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◆ 聖王国の教皇(2)


「……ちっ、あのジジイ」

 舌打ちしつつ、礼拝堂を後にして。
 足音も荒く階段を降りながら、ふっと見下ろした中庭には――天使どころか鳩の姿すら見当たらず。
 やはり幻覚だったのだろうと醒めた気分で外に向かった。

『ロクス。この聖都から出て行け』
『信徒からの布施を、ドブに捨てるような行為は許されん』
『おまえの借金など教皇庁は払わん。司教たちにも、金を工面することは禁じた』

 副教皇の渋面と、突きつけられた通告の数々が、沸騰気味の脳内をぐるぐる回る。
 ここ数年の素行に関して小言を食らうのは日常茶飯事だったが、忍耐が服着て歩いているようなあのオッサンも、とうとう堪忍袋の緒が切れたということか。
(出て行け、だって? ……上等だ)
 そもそも好きであそこに居たわけじゃない。これで副教皇の説教や、うざったい司教連中のごますりからも解放されるってワケだ。

 冴えた冬空の下。
 肩をいからせ歩いていくロクスは、せいせいしたと考えている割にすこぶる不機嫌そうな顔つきでいるのだが――石畳の広場に鏡はなく、わざわざ近づいてきて指摘するような人間とすれ違うこともなかった。

 さて、これからどうするか。
『旅をして頭を冷やせ』 と言われたものの、生活態度をあらためる気は毛頭ないし、これといって行きたい場所も浮かんでこない。
(……リナレスの繁華街に出て、テキトーな宿に入って、酒場で遊ぶか)
 いずれは教皇庁の頂点に立つべき男を更生させようという、副教皇の意図をとことん無視した結論に至りかけた、そのとき。
「ティセナ様ー? どこですかぁ、ティセナ様ー!!」
 左の路地から、妙なものが飛び出してきた。
 手のひらサイズのペンギン――青いぬいぐるみが、誰かを呼びながらふよふよと空を漂っているのだ。

 ……なんだ、ありゃ。
 景気づけに呑むまでもなく、すでに酔っているのか僕は?

 ぐらつく頭を押さえ、自問すること数十秒。
 得体の知れない飛行物体は変わらず宙に浮いていて、あっちへふらふらこっちへふらふらと雑踏を横切っているのに、道ゆく人々はまったくの無反応だ――とっ捕まえて正体のひとつも暴かなければ、気が済まない。
 ロクスは決然と、法衣の裾をひるがえした。


 空飛ぶぬいぐるみを追って、入り込んだ建物の裏手。

「フロリンダ、こっち」
「あああ、ティセナ様〜っ」
 騒々しいペンギンが、煉瓦色の屋根にぽすんと着地した。
「さ、探しました〜! どうして、お庭から移動しちゃったんですかぁ? 鳩さんたちまで……」
「ごめんごめん」
 そいつに応じる、落ち着いた声音は――さっき中庭にいた天使のものだった。
「なんか、あの近くでケンカが始まったりしてね。この子たち、うるさがってたから」
「教会のお庭で、ケンカですかぁ? 困ったさんですね〜」
 白鳩の群れに紛れ込んだ、妙に間延びした声でしゃべるペンギンは、

(……悪かったな!)

 少し離れた壁に背をはりつけ、片頬をひきつらせている男の存在には気づかぬまま、得意げに胸を反らした。
「そんな人たちのことは放っといてぇ、勇者候補を見つけましたあ!」
「ずいぶん早かったね? 出掛けたばっかりなのに」
「どの地方から探そうかな〜ってこの街を飛んでいたら、早速ウワサが聞こえちゃったんですぅ! エクレシアの次期教皇様が、神様みたいな “力” を持ってるって」
 意識の奥が、ざわりと逆立つ。
「それだけ偉くて有名な人ですからぁ、教会に行けばすぐ判ると思いまーす! ティセナ様、これからフロリンと一緒に、資質者さんかどうか確かめに行きましょう?」

 ロクスは緩慢に、右手を蒼穹にかざした。
 夢だろうが現実だろうが、どこまでも纏わりついてくるのか――この枷は。

(せいぜい駆けずり回って、居もしない次期教皇を探してろ)

 なんの話か知らないが誰が利用されてやるものか、と踵を返しかけたところで、
「きょう、こう……」
 ぽそりと呟かれた言葉の不自然さに、思わず足を止めた。
「……聖王国の教皇?」
 ずいぶん古い言い回しをするヤツだなと、ロクスは眉をひそめる。
 イェラセル大陸東部、エクレシア。創世神話において勇者の一翼と詠われる、初代教皇エリアスが興した――この国がそんなふうに呼ばれていたのは、遡っても五百年前くらいまでのことだったはずだ。
「嫌よ」
 さらには、ほとんど感情のこもらない冷ややかな音。
 “奇跡の力” を聞きつけた、これまでに出会った誰もが示した、畏敬。驚嘆、打算、憧憬とは真逆の。
 反感? ……敵意?
「ほえ?」
「ごめん、フロリンダ。別の候補者を探してくれないな」
「ど、どうしてですかぁ!?」
 あたふたと、フェルト素材と思しき両翼をばたつかせるペンギンに、
「次期教皇なんて、そんな面倒な立場の人――スカウトしても断られそうだし、引き受けてもらったって、依頼条件が制約だらけになりそうじゃない。協力してもらうなら、身軽に動ける相手じゃないと困るもの。それに」
 思案顔でうつむいた天使は、
「文献で読んだのか、なんだったか忘れたけど……聖王国の教皇って」
「ご存知なんですかぁ?」
「思い出せないの。ただ――」
 宙に彷徨わせていた視線を戻すと、首をゆっくり横に振った。
「そんな、良いものじゃなかったよ」
「うーん、フロリンよく分かんないですけど」
 ペンギンは、うーんと唸った。
「いくら資質者さんでも、ティセナ様たちと気が合わないとしょーがないですもんねえ。それじゃあ」
 気を取り直したように、ありもしない指を折って数え上げる。
「グローサイン帝国には、リリィちゃんが行ったんですよねぇ? レグランスにシータス、辺境の探索はシェリーちゃんでぇ」
「ローザには、ブレメース島に行ってもらったから……六王国連合を調べてきてくれる?」
「はあい! フロリン、行ってきまーす!」
 うながされたペンギンは羽ばたいて、えっちらおっちらと空の彼方に消えていった。

「…………」

 無意識に、ふらっと屋根の方へ歩きだしたロクスの足元――石畳に落ちていた小枝が、ぱきんと音をたてて折れた。とたん、
「!?」
 こめかみに手を当て、浮かない表情で考え込んでいた天使が、ぎょっと振り返り。
 弾かれたように飛び立った鳩たちが、高い空にくるりと弧を描き、またばさばさと舞い戻ってきた。
「あ、さっきの借金僧侶」
「悪かったな、不良聖職者で!」
「――え?」
 白い羽毛が雪のように散る中、大きく瞠られたアイスグリーンの瞳と、視線がぶつかる。
「あなた……私、見えてるの?」
「見えてるし、ぜんぶ聞こえてたよ。残念ながらな」
 意地悪い気分で応じてやると、彼女はバツが悪そうに顔を赤らめたが、すぐに開き直った様子で肩をすくめる。
「ま、いっか。ホントのこと言っただけだし――」
「あのなぁ」
 脱力するロクスの頭上で、
「じゃ、ついでに。立ち聞きしてたのはお互い様ってことで、言わせてもらうけど」
 くすくす笑っていた天使は、ふわりと屋根から降りてきた。
「遊ぶのはいいけどさ……貸し借り、作らない方がいいと思うよ。あとが面倒だから」
 どうやら、さっきの金融業者のことを問題にしているらしい。
 聖職者のなんたるかを説かれたいわけではないが、神の遣いによる忠言が 『あとが面倒』 なんて理屈でいいのだろうか?
「なんなんだ、君は」
 とにかく彼女がどういう人物で、なんの為にエクレシアにいるのか訊ねようとしたロクスは、
「私? ただの化け物よ」
「は!?」
 返された単語の意味が分からず、目を剥いた。
「羽が生えてて魔法も使うんだから、立派に化け物でしょ? この世界じゃ」
「……僕はべつに魔導士のことはどうとも思わないが」
 軽度の混乱を抱えたまま、傍らに立つ娘をあらためて観察してみる。
「天使、なんだろ?」
 涼しげな容姿と、純白の翼。
 餌が撒いてあるわけでもないのに、彼女にくっついて回る “平和の象徴” もとい、鳩軍団――バンシーやメデューサの同類と解釈するのは、いくらなんでも無理があるだろう。

 しかし、彼女は 「違うよ」 と首を振った。

「天使様は、もういないから」
「? ??」
 当惑するこちらに構わず、さっさと話題を変えてしまう。
「あなた、この国の僧侶なんでしょ? 次期教皇って、どんな感じか知ってる?」
 どうと言われても僕が本人なんだがな、と思いつつ、ロクスは意地の悪い気分でうなずいた。
「眉目秀麗、品行方正、非の打ち所のない男だよ」
「ふーん」
 ところが相手は、興味なさげに生返事をするだけだった。おもしろく感じると同時に、それが不可解でもあり。
「探しに行かないのか? 候補がどうこう言ってたろ」
「……関わり合いになりたくないよ。神に仕える、清廉潔白な人間なんか」
 とんっ、と壁にもたれた天使は、投げやりに答えた。
「そーゆーヒトは、キレイな場所で、キレイなものに囲まれて、争い事とは無縁の一生送ってればいいの」
「なら、僕が手伝ってやろうか」
 首をもたげた好奇心に、自棄な気分と場の勢いがない交ぜになって、そんな台詞が口を突いて出る。
「は?」
 彼女は、思いきり顔をしかめた。
「なに、いきなり。手伝うって……教会の仕事は? 家族とか、どうするの」
「清廉潔白には、ほど遠い人間だからな。僕は」
 ロクスは大仰に両手を広げ、肩をすくめる。
「ついさっき副教皇に追い出された。少し旅して、頭を冷やして来いだとさ――何処ほっつき歩こうが、お咎めが来る心配もないってワケだ」
 まじまじとこちらを凝視しつつ、絶句していた天使は、
「気ままに旅するたって、目的地のひとつも無けりゃ味気ないしな。どうせだから、行き先は君が決めてくれよ」
「言ってることメチャクチャねー」
 呆れ混じりにつぶやくと、ひとしきり笑い転げた。
「なに頼まれるのかも、私たちの素性も怪しいのに、そんな安請け合いしていいの?」
「魔物かどうかくらい、見れば判るさ。キレイな女の子に手を貸すのに、理屈はいらないだろ?」
「……変なヒト」
 どっかの誰かさんじゃあるまいし、とまた笑みを漏らす。
「まあ、アストラル体が見えてるんだから、資質者には違いないだろうし――そうね。お願いしようかな」

 頷いて姿勢を正した彼女は、すっと右手を差しだした。

「私、ティセナよ。ティセナ・バーデュア」
 あなたは? と小首をかしげる仕草にあわせて、ライトブラウンの髪がさらっと風に揺れる。
「ロクス・ラス・フロレスだ」
 触れれば消えてしまいそうな雰囲気にそぐわず、握り返したその手は柔らかく、あたたかかった。



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副教皇様、たぶん神経性胃潰瘍を煩っていると思われます……あと、実年齢より老けていそうです。手のかかる息子 (?) を持つと苦労されますな。