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◆ 破落戸(2)


 ターゲットとの初対面を終え、酒場を後に。

(警戒心はそれなり、か……まあ、そう簡単に引っ掛かられちゃあ面白味がねえな)

 ゴロツキ紛いの環境に入り浸れど、温室育ち臭が抜け切れぬ “次期教皇” を思い返し――ほくそ笑みながら、歩きだして五分と進まぬところで。
「……チッ!」
 もはや日常の一部と化した、喀血に見舞われた。
 酒場の客や通行人に見咎められては面倒だと、舌打ちしつつ、ネオンや喧騒から切り離された一角へ転がり込み。
(ったく、不治の病なんてガラかよ? 俺が)
 吐き散らした鮮血は、物陰では影に同化する。こうしているぶんには、酔っ払いが吐瀉物をぶちまけているようにしか映るまい。
 ましてや見ず知らずの他人にかまう物好きなど……夜の街をうろついているはず、なかったんだが。

「ど、どうしたの!?」

 なんだ? と訝しむ間もなく、路地裏に這いつくばっていたヴァイパーの身体は、華奢な腕に抱き起こされる。
 悲鳴を響かせ、ばたばたと駆け寄って来たのは。
 少女ともオンナとも呼びにくい年頃の、ここいらでは見かけない娘だった。
「……触んな、服が汚れるぞ」
 やや乱雑に肘を払い上げ、相手の肩先を押し退ける。
 冬も終わろうという季節に黒のロングコートを着ていて、多少汚れても目立ちはしないだろうが、クリーニング代云々と文句つけられては始末が悪い。
 しかしそいつはアイスグリーンの瞳を三角に、ヒトの手首を押さえつけてきた。
「どうでもいいよ、そんなの!」
 女という性差を考慮しても弱い力、振りほどこうと思えば容易だったろうが――細い指先から、きらきらと淡緑の光がこぼれだしたのを見とめ、ヴァイパーはわずかに目を瞠った。
(魔導士……? いや、待てよ)
 急速に楽になった呼吸が、その解釈に異を唱える。
 六王国を中心に、魔導と呼ばれる “力” を駆使する人間がいることは事実だが、連中の能力は 『自然物を操る』 か 『呪殺』 に特化しており、魔物と変わらず忌み嫌われる存在だ。
 薬草を材料に、ポーションやミルラといった回復薬を精製する技能こそあれど。
 治療や癒しといった本質は、それこそ次期教皇、ロクス・ラス・フロレスが持つという “癒しの手” にしか――
「どこが悪いの? 肺?」
 きょろきょろと視線を巡らす娘の背に、薄く透ける一対の翼を見とめ。
(こいつ、天使か)
 思い至ったヴァイパーは、隻眼を眇めた。
「とにかく病院に、ああでも……こんな時間じゃ閉まっちゃってるかな。場所も分かんないし」

 呼吸のように、やわらかな明滅を繰り返す。
 魔女セレニスとは真逆の、純白。

 勇者になった奴が近くにいる以上、庇護者が現れてもおかしくなかった訳だが――不意打ちにも程がある。どう接したものか。
「ちょっと、待っててね? 知り合いが、近くの店にいるはずだから」
 己の手に余ると判断したらしく、治癒魔法を受けてなお咳き込むヴァイパーの上体を、壁に凭れさせた天使は 「呼んで来る」 と踵を返しかける。
(おいおい、呼ぶってロクスをかよ?)
 訊ねるまでもなくそうだろう。近いうち勝負ふっ掛けようって相手に、病人扱いされてたまるか。

「おまえ、ちょっと膝貸せ」
「うわ!?」

 手首を掴み引っぱり戻せば、バランスを崩した天使は後方へよろめき。尻もちをついたまま猛然と抗議する。
「なにすんのよ、もう!」
「いったん血塗れになっちまえば、洗濯の手間は同じだろ」
 イイ感じの高さに投げ出された太ももを枕代わりに、寝転がったヴァイパーは大きく息を吐いた。
「あの……」
「なんだよ」
 喀血はしつこく止まらず、だが、気管を塞ぐほどじゃない。
「病院、行かないと。運んでもらわなきゃ」
 クソ真面目に提案してきた天使の表情には、困惑と気遣いが入り混じっているだけで――ごく一般的な羞恥だの、膝枕を強いられた不満の類はまるっきり含まれていなかった。
 冷静を通りこした無頓着さに、肩透かしを食らったヴァイパーは苦笑する。
 人間の女なら、きゃーと叫んで平手打ちか、せめて赤面して然るべきところだろうに。
「どこの診療医を叩き起こすつもりだ? ……放っときゃ治まる」
「……ごめんね」
 脈絡なく謝罪した天使は、気落ちした様子で。
「ここに来たのがクレア様だったら、ちゃんと病気も診てくれたはずなのに、ね」
「クレア様? 誰だそりゃ」
「お医者さん、だけど――もういないの」
 自分では怪我の治療しか出来ない、としょげ返る。おかしな奴だ。
「べつに治して欲しくなんかねえよ」
「死ぬの、怖くないの?」
 わずかに唇を尖らせ、納得いかないと言いたげに問いかける仕草も、ひどく幼い。
「おまえは怖いのか?」
「分かんない……けど、血は嫌い。痛そうなのも嫌い」
 コートの裾を握りしめた天使が頑なに訴える。けれどヴァイパーは肩をすくめ、首を横に振った。
「俺には、たいした問題じゃねえな」
 セレニス曰く。
 生身に非ざるアストラル体の識別は、資質者でなければ、棺桶に片足突っ込んだ人間にしか出来ないという。要するに、死期が迫っている証拠だ。
「どうせ治りゃしねえのに、くたびれたオッサンと診察室で顔つき合わせて過ごす方が、時間の無駄ってモンだろ?」
「誰がくたびれたオッサンよ? クレア様、世界で一番キレイな人なんだから!」
 とたん天使は、ぷりぷりと怒りだす。
「へえ、女医か?」
「そうです! っていうか、名前で判らない?」
「知るかよ。俺の名前だって、略せば “クレア” になるんだしな」
「へ?」

 むくれ顔から一転、すっとんきょうな声を上げた “天の御遣” いは、後にも先にも類を見ないマヌケ面をさらしていた。

「あなた、名前なんて言うの」
「クラレンス・ランゲラックだ――おまえは?」
「ティセナ・バーデュア、だけど」
 まじまじとヴァイパーを眺め、聞き違いじゃないかと疑っているように訊き直す。
「クラレンス、が? 略したら、クレア?」
「世間一般で使う、愛称がな」
 まあ、女はともかく男なら、ほぼ幼少期に限ったことだろう。なにより、
「俺は “ヴァイパー” って通り名がついてるから、そんな呼び方する奴はいないが」
「やだ……」
 ぽかんと目を瞠っていた、天使は、やがて弾けるように笑いだした。
「なんか変っ、絶対おかしい有り得ない! どう考えたって響きからして女のヒトの名前でしょー!?」
「おい、こら! 笑うな揺らすな、血ィ撒くぞ!?」
 体内の異物が逆流するような感覚に、たまらずヴァイパーが抗議すると。
「ご、ごめん」
 堪えるように顔を背け、腹と口は手で押さえ、ひとしきり笑い転げてから思い出したように訊ねる。
「……少しは楽?」
「ま、地べたよりはな」
 柔らかさに文句はない。さらに色気があれば、また違った楽しみようもあるんだが――こいつには、期待するだけ徒労に終わりそうだ。
「そりゃあ、ねえ」
 頬笑んだティセナは、それきり黙って夜空を仰いでいた。


「口ん中が気持ち悪りぃ……川に行く」
「近くにあるの? これ、すすいで来よっと」


 やがてヴァイパーが身を起こすと、でろでろになったコートを小脇に抱え、後を追うように歩きだした。
 そうして上着を脱いでしまうと、ワンピースと呼ぶにも風変わりなデザインの、やたら露出が派手な格好をしていて――どっちにしろ季節外れな。
「おまえ、どっか行く途中だったんじゃねえのか」
 金の装飾具が、ネオンに映えて眩い。
「そうだけど。べつに時間まで、約束してた訳じゃないし……これ見つかったら、まるで私がケンカしてきたみたいじゃない?」
「不良にからまれたのか、って心配が先だろ? 普通は」
「んー、前科者だからなぁ。とりあえず水洗いして、川に落としたってごまかしとくよ」
 けらけらと笑い飛ばした天使は、さりげに物騒なことを言った。

 河原へは、徒歩10分程度でたどり着き。
 ざばざばと水をあおるヴァイパーの傍ら、コートの洗濯に勤しむ天使。 

「しかしおまえ、初対面のヤローに軽々しく膝貸したうえ、こんな暗がりに付き合うなよ――敵が悪けりゃ、喰われちまうぞ」
 一応は、親切心のつもりで忠告したのだが。
「くわれる? ……マンイーター出るの? この辺り」
 きょとんと首をひねったティセナは再び、まったく見当外れな反応を寄こす。
「そんなに物騒だなんて知らなかったけど――だいじょうぶ! 私、強いから。モンスターの一匹や二匹ひとひねりよ」
「ガキか、おまえ」
「なにが?」
 不満そうな天使に、くっくっと笑いながらヴァイパーは応じた。
「……そうだな。次に会ったら、教えてやるよ」
 裏社会を舐めてかかった、世間知らずのお人好しがどういった目に遭うのかを。



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好きキャラ、ヴァイパー。男性名・クラレンスの愛称が 『クレア』 というのは、辞書に載っとりました。変な略し方……と思う。