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◆ 不良天使(1)


 ティセナは、酒場の喧騒に突っ立っていた。

「ねえねえ。どうして先月は、遊びに来てくれなかったの? ……ずっと待ってたのに」
「やあん、アタシだってぇ!」
 前方のテーブルに転がるは、空になったボトルと、それから酒のつまみが十数種類。
「ん? ああ、ちょっと忙しかったんだ。今夜は楽しもう」
 両腕のみならず前後左右に、しどけない薄布を纏う女たちをはべらせ、酔い痴れているのは銀髪の僧侶様だ。

 全員いっぺんに――の節操無し、ロクスと。
 かつては、そ知らぬ顔で五股六股かけて過ごしていたらしい、女誑しのシーヴァス・フォルクガング。
 どっちがマシなんだろう、男の誠意として?
 究極の選択と呼べる気がして真剣に考えてみたが、すぐにバカらしくなって止めた。
 品性や体裁に拘っていたという点では、インフォスの金髪貴族に軍配が上がるだろうが、結局のところどっちもどっちだ。
 ……頭が痛い。

「ちょっと待ってくれ! 僕はもう、これ以上呑めないよ」
 ほとほと呆れつつ眺めていると、四方八方からハイペースで勧められる酒に、ロクスが待ったをかけた。しなだれかかっていた女性の肩を、片手で押し退けながら。
「今日は、連れがいるんだ。だから、ほどほどにしとかないと――」
 けれどその締まり無い態度は、ただ相手とじゃれ合っているようにしか映らない。
「えーっ、誰!?」
「どこにいるのぉ? まさか、ロクス様の彼女?」
「ははっ、そんなんじゃないよ。まあ、一応……女だけどさ」
 騒ぎたてる取り巻きに笑って返しながら、知り合って間もない勇者は、無造作にこちらを指した。
「ほら、そこで暇そうにしてる――季節外れな格好した、華奢で、羽の生えてるヤツ」
 誰の所為ですか、こんな酒池肉林に放置されてるのは。
 人を誘ったことは覚えていたみたいだけど、キレイさっぱり忘れてくれてた方が、まだ救いがあったような気がするよ。
「はね?」
「なに言ってるのよ、ロクスったらぁ!」
「そっちには、壁しかないじゃない。しっかりしてよ〜、まだ、ボトル二本も空けてないでしょ?」
 案の定、きゃはははは、と姦しく響き渡る笑い声。
「さてはウチへ来る前に、どこか他の店に寄ってたのね? ひっどーい、後回しだなんて!」
「その子と呑めて、私たちとじゃダメってことはないわよねぇ」
 酒場で働く女たちは、艶めいた微笑を浮かべながら、さりげなくロクスに詰め寄った。
「あれ? もしかして天使って、フツーの人間には見えないのか……?」
 素行不良の聖職者は、拍子抜けた様子で自問する。
 ええ、そーですよ。
 確かに説明してなかったけど。まさか、アストラル生命体を見世物にする気だったんじゃないでしょうね?
 冷ややかに突き刺さる視線も、なんのその。

「ま、いいか――呑もう、みんな!」

 酔いどれ勇者は、あっさりと興味を半径1メートル内に戻し、やたら陽気にグラスを掲げる。
 小さく嘆息して、ティセナは踵を返した。
(……息抜きに同行しないかって、誘った本人があの調子なんだから)
 こっちも心置きなく勝手にさせてもらいましょう。


 いったん建物の外に出て、実体化。くるぶしまで覆う黒いコートを羽織り、正面のドアから入りなおす。
 噎せるような酒と香水まみれのスペースには目もくれず。ロビーを挟んで対を成す左側の、賭博場に足を踏み入れた。

 鈍色の照明、じゃらじゃら音をたてるメダル。
 カードとコインの散らばるテーブルに、真剣な表情で齧りつき、または薄笑いを浮かべて見物を決め込んでいる人々。
 酒の匂いやタバコの煙は、どっちかといえば苦手だけれど――投げやりで、刹那的な熱狂が漂う、独特の空気はひどく懐かしかった。

「おっ、なんだ? 見かけない顔だな」
「ねえちゃーん! こっち来て、酌してくれねぇ?」
「ボケ、男だろ。ありゃ」
「てめえが馬鹿なんだっつーの。あんな、細っせえヤローがいるかよ」
 対戦相手を探すべく奥へ進もうとした端から、ガラの悪い連中にからまれ。ちょうどいいかと、ティセナは自ら彼らに近づいていった。
「ねえ。ここで一番、強いギャンブラーって……誰?」
「ああん?」
「勝負したいんだ。賭けるものは、これ」
 懐から取り出した、金の首飾りをじゃらりと翳して見せると。
「光りモノかよ、新手の詐欺師じゃねえだろうな? 売り払っても、二束三文にしかならなかったら俺たちの丸損だぜ」
 からかい混じりに小馬鹿にするような態度が引っ込んで、男たちは、胡乱げに顔を見合わせた。
「まあ、安物だったとしても、場所代くらいにはなると思うけどね――賭け事に、現金は使わない主義だから。あなたたちが気に入らないって言うんなら、他所を当たるよ」
「……どうする、おい」
「ああ、宝石商のヤツが来てたろ! 先に、鑑定してもらうってのはどうだ?」
 ひそひそと囁きあった面々が 「文句ねえな」 と訊いてきたので、ティセナは軽く肩をすくめて肯き。
 斜向かいの席から引っぱられてきた、宝石商であるらしい小太りの客は、鳥を模したそれを手に取るなり目の色を変えて叫んだ。
「おい、嬢ちゃん? これ――純金じゃねえか!」
 とたん、伝染する驚嘆。ざわめきが波紋のように、賭博場の隅々まで広がっていく。
「なにー!?」
「純金って、この大きさでかよ?」
「ああ、美術的な価値によっちゃ、千万は下らない代物だぞ」
「らしいね。私は、あんまり詳しくないけど」
 すでに滅びたとはいえ、皇家の紋章。由緒ある骨董品だ。
 本来、賭けの餌にして良いものではないだろうけれど。要りもしないのに押しつけられたんだから、知ったこっちゃない。
「……それで? 乗ってくれる人、いる?」
 ティセナは、余裕たっぷりに重ねて問い――すぐ傍で、誰かがコキリと腕を鳴らす音がした。


×××××



 快調に呑んだくれていたロクスは、ふと、壁際に佇んでいた天使の姿が消えていることに気づいた。
(……嫌気が差して、出て行ったのか?)
 いくばくか残っていた、冷静な思考の部分で考える。
 だったらいいが、帰り道は分かったんだろうか。まさか、そこいらで迷ったりしてないよな? それ以前に僕は、なんで彼女を連れて来たんだっけ。
 ああ、少し驚かせて――怒るか怯えた顔を、拝んでやろうと思ったんだ。
 しっかし無言で立ち去るなんて、面白味のないヤツだな。それだけ刺激が強すぎたってコトか? ……まあいいや、この程度の道楽に目くじら立てるような天使なら、どのみち付き合っていける訳がない。
 つらつらと思い巡らしながら、目線だけで、アイスグリーンの人影を探していると。

「ねえねえ、ちょっと! こっち来てみなよ」
「すっごい美少年が、常連の奴らに勝負挑んでるの! もう、あっさり五人抜きッ」
 顔見知りの女たちが、ロビーへ続く通路から、はしゃいだ声を上げて手招いた。
「えー? あれ、女じゃないの?」
「とにかく、賭けっぷりが半端じゃないんだって」
「っていうか、対象になってるアクセサリが純金モノなのよ! 売ったら、どのくらいするのかしら」
「へえーっ、おもしろそう!」
「ロクス様、行ってみましょう?」
 ついついっと腕を引かれ、見慣れた賭博場へと移動したロクスは、そこで唖然と目を剥いた。

「ティ……!?」

 いやいやいや、待てよ。
 呼びかけた名前をすんでのところで飲み込み、アルコールで霞がかった頭を振りつつ、黙考する。
 なんでか翼が無い。
 しかも黒のロングコートを着込んでいるから、鋭い眼つきも相俟って、妙に中性的な雰囲気だ――が、他人の空似とも思えない。カードゲームに興じている、彼女が座ったテーブル周辺には黒山の人だかり。わーわーぎゃーぎゃーと、異様な盛り上がりを見せていた。
 なにやってるんだ、あいつ。神の御遣いが、賭け事なんかしていいのかよ!?
 次期教皇候補たる己のことは棚に上げて、ロクスは心の底から突っ込んだ。
 しかも対戦相手は――名前忘れたが――勝負師としてはかなりの線をいっている、この賭博場の元締めのような男だ。ロクス自身、ギャンブルに嵌ったばかりの頃、幾度となく有り金を巻き上げられている。

 なんでよりによって……と舌打ちしたい気分で、双方の手元を覗き込んだが。
 驚いたことに、ティセナの方が遥かに優勢で、カードを扱う仕草に初心者めいたところは微塵もなく。妙に冷めた態度で、それなりと思える札を無造作に捨てては、あっさり相手を上回り、翻弄――赤子の手を捻るように容易く勝ちを収めてしまった。
「い、イカサマだ!」
 やられた男の方は、我慢ならないといった剣幕で怒鳴る。
「そんな都合よく、俺のカードを潰せる札だけが連続で出てくるもんか! ……てめえ、どんな小細工をしやがった!?」
 縦にも横にもデカイそいつは、青筋立てて、右の拳でテーブルを殴りつけた。
 元から短気で、酔って暴れては物を壊す――傷害沙汰もしょっちゅうで、店のオーナーさえ手を焼いていた客である。
 おもしろがっていた見物人がひっと身を縮め、しかしティセナは、顔色ひとつ変えずに皮肉った。
「へえ。ディーラーが飛び入り側につくなんて、あなたよっぽど嫌われ者なんだ?」
 引き合いに出された従業員は青褪め、ぶんぶんと両手を横に振ったが、揶揄された本人はそれすら目に入らないように真っ赤な顔で、全身をわななかせている。
「ん……だとォ!?」
「文句があるんなら、リターンマッチは受けてたつし。カードを切る人間も、好きに指定してもらってかまわないけど? 結果、身包み剥がされても、引き際を見極められなかったそっちの責任だからね」
 カードだけでなく舌戦まであえなく敗北したそいつは、苦々しげに舌打ちするとテーブルに札束を叩きつけ、なにやら喚き散らしながら外へ出て行った。

 どばったん!! と割れそうな勢いで扉が閉まり。
 次の瞬間――静まり返っていた賭博場に、わっと喝采がわき起こった。



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典型的な優等生のクレアに対して、ティセナのコンセプトは、規律から外れた異端天使。
ロクスの素行不良なんて、甘い甘い……くらいの感じで書けたらいいなと思っています。