◆ 緋色の雨(1)
「……そういえばさぁ」
帝国の一般兵に変身して、レフカス駐屯地に潜り込んだティセナ様は、さりげないふうを装って訊ねた。
「まだ、ラミア地方の制圧から帰ってきてない奴らいるみたいだけど――なんか、別の任務?」
「ああ、第三騎士団の連中だろ?」
「確かに見ないな」
「ラビルクのルッカあたりか、アルクマールに偵察にでも行ってんじゃねえ?」
そこいらの軍人さんに片っ端から話しかけてみたけど、あんまり参考にならなかった。
でも……。
アルカヤに来てからずっと、私たちの敵は、魔族が潜んでいるのはグローサインって考えてたけど。もちろんこっちを味方、同僚と思い込んでるからなんだろうけど――みんな、ごくごく普通の人間に見えて拍子抜けた。
そんなに怖くも、悪いヒトって感じもしないし。
「失礼します。こちらにカイゼル将軍はいらっしゃいますか? 直に、ご報告したいことがあるのですが……」
「将軍なら、今は不在だ」
お偉いさんなら何か知ってるかもしれないと、作戦本部が置かれているという建物にも、ダメ元で突撃してみたけれど。
「代わりに私が、話を聞こう。わざわざ訪ねて来たからには、それなりに重要と捉える――」
「……ん? おい、あいつはどこへ行った?」
「さっきまでそこに居たはずだろう?」
カイゼルさんがいなくちゃ話になんない、話せない。
先導して歩きだした彼らの、視線が逸れた隙を突いて実体化解除。アストラル体に戻ってしまったティセナ様を探して、そこいらをうろうろしたオジサンたちは、
「いないぞ」
「いきなり挨拶も無しに、礼儀のなっとらん奴だな。所属は、部隊長は誰だ?」
「さあ……」
妙だなぁと、キツネにでもつままれたような顔を見合わせた。
「ところで副長。私も気になっていたのですが――カイゼル将軍は、どこへ行かれたのです? アルクマール攻略戦までには、お戻りになるのでしょうか?」
「他の国々はともかく、バーゼルは、魔導士どもの本拠地ですし……」
「二、三日で戻ると仰られていた。私にも話せないと、すまなさそうにしておられたからな。おそらく帝都からの密命であろう」
副長と呼ばれたヒトが、重々しく腕組みして答える。
「あの方の腕は、おまえたちも知ってのとおり。それに融合兵が護衛についておるからな――どこへ赴いたのであれ、心配は要らんさ」
ユーゴー兵? なんの役職だろう。
だけど話しぶりからして、カイゼル将軍以外にも、けっこう強い戦士がいるみたいだ。
私たちが、ぷかぷか浮かんで聞き耳を立てていると、
「……副長」
ひとりの騎士が躊躇いがちに、口を開いた。
「六王国を征服したらもう、“あれ” とは行動を共にしなくて済むんですかね?」
兜に隠れてて表情は窺えないけど、ちょっとだけ見える顔色は悪い。
「戦力として申し分ないとは重々承知ですが、正直、あんなバケモノや魔導士の類に頼るのは気が進まないと――」
「口を慎め」
短く遮られて、うっと引き下がる騎士。
咎めた副長さんの眼は鋭かったけど、怒っているというよりも、相手を心配しているように感じた。
「で、でもまあ、ほら!」
雰囲気を和らげようというように、強ばった笑顔で口を挟む、別の騎士。
「アルクマール攻略戦の際には、アルベリック様がお越しになるんでしょう? もし今度、ラビルクがあっさり陥落して、バーゼル侵攻が早まったとしても、戦い慣れてないウォーロックなんて一捻りですよ」
「……そうだな」
返された台詞は肯定ではあったけど、漂う空気は、ますます沈んでしまったようだった。
「ホントに居ないみたいですね、カイゼル将軍――」
ひょっとしたら、秘密主義なお役人根性で教えてくれないだけなんじゃと思ったけど。
「レイラ様の元部下さんたちも帰って来てないみたいだし。将軍が出掛けてるって判って、探しに行ったのかなぁ……?」
「それか、さっきの副長たちに悟られないように、レイラの居場所を報せて。一緒にイエーナに向かったか――」
眉根を寄せたまま、ティセナ様は呟いた。
「街で、宿借りて待機しとくって言ってたんだよね? レイラは」
「はい」
「じゃあ、ひとまずレイラと合流しよう。帝国騎士なんて山ほどいるんだし、こっそり会おうっていうなら軍服や鎧は脱ぐか隠すかしてるはず――顔も分からない人間を、すぐに探し出すのはムリだわ」
×××××
その晩、レイラは、宿のレストランで食事をしていた。
部屋に戻って眠りにつき、夜が明ければ――もう約束の五日後だ。
また部下たちと話せる。
カイゼル将軍に会える。
そう考えると、無意識に表情がほころぶ。心が躍った。
……会えたら、なにから話そうか。
まず身の潔白を、帝国の変節に、幼帝エンディミオンの真意。
それに母は、どうしているだろうか? 父とアルベリックの決闘を、あの結果をどう思うかも――知りたいこと、訴えたいことは数え上げればキリが無かった。
ティセナに許可を取る必要はあるだろうが、出来ればカイゼル将軍にだけは、天使の存在まで含めて、これまでの経緯を打ち明けたい。
ようやく道が開けてきたように思え、すっかりリラックスした気分で、食後の紅茶を楽しんでいたところ、
「帝国軍だ! 帝国兵が、外に――」
「なんだって? こんな、片田舎まで攻めて来たのか……!?」
急に、往来が騒がしくなった。
(帝国軍……!?)
ぎょっとして立ち上がったレイラより早く、入り口付近のテーブル席に座っていた男性客がドアを開け、
「攻めて来たって、数は? 外って、どのあたりだ!?」
「暗かったからよく分かりませんけど! グローサインの紋章が入った鎧を着てるヤツが、十人か、二十人――とにかくそのくらい、広場の裏手で――剣を振り回して!」
「剣を? 誰か、襲われているのか? 見張りは、自警団はどうした!?」
通りを駆けていく人間を呼び止め、問い質す。
「分かりませんってば! もしかしたら、その、敵を通すまいとして自警団が応戦していたのかもしれませんけど……」
「本当かよ?」
「避難勧告も、警報も全然聞こえなかったぜ?」
「いきなり襲われて、進軍を食い止めるだけで手一杯になっちゃってるんじゃないの?」
「ついこの間、レフカスが占領されたばかりだっていうのに――」
「六王国すべて支配下に置くつもりかよ、帝国は!?」
ざわざわと伝染していく驚愕、恐怖。
「とにかく逃げなきゃ!」
「逃げるってどこに? たぶんそろそろ、ラビルクやバーゼルも危ないんじゃ……」
「もうレグランスか、ブレメース島しかないだろう!」
弾かれたように悲鳴を上げ、南へ西へと走りだした人波を掻き分け、逆流して――レイラは、現場へと急いだ。
コートにくるみ隠しておいたレイピアを、胸に抱いて。
「あんた、ちょっと! 帝国軍が攻めて来てるって報せ、聞いてないのかい? そっちへ行っちゃ危ないよ!」
「だいじょうぶです、ご心配なく!」
「なにが大丈夫なもんかい、ちょっとお待ちよ」
途中、すれ違った中年女性に咎められるが、こっちの事情を説明するつもりもそんな暇も無い。
「なんの用があるんだか知らないけどガキじゃないんだ、放っとけよ! 他人にかまってる場合か!? 逃げるぞ母さん!」
「お放しったら! あんな若い娘さん……!」
女性は、息子らしい人物と言い争いながらも、力ずくで引きずられ遠ざかっていった。
なにも知らぬ彼女の厚意に感謝しつつ、思う。
それで良い。
戦火が及ばない遠い土地へ、逃げてほしい。
軍部が当初の予定を変え、この国をも侵略対象にしたなら、イエーナは今から戦場になる。
逆にもしも――明日、落ち合う予定だった部下たちが、自警団などに見つかって誤解を受け、戦闘になってしまっているなら――どちらにしろ自分が行って、止めなければ。
“広場の裏手”
さほど大きくもないこの街に滞在して、数日が経つ。
思い当たる場所には、ほどなく辿り着いた……が。
「――あ、あなたたち!?」
駆けつけたレイラの目に飛び込んできたものは。
古びた外灯に照らされた、いくつもの、折れた剣と鎧の欠片。
そうして、ぐったりと倒れ伏した、見知った顔の青年たち――田舎町の自警団になど、まかり間違っても後れを取るはずがない元部下たち。
「しっかりして!」
現実は現実と割り切ることに慣れた軍人としての部分と、信じられないという感情がせめぎ合い。
一番近くに倒れている者に駆け寄って抱え起こすが、彼は、すでに事切れていた。
まだ、どうにか身体は温かい。けれどもう、息をしていない。
一縷の望みをかけ、それぞれの脈を、鼓動を確かめてみるが、絶望は深くなるばかりだった。
「ああ……どうして、こんなことに……?」
もはや、敵襲を警戒する余裕さえ失い。
ふらふらと広場を歩き回りながら、レイラは、真っ青な唇でうめいた。
そうしてふと、現実逃避めいたことを、疑問に思う。
(……雨?)
今日、降ったろうか?
足元が点々と黒っぽく、雨粒の跡のように濡れている――金臭い、けれど覚えのある。
ぼんやりと、外灯の真下へ眼をやる。
そこには鮮やかな、赤い点描。
……ああ、そうか。
これは、血だ。
ずっと一緒に戦ってきた、彼らの。
零れ落ちてしまった命の痕。
「たい、ちょう……?」
すっかり放心状態だった耳に、かすかな声が聴こえ。
「!?」
はっとして振り向けば、死んだと思い込んでいた部下たちのうち、一人がうっすらと目を開けていた。
「隊長……ご無事、でしたか……良かった」
レイラを見とめ、わずかに微笑む。
「そうよ、私よ!」
脈と呼吸を確かめたはずだが、判断を誤るほど自分は動揺していたのか。
それとも彼が気絶していて、息など感じ取れる状態ではなかったのか? だが今は、そんなことはどうだっていい。
「しっかりして! 今、傷の手当てを――」
天使からもらった回復薬があったはずだと懐へ手を入れるが、
「自分は、もう……」
そんなレイラを眩しげに仰ぎ、部下は、静かに首を振った。
「……早く、お逃げください……ここから」
もう死ぬのだと悟りきってしまっている様子の相手にかまわず、薬瓶の蓋を開ける。
しかし瀕死の部下は、すでに飲み込む体力も残っていないようで、激しく咳き込み、オールポーションを吐き出してしまった。
頭のどこかで、解ってはいるのだ。
一瞥しただけで判るほどの致命傷、辛うじて意識を保っている状態で――いくら天に与えられた回復薬を使っても。肝心な、本人の生命力が尽きかけていることは。
いくら火があっても、蝋がすべて溶け落ちては蝋燭は燃えない。体力が無ければ、大掛かりな手術には耐えられない。
今まで幾度も目にしてきた “死” と、同じことと、分かっているのに解かりたくない。
「なにがあったの、誰にやられたの!!」
「カイゼル将軍……に……」
途切れ途切れの、答えに再び、レイラの思考が凍りついた。
そんな、馬鹿な。
「……騎士だから、と」
愛する父の親友で。
幼い頃には、おじさま、おじさまと懐いて慕って、実の娘のように面倒を見てもらってきた。
「命令に疑問を、持……て、ない……なら」
騎士を志すようになってからは、目標という位置づけに変わったけれど、それでも。
「ここ……ろ……持って生まれた、意味が……」
カイゼル将軍に相談してみますと、部下たちが言い出したとき。
彼なら必ず解ってくれる、力を貸してくれると信じて疑いもしなかったけれど。
「隊長が……」
そうよ。
クロイツフェルド親子に、魔女セレニスに嵌められたのだと思ってくれるなら、察してくれたなら――今になって味方になってくれるようなら、どうして。
「堂々と、胸を張って……国へ戻れるようにしたかった」
あの夜、牢屋から連れ出してくれたのが、どうしてカイゼル将軍ではなくティセナだったの。
「……すみません」
どんな厳しい訓練にも、音を上げたり泣くことなどなかった部下の頬を、一筋の涙が伝った。
それっきり。
かくりと折れた首を、レイラの膝に預けたまま――彼は、動かなくなった。
解っている。
もう二度と。
泣いて叫んでも、還ってくることは無い。
交渉決裂して剣を交える前に、レイラの元部下さんたちとカイゼル将軍が、どんな会話してたのかなーと考えると切ないです。ついでにストーリー中盤から現れる融合兵は、帝国軍内の反乱分子が、魔導士のモルモットにされてしまったんじゃなかろーかと嫌な想像をしてしまった。