NEXT  TOP

◆ 魔導士の少女(1)


「えーと……ここは、こーで……」

 魔導書と首っ引きで、ゆっくり慎重に魔方陣を描いていく。
 梟のウェスタが、すぐ傍で、こちらの手元を見守るように羽ばたいている。
 薬品の生成は、少しでも手順を間違えればとんでもない毒を造ってしまいかねないから、攻撃魔法を連発するよりずっと神経を使うのだ。

「オン……ロ……ダーナ……ウン……ジャック」

 紡いだ呪文に呼応して、ばちばちと、稲光に似た粒子が迸る――記述どおりの現象。うん、順調だ。

「ええーい!」

 アイリーンは、気合とともに魔力を放出した。
 ぽん! と空気が弾けて。

「お見事――と言いたいトコだけど、コントロールはいまいちだな」
 ばらばらと薬が降ってくるはずのそこには、見知らぬ青年が澄まし顔で立っていた。
「窓の外まで吹っ飛んでくとこだったぜ。ポーションか、これ?」
「え? あ」
 闖入者が指し示した空中には、水薬入りの瓶が二十本ほどふわふわ浮かんでいる。
 まとめて漂っていったそれが壁際の棚に一列に並ぶ様を、ぽかんと眺めていたアイリーンは、我に返るなりすっとんきょうな声で叫んだ。
「わ、私、また失敗しちゃった? なんで、この魔法でこんなのが出てくるのよ!?」
 針金みたいにつんつん逆立った、アッシュブロンド。
 義兄のフェインほどではないが、かなり背が高いので、至近距離で話そうとすると小柄な自分が見上げる格好になる。
「また、って……あんた、いったい普段どれだけ呪文詠唱しくじってんだ?」
 青年は、切れ長の眼にからかうような色を浮かべて尋ねた。
「う、うるさいわね! たまによ、たまにッ」
「どうだか」
 反駁するアイリーンを軽くいなした彼の肩に、ばさりと舞い降りたウェスタが、ほうと首をかしげて鳴いた。
「おー、そうか。しょっちゅう暴発やらかすから、心配の種が絶えねえのか」
 青年は、初対面の梟の頭を撫でながら、けらけらと笑う。
「物騒な飼い主持つと、苦労すんなあ」
「ななな、なによ、ヒトん家にいきなり上がりこんでおいて、その態度は? ウェスタ、返してよ!」
 愛鳥を奪い返したアイリーンは、青年の鼻先に、びしっと人差し指を突きつけた。
「まず、名乗んなさい。あんた何者? 背中のそれは、なんの冗談? いったい、なにしに来たのよッ!?」
 相手の背には、白鳥を思わせる一対の翼。
 人外生物でないとすれば、真冬に湧いて出たキチガイだ――不法侵入罪、成立。正当防衛ってことで、フルパワーの火炎球を食らわせてやる。
「ルシード・ストラトス。天使ってヤツだよ、一応な」
 たたみかけるような質問に、こっちが拍子抜けるほどあっさりと答えて。
「アイリーン・ティルナーグって魔導士に用があってさ。この塔に住んでるって聞いて来たんだけど、在宅中?」
 書庫をぐるりと見渡して、少し背をかがめた彼は、
「アイリーンは、私よ」
「は?」
 唇を尖らせるアイリーンを、金髪のてっぺんから爪先まで凝視した。
「あー……悪ぃ、じゃましたな」
 片頬をひくつかせ、そそくさと窓枠に足をかけたかと思うと、そのまま翼を広げて出て行こうとする。
「ちょっと、待ちなさいよ。私に話があって来たんじゃないの?」
「言うだけムダだって、あんたに頼めるようなことじゃねえよ」
「失礼ね、魔法を失敗するのは時々なんだってば! どんな熟練の魔導士だって、間違えることはあるんだから」
「いや、そーじゃなくてさ」
 食い下がるアイリーンに閉口したように、
「情報の、肝心なとこが抜けてた――つーか、アテが外れた」
 げんなり溜息をついた青年は、眉間にシワを寄せて 「あんた、歳いくつだ?」 と尋ねた。
「……は」
 深く考えずに答えかけ、あわてて口元を押さえる。
 いきなり本当のことを言ったって鼻で笑われるだろうし、逆に、信じてもらえたら―― “いつから” なのか、事情を話さざるを得なくなる。治す方法さえ見当つかないのに、バカ正直に打ち明けてどうするのだ?
 アイリーンは、こほんと咳払いして答えた。
「12歳よ」
 とたん、青年は 『勘弁してくれよ』 と言わんばかりに天井を仰いだ。
「未成年のガキを、荒事に連れ回すワケいかねーだろ。保護者の許可もいるだろーし面倒だし、道徳的にあれこれさぁ」
 咎める保護者なんか、いないわよ。心の中で毒づきながら、続きを促す。
「で? その荒事って、なに」
「俺たちも、まだアルカヤに来たばっかで、これから調べるって段階なんだよ。まず、グローサイン帝国から探りを入れることになるだろうけどな。桁外れの魔力が首都に集中してるって、ティセナさんも――」

 アイリーンは、はっと身を強ばらせた。
 帝国の首都? レイゼフートに、天使が訝しむほど、強い “力” を持つ者が?

(もしかして……!?)

 脳裏を過ぎるのは、今ではもう、たった一人の肉親となってしまった姉の面影。

「いや、だからあんたに言ってもしゃーねえんだって」
 こっちが考え込んでいるうちに、はたと口を噤んだ青年は、ぼやきつつ話を打ち切ろうとする。
「言いかけて途中で止めないでよ、気になるじゃない! 魔導士が絡んでるんだったら、協力したげるから」
 アイリーンは、とっさに天使の襟首に飛びついた。
「いらねえって。放せコラ、首が絞まるッ!」
 彼はすっかり辟易しているようで、それでも子供相手だからと手加減しているらしく、こちらを振り払うには抵抗の度合いが足りない。
「おい、そこの梟! 見物してねーで助けろ――」
「この子の名前は、ウェスタよ。ちゃんと覚えてよね!」
 ぐぎぎ、がががと押し合いながら、逃げようとする青年を、渾身の力を込めて引っぱり戻す。

(……放してたまるもんですか!)

 願ってもない情報源が、向こうから転がり込んで来てくれたのだ。
 天使なんて、いるともいないとも思ってなかったけど、ウェスタが警戒する素振りを見せないんだから、悪いヤツじゃないだろうし――行方も知れぬ家族の帰りを、一人で待ち続けるのは、もう嫌だ。こいつが根負けするまで、食らいついてやる。
 アイリーンは、相手の首っ玉にしがみついたまま怒鳴った。

「いーから吐きなさい、知ってることぜんぶ洗い浚い白状しなさい!」
「だから、なにも判ってねえっつの!」

 とばっちりを避けるように書棚の上に移動したウェスタが、これは長くなりそうだと踏んだのか、おもむろに毛づくろいを始める。

 ブレメースの魔導士の塔に、数年ぶりに、騒々しい時間が流れていた。



NEXT  TOP

アイリーン&ルシード。兄妹っぽい雰囲気を出せたらいいなぁと思っています。
しかしルシードはこの時点で18歳の設定なので、実はアイリーンの方が年上……ややこしい。