◆ 魔導士の少女(2)
「――それじゃあ、イオン。お願いね」
「うん。レイフォリアの森に行って、おばあさんから魔石を取ってくればいいんだよね? そうしたら、母さんは元気になるんだよね?」
勢い込んで訊ねる少年の頭を、あやすように撫でてやりながら、
「ええ、そうよ」
藍のドレスに深紅のガウンを纏う、金髪の女は口元に微笑を湛える。
だが、瞳の底は凍てついたままだ。
「分かった、行ってくる!」
榛の目を輝かせて駆けだした少年のあとを、耳の垂れたうさぎが三匹、飛び跳ねながらくっついていった。
あんな、ぬいぐるみのような姿形でケルベロスの仔というのだから、魔界の生物も分からない。
「ふふ……他愛ないこと」
無邪気さを絵に描いたような、子供らの後ろ姿を見送り、
「辺境では、血の凶宴が続いている。レグランスは、遠からず自滅するでしょう」
むき出しの肩を揺らして冷たく嗤う。
八年前、先帝の庇護のもと宮廷に上がったときには、まだ18歳の娘だったという――炎の魔女、セレニス・ティルナーグ。
この国を動かしているのは、幼帝エンディミオンはおろか宰相のクロイツフェルドでもない、自分とほとんど齢も変わらぬこの女だと、ヴァイパーは踏んでいた。
「まず、六王国連合の魔導士ギルドから潰すわ――アルベリック! 軍部の方は、掌握し終えたんでしょうね?」
「愚問だな」
事務的に返したのは、対の支柱に背を持たせかけた軍服の男。
「そう。ところで、ヴィグリードの娘は? もう殺したの」
「我々に逆らえんよう拘束すれば、あとは好きにして良いと言ったのは貴様だろう」
うっとうしげな前髪の間に覗く、鴉色の双眸は。
上流階級の人間特有の甘ったるさに加え、どこか卑屈で独善的な光を放っていた。
「押さえ込めるものなら、ね」
宰相の一人息子と斜向かい、帝国の魔女は嘲るように小首をかしげる。
「将軍との決闘の勝敗はともかく、レイラ・ヴィグリードの謀反罪に疑問を抱いている貴族は多いわよ。投獄して、脅して? ……それで彼女が、あなたに服従すると思う?」
「従わせればいいんだろう! 汚らわしい魔導士の分際で、余計な口出しをするなッ」
激昂したアルベリックは、そのまま身を翻して去っていった。
獄中に閉じ込めた “想い人” のところへでも行くのだろう――イカレた男だ。
「…………」
他方、第一騎士団長の不興を買いながら、まるで動じずアンティークの長椅子に肢体を預けている女に、
「セレニス様」
すうと物陰から進み出た、貫頭衣の人影がなにやら耳打ちした。
「――まだ、この国を嗅ぎ回っているの? 目障りな男ね」
整った柳眉が、わずかに顰められる。
「毒にも薬にもならないから、今までは放っておいたけれど……この先、進軍の妨げになりかねないわ」
しばらく黙考していた帝国の魔女は、次いで、事も無げに命じた。
「消してちょうだい。ウォーロックを五人も放てば、充分でしょう」
「御意」
枯草色の布で顔を覆った、そいつは闇に融けるようにして失せた。
「で? 俺は、なにをすりゃあいいんだ」
帝都くんだり呼びつけておきながら、いつまで待たせるつもりだと、言外の不満を投げかける。
「そうね」
顔を上げたセレニスは、悠然とした仕草で、なにか四角いものを放って寄こした。
「聖王国の教皇庁が、魔石をひとつ保有しているはずなの」
ぱし、と片手で受け止めてみると、それは瀟洒な小箱に収められたカードの束だった。
淡紫と青緑でデザインされた 『Z』 の文字に、蛇が撒きついたような図柄を、金に近い白の筋が縁取っている――洗練されてはいるが、やや毒々しい印象の代物だ。
「?」
伝承に出てくる “デルフィニアの魔石” と、ゲーム以外に使い途が無さそうなカードの、関連性が読めず。
「サタン様の復活に、どうしても必要なものよ。その隠し場所は、代々の教皇と、副教皇にしか伝えられない……」
訝る男にかまわず、セレニスは一方的に話し続ける。
「そんなお偉いさんに、俺みたいなチンピラがどうやって接触するってんだ?」
魔石を盗って来いと言われているのは明白であるから、その先を問う。
世界が破滅する様を見てみたいとは思うが、警備兵だらけであろうエクレシアの中枢機関に、真っ向から侵入した挙句とっ捕まって獄中死――なんて最期は、さすがに御免だ。
すると、愉しげな答えが返された。
「次期教皇と定められている青年が、ずいぶん自堕落な男らしくてね。日常的に酒場に出入りして、賭博に興じているそうなの」
「へえ……」
「そのカードは特注品よ。戦闘用の “力” とは別に、呪いが施されているわ。賭けの対象は、互いに必ずひとつ――負ければ、それが命でも抗えない」
「なるほど」
これは確かに “ギャンブラー” に適した仕事だ。
ヴァイパーが、含み笑いを残して踵を返すと、魔女は満足げに眼を細める。
「集めた人間の中では、あなたが一番まともね。話が早くて助かるわ」
「そりゃ、どーも」
人間離れした威圧感を漂わせる、この女に褒められたところで感慨など湧くはずもなく。
そのまま、エクレシアへ向かうべく宮殿を後にした。
街路に立ち止まり、ふっと空を仰ぐ。
北国であるグローサインの、夜風は冷たい。
星ひとつ見えぬ帝都を照らす、深紅の月は――冷たいアスファルトに幾度となく吐き散らした、血の色にも似ていた。
「世界の終末……か」
甦るはずないものを戻ると信じて疑わぬ、年端も行かぬ子供。
陰謀に嵌められた、女騎士。
その身を欲する、飢えた男。
呪いを糧に生き長らえたという、哀れな暗殺者。
極寒の地で、吸血王の恐怖に怯える人々。
早ければ、明日にでも路上に惨殺体を晒すであろう、名も知らぬ人間。
多少の経緯を聞き及ぶもの、一切の関わりを持たぬもの。そして、これから相見えるであろう者たち――誰がどうなろうと、俺にはどうでもいいことだ。
死ぬも生きるも、この世界はすべて運次第。
ならば等しく死が降りかかるとき、どんな地獄絵図が描かれるだろう?
それとも、セレニスが警戒している “天使” とやらに、破滅の到来は阻止されるのか……どちらに転んでも、これが最後の賭けとなる。
まだ見ぬ “次期教皇” ――ロクス・ラス・フロレス。そして、敵勢力たる天使を想う。
俺か、世界か。
どちらかの時が断ち切られるまで、せいぜい楽しませてもらおうか。
思ったより、書きやすかったヴァイパー視点。
アルカヤ編では、堕天使サイドの描写も織り交ぜていく予定です。