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◆ グランドロッジ(2)


 連れ立って手近なカフェに入り、季節のフルーツパフェを平らげて。

「あー、美味しかった♪」

 店に入るまで塞いだ様子だった勇者は、一転ご機嫌顔である。鬱陶しかった空模様も、キレイに晴れ渡っていた。
「だな。甘さ加減がちょうど良い、なかなかのモンだった。生クリームも捨て難いが、次の機会にはチョコのやつ食おうっと」
「ホント、変なの。天使がパフェ食べて幸せそうにしてるなんて」
 つんけんした口調ながらも、マリンブルーの瞳は楽しそうに笑っていた。
「だから言ったろ? 嗜好品なんだって」
 アストラル生命体である天使に必要な補給は、同じエネルギー粒子だ。
 位の高い大天使ともなれば、いちいち食事という形を取らず、大気中から吸収してしまえるらしいが。
 ルシードたち下級天使は、人間と大差無い形で飲み食いをする。甘み、辛さなど味の変化を求めるのは、完全に娯楽だ。

「あれ? ここ国立図書館――ってことは、グランドロッジの近くか?」
「そうね」
 前にも立ち寄ったことがある大きな建造物を横目にしながら、アイリーンは、ぽつんと呟いた。
「……会いに、行こうかな」
「? フェインさんに?」
 帝国兵の侵略を受け、レフカスのギルドはすでに放棄されている。義兄殿の怪我もだいぶ癒えていたから、他のウォーロックたちと共に六王国南部へ移って来ているはずだった。
 今になって思えば “魔石を、レフカスに置いたままじゃ危険” だという予言は、グローサイン帝国の進攻を示唆していたんだろう。
「違うわよ、グランドマスター!」
「グランド――ああ、ロッジの偉い人? おまえの爺さんと仲が良かったって言う」
「……うん」
 肯いた少女は不安げに、こちらを仰ぎ見て言う。
「ルシード、付いて来てくれる?」
「おう」
 断る理由も無いので、二つ返事で快諾すれば、ほっとした顔を一瞬うつむけ 「こっちよ」 と先導して歩きだした。

 グランドロッジは、魔導士ギルドの本拠地というだけあって、レフカスなどとは桁違いに大きな建物だった。
 入り口で警備員らしきウォーロックに呼び止められるも、それぞれ名乗れば、
「ジグ師匠のお孫さん! ようこそお越しくださいました――すぐにグランドマスターに伝えますので、少々お待ちを」
「ルシード・ストラトス……おお! フェインを助けてくれたという、あの? アイリーン様ともお知り合いで?」
 諸手を上げて歓迎され、応接間に通された。

「グランドマスターってさ、どんな人?」

 室内に飾られた、まじないの道具と思しき鉱石や壷を眺めつつ訊ねれば。
「すごく博識で、魔力も強くて、面倒見が良い人よ。私のおじいちゃん、ちょっと偏屈で滅多に人を褒めたりしなかったんだけど――ライノールがいる限り魔導士ギルドは安泰だって――あ、ライノールって、グランドマスターの名前ね」
 紅茶に砂糖を少しずつ入れながら、アイリーンは、すらすらと答えた。
「それから、目が見えないの。まだ若い頃に、病気で失明しちゃったんだって」
「失明……そんなんでギルドの纏め役なんて、こなせるのか? 人の顔もなにも判別出来ないってことだろ?」
「それがね、心眼って言うのかな? 気配なんかで物の位置や相手が誰だかも分かっちゃうみたい。盲目なんだって知らなければ、目が見えないことに気づかないくらいよ」
「へー」
 人間にも、なかなか凄いヤツがいるもんだ。しかし、ちょっと待てよ? 気配に敏感ってことは?
「それ、まさか俺が人間じゃないって見抜かれたりしないよな?」
「え? 分からないけど――可能性はあるかも。精霊の声も聴けちゃうって噂されるくらいだし」
 口許に手を当て、考え込む魔導士の少女。
「知られたらマズイんだっけ?」
「アストラル体の俺たちを視認出来る、つまり勇者候補になら、事情とか話してもかまわないんだが……目が見えないんじゃ、判断基準にならねーしな。気配で分かるって、どうなんだろ……?」
 たぶん前例も無いだろう。そんなパターン、聞いたことがない。
「ローザたち妖精なら本質を見抜けるはずだから、とりあえず今日は、なにか突っ込まれても “怪しいヤツじゃありません” ってごまかしてくれな?」
「う、うん。分かった」
 話がまとまって茶菓子も尽きかけた頃、軽いノック音が響き、

「失礼します。グランドマスターをお連れしました」

 世話役と思しき上品な女性に付き添われ、入室してきたローブ姿の老人を見とめ、
「こちらです、マスター。後ほど、お茶を淹れ直しに参りますので」
「うむ」
「お久しぶりです。アイリーン・ティルナーグです」
 慌てて立ち上がった勇者に続き、ルシードも頭を下げた。
「初めまして。彼女と一緒に旅をしています、ルシード・ストラトスと言う者です」
「うむ、久しいな。ジグの孫娘よ」
 ゆっくりした足取りで近づいてきたライノールは、光を映さぬ目を細める。
「あやつに連れられて、ここへ遊びに来ていたのは――そうか、もう十年近く前のことになるか。月日の流れとは速いものだ」
 そんなに昔なら彼女は幼児、下手すりゃ赤ん坊。ほとんど記憶もあるまい。
 以前、ロッジへ立ち寄ることを渋っていた横顔を思い返し、ルシードは、そうか初対面同然じゃあなと納得した。
「すっかり大きくなって……亡き母君に、よく似ておる」
「そ、そうですか?」
 戸惑いがちに首をかしげ、服装の乱れでも気になったか急に手足や胸元を確かめはたいて、焦ったようにルシードを仰ぎ見ると、そそくさっと目を逸らす。
「ルシード・ストラトス」
 挙動不審の勇者に気を取られていたルシードは、名を呼ばれて視線を上げた。
「そなたに関しては、レフカスのレイジハーから報告を受けている。何者かに襲われていたフェインを救ってくれたそうだな。感謝している」
「あ、いえ。どうも、ご丁寧に」
「まあ、かけなさい」
 座るよう促され、二人してソファに腰を下ろす。
 眼球の焦点こそ合っていないが、確かに、こちらの姿や動きが見えていないとは信じがたい会話のスムーズさだ。

「して、今日は――なにか私に用があっての来訪か?」
「いえ。用事と、いうか、その……お聞きしたいことが」

 紅茶のお代わりを運んできた女性が退室する後ろ姿を見送って。
 ごくりと唾を呑んだ、アイリーンが切り出す。
「グローサイン帝国が、六王国連合に侵略戦争を仕掛けて来たことは、聞き及んでいらっしゃいますよね?」
「無論だ」
 深く頷いた、ライノールは嘆息した。
「ウォーロックたちの実力は帝国兵に引けを取らんが、なにしろ数が違いすぎる――セレスタ、ラビルクに続いてレフカスが蹂躙され、ラナス陥落も時間の問題であろう」
 かなりの高齢に見えるし、ギルドを取り纏めるだけでも重労働だろうに、帝国軍が攻めて来ては心労も半端じゃないはずだ。
「今は魔導士たちを、ここアルクマールに集め、大掛かりな結界の構築を行っているところだ。これが奴らに通じ、進軍を断念してくれれば良いのだが」
「結界……」
 隣に座っている、少女の。
「帝国の首都にも、すごく強力な結界が張られていて。強硬突破しようとすれば、反動で、アルカヤ全土がズタズタに裂かれてしまうほど危険な代物だと、ルシードが教えてくれて」
 膝上で握りしめた、小さな拳が。
「先日、再会したフェインから、姉――セレニスは、まだ見つからないとも聞きました。直に調べられなかった場所は、ラグニッツを除けばレイゼフートだけだと」
 状況を語る声も震えているのに気付き、ルシードは眉根を寄せる。
「姉は、私より、ずっと魔力の強い人でした。もしも帝国で暮らしているなら、そんな物騒な結界に気付かない筈は……だけど、ラグニッツなんて普通の人間が住める場所じゃないし」
 そうしてアイリーンは、縋るように語調を強めた。
「グランドマスターは、なにかご存知ありませんか? ブレメースを出てからの、姉の足取り――どんな小さなことでも良いんです!」
「セレニスか……正直、どこかで力尽き、祖父や両親の元へ逝ったものと考えていたが」
 ライノールは一瞬、表情を翳らせた。
「確証のある話ではないが、彼女はグローサイン帝国にいると聞いた」
「!」
 返された答えに、アイリーンは息を呑み。
「つい先日、保護された避難民が訴えたのだ。街を襲った帝国軍の中に、一際目立つ赤い衣の魔女がおり、周りの兵士からセレニス様と呼ばれていた――同名の別人という可能性もあるが」
 全身を強ばらせたまま、掠れた声で問いかける。
「あの。フェインは、そのことを?」
「いや、教えておらん」
「マスター……」
 呆然とする少女を横目に、ルシードは、口を挟める雰囲気じゃないなと沈黙を守った。
「今は行方不明のセレニスを探すよりも、帝国の実態を探ることに専念しろと命じている。そう言われたところで、フェインが情報収集の任を希望するのは、妻を探し出す為なのだろうがな――」
 ライノールは、遠くを見るように窓へ目を向けた。
「ブレメース、ティルナーグの塔で……8年前の夜、なにがあったかは聞いている。もう己は助かるまいと判断したジグからの、手紙でな」
 盲目でも、なにか外の気配が分かるんだろうか?
「手紙――」
 鸚鵡返しに呟いたアイリーンは、ただ眼前の老人を凝視している。
 
 持病が悪化して、医者に、今夜が峠だと診断されたセレニスが――翌朝、それまでの病が嘘だったかのように溌剌と動き回り、だが、次第に言動がおかしくなり始め――訝しみ問い質したジグに大怪我を負わせ、行方不明となった。
 彼女は失踪、フェインも頑なに真相を語ろうとせず、ジグは怪我が元となり死んだ……孫娘に刺し殺された、というべきか。
 当時まだ未熟な19歳の若者だった、あやつに、禁忌の秘術を成功させる魔力があったとは考えにくいが。
“ファトゥスの呪法”
 元凶と推測される、大昔に禁じられた呪の本質が、伝承どおりのモノなら――セレニス・ティルナーグは、すでに、この世の者ではない。

 痛みを押し殺すような声音で淡々と語られた、それは勇者の、家族の過去なんだろうが。
(ファトゥス? 呪法?)
 あまりにも物騒な単語の羅列、聞き慣れぬ響きに、ルシードは困惑する。
「君も、もう子供ではないのだ……認めなさい、アイリーン」
 まだ幼い少女を、確かにライノールは子供扱いしていないように感じた。
「フェインこそ、とっくに大人なのだがな。あやつは、妻を見つけたら、共に死ぬつもりであろう」
 細い肩が、びくりと跳ねる。
「言葉で諌めても止まるまい。だからこそ私から、セレニスの居場所を告げるつもりは無い――会わせるべきではないと思っている。死が償いになる、などという考え方は、結局のところ自己満足に過ぎん」
 青褪め、途方に暮れた顔つきで。
「もしも彼女がグローサインに手を貸しているのならば、ロッジは、帝国兵と看做して迎え撃つ。あるべき場所へ還してやらなくては、ジグも安心して眠れんだろうからな」
 項垂れるアイリーンを見つめ、老人は諭すように告げた。
「繰り返して言うが、セレニスを昔の彼女と混同すべきではないのだ。万が一、彼女が、かつてジグを刺したように……妹に刃を向けたとき。応戦出来ず、逃げることしか考えられないのなら」
 これは、どうも―― “姉” は禁呪によって現世に繋ぎ止められている、といったところか?
「バーゼルも戦火の広がりに混乱している。せっかく訪ねて来てくれたのに悪いが、ブレメースに避難していた方がいい」
 黙り込んだままの少女を、困り顔で眺め、

「帝国の手がアルクマールまで伸びるには、まだ猶予もあろう。客室を用意させる。しっかり休み、旅の疲れを癒してから帰りなさい」

 ルシードに目配せした、老魔導士は優しい声で言い残し、応接間を出て行った。



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グランドマスターって心眼で物を見てるなら、アイリーンの姿は本来の20歳前後に見えてるんだろうなあと、ぼんやり。ティルナーグ家崩壊の顛末を知っているのは、フェインが話したとは考えにくいんで、ジグさんが手紙で孫と弟子の行く末を託したんだろうと思います。