◆ イーヴン(1)
4月も下旬、26日。
レフカス王国のラミア地方へ侵攻してきた、帝国軍の前に立ち塞がったレイラ様は。
もう三度目になる、不利なうえにちっとも報われない戦場に立っても、めげないで―― 『こんな侵略は、帝国の誇りに反する』 って訴えたのに。
みんな 『裏切り者のくせに』 って、聞く耳持ってくれなくて。
私も、やっぱり戦うしかないんだなって観念して、援護魔法の発動体勢に入ったんだけど。
「な、なんのつもりだ!? 貴様らッ……!」
急に通りの向こうで、剣と剣のぶつかる音が膨れ上がって――レイラ様と睨み合っていた一群が、みるみるうちに薙ぎ倒されていった。
(ええっ、なに? 誰!?)
クライヴ様は、リナレス地方のルゴシュで噂になってる “すすり泣く女の声” を探りに出てるし。
アイリーン様は、レウスの避難民をアルクマールへ護衛中。
ロクス様も、ティセナ様と一緒に、アレス地方のマナウスを荒らしまわってる盗賊団をとっ捕まえに行ったはずで。
ブラシア近隣で、夜中に人を襲うモンスターが出没するっていう事件は、ルディエール様がルシード様と調べに向かった。
だから今回は、誰の助けも期待出来ないはずだったんだけど。
もしかしたらアイリーン様が、帝国軍の動向を聞いて駆けつけてくれたんだろうか? ……と思ったら、実際はまったく違っていて。
「隊長! ご無事ですか?」
ぶっ飛ばされて昏倒した帝国兵を見下ろして、ふうっと一息ついて、レイラ様に声をかけてきたのは帝国兵だった。
(仲間割れって感じでもないけど……隊長?)
支給品なんだろう。武器や鎧にも鷲模様の徽章が刻まれてる、似たり寄ったりな黒っぽい格好をしていて――どっからどー見ても、グローサインの軍人さん。
「あ、あなたたち!?」
レイラ様は私以上に、セイラーブルーの瞳をびっくり瞠って。
「お久しぶりです、隊長!」
「なんてことを……早く、ここから逃げなさい!」
彼らに駆け寄っていくと、焦って辺りを見回しながら、叱るような口調でまくしたてた。
「なにも聞いていないの? 私に掛かった嫌疑や、牢から逃げて追われていること――こんなところを誰かに目撃されたら、あなたたちまで疑われてしまうわ!」
「もちろん。最悪、国に戻れなくなるかもしれないと、覚悟の上です」
「アルベリックの目の前で、素性不明の騎士に連れ去られたらしいって、軍部は大騒ぎだったんですよ」
口々に答える兵士たちは、どうやらレイラ様の元部下らしかった。
「それに、隊長を裏切り者と決め付けている連中が居ちゃ、ゆっくり話も出来ませんから」
「噂は聞き及んでいました。あちこちで帝国軍を阻み、侵略行為の中止を訴えているらしいと……あの石頭どもに捕まってしまう前に、お会い出来て良かった」
ぴしっと敬礼した、彼らの態度には、敵意や殺気の欠片も感じられなくて。
「隊長の行方が分からなくなってから、いろいろな噂が流れたのですが――自分たちは、今でも隊長を信じています!」
それどころか労るような、優しい雰囲気に満ちていて。
レイラ様が、慕われる隊長さんだったんだなぁって良く分かった。
「……ありがとう」
うつむいた勇者様が、きゅっと唇を噛んだのは、気を緩めたら嬉しくて泣いちゃいそうだったからかもしれなかった。
それから、人目に付きにくい林へ場所を移して。
レイラ様は、脱獄に至った経緯から今までのことを、天界云々はテキトーにぼかして――たぶん、ティセナ様と打ち合わせてたんだろう――グローサイン中枢の不穏な動きを警戒した、流れの傭兵組織に救出されたっていうふうに説明してた。
二十人近い元部下さんたちは、元隊長が潔白だってことは、言われるまでもなく解ってるみたいで。
「やっぱり……! そんなこったろーと思いましたよ!」
彼女が投獄された後ちょくちょく面会に行ってたっていう、宰相の息子の言動を、根掘り葉掘りかなり詳しく――気まずげに話し渋るレイラ様に、揃って 『疑いを晴らす為にも大切なことなんですよ!』 と一歩も譲らず、聞き出して。
「アルベリックの野郎、ふざけやがって!」
「自分が殺した将軍の娘さんに求婚って、どんだけ根性腐ってんだアイツはぁ!?」
「しかもプロポーズを受ければ牢から出してやるって、脅しじゃねーか! 無実かどうか分かんなくたって、惚れた相手が捕まって処刑されそうになってたら、無条件に庇って助けようとするのがフツーだろ?」
「ああ、まったくだ! 胡散臭いと思ってたけど、いよいよ間違いねえ……親子でグルになって、政敵のヴィグリード父娘を陥れたんだな」
一致団結、握りこぶしで猛然と怒りだした。
「やっぱり、あんな奴らを陛下のお傍に置いてちゃ、帝国は腐っちまう!」
「エンディミオン様が年若くて、強くは振る舞えないのを良いことに、宰相だ後見人だからって好き放題やりやがって――」
ひとしきり、クロイツフェルド親子を話題に毒づいたあと、彼らは言った。
「今から本隊へ引き返して、カイゼル将軍に相談してみます」
「カイゼル将軍が? 近くへ来ているの?」
「……はい」
六王国侵攻に際して軍本部から出た命令は、おおまかに分けて、みっつ。
紅月王の生まれ変わり、皇帝エンディミオンの名に於いて、千年前の領地を取り戻すこと。
帝国に従わない、特にギルド所属の魔導士は皆殺しに。
極めつけは――グローサインの権勢示す為にも、民間人といえど軍に盾突くなら、力ずくで排除してかまわないと。
「そんな……一部の兵士が、暴走しているわけじゃなかったの」
レイラ様の表情が、ざぁっと褪せた。
「喜び勇んで暴行や略奪行為に及ぶ者たちを、帝国の恥と捉えても――領土奪還そのものは是と考えている兵士は、かなりいます」
「しかし、国土が広がれば統治も行き届きにくい……誰がグローサインを脅かしている訳でもない世に、しかも実質的には陛下ではなく宰相の命令で、侵略戦争を起こす意義があるのかと、疑問に思っている者も少なくありません」
「隊長が反逆罪で捕まったこと、なにより “隻腕のラウル” が、アルベリックごときに負けるはずないと……誰より解っていらっしゃるのは、長い間、お父上とともに戦場を駆け抜けてきたカイゼル将軍でしょうから」
そもそも後継者問題を巡る決闘は、ラウル・ヴィグリードが圧倒的なほど優勢だった。
実力差は歴然としていたのに。
激しく斬り結んだ衝撃に、アルベリックの武器が折れて。観客から借りた剣に持ち替えた、とたん――戦況は狂った。
まるで剣に操られたごとく、猛攻に転じたアルベリックとは逆に。
何かに呪われたように、手足の自由を奪われたように、身のこなしが鈍った猛将は敗北した。
そうして死を迎えた……新皇帝を決める争いの中、次々と謎の死を遂げていった、エンディミオン以外の王子たちのように。
アルベリックに、新たな剣を渡した観客は、ユルスト大公に寄り添う魔女セレニス。
どう考えても不自然であるし、怪しい。
表だって疑念を口にする者がいないのは、ヴィグリード将軍が殺された衝撃と、恐怖心からだったろうが。
「すべては奴らが仕組んだ結果だったと判れば――迷いながら命令に従っていた兵士たちも、現政権に反旗を翻すでしょう」
「隊長が生きて、クロイツフェルド親子に立ち向かっていると判れば、なおさらです」
元部下さんたちが熱っぽく訴えて。
「そうね、お願い。手を貸して」
レイラ様は、覚悟を決めたように頷いた。
「本当は、私が直接、カイゼル将軍に会いに行けたら良いんでしょうけど……他の将校に見つかったら、話どころではなくなってしまうものね」
「そうですよ。ここは、自分たちに任せてください!」
六王国へ攻め入った軍の最終目的地は、もっと南、バーゼルのアルクマールらしい。
あれこれ話し合ったレイラ様たちは、ひとまず五日後、ここから西に位置するラナス王国のイエーナで落ち合うことに決めた。
予定進路から外れたラナス領内でなら、この人数で待ち合わせても、他の兵士たちの目に触れることなく済むし――進軍再開がそれより早かった場合にも、すぐ騒ぎが伝わってくるだろうって。
「これ以上、帝国の名誉を汚させるわけにはいきません!」
意気込む彼らと、手を振って別れたあと。
「良かったですねっ、レイラ様!」
「ええ。ありがとう」
イエーナへ続く街道を歩きながら、勇者様は、久しぶりに晴れやかに笑っていた。
もしかしたら、牢屋から助け出された夜以来かもしれない……美人さんだけど、いっつも思い詰めた顔してたから。
「それじゃ、ティセナ様に報告してきまーす♪」
「分かったわ。私は、街のどこかで宿を借りて待機しているから」
頷いたレイラ様は、軍服の上から、ワンピースにも見えるデザインの長衣を羽織って。
ふわふわした目立つ金髪は、くるっと後ろに束ねてる。
そうしてしまうと、普通にキレイな女のヒトって感じで、どっからどう見てもレイゼフートから逃げてきた帝国騎士には思えない。
『戦闘時外は、追っ手に見咎められないような格好をすること』
リスクが高いと解っていても、やっぱり軍服は捨てたくない、脱ぎたくないというレイラ様に――ティセナ様が提案した、妥協案だった。
どんな資質を持ってたって、勇者様は生身の人間。
無茶な戦いに挑んだら死んじゃうんだから。
インフォスのときも、アルカヤでも、スカウトした勇者様の人数はたいして変わらないけど。
レイヴ様は一国の騎士団を動かせる立場の人だったし、アーシェ様も、クーデター制圧には友好諸国の支援を受けたりしていた。
個々の事件解決はともかく、アルカヤ全土を守ろうと考えたら、敵と互角以上に戦おうと思ったら……彼女たちに手を貸してくれる人間は、いくら居たって足りないくらいなんだ。
(これで、すんなり上手くいったら良いなぁ)
地上界守護の仕事が、そんなにとんとん拍子に進まないってことは、前の任務で経験して解ってるはずだったのに。
軍人って呼ばれる人種に、融通利かない頑固者ってイメージもあったのに。
アレス地方へ向かって飛びながら――噂のカイゼル将軍がどんな人物か確かめに、元部下さんたちを追ってみることにまで、気が回らなかった私は――侵略戦争という事態に対して、危機感が足りなかったんだろうと思う。
元部下たちが味方してくれたとき。レイラがどんだけ嬉しかったかは、想像に難くなく……そのぶん後のストーリー展開はきついですね。