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◆ 裏切りの帝国騎士(1)


「どうだ、レイラ? 考えを改めてくれたか」

 虫唾の走る声。
 鉄格子の外から、こちらを覗き込んでくる舐めるような視線。
 背筋を這い上がる嫌悪感、なりふり構わず怒鳴り散らしたくなる衝動を、必死の思いで噛み殺して。
 レイラは、間違っても相手と目を合わさずに済むよう、頑なに俯いたまま吐き捨てた。

「話すことなど、なにも無いわ」

 獄中の身で良かったと、今だけは思う。
 少なくとも、ここに居れば仇の手で触れられずに済む。
 いくら鍵束を持っているとはいえ、通路には他の看守がいるのだから……宰相の息子にして第一騎士団隊長を務めるという立場上、反逆者の汚名を着せられた女に纏わりつくにも限度があるだろう。

「手厳しいな」
 アルベリック・クロイツフェルドは、しつこく猫なで声を出した。
「どうやら誤解があるようだね。私は、君が思っているほど不埒な男ではない」
 レイラは、またひとつ相手に対する温度を下げる。
「確かに、ヴィグリード将軍の死は、残念な出来事だった。君を含め、ご遺族には申し訳ないことをしたと、僕も思っている――しかしあれは、正式な騎士道に則った決闘。互いの実力が拮抗していたが為の、不幸な事故だったんだよ」
「よく言う! ……あの魔女に、呪術でも使わせたんでしょう」
 けっして身内びいきや負け惜しみではなく、そうとしか考えられなかった。皇位継承問題は抜きにして、決闘の場に居合わせた誰もが不審を抱いているはずだ。

 帝国の猛将、ラウル・ヴィグリードは、この男に負けた。
 歴戦の騎士だった、愛する父が。
 親の七光りで今の座に就き、レイラにさえ、剣技で遠く及ばなかったアルベリックに屠られた。

「そうやって父君のように我を張るから、反逆の意志有りと見なされて、こんな牢屋に閉じ込められてしまうんだよ、レイラ」

 ……あの悪夢の日から、幾度。いけしゃあしゃあと話しかけてくるこの男に、斬りかかりたい衝動に駆られたことだろう。
 けれど経緯はどうあれ、父の死は、騎士としての決闘の結果だったから。
 不正があったに違いないとの疑念が心に燻り続ける中、それでも新たな皇帝となった少年に忠誠を誓おう、どうにか割り切ろうと務めていたのに。
 ある日、いつものように訓練場へ向かっていた自分を、衛兵たちが取り囲んだ。
 白刃の剣とともに、身に覚えのない 『反逆罪』 の濡れ衣を突きつけて。

「ただ一言、エンディミオン様に従うと。紅月王、アイン・グロースの生まれ変わりたる皇帝陛下に、私と共に仕えると誓いさえすれば――今すぐにでも、そこから出してあげられるというのに」

 いくら潔白を主張しても聞き入れられず、面会に現れるのはアルベリックばかり。
 しかも釈放の条件が、新皇帝への服従だけならまだしも……あろうことか殺した人間の娘に、さも当然のように求婚して寄こしたのだ、この男は。
 厚顔無恥もいいところの非常識さ加減には、腸が煮えくり返るのを通りこして乾いた笑いが漏れてくる。こいつの脳内には、神経の代わりに蛆虫が湧いているに違いない。

「もう二度と、あなたの顔など見たくないわ」

 どれほど冷徹に、最大級の侮蔑と拒絶を込めて突っぱねても。

「君のそういう直接な物言いが、私は好きだよ」

 アルベリックは、肩を竦めつつ薄笑いを深めるばかり。己の優位を確信しているのか、まるで堪えた様子がないのだ。
 こちらの反応を愉しんでいる節があるから、不毛な会話を打ち切るには、ひたすら無関心を装うに限る。

「だが、そんな強情がいつまで続くかな? いずれ……必ず、君を手に入れる」

 あー気色悪い、気色悪い、気色悪いッ!!
 こんな奴にどうこうされるくらいなら、裁判の前に舌噛み切って死んでやるわ!!

「良い夜を……おやすみ、レイラ」

 苛立ちの元凶が、要らぬ挨拶を残して歩み去り。
 やっとのことで生理的不快感から解放された、レイラは安堵まじりに毒づいた。



「……下衆な男」



 それは、完全な独り言のはずだったのに。

「まったくね」

 通路とは反対の、灯り取りの小窓がある壁側――あり得ない方向から、しみじみと相槌が打たれて。
「誰……!?」
 はっと振り向いてみれば、声の主は、すぐそこに佇んでいた。
「こんばんは、初めまして」
 ライトブラウンの髪が頬にかかり、頭上から微かに差し込む月光が、金色の環を降らせている。アイスグリーンの瞳に、寒くないのかと面詰したくなるほど薄手の衣服。
 自分と同年代に思える、娘の背には、無機質な白い翼。
 すっかり暗がりに慣れていた目に、その姿はあまりにも眩しく幻覚めいて映り――レイラは片腕で顔を覆いながら、半信半疑でつぶやいた。

「…………天使?」

 もしかしたら自分は、思ったより衰弱していて。
 天から、迎えが来たのだろうか? 御遣いに導かれれば、父のところへ逝けるだろうか。
 罠に嵌められたままアルベリックの手にかかるより、その方が潔くて安らかな死に様かもしれない。けれど、まだ汚名を晴らせてもいないのに、母を独り残してなど――

「……ティセナ・バーデュア。ただの、アストラル生命体よ」

 走馬灯まがいの逡巡に囚われているレイラに向かって、獄中に現れた天使は、苦笑混じりに訊ねた。

「あなた、レイラ・ヴィグリードよね? 投獄される謂れ、無いんでしょう」

 疑問というより確認するような語調で、彼女は、二者択一の未来を投げかける。
「脱獄したい? それとも、ここに蹲ったまま国元の裁きを待つ?」
「……外に、出たいわ」
 思わぬ台詞に虚を突かれ、それでもレイラはきっぱりと答えた。
 クロイツフェルド親子――さらには素性も定かでない、魔女セレニス。あの三人が帝国の実権を握っている以上、おとなしく牢に留まったところで事態が好転するとは思えない。
 己の潔白を、父の不名誉を雪ぐには、自由に動けなければ始まらないではないか。
「そう」
 天使は、ふっと目を細め、思いついたような口振りで言う。
「ねえ。さっきの男、呼べるかな?」
「アルベリックを?」
 その名を口にして、もはや条件反射でレイラは顔をしかめる。ようやく眼前から失せたばかりだというのに、何故わざわざ。
「こっちに後ろ暗いことは無いんだから。宣戦布告くらい、して行かなきゃね」
 余裕の表情で、天使が片目を瞑ってみせるので。
「分かったわ」
 通路の端に立っていた看守たちに、鉄格子の隙間から声をかけた。
(正直、気が進まないけど……)
 アルベリックを呼んでくれるよう頼むと、こちらの迷いと裏腹にあっさり了承されて。ものの五分と経たず件の男がすっ飛んできた――しかも、傍目にも判るほどウキウキした足取りで。
 レイラは全身をわななかせ、両腕で以って牢の壁に縋りつく……また、なにを勘違いしているのだ、あいつは!?

「どうしたんだい? やっと考え直す気に――」

 現れたアルベリックが、言葉途中で絶句して。
 そうだった。私は、この天使と一緒に行くのだからと、気を取り直したレイラの。


「生憎だが、貴様のような輩には渡せんな」


 すぐ真後ろから、耳慣れぬ低い声が涼やかに、アルベリックとは別方向に気障ったらしい台詞を口にしてのけた。

「騎士の誇りのみならず、これほどに気高く美しい、彼女の尊厳を踏み躙って憚らぬその言動――全世界の女性に対する侮辱に他ならない」

 次いで、ぐいっと肩を抱き寄せられて、そちらを仰いだレイラは硬直する。
 隣に立っていたのは先ほどの女天使ではなく、自分のものより少し色素の薄いストレートの金髪を、首の付け根で束ねた、長身の青年。
「え、ええ?」
 冷静沈着を自認する、レイラの思考回路は瞬時に混乱を極め。
「なんだ、貴様はあッ!?」
 茫然自失から我に返ったアルベリックが、眦を吊り上げて牢の扉に掴みかかった。
 ……が、施錠されているからには当然、鍵を開けねば中に入れず。
 しかし激昂のあまり手元も震えているようで、鉄格子の前でガチャガチャやっている間に、他の房に閉じ込められている囚人が起き出し、なんだ何事だと看守がわらわら集まってきて、捕らえた覚えのない男の姿をそこに見つけ、ぽかんと目を丸くする。
(こんなに人の注意を引いて、脱獄どころじゃないじゃない!)
 レイラは、心の中で悲鳴を上げた。
 っていうか、なにこれ? あの子は何処へ行ったの??

「ずいぶんと不躾な男だな――他人に物を訊ねるときは、まず自ら名乗るのが礼儀だろう?」

 抜き放った細身の剣をすっとアルベリックに向けた、青年は余裕の笑みで言い放ち。わたわたと狼狽するレイラの身体を、片手で軽々と横抱きにしてみせた。
「なっ、ななな、貴様! 私のレイラに、馴れ馴れしく触るな!!」
「誰がよ!? 天地がひっくり返っても、あなたの物になんかなるもんですかッ」
 鉄格子に飛びついて吠え散らす男の戯言を、間髪入れず、これまでの鬱憤も重ねて一蹴する。

「宰相がなに? 第一騎士団が、なんだって言うの! このまま、あなたたちの思い通りになんかさせないわ――帝国騎士の誇りにかけて!!」

「なにを!?」
 啖呵の嵐に見舞われて、いきり立ったアルベリックが、手間取りつつも堅い扉を開け放つより数瞬早く。
「……だ、そうだ」
 金髪の青年は、斜め後ろの壁に向けて火炎球を放っていた。けたたましい轟音とともに外と牢を隔てていた鉄塊が爆散して、脱出口を造りだす。空洞から、ひんやりと夜気が流れ込んでくる。
 初めて “魔法” を目にしたレイラが、桁外れの威力に驚き固まっているうちに。

「レイラ・ヴィグリードの身柄――これより、騎士、シーヴァス・フォルクガングが貰い受ける」

 さらばだ、と優雅に会釈した青年は、漆黒の宙へと軽やかに身を躍らせた。


「きゃー!?」


 未知の浮遊感。
 垂直に流れ落ちていく、きらびやかな夜景。
 自分のものとは思えぬ悲鳴が、夜更けのグローサインに高くこだまして、地面にぶつかる直前でふっつりと視界が暗転した。




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本来、男天使限定なシーヴァスの固有イベント 『身代わり』 の、アルカヤバージョン? レイラのスカウトシーンを書くときはこれで行こう! と密かに温めていたネタです。楽しかった……!