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◆ 帝国への特使


 アレス地方、ククタ。
「へー、ここか? おまえが言ってた宿屋って」
 のどかな田舎町の川沿い、枝に止まった鳥を模した看板を見上げ、ルディエールは背後を振り返った。
「ああ。もし、なにかの理由で俺たちと連絡が取れなくなった場合は、ここで待っててくれりゃ誰か来るから」
 頷いて扉を開ければ、ちり、りりんとベルが鳴り。
「おかえりなさい、ルシード君……あら、お友達?」
 カウンターに座って繕い物をしていたルイーゼは、小首をかしげ。ルディエールが軽く挨拶する。
「こんにちは」
「こいつ、今日は泊まって行くんですけど、追加料金いくら払ったら良いですか?」
「いいわよ、そんなの。食事代は別途いただくけどね」
 微笑みながら、のんびり首を振る女主人。
「あなたたち、二人用の部屋をふたつ長期で借りてるでしょう? ベッド数が足りてるうちは、好きに使ってくれて良いから」
「了解っす」
「今日は晴れたから、外もけっこう暑かったでしょう。なにか飲む?」
「好き嫌いってあるか? ルディエール」
「いや、べつに」
「じゃあ、オレンジジュースふたつで」
「分かったわ。後で、部屋まで持って行くわね」
 にこやかに奥の台所へと歩いていく女性を横目に、ルシードは、勇者を案内して二階へ上がった。

 長旅で汗ばんだ身体を拭き、絞りたて生ジュースを飲み干して、しばし休憩。

 女性陣の部屋をノックすると、応じて鍵を開ける音がして、
「どうかしたの、ルシード」
「ルディエール様? お久しぶりです」
 まだ覇気に欠け顔色の優れないレイラ、さらに彼女に付き添っていたローザが姿を現す。
「同じ勇者同士だし、引き合わせておいた方が良いと思ってさ」
 簡潔に答え、後ろの青年を指し示す。
「とりあえず先に紹介するぞ。レグランス王国の第二王子、ルディエール・トライア・レグランス。現在、帝国への特使としてレイゼフートへ向かってる真っ最中だ」
「えっ、帝都へ……!?」
 イエーナの一件以降、鬱々と沈み込み、なにを聞かされても反応が薄かったレイラは、驚いたようにセイラーブルーの瞳を瞬き。
「そんでもって、こっちはレイラ・ヴィグリード。帝国兵――だったが、皇帝に対する謀反未遂って濡れ衣で投獄されてたとこティセナさんが連れ出して、勇者にした。宰相やら魔女に牛耳られてる故郷の侵略戦争を止めたくて、孤軍奮闘中」
「てっ、帝国兵!?」
 ルディエールは唖然として、半歩後ずさり。
「…………」
 居たたまれなさげに身を小さくした眼前の金髪美女を、まじまじと眺め、目を白黒させている。
「え? 帝国軍に女性なんて、いるんだっけ? ああ、そういや第二? 第三? 騎士団の隊長に、帝国初の女騎士が就任したらしいって噂になってたな――」
 疑問を並べ立てるうちに自己完結して、落ち着きを取り戻したようだ。
 今のレイラは室内ということもあり、一目で帝国騎士と判る紋章付きの上着は脱いで、黒ズボンに白いシャツを羽織っただけの格好であるから、にわかには信じられなくて当然だろう。
 とりあえず両者を備品のテーブルに向かい合わせ、イスに座らせて、
「お互い、聞きたいことや知りたいこともあるだろうから、とりあえず好きに会話してくれ」
 ルシード自身はベッドに胡坐をかいた。話を丸投げされて、しばらく困ったように顔を見合わせていた二人だが、
「ええと、レイラ……さん?」
「はい」
 先に口火を切ったのは、ルディエールだった。
「その、濡れ衣で? 捕まっちまうまで――軍部に、侵略戦争の予兆は無かったのか?」
 うつむいて黙考した、レイラは静かに頭を振った。
「前皇帝が崩御してから、ずっと、後継者争いは酷いものだったけれど……エンディミオン様が即位したことで収まると思っていた。六王国や辺境に攻め入るなんて想像もしていなかったわ」
「俺の国には、グローサインが “千年前の領地を取り戻す” って大義名分を掲げているって、伝わって来てる。兄さん――レグランス王は、本当にそれだけが目的なのかって懸念しているんだ。すでに親書を送って、謁見許可は得てるけど」
 難しい顔で言い淀んだ、ルディエールは思い切ったように訊ね。
「騎士団を率いる立場だったなら、帝国の中心人物も知ってるだろう? 侵略戦争を命じた人間は、誰だと思う? やっぱり皇帝か?」
「エンディミオン様は……おとなしくて目立たない、物静かな少年という印象だったわ。有望な後継者は他にたくさん居たのに、全員が次々に不審な死を遂げて」
 ぎり、と歯噛みした彼女は、悔しさを滲ませた声で答える。
「皇帝自身の望みだとは考えにくい。彼の後見人――宰相のユルストと、第一騎士団長のアルベリック――クロイツフェルド親子が牛耳る、傀儡政権だと思うわ」
「だとすると、皇帝に真意を問い質しても、あんまり意味は無いか……」
「ええ。だけどティセナは、帝都に結界を張り巡らせた術師こそ、警戒すべきだと言っていた。クロイツフェルドお抱えの占い師、魔女セレニス――彼女も実権を握っている者の一人かもしれない」
 先日、聞いたばかりの名前が飛び出して、ルシードは困惑する。
 まだ幼い勇者の姉らしいと、告げるべきか考えて……言わない方が良さそうだと判断する。
 ライノールが語ったように、歪んだ形で存在している命ならば、そんなことを知れば戦いにくくなるだけだ。特に心労続きのレイラを、無関係の話で惑わせる訳にもいかない。
「分かった。正面切って問い質す訳にはいかないけど、直に会えば感じ取れることもあるだろうし――ああ、そうだ。そっちは? なにか気になることとか、調べてほしいことがあるなら、出来る限りは頑張ってみるけど」
「え……」
 目を丸くしたレイラは、なにか言いたげに視線を泳がせ、うつむいて唇を噛み、
「――母が」
 やがて絞り出すように、呟いた。
「父を、アルベリックに殺されて。娘の私まで、謀反の疑いや脱獄で、追われる身になって……残された母が、どうしているか確かめたいけど」
 ルディエールは痛ましげに、そんな彼女を見つめている。
「そんなこと誰かに訊いたら、あなたが怪しまれるに決まっているし。帝都の中で信頼できる人間が誰なのかも、もう、よく分からない――」
 項垂れたまま首を振った、レイラは結局、なにも頼むことなく頭を下げた。
「私は近づけないから……天使の勇者が、レイゼフートの様子を直に見て来てくれるっていうだけで、充分だわ。ごめんなさい、役に立つ情報のひとつも持っていなくて……気を遣ってくれて、ありがとう」
 必要な対面とはいえ話が弾まないだろうとは予想済だった、ルシードは、横から沈黙を破る。
「ああ、そうだった。ルディエール」
「ん?」
「“怪しまれる” で思い出したけど――結晶石は、ここに置いて行け。レイゼフートの手前までは、俺がずっと同行するから」
「なんでだよ」
 気まずげだった表情を少し和らげ、代わりに怪訝そうに首をひねった勇者に、
「レイラさんも言ったろ? 帝都に結界を張り巡らせた術師がいる……たぶん魔族か堕天使の類で、アルカヤから抹消しなきゃならない厄介な相手だ。結晶石を持っていたら、おまえが天使の勇者だって悟られちまう」
 説明しつつ、釘を刺す。
「目的が本当に、千年前の領地を取り戻すってだけなら、レグランスは対象外だ。特使として派遣されてきた王子に、危害を加えはしないだろうけど――俺たちの関係者だってバレたら、宣戦布告代わりに、なにされるか分かったもんじゃないからな」
「そっか、分かった」

 その日の夜、夕食を終えて。

「濡れ衣で捕まったうえ親父さん殺した粘着野郎に狙われて、味方だった部下たちは亡き父の親友にって……なんつーか、もう、慰めの言葉も無いな」
 レイラの状況を少し詳しく聞かされた、勇者は痛ましげに溜息をついた。
「あー、だけど今日、引き合わせておいてもらって良かったよ。なにも知らずに事件現場で、軍服姿の彼女に遭遇したら、帝国兵だとしか思えなかったろうから――敵だと思い込んで責めたり、斬りかかってたかも」
「だな。前にも一度トラブルがあって、軍服は捨てろってティセナさんが叱ったんだけど、誤解されるリスクは解っても嫌だって」
 軍という組織に属したことが無い、ルシードには不可解な拘りだが。
「祖国を追われて、俺たちが居るとは言っても、やっぱり一人で……だから、最後の拠り所なのかもしれないな。20歳そこそこの若さで、女だてらに騎士団長にまで上り詰めるって、相当な努力をしてきただろうから」
 ルディエールは腕組みをして、真剣な顔つきで考え込んでいる。
「お母さんの安否か――娘が反逆者扱いじゃ、無事だとしても、肩身の狭い暮らしをしてるだろうからな。せめて噂話くらい、聞ければ良いんだけど」
「ああ、だけど、くれぐれも無理に探りを入れようとかするなよ? 俺たちのことはいったん忘れて、あくまでレグランス特使として行って来い」
 セレニスと呼ばれる魔女が帝国に居ると判っても、まさか 『妹さんと旦那が探してますよ』 なんて伝えて反応を見てもらう訳にもいかない。
 基本的には政務に携わっていないというルディエールだ、腹の探り合いみたいな役目にも不慣れだろう。事前に要らぬ情報を聞かせては、セレニスを見る目がおかしくなって不自然な態度になってしまうかもしれないし。

 無傷で、無事に戻って来てくれるよう、祈りながら待つしかないだろう。



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ルディの帝国行き。なにか謎解明に使えないかなーと思ったけど、敵地に単独潜入するようなものであって、己が設定した状況的に天使や妖精は同行NG……事後報告を受けるしかないです。