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◆ 再会(1)


 冬も過ぎ去り、3月。
 タルラックの街道を塞いでいたヴェノム、さらにはセミララ山岳を飛び交い旅人を襲っていた、怪鳥退治と――レグランス領内で発生したトラブルを連続で片付け。
 やや疲労の蓄積しつつあるルディエールに薬草系アイテムを届けるべく、いったん天界へと帰還したルシードが。
 フロー宮の主・ラツィエルと15分ほど雑談を交わし、荷を抱えてアルカヤへ戻ってみれば。

「あ」
「あなた……」

 勇者は、スラムの街路にて。
 いつぞやガウハーティからの帰り道、子供を助けたときに顔を合わせたポニーテールの娘と、ばったり出くわしていた。
「こんにちは、特使様」
 先日はありがとうございました、と律儀に挨拶されたルディエールは、
「いや、そんな。畏まらないでくれよ? べつに仕事だからってワケじゃないけど、あのときの衛兵みたいな連中を野放しには出来なかっただけで」
 弱ったようにガシガシと、赤銅色の髪を掻いた。
「被害者の君たちに、礼を言われるようなことじゃないんだからさ――」
 すると娘は不思議そうに、ルディエールを見つめ訊ねる。
「ねえ……あなた、貴族なの? それにしては、ずいぶん気さくっていうか。ざっくばらんだけど」
「一応ね。地方の視察みたいなことをやってる」
「ふうん、貴族にもマトモな人がいるのね」
 ほんの少し警戒の滲んでいた視線がすっかり和らぎ、彼女はあらためて自己紹介をした。
「私、サヴィア・ルーヴェンス。あなたの名前は?」
「俺? ルディ――」
 問われた勇者は、答えかけるもハッと口を噤み。
「……ルディ・トライア」
 なぜかフルネームを名乗ろうとはしなかった。どうやらレグランスの第二王子だとは知られたくないらしい。
「ねえ、ルディ。特使って、あちこち他国へ足を伸ばしたりもするんでしょう?」
「え? まあ、うん」
「それじゃあ。先を急いでないなら、広場に寄っていかない? あなたの旅の話を聞かせて」
「広場?」
「青空教室って言うのかな? 天気の良い日は、いつも午後から近所の子供たちを集めて、読み書きや算数を教えてるの」
 屈託ない笑顔で話しかけながら、
「だけど地理がね。教材になりそうなもの、古い地図しか無くって――私も、レグランスの外に出たことないから、ヤンチャ盛りの子が興味を持ってくれるような話をなかなか思いつけないのよ」
 そこで気恥ずかしげに肩をすくめ、携えていた買い物カゴを揺らしてみせる。
「粗末な食材ばかりだから、口に合うかどうか分からないけど。お昼ごはんくらい出すわよ?」
 しかしルディエールは、ぽかんと突っ立ったまま答えず。
「馴れ馴れしすぎた、かしら……ごめんなさい」
 うつむき加減に謝られてから、ようやく大慌てで 「いや、行くよ! 喜んでッ」 と声を張り上げた。
「いいの? 本当は、なにか他に用事が」
「そんなことないって! だけど俺の方こそ、迷惑にならないか? こないだの男の子――レオニ、だっけ。また怯えちまうんじゃ」
「うーん。始めはちょっと戸惑う、かもしれないわね」
 でも、と考えを巡らすように空を仰いだ、
「恩人さんのことを誤解したまま、にはさせたくないの。横暴な貴族には気をつけなくちゃいけない、だけど、あなたを怖がる必要は無いんだって……レオニったら、お礼も言わず終いだったものね」
「お、恩人って! そんな立派なモンじゃ」
「あら、いくら貴族の特使様だって――厳めしい衛兵の集団に立ち向かえる人間なんて、そうそういないわ。ルディは、勇敢で優しい。もっと自信を持って良いんじゃないの?」
 サヴィアが肯いて微笑んだ、とたん。
「えっ!?」
 ぶしゅうと湯気が立ちそうな勢いで、ルディエールは耳まで林檎色に染まりあがった。
「広場、騒がしくて落ち着かないかもしれないけど……良かったら」
 きょとんとライラックの瞳を瞬いたサヴィアがまた、つられたように頬を赤くして。
「もちろん! ――あ、荷物持つよ。貸して」
「そんな、ただでさ時間をもらってるのに悪いわ。野菜ぎゅうぎゅう詰めで重いのよ?」
「だから遠慮しないでくれって。昼メシ食わせてもらうんだし、これくらい――」

 うららかな昼下がり。
 勇者と連れの女性は、買い物カゴを引っ張り合いつつ路地の向こうへ並んで歩いていった。

 話しかけるタイミングを逃したルシードは、ぷかぷか宙に浮きつつ黙考する。
 あんなふうに仲良さげにしている男女を尾行する、という行為は確か、地上界ではひどく嫌われるものだったはずだ。
 だから自分は、ここでルディエールの帰りを待っていた方が良いんだろう。
(なんつったっけなぁ……? なんか動物っぽい、その状態を指す単語があったはずなんだけどな)
 トラ、カバ、ウサギ、モモンガ、イヌ、イルカ、タツノオトシゴ、ウマ、ネズミ――と、以前、書庫で見た図鑑の記述を順に思い返していくうちに、待ち時間はのんびり流れていった。



 そうして、少しずつ陽も傾いてきた時刻。
「デバガメかっ!」
 ようやく正解にたどり着いてぽんと手を打つと同時に、うわずった叫びが背後から響きわたった。
「ル、ルシード……まさか、見てたのか!?」
 路地の奥から全速力で詰め寄ってきた、ルディエールは、狼狽もあらわに顔を赤らめ問い質す。
 しかし振り返った天使は、おもむろに満面笑顔で宣言した。
「いーや俺は耐えた、そんでもって思い出した!」
「なにを?」
「覗きイコール、デバガメだな!?」
「は? まあ、そうとも言うな」
「だよなー、すっきりした! いったん気になりだすとモヤモヤしてしょうがねえんだよなぁ、こういうの」
「……変なヤツ」
 ぽそっと評価をもらす勇者だが、ひとり嬉々と納得しているルシードは聞いちゃいなかった。
「これでメシもさくさく喉を通るってもんだぜ――あ、そうそう。あの姉ちゃんの料理はどうだった? 美味かった?」
 天使の発言に、指差して抗議するルディエール。
「やっぱり見てたんじゃないか、どこまで!?」
「おまえ探しに降りたら、ちょうどサヴィアと話してるとこでさぁ。あの子に誘われて、路地の角を曲がって消えるとこまでは、たまたま偶然」
「本当に?」
「嘘ついてどーすんだよ。けど、なあ……なんで人間界の風習じゃ、やたらめったら見物禁止のものが多いんだ? 覗かれてマズイことでもしてんのか」
「してないッ!!」
 とうとう勇者は、飛び跳ねて怒りだした。

 ……人間とは気難しい生き物である。

×××××


 大工仕事に勤しむ男や、井戸端会議に花を咲かせる女たち。
 サンザシの樹に群がり実をかじる子供のほど近く、ゴミ箱をあさるカラスと猫がケンカして、洗濯物は庭からはみ出しひるがえる。
 そんな雑踏を、西へ向け進みながら。
「レグランスって、五十年くらい前に東西合併して出来た国なんだっけ?」
 ふと漏らした呟きから、歴史に関する話になった。
「ああ。商業が盛んで裕福だった旧西方王国に比べると、東は、土地も痩せてて――父さん――先王の代で、だいぶ軋轢は減ったけど。それでも貧富の差や、差別意識は埋まらなくて」
 ルディエールは肯いて、あれこれ教えてくれるものの。
「本当なら、地方と王宮の橋渡しを務めてもらわなきゃならない、貴族層のほとんどが私欲を肥やしてる有り様だからな……兄さんも手を焼いてるみたいだ」
 国の治安を脅かす事柄とあっては、さすがに横顔も晴れず。ぼやくように溜息まじりに言う。
「最近じゃゲリラっていうか――過激派の武装組織と、王立軍の衝突も絶えなくてさ」
「内乱ってことか?」
 のどかな気候と裏腹に、レグランスの内情はかなり不安定であるようだ。
「そう……問題はたくさんある。俺を生んだ母親は、東方の血を引く者だから、きっといろいろあったと思う。今の俺なんかよりも、ずっと……」
「母親? シェムリア様って人か? 青っぽい銀髪で、上品な――宮殿でちらっと見かけたけど」
「彼女は、生粋の西方出身だよ。兄さんの母さん」
「……兄さんの母さんなら、おまえの母さんだろ?」
「いや、義理の母なんだ。兄さんと俺は異母兄弟」
 勇者は笑って首を横に振ったが、ルシードは説明についていけず首をひねる。
「…………悪い、まったく分からん」
「へ?」
「俺たちには、両親っていないんだよ。天使は、光の塊から生まれるからな」
 ルディエールは 「へえーっ」 と目を瞠った。
「だからその、義理? とか言われても、概念自体よく分からん」
「えーっと、つまりな。先代のレグランス王とシェムリア妃の間に、兄さんが生まれて――そのあと側室に選ばれた東の王女との間に、俺が生まれた」
 転がっていた棒切れを拾い上げた勇者は、空き地にしゃがみこんで線と丸を描きながら解説する。
「けど身体の弱かった母さんは、俺を生んですぐに死んじまったから。赤ん坊のときから、兄さんの母さんに育ててもらったってこと」
「分かったような、分からんような……けど、とにかく家族なんだろ?」
「え?」
「おまえ、兄さんと母さん好きだろ」
 彼らを呼ぶ声音から、ルシードに理解できたことはそれくらいで。
「そうだな、大好きだ。二人とも俺の誇りだよ」
 ルディエールは、嬉しそうに肯いた。
「俺は母さんと兄さんに守られて、子供の頃はのびのび暮らせてた。だから、二人には迷惑かけたくないんだ」
(……子供の頃は?)
 妙に引っ掛かる物言いだ。
 すると今は、なにか窮屈なんだろうか?
 天使の依頼なんぞ引き受ける余裕があるわけで。シータスの報告でも、自由気ままな生活を送っていたようなのに。
「母方の親族は東で暮らしてるから、俺も子供の頃、ときどきスラムで遊んで過ごしてた――暮らしぶりは豊かじゃないけど、みんな情に篤くて、優しい」
 勇者は懐かしげに寂しげに、町を見渡して言う。
「だから、ここの人たちの貴族や王族を憎む気持ちが、いつか無くなってくれればいいと思うよ」
「貴族連中がアテにならないんなら、いっそのこと、おまえがなれよ。その、橋渡し役」
 釈然としないものを感じながら、思いつきを勧めてみると。
「さっき、サヴィアも言ってたろ? 東と、西と――おまえなら、どっちの気持ちも分かるんじゃないか?」
「俺に、そんな大層な役目は務まらないよ」
 ふいっと目を逸らしたルディエールは苦笑いして、それから付け加えるように応えた。
「出来る限りのことは、やるけどな」



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なんとなくルディは褒め言葉に弱そうな気がします。ユーグ王が立派すぎるぶん、なにを上手くやっても 「兄さんほどじゃない」 と謙遜遠慮の方向に行っちゃいそうな。