人影を見つける。
アンデッドを専門に狩るという、ハンターの青年。
候補発見の報告をしながら、シェリーは 『ちょっと怖そうな人ですけど……』 と気乗りしない様子でいたが、ティセナには、まさに理想どおりの人材だった。
元々戦うことを仕事にしている人間が相手なら、あれこれ考えず、その専門分野に沿った依頼を持ち込めばいい。
インフォスでよく行動を共にしたグリフィン・カーライルのように、一般人とは異なるサイクルで生活しているようだから、他の協力者で手が回らない部分もカバーできるだろうと。
話しかけるべく近づいた、こちらの動作に被せるように、気配を察したらしい青年が振り返り。
「――あ」
どくん、と心臓が脈打った。
夜よりも純粋な漆黒、少し長い前髪の隙間から、ただ静かに見つめ返してくる――深い紫。エクレシア教国で知り合った、ロクスという名の青年より藍に近い、どこか懐かしい色合いの。
「あの……」
それっきり、考えていた定型句の数々は霧散して、ティセナは呆けたように相手に魅入る。
ただでさえアルカヤでは――べつに、この世界に限ったことでもなく――人外の魔力を有するものは忌み嫌われる傾向にあるというのに。
こんなふうに黙っていては、不審がられてしまう。
とりあえず、天使だということくらい告げなければ。魔物と断じ、斬られかねないのだから。
うっかり勇者レイヴの背後から近づき、彼の反射神経を身を以って知ることになった、クレア様じゃあるまいし。
(えー……っと……とにかく、用件!)
何故だか普段どおりに働いてくれない頭を、ぶんぶんと左右に振り、一歩前へ踏み出したとたん。
「!?」
青年の顔色が、さっと褪せた。
(うわ、なんかもうとっくに怪しまれてる? 違います敵じゃないです、ちょっと待って!)
手加減無しのスピードで、抜き身の刀を振りかぶった相手を前にして、ようやく思考が回復するが――喉に何か痞えたように言葉は出ない、ついでに足も動いてくれない。
(どうしよう魔法で……っていうか速いよこの人、転移も攻撃も間に合わないよ! さすがハンター、じゃなくってミシュエラあんた普段あれだけ威張りくさってるんだから私が殺られたら後きっちり引き受けてよね、いやでもアストラル体に物理攻撃って効かないんだっけ? まあ勇者候補なら分かんないか)
反射的に、ギュッと目を瞑って。
その場に立ち竦むティセナの身体を、前のめりの軽い衝撃が襲った。
「ふえ?」
次いで、ひゅっと背後で蠢くものの気配――刃物で骨を断つとき特有の、腹に堪える鈍い音。
いきなり群青に染まった視界の中、ティセナは、訳が分からずアイスグリーンの瞳を瞬く。
「……」
すぐ近くで、なにか重いものが倒れ込んだような地響き。
しかし自分は変らず立っているし、べつに何処も痛くはないうえ血の匂いも漂っていないようだ。
(なに、これ……なんなの?)
おそるおそる顔を上げてみれば、凪いだ深紫の双眸と視線がぶつかり。
あろうことか青年に肩を抱き寄せられた格好で、向かい合わせになっているという。
青基調の衣服に身を包む、相手の胸板にくっついた片耳には、とくんとくんと心臓の鼓動が響いてくるし。彼の右手が携える、刃の切っ先には、さっきまで姿の無かったゾンビ一体が仰向けに転がっていた。
どうやら、ぼーっとしていた自分がアンデッドの接近に気づかず、ハンターに庇われたらしいと認識するなり。
押し寄せてきたのは、困惑と狼狽――それから滅多に味わったことのない、羞恥。
「ご、ごめんなさい! 仕事のジャマするつもりは……」
出会い頭に自らの間抜けっぷりをさらしたティセナは、バツが悪いことこの上なし、しどろもどろに謝罪した。
「ええと、私ね。天界ってトコから、任務で、こっちに来て」
けっして迷い込んだのではなく、用があるから訪ねて来たのだと弁明を試みるも。
「アルカヤに侵入してる、堕天使の一派が。アンデッドに近い感じの、危険種族なんだけど――そいつら、なんとかしなくちゃいけなくて」
もはや、話の順番はメチャクチャ。
というか、なにをこうまで動揺しているのだ、自分は。
「……」
当の青年は、聞いているのかいないのか、眉ひとつ動かさずに無反応。うんともすんとも言わず。
「さすがに一人じゃ、大陸全土を把握できないから。手伝ってくれる人間、探してて」
「…………」
ただ真顔でこっちを凝視してくる相手の態度に、ティセナはますます混乱する。
「あと、私は、ティセナ・バーデュアって名前で」
遅まきながらに名乗ってみたところ、ようやく彼は、ぼそりと小さく相槌を返してくれた。
「……本当に……いるのだな……」
しかし、呟かれたその台詞がまた分からない。
もしかして間違えて、どこかアルカヤじゃない地上界の言語でまくしたてていたんだろうか、私は。
ってゆーか、ゾンビより弱い生物と思われてしまったワケなの?
勘弁してよ心外にも程があるよ、天界じゃ唯一ミカエル様と互角にやり合えるって言われてるこの私が? 誤解なんだってば、って訴えてもすぐには信じてもらえなさそうだし、そもそも話が通じてないっぽいし。あー嫌だどうしよう、なんでこうなるの。
「俺に、頼みたい事があるなら来い――おまえの好きなようにしたらいい」
「へ?」
唐突に、はっきりした口調の声が落ち。
その表情を仰ごうとしたときにはもう、青年は、ティセナの肩を少し押しやり、踵を返していた。
(好きなように……って、言われましても)
武器防具を含め、必要物資は提供します、とか。
任務時のサポート体制やらなにやら、前提条件として、話しておかなきゃいけないことがあるんですけれども?
それ以前にあなた、詳細確認しないで即断即決でいーんですか、ねえ。
追いかけていって真意を問い質すべきところなのだろうが、もはやそんな気力も残っておらず。
ティセナは、わしゃわしゃと自分の髪を掻き毟った。
「なんっか、調子狂うなぁ……」
これまでに関わったことのある人間は、十数人いるけれど。
クライヴ・セイングレント。彼は、突出して風変わりな性格をしているようだ。
だいたい、まず天使の姿を見たら、程度の差はあれ驚いて然るべきところだろうに。あの落ち着きようときたら――実は幻聴幻覚の類として、テキトーにあしらわれたんじゃないだろうか?
なんにせよ、今日のところは出直した方が良さそうだ。
話を持ちかける側の自分が、平常心を欠いているのでは。
スカウトする予定にしているのは、もう彼だけなんだし……また、明日。会いに行ってみよう。
ハンターが去り、天使も空へ戻って行ったあと。
歪な魔力による仮初の命を失い、ただの躯に戻ったものたちは、さらさらと砂になって崩れ落ちた。
管理勇者、出揃いですー♪ しかしクライヴ、二言しかしゃべってないや……これって会話が成立してるんだろうか? (ゲームシナリオまんまなんですけどね)