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◆ いなくなったウェスタ(1)


 アイリーンは、ずいぶんと久しぶりにブレメース島の外へ出ていた。
 天使の依頼により、まずは故郷にほど近い、ガルラス村を荒らしていた盗賊団を退治。次いで海を隔てた六王国・ラビルク領へ渡り、女性ばかりをターゲットに攫っていた犯罪組織を、ぶちのめしてやった帰り道の森にて――

「どこ行っちゃったのよ、ウェスタ……」

 次第に薄暗くなりつつある空を、途方に暮れて仰いだ。
 木々の合間に見つけた餌を啄ばんだり、時折ちゃっかり人の肩に乗って休憩しながらも、普段どおり後をついて飛んでいたはずだったのに。
 どんなに耳を澄ましても、空気のように馴染んだ羽音が聴こえない。
 ブレメースであれば、祖父が建てた “魔導士の塔” が目印になるが――いくら賢いとはいえ、初めて土を踏む旅先で、梟のウェスタに帰巣本能が働くとは考えにくい。
 ただ逸れただけなら、まだ良いけれど。万が一、熊や蛇に捕まっていたら? 毒性の植物を誤って口に入れ、動けなくなっていたら? ずっと人間に飼われていたから、外敵への警戒心も薄れてるだろうし。
「……どうしよう」
 いつから見失っちゃった? なんで、すぐ気がつけなかったの。
 陽が沈んだら、ますます探し辛くなってしまう。そうじゃなくたって障害物だらけの森では、視界の自由がきかないのに。

(あっ! そうだ、ルシード)

 下唇を噛みつつ、焦燥に駆られていたアイリーンは、ふと思いついて手荷物の中身を探った。
 細々した道具をまとめているポケット部分に、真夏の空を透かしたような、紺碧の石がひとつ――天使の魔力が込められた特殊な鉱物で “風の石” というらしい。
『これに向かって念じてくれりゃ、何処にいても伝わるからな』 と渡されていたアイテムだった。本当に呼び出しに応じるのか半信半疑で受け取ったものだが、この際、猫の手だろうと借りたい気分である。
(……ええっと、あの)
 いまいち使い勝手が分からないので、とりあえず魔法発動と同じ要領で祈ると、ぼうっと淡い光を放ち始めた。
(私、アイリーンよ……聞こえてるんだったら、返事して……)
 けれど、なんにも起こらないまま。
 五分近くそうしていただろうか――石を握りしめ突っ立っている自分が、ひどく間抜けに思えてきて、腹立たしさに石を睨んで毒づいた。
「馬鹿みたい。来れるときだけ、なんて意味ないじゃない」
「そう急かすなって、連呼しなくても聞こえる」
 とたん、真後ろで不服そうな応え。
「いくら俺たちがアストラル体だって、物理法則を丸ごと無視は出来ないんだ。召喚魔法の類じゃねえんだから、少しは待ってろよ。せっかちは嫌われるぞ」
「キャーッ!?」
「――うわ!」
 飛びずさって悲鳴を上げたアイリーンに、両手で耳を押さえ、しかめっ面で抗議する男天使。
「至近距離で叫ぶな、鼓膜が破れるっ」
「それはこっちの台詞!」
 反論の声もうわずる。胸の奥が、ひっくり返ったようにバクバク鳴っていた。
「あんた、か弱い乙女を心臓麻痺で殺すつもり? いきなり背後に湧いて出ないでよね!」
「天使つかまえて幽霊みたいに言うなよ、人聞きの悪い」
「なによ。ふらふら飛んでる神出鬼没で、私以外に見えない精神体なんだったら、オバケと似たようなものじゃない」
 言い返しているうちにどうにか調子を取り戻して、アイリーンは、つんと顎を上げる。
「口達者だな、おまえ。先が思いやられるぜ」
 苦笑したルシードは、うながすように 「それで?」 と首をひねった。
「え?」
「話があったんじゃねえの? それとも、なに。試し呼びってヤツ? まあ、いいけどな……って、こら! 婦女子がこんな日暮れまで郊外うろつくな」
 辺りの風景に目を留め、ほんの少し険しい表情になって、
「ま、待って。あのね――街へ戻るのに近道しようと思って、森を歩いてたら、ウェスタがいなくなっちゃったのよ」
 宿を探しに行くぞとぐいぐい背を押しやる天使に、あわてて用件を切り出す。
「ウェスタが?」
「うん。もう、二時間近く探してるのに見つからないの」
 事情を打ち明けてから、急に別の不安に襲われた。
 気さくな雰囲気の青年とはいえ、彼は、使命を帯びて地上へ降りてきた天の御遣いだ。くだらないことで呼びつけるなと、突っぱねられないだろうか?
「……」
 けれど懸念は、杞憂に終わり。
「分かった。もう獣道沿いには、あらかた歩き回ったんだな? だったら俺が上空から探す。おまえは、とにかくウェスタの名前を呼んでやれ。寝てるんでなけりゃ鳴き声くらい返って来るだろ」
「いいの? 手伝ってもらって」
「良いも悪いもあるかよ、当たり前だろう」
 ルシードは、訝しげに眉をひそめた。なんとなく戸惑いを感じて、アイリーンは返事に詰まる。
「……ごめんね」
「それは、言葉の使い途がズレてるような気がするんだが」
 困ったように、アッシュブロンドの頭をぽりぽり掻いて。
「おまえが頼み事して謝るんなら、この先、俺も依頼を持ち込むたびに頭下げるわけか?」
 背を屈めた天使は、アイリーンと目線を合わせる。
「頻度としちゃ間違いなく、こっちが面倒かけることになるんだからさ。べつに、偉そうにしてほしい訳じゃねえけど、遠慮なんかするなよ。人間とは価値観の違いもあるから、はっきり指摘してもらった方が助かるし」
 ウェスタのそれとはまるで違う、真っ白な翼が、暗がりを照らすように鮮やかで眩しかった。
「どうせ言われるんなら、ありがとう――が嬉しいぞ。俺は」
「あ、うん。えっと……ありがと」
 要望に沿ってぎこちなく呟くと、穏やかに笑んだ天使は、アイリーンの金髪をぽすぽす撫でた。
「おう。その様子じゃ晩飯も食ってねーんだろ? 手伝ってやるから泣くなって」
「泣いてないわよ、失礼ね!」
 太陽はすっかり翳っていたから、たぶん真っ赤になっていただろう、瞳や頬には気づかれなくて済んだと思う。


×××××


 それから十分と経たぬうちに。
「おい! 向こうの畦道に、梟を抱きかかえた子供がいるぞ。あれ、ウェスタじゃねーのか」
「えっ?」
 天使が報せに飛んできて、アイリーンは、こけつまろびつ示された方角へと急いだ――10歳くらいの少年だ。こちらが走って追いかけている間にも、どんどん足取り軽く歩いていって、自宅らしい家の敷地へ入って行こうとする。
「あ、あのっ!」
「?」
 呼び止められてきょとんと振り返った、相手の腕には、紛うことなき愛鳥の姿が。
「ウェスタ!」
 思わず上げた安堵の声に、ばさばさと羽ばたいて反応した。
「もしかして、この鳥。お姉ちゃんの?」
「うん、探してたの」
 男の子は、そっか〜と無邪気に納得した様子で。
「夕方、庭で怪我してるとこ見つけてね。獣医さんに、お薬塗ってもらったんだけど……ずいぶん人間に慣れてるから、どこかで飼われてたんだろうって。だから、近所のみんなに見覚えないか聞いて回ってたんだ」
 少しだけ名残惜しそうに、ウェスタを手渡してきた。
「ありがとう」
 確かに、左羽を痛めているようだ。
 アイリーンは、傷に障らないよう注意を払いながら、ふさふさした毛玉のような体を抱き取る。多少ぎこちない動きながらも、ウェスタは身を摺り寄せてきた――たいした怪我ではなかったようだ。
「良かったな」
 すぐ傍に滞空していたルシードが眼を細め、アイリーンは、感謝の意を含ませこくこくと頷いた。

「なぁに、帰ったの? もうすぐ夕飯よー」

 そこへ、がらりと玄関が開き、母親らしい女性が顔を出す。
「おや、飼い主さんが見つかったのかい?」
「うん。お姉ちゃんも探してたんだって」
 男の子は、元気よく答えた。
 暖かそうな家の中から、食欲をそそるシチューの匂いが漂ってくる……ああ、おなか空いた。反射的にぐう〜と鳴りかける腹部を叱咤して、アイリーンは、あたふたと礼を述べた。
「あ、ありがとうございました! この子、病院にまで連れて行っていただいたそうで。診察料は――」
「いいのよ、そんなことは。良かったねえ、梟ちゃん。もう迷子になるんじゃないよ」
 女性はからからと笑い、ウェスタのくちばしを突っ付いた。
「ところで、お嬢ちゃん……一人なの? 見かけない顔だけど、お家は近く?」
「いえ、あの」
 不思議そうに訊ねられて、アイリーンは内心 “しまった” と焦る。
「知人を訪ねて行く、途中なんです」
「知り合いって? この町の住人かい? 良かったら案内するよ」
 適当にごまかそうと口走った台詞に、なおも他意なく浴びせられる疑問の数々。とっさに浮かんだのは、魔導士ギルドが本拠をかまえる、亡き祖父の友人たるグランドマスター・ライノールの所在地だった。
「ええっと。バーゼルの、アルクマールにですね」
「アルクマール! あらまあ、そんな遠くまで――まだ小さいのに一人旅なんて、よっぽどの事情があるんだねえ」
 ……すみません、一応これでも大人なんですが。
「だけど連れも無しに、夜遅くまで出歩くのは危ないよ。このあたりも昔はのどかなモンだったけど、最近じゃあ近くの街で、年頃の娘さんが失踪する事件が相次いでねえ」
 そいつらは半日前に、私がぶちのめして来ましたが。
 ついでに 『連れ』 と呼ぶには少々心許ないけれど、妙な天使がくっついてます。
「お嬢ちゃんは、微妙な年頃だけど――可愛いからねえ。連中に狙われないって保障もないし」
 だいじょうぶ、平気ですってば!
 無言で、じりじり後退りつつ 『放っておいて』 という態度を醸しだすアイリーンの願いも空しく、女性は、自己完結してぽんと手を打った。
「そうだ、ウチにお泊りよ! 袖触り合うも多生の縁、ってね」

 ひいぃ。

 ぶんぶんと首を横に振って固辞するアイリーンの主張は、ただの遠慮としか解釈されず。
 まだウェスタと遊びたかったらしい男の子は、諸手を挙げて賛成。
 そのうちに騒ぎを聞きつけた、彼の祖母に父と兄姉まで、なんだどうしたとやってきて――夕飯ならたくさん作ったから食べていけ、部屋も余ってるから泊まって行け。
 好意一色の笑顔にぐるりと囲まれてしまっては、逃げ場がない。

(いいい、嫌〜っ!!)

 必死に助けを求めてルシードを凝視するが、馬鹿天使は、すでに勇者を放ってうきうきと人様の家に上がり込んでいた。
 ……役立たずっ。



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ゲームシナリオ、ほぼそのまんま。
アイリーン、見ようによってはロクスより複雑な性格してると思います。