◆ グローサイン帝国侵攻(4)
朝陽差す空の下、クレージュ公国からククタへ帰りついたとき、拠点たる宿屋には天使も妖精もいなかった。
どうしたものかと戸惑いつつ、まず入浴を終え、ルイーゼが作ってくれた朝食を摂り――部屋で、レイピアや鎧の手入れをしていると。
「あ、おはよ」
ガチャッとドアが開いて、外出から戻ってきたらしいティセナが顔を覗かせた。
「帰り道にも間に合わなかったかー。ごめんね、同行できなくって……」
そうしてスタスタ近寄ってきて、勇者の手元に目を留める。
「グラーツの住民は無事避難できたって、妖精から聞いたけど。レイラは、だいじょうぶだった?」
「ええ。思ったほどの数ではなかったし、それに――」
問いに頷いて、黒髪の剣士に助けられたことをオールポーションの礼も含め伝えると、天使は小さく笑う。
「ああ、会った? クライヴ」
「……彼、クライヴって言うの?」
「うん、クライヴ・セイングレント」
どうやらそれが、あのとき聞きそびれた青年の名前らしかった。
「ちょっと私が、上に呼ばれて動けなくてね。ルシードも、魔導士の女の子に同行中で手が離せなかったから、もし帝国軍が辺境まで攻めてきたときは――って、頼んどいたの」
(上? ……ああ、天界へ行っていたのね)
「担当区域ってわけじゃないけど、レイラには、やっぱりグローサイン絡みの事件を頼むことになるだろうし――クライヴは、アンデッドが起こす騒ぎ専門で、寒冷地を旅してるから、これから先もちょくちょく現場で顔を合わせると思う」
「ちょくちょく?」
「帝国軍、ひとりで相手するのは無理でしょ。なるべく共闘してもらった方が良いかなって」
事も無げにティセナは言うが。
「だけど彼、ヴァンパイアハンターなんでしょう……?」
レイラには、かなり気後れする話だった。
「私みたいな脱獄犯と一緒にいるの、目撃されたら仕事に支障が出るんじゃないかしら。この間も、なんだか迷惑そうにしていたし――」
「え?」
「あまり長居したくなさそうな感じで。話しかけても、必要最低限のことしか答えてくれなかったもの……」
渋るレイラの発言を、天使はカラカラと笑い飛ばした。
「私が勇者候補スカウトに行ったときも、二、三言しかしゃべらなかったよ。クライヴ」
「二言!?」
思わず、すっとんきょうに訊き返す。
「それで、あなたの話というか――用件は伝わったの?」
「うん。頼みたいことがあるなら来い、好きにしろって言われて。次に会いに行ったら、フツーに依頼受けてくれた」
「…………」
すると、あの寡黙さは単に性格で? 厄介事に巻き込まれて煩わしがっていた訳ではないんだろうか?
なんだか、ますます分からなくなった。
「確かに、ほとんど喋らないけど。嬉しいこととか嫌なこと、けっこう顔に出るタイプみたいだから、表情を眺めてたら判りやすいかもしれないよ」
そんな人間と、難なくコミュニケーションを成立させているらしいティセナもどうなんだろう。
しかし思い返してみると、この天使もたいがいマイペースだ。
「引っ掛かるのは、そこだけ? クライヴが迷惑じゃなかったら――背中、預けられそう?」
「それは、ちょっと……一回会っただけじゃ判断がつかないわ」
とっつきにくいというか掴みどころの無い青年である。技量云々以前に、会話を続ける自信が無い。
「――でも、強い人ね」
もしかしたら、帝国では第三騎士団を率いていた自分より。そんな印象を呟きながら、反射的に思う。
(もちろん、父ほどの手錬じゃないだろうけど)
しかし娘が誰かを父親と比べるたび、微苦笑を浮かべていた母の姿が脳裏に浮かび、とっさに口を突いて出かけた言葉は飲み込んだ。
レイラとしては、けっして身内びいきなどではなく純粋に、今は亡きラウル・ヴィグリードこそ理想の騎士と感じるのだが……親類縁者の目には、重度の “ファザーコンプレックス” と映るらしい。
そうして続く台詞といえば、
『お父さんを好きすぎるのも考えモノよね。よりにもよって軍人になるだなんて』
『せっかく母君の美貌を受け継いでおきながら、もったいない』
まったく余計なお世話だ――けれど。
叔母やイトコたちも、逮捕の理由や脱獄について報せは受けただろう。ラウルの娘の失墜を、どう思ったろう?
母は今頃、帝都で一人、どうしているだろう……。
「生きるか死ぬか、だからね。ハンターが身を置いてる世界は」
「軍人だって、命懸けで戦ってるわよ」
物思いに沈みかける頭を左右に振りつつ、反論すると、ティセナはさらっと頷いて流した。
「うん、まあそうなんだけど。相手が死霊って部分でさ」
「……そうね」
グローサイン北部は氷に閉ざされた大地、アンデッドモンスターも出没するから、ゾンビやヴァンパイアと戦ったことは何度もある。
すでに死んでいるとはいえ人の形を留め、しかも腐食したそれらを斬り払うには、敵と己に対する嫌悪が拭えなかったし――万が一、その牙に掛かろうものなら、自ら死霊に変じる可能性が付き纏う。
生理的な恐怖感を呼び起こすアンデッドを相手に、常に戦っているとすれば……体力面はともかく、精神的な重圧には計り知れないものがあった。
「だけどさ、レイラ」
急に改まった調子で、ティセナが言う。
「気が合いそうになかったら、無理にクライヴとじゃなくても良いけど――味方になってくれる人は探さなきゃ」
「えっ?」
「魔族絡みの事件が片付けば、天界はアルカヤから手を引くもの。私も、ずっと力を貸せるわけじゃない……宰相やアルベリック、それに現皇帝。グローサイン中枢の在り方は、あなたたちが変えていくしかないんだよ」
「味方、なんて――」
レイラは困惑して、うつむき唇を噛む。
「クロイツフェルド親子が権勢を振るっているから、いくら私は潔白だと訴えても、投獄されることになったんだもの。父が殺されてしまったあと……もう、彼らに意見できる者などいないわ」
「そりゃあ、張り合って勝てる人間がいたら、レイラも釈放されてただろうから。今そういう勢力が無いんだなってことは分かるよ」
天使も、困ったように眉根を寄せた。
「だからレイラには、対抗勢力を作り上げていってもらわなきゃなんだよ。こっちとしては」
「私が? クロイツフェルド親子と?」
その意味を考えてみて、こぼれた答えは自嘲まじりの溜息だった。
「……無理よ」
なにをどこまで期待して、牢獄から連れ出したのか。ティセナは自分を買いかぶりすぎている。
「私には家族と、騎士として生きる道がすべてだった。それだけに20年間を注いできたと言っても、過言ではないから――」
立場も権限も剥奪されて、謀反の濡れ衣まで着せられた。
「もう……剣を振るう、この腕しか残っていない。父を喪って、ただでさえ憔悴していた、母を巻き込むわけにはいかないもの」
軍の内情など知らぬ母に相談したとて、どうにもならず。
「 “政策を変えさせない限り、終わりは来ない” ――だったわね。クライヴからも言われたけれど」
このまま、ラリッサやグラーツでのような戦闘を繰り返しても、根本的な解決にならないことは明らか……ならば。
「あの二人を殺すしか、帝国の暴走を止める方法は無いと思う」
そうすれば、後ろ盾を失った幼帝エンディミオンも、軍の撤退を命じるだろう。
「なんとかレイゼフートに侵入して、宰相たちを暗殺する方法を考えるわ」
「……敵は、クロイツフェルド親子だけじゃないと思うよ」
武器を握りしめるレイラを、静かに見据えた、
「天界の干渉を弾くように、レイゼフートを中心に結界を張り巡らせた術師がいる。そいつも確実に一枚噛んでるはず」
天使に指摘されて思い浮かぶ、冷ややかに微笑む金髪の魔女。
「それに――傀儡政権だって噂は聞くけど、もし皇帝が、自分の意志で侵略戦争を命じていたら? 皇帝が乗り気じゃなくても、他の重鎮たちが領土拡大を望んでいたら」
そういえば、クロイツフェルド親子が妙に強気に振る舞うようになったのも……魔女セレニスが現れた頃からではなかったか?
「狙いどおり宰相を殺せても、また取り押さえられて牢獄行きになっちゃうでしょ」
逸る勇者を諌めるように、ティセナは断言した。
「ずっと一人じゃ、戦闘に勝てても、戦争には勝てないよ」
ファザコン発動レイラさん。
父の実力>クライヴ?>自分……越えられない壁>アルベリック。そんな感じで。