◆ 軍服(1)
「あれっ、レイラは?」
“ヤドリギ” に戻ってきたティセナ様は、きょとんと室内を見渡した。
「彼女なら、朝からお出掛けしてますよ」
「なに、散歩? こんな曇った天気の日に」
続けて入ってきたルシード様は、担いでいた大荷物をよっこらせと床へ下ろしている。
「せっかく調達してきたのになぁ、クロスアーマー……サイズ合わなかったら、ルシードに調節してもらわなきゃだし。武器も、これで良かったのかな」
右手に持っていたレイピアを鞘から抜いて、ティセナ様はうーんと考え込んだ。
「ちょっと様子を見に行ってくるだけって仰ってましたから。夕方までには戻って来られると思いますけど」
「そう。じゃあ――先に、他のみんなに装備品」
鞘に戻したレイピアを、ソファに立てかけながら言葉を切って、まじまじと私を見つめる。
「……シェリー? 様子って、なんの」
「グローサイン帝国ですよぅ。軍部がどう動いてるか気になるし、お母さんを残して来ちゃったから心配だって」
唖然とした表情で固まった彼女を、訝しげに窺うルシード様。
「どうしたんですか、ティセナさん」
「っだああああ!?」
話しかけられてハッと我に返ったらしい、ティセナ様は、ライトブラウンの髪をぐしゃぐしゃ掻き毟った。
「着の身着のまま脱獄して来たってのに、帝国領内を、あの格好でうろついてるわけぇー!?」
慌てふためく理由がピンと来ずに、ぽかんとしている私たちに向かって、
「探して連れ戻さないと――シェリー、一緒に来て! ルシード、留守番お願いッ」
矢継ぎ早に指示。
返事を待つ間も惜しいというように、ティセナ様は、窓から北へと飛び出していった。
×××××
(これから、どうしたらいいのかしら……)
グローサイン南部・デルフゼイムへ足を伸ばしながら、レイラは途方に暮れていた。
父と自分の汚名を晴らすため、脱獄という選択をしたものの、具体的に何をすれば良いのか皆目見当がつかない。
天使に案内された 『ヤドリギ』 は、あまりにも長閑な雰囲気のこぢんまりした宿で。
獄中生活を強いられ張り詰めていた神経が緩むにつれ――圧倒的な不安と焦燥に襲われた。こんなふうに、無為に時を費やすわけにはいかないと。
けれど今、あてどなく街を彷徨っている己を顧みると、いっそう世界から取り残されたような心細さに浸される。
だんだん陽が暮れてきたし、ククタの村へ引き返すべきなのだろうが、収穫ひとつも無しに戻る気分にはなれなかった。
「……ふう」
雑踏を縫うように歩き続けていると、不意に、道端から呼び止められた。
「もし、そこのお方!」
聞き覚えがない声ね、と思いながら振り返ってみれば、
「その軍服! あなた様は、帝国の騎士様でいらっしゃいますか?」
せかせかと手揉みしつつ愛想笑いを浮かべ立っているのは、やはり見知らぬ男である。
「え? ええ」
「やはり! 今夜の宿は、もうお決まりですか?」
「いいえ、まだだけど――」
相手の意図が分からず戸惑うレイラに、
「それは良かった、なんたる幸運! ぜひ、我が宿にお越しくださいませ。もちろん最上級の部屋をご用意しますので」
客引きであるらしい男は、押しの一手でたたみ掛ける。
「あの、私は」
「なあに、料金は格安に値引きします。なんなら無料でもかまいませんよ? 帝国騎士様がお泊りになったとなれば、我が宿の格も上がります! はっはっは」
……結局。
勧誘を断りきれなかったレイラは、宿屋とも高級ホテルとも表現しがたい中途半端な建物の、最上階へ押し込められていた。
(軍服だからって、こんな待遇を受けるの……居心地悪いわね)
余裕で数日旅を続けられる金銭を、必要経費という名目で、天使から渡されていたものの――未だ “勇者”の任務に赴くことなく、生活の面倒を見てもらっている状態自体がストレスになっているという、悪循環。
牢でティセナの手を取ったときは、賭けに近い勢いだったが。
彼女こそ、どうして見知らぬ人間に過ぎない自分を、連れ出したりしたんだろう? 無実の罪と、察してもらえたことは嬉しかったけれど……。
ベッドサイドに腰を下ろし、つらつら考え込んでいると急に階下が騒がしくなった。
「?」
複数の嘶き、なにか揉めているような話し声が、かすかに外から響いてくる。
夜も更けてきたし、泥酔した通行人が暴れているんだろうかと――厚手のカーテンを半分ほど開け、深く考えずに門扉付近の様子を窺った。
「あの騎士様が、ですか? なにかの間違いでは」
「グローサインの軍服を着た、若い金髪の娘だろう?」
「は、はい」
萎縮もあらわに応対している、従業員が数名。
「そいつはレイラ・ヴィグリード。皇帝エンディミオン様に謀反を企て、往生際悪くも脱獄した裏切り者だ!」
距離は遠くとも、はっきり聞こえた自分の名と、
「どえええっ!? そんな感じじゃなかったですけど……」
「黙れ。女は、どこにいる? 隠し立ては貴様らの為にもならんぞ」
漆黒を纏い、帯刀した男たちの姿に、レイラは後ずさりながらカーテンを閉ざす。
(追っ手――こんな、国境の町にまで!?)
とっさに剣を取ろうとした右手は、宙に浮き。自分が丸腰であるという事実に、茫然自失で立ち尽くした。
そう、少し偵察に出るだけだからと軽率にも、ろくな武具を身につけず。
「シェリーちゃん今日も絶好調ぉー、勇者様、発見です!!」
「よし、お手柄っ」
そこへ天井を蹴破るようなスピードで、天使と妖精が飛び込んできた。
「なにやってんのレイラ、逃げるよ!」
「ティセナ?」
目を白黒させている勇者の向かいに降り立った、彼女はホッと表情を緩めたと思いきや怒鳴り散らす。
「なんだってこう突拍子もない行動とりますかねえ純粋培養の騎士様は!?」
「え、え、ちょっと待って!」
ぐいと腕を引っぱられた、レイラはおたおたと踏み止まり。
「食事したのよ。顔を洗ったり、ベッドシーツも乱しちゃったから、代金――」
「……律儀な」
財布から紙幣数枚を取りだす様子を見つめ、ティセナはがっくりと頭を抱えた。
「けど、このまま逃げるのはマズイか」
そうして窓辺に視線をやり、申し訳なさに縮こまっている勇者を眺め下ろして、むうと一唸り。
「私ちょっと、囮になってくるから。二人で先に、宿へ帰ってて」
ぽんと空気が弾けたそこには、まるで等身大の鏡を置いたように “レイラ・ヴィグリード” が立っていた。
「!?」
ぎょっと後退るこちらの反応に、くすくす笑みをこぼす娘は、造作から服装までレイラそのものだったが――唯一、細身の剣を腰に帯びている点が異なっている。
(ああ、そうか……彼女は “変身” できるんだったわね)
一拍遅れて思い出し、治まらぬ動悸に胸を押さえているレイラとは対照的に、
「コントロール、お願いね。シェリー?」
「おっまかせを!」
明るく応じた妖精は、慣れているんだろう。微塵も動揺していない。
次の瞬間、レイラは身構える間もなく――脱獄の夜に味わった、浮遊感に再び押し流された。
「あのねえ、レイラさん。帝国初の女性騎士なんでしょう?」
約一時間後。
「グローサインの徽章つけた黒軍服がわんさか歩いてても、女っていったら一人だけなんだよね?」
なんとなくフローリングに正座した、レイラは天使に説教されていた。
「謀反云々がでっち上げだろうと、冤罪を証明しない限りは、脱獄犯扱いのままで。レイゼフート近辺を捜索しても発見されなかったら、国内外に通達が回るに決まってるじゃない」
まったくホントにもう、とティセナは唇を尖らせる。
「危機感なさすぎ。今のあなたは、指名手配されてるお尋ね者なんだって! 本当に分かってる?」
「……ごめんなさい」
返す言葉がなく、うなだれている背後から。
「うっかりなんですよ悪気ないんです、きっと。考え事してると、それで頭いっぱいになっちゃうから細かいこと忘れちゃうんです! ああっ、なんだか他人事とは思えない」
「フロリンもですぅ〜」
「まあ、非日常に放り込まれて冷静さ保つって、至難の業だよな」
男天使ルシードと、妖精たちの会話内容が、ひそひそと聞こえてなおさら肩身が狭い。
「だけど、この宿に匿われて、ぼんやり休んでいるだけなんて――」
「じゃあ、その軍服を着る意味は? あるの? 捕まりに戻りたかったワケ?」
「…………」
ささやかな反論はあっさり封じられて、室内に重苦しい沈黙が落ちる。
「あのね、レイラ。どのくらい自覚があったか知らないけど、あなた、投獄生活にそうとう体力削られてたんだよ? 気力や集中力もね――軍人さんらしくもなく、丸腰で出歩いてたのがイイ証拠」
「え?」
「まあ、なにも指示しないまま、目を離してた私も悪かったけど」
ふうと溜息をついたティセナは、壁際のソファに歩み寄ると、手にしたレイピアを差し出してきた。
「とりあえず、これ。徒手空拳じゃあ落ち着かないでしょ」
「……私が、もらっていいの?」
素直に受け取ることが、ためらわれ。レイラは自嘲混じりにつぶやく。
「騎士の地位を剥奪された、脱獄犯なのに――あなたの使命の、ジャマにならない?」
「生きててくれるなら、それでいいよ」
天使は、ぽつりと答えた。
「死んじゃったらそれっきりで、助けに行くことさえ出来ないから……命を溝に捨てるような真似、しないでくれたら何だっていいよ」
妙に塞いだ口調から一転、おどけた仕草で片目を瞑る。
「それに、アーマーはともかくレイピアなんて、他に使う勇者いないんだけど?」
「分かったわ。二度と、軽はずみな行動はしないから」
ティセナの物言いに拍子抜けながら、ふと笑い返したレイラは頷いて、新たな決意とともに武器を携えた。
ゲーム中、捕まえられるものならやってみろと言わんばかりの服装で歩き回っているレイラさん……どうして追っ手に見つからないんだ。天使の加護があるからか? 常識で考えれば自殺行為じゃなかろーかと思うのは、野暮でしょうか。