◆ グランドロッジ(1)
レグランス領を出て北へ向かったルディエールとは、いったん別れ――そろそろ、レウスから避難民の護衛に付いていたアイリーンが、バーゼルに到着した頃だろうと西へ飛んでみれば。
「どうした、カサ忘れたのか?」
なぜか勇者は、ぱらぱらと小雨が落ちる街角の軒下に、ぽつんと一人で立っていた。
「ルシード」
呼ばれてやっと気づいたように顔を上げるが、その表情は冴えず。
「べつに……雨だなぁと思って、見てただけ」
ずぶ濡れというほど酷くはないが、普段ふわふわと丸っこく膨らんでいる金髪が、水気を含んで頬や首筋に張りついている。
「風邪ひくぞ」
思わず眉をしかめ、カサと一緒に掴み出したタオル代わりの布を被せてやると、
「ちょ、ちょっと!」
「ん?」
アイリーンは、わたわたと辺りを見渡しながら、ひどく焦った様子で布を引っ張った。
「相変わらず非常識ねぇ。地上じゃ、空からタオルは降って来ないのよ」
「人目があるかないかくらい、確認してるって」
「うっかり不意打ちで目撃されたらどうするのよ! やめときなさいってば」
憚るように声を潜めつつも、強い口調で咎める。
「あんたたちの故郷じゃ何ともなくたって、アルカヤじゃ、気味悪がられちゃうんだから……魔法は」
そういえば誰だったか、そんなことを言っていた気もする。
自ら魔力を有するアイリーンを含め、勇者の誰も気にする様子が無いんで忘れていたが。アルカヤ住人からの忠告だ――異邦人たる自分は、素直に従うべきだろう。
「そっか、余計なトラブル起こすわけにはいかないからな。気をつける」
「よろしい」
ようやく満足げに笑って、わさわさと髪を拭きながら。
「……ねえ、それどうやってるの?」
「なにが」
「今やったじゃない。道具を、空から引っ張り出すの――カサもタオルも、最初からそこにあって私に見えなかっただけ? あんたたち天使や妖精が、普通の人には見えないみたいに」
アイリーンは、ふと思いついたように訊ねた。
「それとも、天界かどこからか瞬間移動させてるの? ティセナが、たまに “転移” ってやるけど、あの原理?」
ルシードは面食らった。
さすがは魔導士というべきか、妙なことを気にする。
「今のは、こっちの世界の元素を具現化させたけど。天界から持ち歩いてる道具もあるし、ティセナさんみたいに召喚系が得意な天使もいる……属性や星との相性も影響するし、それぞれだな」
「あんたは苦手なの? 召喚って」
「時空の制御は加減が難しいからな。作るほうが、よっぽど楽だ」
特に、タオルなんか水気を吸えば済むし、カサは雨粒をしのげりゃいいだけ。構造も単純である。
「そうなの? 作るのも大変だと思うけど」
「べつに、どうってことないぜ。武器や防具を鍛える手間暇に比べりゃあ――まあ、ポーションひとつ作るにも手こずってたお子様には無理だろうが」
今までの戦闘を見る限り、アイリーンは自然現象を操る (それもかなり豪快に) 魔法を得意としていて、系統の異なる術を同時に使ったり、物質を分解・再構築する方は不得手のようだ……と思い返し納得していたルシードを、勇者は無言で張り倒した。
天使お手製のカサで以って。
「痛ってぇなー」
後頭部をさすりつつ抗議する天使を無視して、アイリーンは、顔を真っ赤にしながら怒鳴る。
「手こずってない! あれは、あんたがイキナリ現れて驚いただけ!!」
「へいへい」
「なによ、そのテキトーな返事!」
ぷりぷりと頬を膨らませていた勇者だが、ややあって小首をかしげた。
「……武器?」
「ん?」
「武器なんか作るの? ルシード」
「作るのも何も――俺は一応、そっちが専門だぜ。鍛冶屋」
「鍛冶屋ぁ!? なによそれ」
「フロー宮って、武具や防具作りをまとめて担ってる場所があるんだよ。地上で言う……工房みたいなモンだな」
「そうじゃなくって! ティセナと同じ、軍人じゃなかったの?」
「ああ、さすがに薬は専門外だけどな。武具に限らず、装飾品や細工物だって作るぞ」
アイリーンは碧眼を丸くした。
「まあ、アカデミア卒業したばっかの新米だけど、ずっと実技でやってたし。今はアルカヤ守護の補佐に任命されたから、こっちに居るだけで……」
「うわっ、なんか意外〜!!」
そうしていったい何が可笑しいのやら、ころころと笑いだす。
「どっちかって言ったら、剣を振り回してモノ壊しそうな感じなのに。武器や鎧はまだ分かるけど、細工物って! 似合わな〜い」
「どういう意味だよ? おまえに渡した装備品もそうだけど、勇者たちの防具の調整は俺がやってるんだからな。むしろ壊れたら寄こせ。修理すっから」
「ふぅーん?」
れっきとした事実を告げるも、アイリーンはあまり本気にしていないようだった。
「ねえねえ、アカデミアってどんなの? 実技って? 天界にも、そんな教育施設があるんだね。やっぱりあちこちに町や村があって、そこに住んでる子供が集まってるの?」
おもしろそうに目を輝かせ、質問攻めにして来る。
「いいや。天界の教育機関は “アルスアカデミア” ひとつきりだ」
「え? じゃあ、わざわざ遠くから通う子もいるの? まあ、どこだって天使なら、飛んでいけばすぐだろうけど――」
「通う必要は無いぞ。在籍中は、アカデミアの中に住むからな」
「寮生活ってこと?」
「りょう?」
「あー、ごめん。いいわ、気にしないで。ひとつしか学校が無いなら、そもそも寮なんて概念ある訳ないわよね」
首を捻るルシードに向かって、はたはたと片手を振った勇者はマイペースに質問を変える。
「それって何歳から入って、何歳で卒業?」
「入る歳にはバラつきがあるけど、だいたい8歳から。18歳で卒業ってところだな」
「……8歳」
再び髪を拭く手を止めたアイリーンは、ぽそっと訊ねる。
「お父さんやお母さんに会えなくなって、寂しかった? 小さいとき」
「べつに。俺たち天使に、人間で言うところの “両親” はいないしな」
「いないって――じゃあ、どうやって生まれるのよ。私たちと時間の流れは違っても、歳を取って成長するんでしょ?」
訝しげな勇者に、ルシードは端的に答える。
「光の塊から」
「ひかり? よく分かんないんだけど……どういうこと?」
「俺も詳くは知らん。自分が生まれた場所も、他の天使が生まれるとこも見たことないし――そもそも立ち入り禁止区域の奥にあるからな。光源は」
「見たことないのに、なんでそんな断言出来るのよ」
傍らの勇者は不服そうだ。
「まあ、アカデミアで習うし。ティセナさんもそう言ってたし」
「ティセナは見たことあるんだ?」
「さあ? ただ、浄化された生命エネルギーが流れ着いて、凝縮される空なんだって話だったよ。人間は “母親” の腹から生まれるらしいけど、要は、それに実体があるか無いかの違いだろ」
「……ふーん。じゃ、べつに寂しいことなんて無いのね」
「能天気みたいに言うなよなあ。両親いなくたって、友達や恩師はいるし。寂しいって感情ぐらい分かるぞ」
「どうだか」
少しだけ明るくなっていた表情は、再び、ぼんやりと塞いだ感じに戻ってしまう。
そうして手にしたカサの存在も忘れたように、その場から動こうとしない。
(なんなんだ……?)
元から気難しいところのある少女だが、今日は特に浮き沈みが激しいようだ――困惑していると、遠く、かすかな話し声が耳に付いた。
「そう。小さい女の子だったんだがなぁ……」
「助けてもらっておいてこう言うのもなんだけど、やっぱり気味悪いわよ。ここへ来る途中にも、襲ってきたモンスターを、火の玉や突風で次々に薙ぎ倒してさ」
「それに魔導士ギルドの連中が、いくら人間離れした能力を持っていても結局、帝国の進軍は止められやしないじゃないか――もう、六王国の半分がグローサインの占領下に置かれてしまっているんだぞ」
「エクレシアか、レグランスあたりに、引越しを考えた方が良いのかねえ」
わずかに近隣の家屋から漏れ聞こえる、情勢を嘆く声。
話題に上がった “女の子” はアイリーンを差しているようだが、街の人々を助けようと戦った少女を語るには、随分と冷ややかな評価、語調だった。
(ひょっとして、これか?)
今の会話そのものは、人間のアイリーンに聞き取れる音量ではないし、それでは浮かぬ顔になるタイミングも解せない。
ということは、護衛の最中に陰口の類が聞こえたか、この街へ送り届けた後のことか……そこまでは分からないし本人に訊ねても答えそうにないが。
そういった出来事があったばかりなら、さっきカサとタオルを出したときの、やや過剰な反応は頷ける。
「アイリーン」
「ん……?」
「なにか、甘いモンでも食いに行こうぜ」
ひょいと取り上げたカサを開き、手招けば、ぼんやりした空気が霧散した代わりに呆れ声が返る。
「なんでよ」
「レグランスから飛んできたら、腹減った」
「……つくづく変な生物よね、天使って。精神体のくせに、おなか空くの? 光から生まれたんなら、お日様浴びて光合成してれば良いじゃない、植物みたいに」
「おまえなあ、生きてるってことはつまりエネルギーの循環なんだぞ。補給は必要に決まってんだろ。だいたい草木は光から生まれた訳じゃないだろうが?」
「さっきのは物の例え。精神体が、アルカヤの物質摂取するって言うのが意味不明なのよバカ。どういう仕組みなんだか説明しなさいよ」
アストラル生命体に対して難癖つけながらも、とことこ付いてくる勇者を横目に、
「だから、それは元素に昇華してだなあ……」
ルシードは苦笑いしつつ、やれやれと肩の力を抜いた。とりあえず同行拒否は喰らわずに済んだようだ。
そもそもアイリーンが置かれた環境って、バラバラに壊れてしまった家族という、人間でさえ普通に家族そろっていたら理解・共感が難しいだろうもの。ポッと出の、しかも天使に、そう簡単に話す気にはならないだろうなー。親しみ持ちかけ、三歩進んで二歩下がる……。