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◆ イーヴン(2)


「じゃあなにか? 勇者たるもの、呑まず食わず不眠不休で依頼に応じろと?」
 テーブルに肘をついたまま、ロクスは横目で天使を睨みつけた。
「片手じゃ足りない数を蹴散らして、まとめて役所に突き出して。すっかり日が暮れてもまだ、臨戦態勢で待機してなきゃならないわけか?」
「食う寝る遊ぶの三拍子でも、べつにかまわないけどさー」
 ――かまわないのかよ!?
 内心がくっと脱力している勇者に気づいているのか、いないのか。
「せめて親玉を捕まえるまでは、お酒控えてって言ってるの。宗教国家で、教皇庁の法衣姿でふらふらしてる僧侶なんて、お布施やら何やら大金持ち歩いてそーな職種の筆頭でしょ? 危ないじゃない」
 ぽんぽんと、次から次に言い返してくるティセナには、まったくと言っていいほど恐縮したりたじろいだ様子が無かった。
「今日潰せたアジトは、たくさんある隠れ家のうちひとつだった訳だから……つまりどっかエクレシア領内の、あちこちに潜んでるんだよ? もっと大規模な、主力の奴らが」

 アレス地方のマナウスを荒らしている、“赤の盗賊団” と悪名を轟かす窃盗グループを捕縛するよう依頼を受け、無事に終わらせて一息ついていたところに。
 役人が取り調べた結果、今日お縄にされた連中は一味の下っ端であり、しかも全メンバーの半数にも満たなかったと判明したと――げんなりする事実を報せに、この天使が、今朝別れてから半日と経たず現れたのがついさっき。

「素行不良が祟って教会追い出されちゃった金欠病の問題児だなんて、盗賊には分からないんだから」
 ひどい言われようだがあながち間違ってもいないため、ぐうの音も出ず。
 だからこそ余計にむかっ腹が立つ。
「囮捜査やるつもりじゃないんでしょ? そんな酔っ払って夜道歩いてるとこ襲われて、身包み剥がされでもしたらどーす……」
 途中で口を噤んだ天使は、ぽんっと手を叩いた。
「あー、剥がされて困るようなお金、持ってないから心配ないか――だけど無収穫の腹いせに殴る蹴るされたら、やっぱり危ないよね」
「……ケンカ売ってるのか? 君は」
「ホントのことでしょ?」
 からかっているつもりか本気なのか、澄まし顔からは判断がつかず、どうにも邪険にはあしらいにくい相手だった。
 少なくとも、教皇庁にはいなかったタイプの人間だ。
 いや、人間じゃなく天使か――
「それとも借金返し終えたの? こないだの酒場で “僕が片付けるッ” って言ってた32万とか」
「…………」
「もう五月になるし、そろそろとっくに三ヶ月――借りてる宿に戻ったら督促状、届いてるかもなぁ」
 淡白さに拍子抜けるというか、掴みどころが無いというべきか。
 酔いが回っている所為もあるんだろうが、とっさには、反論の台詞が浮かんで来ない。
「余裕ないのにタダ働きさせちゃ悪いし。肩代わりされるのが嫌なら、依頼ひとつ完遂につき幾らって報酬制にしよっか?」
「要らない! 言われなくても片付けるから、君は黙ってろ!!」
 なんとか即答してみせると、今度は 「もー、ワガママ」 と唇を尖らせている。
「だいたい僕が酔い潰れてたって、他の勇者に頼めば良いだろう? なんの為に頭数揃えてるんだよ。この界隈にも、凄腕のハンターやら清廉潔白な騎士様がいるとかなんとか、前にローザから聞いたぞ」

 正確には春先、レグランス領で異常発生した人食い花を刈り取ってくれないかという依頼を、断ったところ――少し渋ってみせただけで、なにも最初から無下にするつもりはなかったんだが――そこいらの聖職者よりよほど堅物な鹿耳妖精は、
『そうですか。結構です、無理に手を貸してくださらなくても!』
 他の勇者に依頼すると冷ややかに言い放ち、飛び去ってしまったという訳だ。

「誰かの手が空いてれば、それもアリだろうけど。今みんな忙しいんだってば――」
 そこへ降って湧いたちりんちりん鈴が鳴る音と、天使を呼ぶ声。
「ティーセナー様っ、報告です!!」
 手のひらサイズ、ショートカットの赤毛の少女が、羽化したばかりの蝉めいた四枚羽で空を縫うように、すうっと窓から飛び込んできた。
 どっから眺めても猫が変化したようにしか見えない、守護天使の補佐役。
 自称 “葡萄の妖精” シェリーである。
 こんな生物が街をうろちょろしていたら、珍獣として捕獲され見世物小屋に売り飛ばされそうなものだが、アストラル体というヤツは基本的に人間の目には映らないらしく、現に、この酒場で呑んだくれている他の客はまるっきり無反応だ。
 その不可視性は天使も同じだが、今は “実体化” なる術で目立つ翼も隠し、人間の娘となんら変わりない姿形をしているため、傍目に何者かは判らない。
「うん。ごめん、ちょっと待ってね」
 舞い降りてきて口を開こうとするシェリーを片手で押し止め、
「とにかくレイラは、帝国軍の侵攻阻止にかかりっきりだし。クライヴも今頃、バンシーと戦ってるだろうから、こっちに加勢は出来ないよ」
 ロクスに視線を戻すと、やはり淡々とした口調のままで言う。
「敵が魔族なら私やルシードで対処するけど、人間は傷つけちゃいけないって戒律で決められてるから。親玉たちの居場所が判ったときに、ロクスが二日酔いで動けませんじゃ困るわけ」
 そんな天使と、苦虫を噛んだような顔つきでいる勇者を交互に見やり、
「それにロクスにまともに戦闘依頼するの、今回が始めてだから。まだ、どのくらい任っきりにしといて問題ないか、よく分からないしさ」
「えっえっ? もしかしてロクス様にお説教ですか? ガツンとやっちゃってください、ティセナ様っ!」
 キラキラと目を輝かせた猫耳妖精は、しゅしゅっと拳を突き出す真似をした。
「……ずいぶん嬉しそうだな、ええ?」
 あんまりこいつと話していると、宙に向かって独り事を呟く酔っ払いか変人と誤解されかねない。こういった人目がある場所では無視を決め込みたいところだが、
「ふーんだ、こないだ私を騙して酔い潰れさせたの誰ですかッ!? いっぺん怒られちゃえばいいんです!」
「そもそも呑めないんなら酒場に来るな。夕食のジャマしに現れるな。そいつ連れて帰れ帰れ」
 小声で言い、しっしっと片手を振ると、
「なぁんですか猫の子追っ払うみたいに! だいたいロクス様、晩ご飯の後ずーっと眠くなるまで呑んでるし、朝も遅くまで寝こけてるんだから、いちいち遠慮してたら仕事にならないじゃないですかっ」
「猫だろ」
「これはファッションなんです、私は葡萄の妖精です! ローザも鹿や狼じゃなくって、薔薇の妖精なんですってば!」
「はぁ? 薔薇ねぇ……見てくれも性格も、華やかさとは無縁なのにか? 君だって葡萄の妖精を名乗るなら、ワインの銘柄くらい判別できて然るべきだと思うぞ」
「うんもぉおおお、失礼な! ちょっとは神様の眷属に対する畏敬の念とか無いんですか、このエセ聖職者ッ!!」
 単純な妖精は、ムキになって怒りだした。
「威厳も神秘性も皆無な君たち相手に、畏まれと言われてもなぁ」
 喜怒哀楽が顔に出やすく能天気なシェリーはともかく、規律規範が服を着て歩いているようなローザとは、根本的に合いそうにない。
 そういった性格の差を抜きにしても、敬意を払う気分になるには少々難がある生き物だった。
「もー、ケンカ売らない。買わない!」
 やれやれと、溜息混じりに割って入るティセナ。
 ぷうっと頬を膨らませ、空になった酒瓶に腰掛けるシェリー。
 他の勇者が出払っているなら、確かに自分は動ける必要があるだろうが、忠言に従って酒を止めるのもなんとなく癪で――ロクスは頬杖をついたまま、半分ほど中身が残っているボトルを睨む。

「なんだ、にぎやかしいな」

 そこへ後ろから掛かった、笑みを含む声に振り返れば。
「……ヴァイパー?」
 いつだったか妙な勝負を吹っかけてきたギャンブラーが、コバルトブルーの隻眼を眇め、こっちを見下ろしていた。
「あれっ?」
 ヴァイパーが 「よお」 と片手を上げたとたん、何故か、ぷーっと吹き出したティセナは、
「クレア様だ、クレア様!」
 唐突に、ばんばんっとテーブルを叩き、腹を抱えて笑いだした。
「はぁ?」
「クレア様……?」
 ロクスは訳が分からず顔を顰め、シェリーも面食らったように、きょとんと目を瞬いている。
「……ヒト指して笑うな、おまえ」
「ごめんごめん――あー、あはははっ!」
 呆れ顔のヴァイパーに一応は謝った天使だが、結局、笑いは治まらず。戸惑うこっちを置き去りに、息が切れるまでケラケラと笑い続けていた。



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借金は悪ですよ悪! 関係ないと言われて引き下がっちゃダメだよ天使様! もし、アルカヤ守護天使がティセでなくクレアだったら…… 「病弱で働けず生活に困ってというような理由ならともかく、遊ぶために借りっ放した挙句に踏み倒すなんて、大人のすることじゃありません!」 とザックリ言うだろうなぁ。容赦ないところはどっちも一緒か。