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◆ 緋色の雨(3)


 結界を破ろうと半狂乱になって暴れていた勇者は、燃えるもの、すべて燃やし尽くした炎が霧散すると同時に――くたっと、その場に蹲り。

「……シェリー、カイゼル将軍を追って」
 黒いまだらな焼け跡に背を向け歩きだす壮年の騎士を、横目にしつつ指示を下せば。
「もしも再侵攻が早まるようだったら、報せに来て」
「はっ、はい! 了解です」
 頷き勇んで尾行を開始した、妖精の姿は、瞬く間に遠ざかり夜道へと消えていった。
 そうして、しぃんと静まり返った広場に。

「いったん、退くよ?」

 了承を得るためというより、決定事項を告げるつもりで声を落とすが。
 レイラは、半ば放心状態に陥っているようで身じろぎひとつせず――そんな彼女の腕を取り、ティセナは、無言で転移魔法を発動した。
 どんな手錬とて冷静さを欠けば、刃を握る手元も狂いかねない。
 慕ってくれていた部下を一度に喪ったうえ、カイゼルの手助けも見込めないと判っては、せめて……親しかった人間とも戦う覚悟を決めるまで、帝国絡みの情報から遮断した方が良いだろう。

×××××


 ククタの “ヤドリギ” へ戻り、されるがままのレイラを部屋に押し込め、ベッドに座らせて。
 お互いに何も言わず黙ったまま。
 やがて糸が切れるように眠りについた、勇者の寝顔を見るともなしに眺めていると――ふと、外に馴染みの気配を感じ。

「ティセナ様? ……いったい、どうなさったのですか」

 廊下へ出れば、すうっと小窓から降りてくる淡緑色の光。
 姿が見えない扉越しにも勇者の魂の乱れを感じ取っているんだろう、聡い妖精が、訝るように閉ざされたドアを仰いだ。
「レイラ様は、帝国の侵略行為を阻止するため、しばらく六王国に留まる予定だったはずでは?」
「ああ、ローザ。ちょうど良かった」
 とりあえず誰かが来るまでと思っていたが、レイラとも気性の合うローザならば適任だ。
「彼女が落ち着くまで、ここで付き添っててくれる?」

 人間には聴こえない程度に声を潜め。
 イエーナで見聞きしたことを掻い摘んで話せば、ローザは、眉をひそめ問い返す。

「それでは、今後の戦略は? アルカヤにおいてグローサインの軍事力は突出しているようですから、いくら勇者様方に依頼して、他国へ攻め込んでくる部隊を迎え撃とうと根本的な解決にはならないでしょう」
「うーん。レイラを中心にした反帝国組織が一大勢力に育って、民衆から “正義の味方” 扱いされるようになって。逆に求心力を失った帝国は、内側から瓦解って流れが理想だったんだけど――今の彼女に、それは期待できないね」

 もう絶対、誰かに頼ろうとはしないだろう。
 自分の所為だという意識が、心に重く圧しかかるのは……どんな理不尽よりもキツイから。

「当面は私とルシードで、魔導士ギルドに手を貸すつもり。ウォーロックの結束を強めるにはアイリーンの方が適任なんだろうけど、あの子もややこしい性格してるみたいだから、多くは望めそうにないし」
 アイリーンの義兄だという、フェイン・ルー・ルグスについては。
 そこそこ腕は立つようだし魔法も使えると、協力を求めるには適した人材に違いないのだが、
『いくら秀でた能力の持ち主で、悪いヤツじゃなくても。仕事にかまけて妹一人も顧みる余裕の無い人間が、こっちの依頼までこなせるとは、俺には思えません』
 昏睡から目覚めた彼に対する、ルシードの評価が妙に渋いものであったから、スカウト対象から外していた。
 ティセナ自身、これ以上管理勇者を増やしては、逆に迅速に動けなくなると判断したことも理由にあるが。

「カイゼル将軍の動向は、シェリーに追ってもらってる。侵攻再開は二日後の予定らしいから、とりあえずルシードと――」
「ティセナ様ぁーっ! 事件事件、事件です!!」
 突如、ローザとの会話を遮って響いたのは、数時間前に別れたはずの妖精の声で。
「シェリー?」
「尾行はどうしたの? ……まさか、もう」
「違います! 再進軍は、むしろ延期が決まって」
 勢い余って壁にぶつかりそうなスピードで飛んできたシェリーは、ぜいぜいと呼吸も荒くまくしたてた。
「帝国領のデフルゼイムで、街がモンスターの群れに襲われたって――そこいらの兵士じゃまるっきり敵わなくて取り逃がしちゃって、被害地はどんどん南下して。セレスタを占領してた駐屯兵も、ほとんど噛み殺されて全滅! 予測進路が、今度はレフカス北部の森を抜けたところで、小さな村があるんだって――」
 この地域も、近いうちに襲撃されるんじゃないかと。
 夜半、出先から戻ってきた将軍を見つけた兵士らが、縋るように口々に訴えていたと。
「現場には攻撃魔法の痕跡もあったらしくて、ギルドの魔導士が反撃に出たんじゃないかって騒ぎになって。カイゼル将軍たちは、ひとまずモンスター討伐の為に引き返すみたいです」
 ならば確かに、ラビルクやバーゼルへの進軍は先延ばしになるだろう。
「反撃? それにしては順番がおかしいわ。本当にギルドの作戦なら、占領されたレフカスやセレスタから、帝国軍を追い散らすように北上していくんじゃないかしら……?」
「やっぱりローザもそう思う? それにね、なんとか生き残った人たちの目撃情報だって、モンスターの特徴を話してるのも聞こえたんだけど」
 同僚の見解に、意を得たりとばかりに報告は続いた。
「犬や狼なんか比べ物にならないくらい大きくて、しかも双頭だったんだって! それって地上界の生物より、魔犬に多い特徴でしょ?」
「……魔犬」
 人間による召還魔法か、磁場狂いに惑わされた魔界の野獣か、対峙してみなくては判断がつかない――前者であり、帝国軍の横暴に抵抗しようとした結果なら、その手法に対する干渉は憚られるが。
「レフカス北部ね? ちょっと行ってくる」
 エクレシア西部に位置するこの宿からも、さほど遠くない。
 単に暴走したモンスターが無差別攻撃を行っているようなら、即刻止めなければ。
「わ、私も連れてってくださいティセナ様!」
 転移魔法の発動体勢に入ったところ、あたふたとシェリーが腕に抱きついてきた。
「なにか役に立てるかもしれませんし、それにこの件が片付いたら、まだカイゼル将軍を見張っとかなきゃですよねっ?」
「そうね……ローザ、後をお願い」
「かしこまりました、お気をつけて――」


 心配そうなローザの声を最後に、視界はふつりと切り替わり。


「ティセナ様、あそこ……!」

 鬱蒼とした森を見渡せば、わずかに明り灯る集落の影と――悲鳴、怒号、風に乗って漂う血の匂い。
 そこかしこに倒れ絶命している帝国兵の姿は、レフカスが占領された事実を示すと同時に、敵襲に退かぬ剣士としての覚悟を窺えるようでもあった。
(逃げる間もなくやられたって可能性もあるけど、ね……)
 思った次の瞬間には真逆のことを考えてしまう、己の嫌な思考パターンに失笑しつつ、生命反応が残っている方角へ急ぎ向かえば――モンスターの群れに応戦している複数の人影と、鈍く重い剣戟音が聞き取れた。

「……どこから迷い込んだんだか知らないけど」

 地上へ降り立つと同時に実体化、剣を抜いたティセナは、防戦一方の人間側を庇うべく――割って入りざま、牙を剥いた獣一匹を薙ぎ倒す。

「おとなしく巣に帰らないんなら、斬るよ」

 そうして、切っ先を突きつけ脅せば。
 シェリーの予想どおり魔界生物ではあるようだが――雑種か、はたまた新種か――ガルムともティンダロスともつかぬ毛色のモンスターは、ギャンッ!! と甲高く呻き。
 地面に溝のごとき爪痕を残しながら、数メートル吹っ飛ばされた仲間の姿に驚いたように、残る数頭は警戒もあらわに身構え低く唸りだす。
 翼が視得ない状態であっても本能的に、眼前の存在が “天敵” と解るんだろう。

「あなたたち、少し下がってて」
「し、しかし――」
「足をやられた人間が、反応できる速さじゃないよ」
 ズタボロになりながらも魔犬と戦っていたのは、やはり帝国兵と思しき若者たちだった。
 幸い致命傷は負っていないようだが、満身創痍という表現がぴったり来るほど切り傷まみれの血みどろである。いくら浅い傷でも、止血せずに動き回っていては危ない。
「それに、その獣道の先。人がいるんでしょ?」
「……ああ。村の住民を避難させている」
 赤毛の青年が戸惑ったように答え。その隣で、まだ少年と呼んでも差し支えなさそうな金髪の兵士も、小さく頷いた。
「だったら、そこを守っててくれる? 後れを取るつもりは無いけど――さすがに、ちょっと数が多いしね」

 わずかに振り返り言葉を交わしたところを “隙あり” と見たか、一斉に跳躍した魔物が襲い掛かってくる。
「う、後ろ……!」
 モンスターを注視していた兵士らが、血相を変えるが。

(見境なくヒトを襲ってるようだし、制御されているようにも見えない。ギルド絡みで召還された魔物だったとしても――消えてもらうしかない、か)

 高位魔族とはいえ策を弄するでもない獣程度、天界軍、ミカエル直属部隊の一員にとって敵ではなく。
 第一閃から10分と経たず、戦闘にはケリが着いた。



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このイベント発生時、すでにレフカスは帝国の領土にされている訳であって、それなら一般市民じゃなく駐屯兵がいるはず――進路を阻まれれば即ロップイヤー (違) たちに攻撃させただろうと。