◆ 緋色の雨(2)
イエーナ市街には、ほとんどヒトの気配が無かった。
かすかに感じるそれらは固まって、競うように、どんどん郊外へと遠ざかっている。
「!」
勇者の気配には、天使よりも妖精が敏い。
静まり返った空間を先導して飛んでいたシェリーが、びくっと縮こまり。眼下に映る一点をおそるおそる指した。
「ティセナ様っ、帝国軍が!!」
言われて目を凝らせば確かに、レイラと似通った出で立ちの騎士が数人――その背後に付き従う影は。
「……合成獣?」
つるりとした楕円形の頭部。
目鼻があるべき位置には、機能さえ判別不能なくぼみ。
全身が鬱血したような紫色をしており、そんな体躯に奇形の鎧が巻きついた姿は、悪趣味な花めいて異様だった。
人型ではあるが、どう見ても人間じゃない。
インフォスでも何度か出くわした、人造の生き物――しかも、おそらくベースにされたのは人間だ。勇者グリフィンの仇であった、狂領主ビュシーク同様に。
こんなモノを使役しているあたり、やはりグローサインはまともな軍隊じゃない。
「まずいな。今の勇者たちに、太刀打ち出来る相手じゃないわ」
レイラに限らず。
ハンター稼業を営むクライヴや、魔導士のアイリーンにも埋められないだろう、絶対的な力量差――下手をすれば、一撃喰らっただけで即死だ。
「レイラの気配は? 移動してる? 住民を護衛して逃げたんならいいけど……」
「いいえ、さっきから一箇所に留まったまんまで!」
こっちですと、再び羽ばたきを速めたシェリーを追ってほどなく。
鼻腔をかすめた血の匂いが濃くなり――やがて広場にへたり込んでいる、金髪の人影が見えた。
「レイラ様!? どうしたんですか、動けないんですか!?」
「帝国軍と戦ったの?」
「たったっ大変! 早く止血しなきゃ……って、あれ? 怪我は無いみたいですけど、これ、ぜんぶ返り血……? 打撲ですか骨折ですか? どこが痛いんですか?」
代わる代わる問い質す天使と妖精に、ぼんやりと虚ろな目をして答える勇者。
「カイゼル将軍が――」
「カイゼル?」
負傷した痕も、歩けないほど疲労した様子もない。外灯に照らされた彼女の軍服は、胸元から膝にかけて赤黒く汚れているが、それは、おそらく周りに倒れている帝国兵のものだろう。
カイゼル将軍と一戦交えたというのか?
ならば元部下たちによる “相談” は失敗したと?
そうして潜伏場所を知られ、襲ってきた帝国軍を迎え撃った……?
しかし散乱した死体の顔はいずれも若く、父親の旧友であるという年代の騎士は見当たらない。そもそも将軍クラスの手錬と戦って、無傷で済むとも思えない。
いまいち状況が掴めず眉をひそめる、ティセナの服の裾をひっぱり、迫り来る危険を訴えるシェリー。
「ティセナ様! さっきの帝国兵、まっすぐこっちに向かってきてます!」
「……立てる? レイラ」
一般兵ごときに彼女が後れを取るとは思わないが、今は心ここにあらずといった様子であるし、なにより敵は合成獣を連れている。
一対一なら高位攻撃呪文で消し飛ばせば済むが、敵味方入り乱れてしまうと面倒だ。対魔族用の大技に、アルカヤの人間だけ避けてダメージを与えるなんて器用な加減は出来ない。
「こんな広場で囲まれちゃ不利だわ。とにかく、向こうの路地に移って」
「嫌よ!」
うながすティセナの手を、突然、声を荒げた勇者が振り払う。
「レイラ?」
「私の部下なのよ! まだ、気絶しているだけで助けられる者もいるかもしれない――」
項垂れたまま、急に全身を強ばらせ、
「部下?」
「……そうよ、連れていかなきゃ」
両手の指で、ガリッと石畳を掻き毟る。
「国へ、連れて帰って……ご遺族に詫びて、それから」
うわ言のようなレイラの台詞に、断片的な事実と憶測がようやく一本に繋がる。
カイゼル将軍に部下を殺されたと?
相談を受けた末の結論が “これ” であったなら、レイラを見逃すことも、その逆も考えにくい。彼女が駆けつけたときには手遅れで、将軍は立ち去った後だったんだろう。
ならば、誰か――辛うじて息があった者が、なにが起きたかを元隊長に伝えたか。
「……全員、命の灯は消えてるわ」
気持ちは判る、だが死人にかまっていられる状況でもないのだ。
「反逆者の仲間として粛清されたんなら、家族に遺体を返しに行くこと自体、迷惑になりかねないよ」
酷と思いつつ現実を突きつける。しかし聞こえているのかいないのか、
「私が、彼らを頼ったりしなければ――」
レイラは興奮に肩を震わせ、らしくもない金切り声を上げた。
「こんなことになるくらいなら、あの牢屋で自殺でもしていれば良かったんだわ!」
「じゃ、ここで死ぬ?」
ティセナは冷ややかに、勇者を見下ろす。
「だけど、あなたが死んだって帝国はなにも変らないよ。邪魔者が一人減って、侵略戦争が少しやりやすくなるくらい……かな?」
「…………」
蹲ったまま、レイラは微動だにしない。
セイラーブルーの瞳は、悔恨と怒りに煮え滾っている。
「お二人とも、そんな話してる場合じゃありませんってば! あの合成獣、高位魔族級ですよ!?」
間に挟まれたシェリーは、真っ青になってパニック寸前だ。
(逃げろって言っても素直に聞いてくれそうにないし。転移魔法で連れ出そうにも、これじゃ拒絶反応起こして狭間に迷い込みかねないし――)
ひとまずレイラがいる、この場をやり過ごして。
帝国軍がイエーナを攻め落とすつもりなら、自分が実体化して、ギリギリまで時間を稼ぐしかないか。
「魔導士が混ざってなけりゃ良いんだけど……」
ティセナは、さっと結界を張った。
勇者の姿が視認されなくなると同時に、こちらの声や攻撃も届かない種類のものを。
さっき上空を通過した自分たちに反応しなかったあたり、あの合成獣は自我に乏しい。主に命令されて初めて、攻撃対象を認識するタイプだろう。
あとは帝国軍に魔術を齧ったものがいなければ、レイラは、それに自分たちも発見されずに済む。
「しかし、カイゼル将軍? 本当に宜しいので?」
「裏切り者には、公の場で罰を――可能ならば生かして捕らえ、死んだ者も本国へ送り返せとの仰せでしたが」
だんだん近づいてくる足音。
カイゼル、という呼び名に、うつむいていたレイラがびくっと反応する。
「……しょせん、戦場を知らぬ文官の要求だ」
厳格な、低い声。
グレーの顎鬚を蓄えた壮年の騎士が、広場の中心に立った。
「グランドロッジを中心とした、アルクマールの守りは強固ぞ。魔導士の本拠地を前にして、レイラ・ヴィグリードに続き、またも反逆者が出たなどと――騒ぎになれば、軍全体の士気にも悪影響を及ぼしかねん」
「確かに、そうですね」
部下と思しき青年たちが頷いて。
ずしんずしんと無言で進み出た合成獣が、担いでいた瓶の中身を、四方八方にぶちまけた。
オリーブ色の液体がばしゃっと跳ね、散乱した死体に降りかかる。
「……下がれ」
短く命じたカイゼル将軍が、コインほどの、小さな赤い石を放り投げ。
最も近くに倒れていた死体の背に落ちたそれは、ボウッと音をたて燃え上がった。
「おじさま!?」
我に返ったレイラが叫ぶが、結界に阻まれて近づけない。
炎は導火線を辿るように次々と、広場中の死体に燃え移っていく――
「ティセナ! なんの魔法なの、これは……解いてちょうだい!!」
「却下」
素手でガンガンと障壁を殴りつける勇者の要望を、一蹴して問い返す。
「そこから出てどうするの。焼身自殺でもするつもり?」
「私の部下なのよ! 助けなきゃ!!」
「悪いけど私には、もう死んでるあなたの部下より、今生きてるレイラの方が大事なの」
「……!?」
整った容貌がぐしゃぐしゃに歪むのを、見て見ぬフリをして。
ティセナは、敵軍の様子を窺っていた。
「すごい燃え方ですね――」
帝国兵の一人が、やや怯えを滲ませ後退る。
「有機物のみを焼く特殊な炎だそうだ。街が火の海になる心配はなかろうが、念のため、鎮火を見届けて戻る……おまえたちは、先に行け」
レイラの部下だった者たちは、すでに紅蓮の火だるまになって黒煙を吹き上げていた。
「明後日には進軍を再開する。準備を終わらせておくのだぞ」
「はい!」
答えた騎士たちは、どこかホッとした表情で踵を返す。
空になった瓶を担ぎ、身の丈と変わらぬ槍をもう一方の手に携えた合成獣が、遅れて後を追っていった。
魔力を帯びた炎はあっという間に燃やすものを喰らい尽くして、跡に残るは、熱気に煽られて漂う塵ばかり。
「……理由がどうあれ、謀反は謀反だ」
立ち去り際、カイゼル将軍は、ぽつりと呟いた。
「許してくれと言う気も無い。だが――」
結界を隔てたすぐ傍らで、呆然と己を見つめるレイラの存在に気づくことなく。
「命をかけても救いたいと思った相手を、自らの手で殺すよりは、マシであろう……?」
フライング登場、カイゼル将軍。ゲームまんまフォロー皆無で対決 → おじさま死亡じゃあ、あんまりにも酷かなぁと思ったわけですが。下手に心情を察してしまうと、余計やりにくいかもしれないと考えるとまた堂々巡り。