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◆ 緋色の雨(4)


「つ、強ぇえ――」

 もんどり打って倒れた端から消えゆくモンスターの群れと、ほどなく長剣を収めたティセナとを、呆然と凝視しながら。

「……あんた、いったい何者だ? どこの部隊だ?」

 うわずった問いをこぼした赤毛の男を、横目で見やり。
「部隊? グローサインの?」
 おかしなことを言う人間だな、と訊き返す。
「帝国に女性騎士は一人きり。しかも今は行方不明って、噂に聞いてるけど――違うの?」
 そっちこそ入隊したての見習いか?
 違うと言うならその鎧に刻まれている、鷲を象った徽章はなんだ? 盗品か。墓場泥棒の産物か。
 たとえ末端でも軍に属する者なら、女だてらに騎士団を率いる立場にあったレイラの顔や、ここ最近の反逆騒ぎを知らぬ訳があるまいに。

「そ、そうか。そりゃそうだな……」

 どうやら動揺と興奮のあまり、意味も無く思ったことを口走っただけらしい。
「いや。違わん、あんたが言うとおりだ」
 ぽりぽりと頭を掻きつつ、てっきり、どっかの部隊長が応援を寄こしてくれたもんだとばかり――と、決まり悪そうに語尾を濁す相手に、
「何者って言われても、べつに何でもないよ。流れの傭兵みたいなもの」
 肩を竦めてみせながら、ティセナは答えた。
「ただ、新種のモンスターが暴れてるって聞いて。寝泊りしてる宿が襲われでもしたら困るから、調べに来ただけ」
「……傭兵」
 オウム返しに呟いて、それっきり会話も途切れると思いきや。
「今は? 誰かに雇われているのか?」
 やけに食い下がって来る帝国兵を前にして、内心戸惑う……なに、このヒト?
「誰って。まあ、日雇いの仕事くらいはこなすけど」
 一般人相手では、さすがに天界云々といった説明は出来ない。
 しかし、そこを伏せてしまうと――アルカヤで発生する事件への対処に関して、上層部から丸投げされている自分は、誰の命令に従ってもいない曖昧な立場だ。
 地上界に存在する中で一番イメージに近い組織は “教会” だろうが、ほとんどの人間が 『ふーん』 と相槌ひとつで流すところを突っ込んできたあたり、なにやら厄介事の雰囲気を醸し出しているし……どこの団体だエクレシアかと問い詰められたら、いよいよ面倒くさい。
「今は、特になにも」
「だったら!」
 男は、勢い込んで続けた。
「あんたの腕を見込んで、頼みたいことがある。話だけでも聞いてくれないか!?」
「は?」
 他国へ攻め入った占領軍。
 しかも見たところたいした権限も無さそうな、せいぜい小隊の纏め役といった感じの人間が、傭兵風情になにを依頼するというのだ。
 まあ、聞くだけなら害はあるまいし。多少はグローサインの内部事情も探れるだろうが――
「話より手当てが先じゃない? いくら致命傷は避けてたって、そのまま放っといたら出血多量で死ぬよ。あなたたち」
「あ、ああ」
 慌てて他の兵士らを振り返り、爪痕に血と泥でぼろぼろな己の姿を眺め下ろして。ようやく、忘れていた痛みを思い出したように顔を顰め、
「それに、コンラッド隊長。村人たちの様子も気になります……ランプを持ち出す暇も無かったから、逃げる途中に転倒した者もいたようですし」
「あの爺さん、打ち所が悪ければ骨折してるんじゃないかと」
「とりあえずモンスターは退治されたと教えてやらなきゃ、女子供は特に、怯えたまま眠れないでしょう」
「そっ、そうだな」
 再び赤毛を掻きつつ頷いた男は、首をすくめて、こちらを窺う。
「すまん、少し待っていてくれるか?」
「いいよ、手伝うよ。ぼーっと待ってるだけなんて、所在無くて嫌だし」
 軍部が一人残らず侵略戦争に賛成しているとは思っていなかったが、それにしても、妙に腰の低い帝国兵だ。
「ありがとう、そりゃあ助かる」
 笑って綻ばせた表情など、武装していなければ軍人には見えなかったろう。

 住民が避難しているという森の向こうへ、ぞろぞろと歩きだした連中に付いて踵を返しながら。

「シェリー」
 ティセナは小声で囁いた。
「カイゼル将軍のとこ戻って。監視を続けて」
「了解です!」
 淡紅色の光は、夜空へ溶けるように飛び去っていき。

 村人の無事を確認して。
 あらためて感覚を研ぎ澄ませれば――集落を中心に、半径数キロメートルに渡り魔力の残滓が漂っていた。
 かなりの術者が事に絡んでいたようだが、それらしい気配の “源” は近くに無い。モンスターだけを差し向けたか、すでに逃げ去った後なんだろう。
 召還した獣を制御できず自滅して、野放しになった魔犬だけが暴れだした。
 そういった経緯ならば、これきりの話で済むが。原因も目的もさっぱり不明なまま……当面の脅威は取り除けたものの、解決とは言い切れない結果になってしまった。
 げんなりした気分を押し隠し、とりあえず、傷が深い者から順に応急処置を施していると、

「手際、すごく良いですね――」

 不意に、感嘆しきった声が掛かり。
「え?」
 振り向けば、まだ幼さ残る金髪の少年が、こちらの手元を覗き込んでいた。
「ただの慣れだよ。普段から、こんなことばっかりやってるからね」
 ティセナは苦笑して、問い返す。
「あなた、新兵?」
「はい。リュカ・フランベルって言います。今回の進軍が、実戦も初めてみたいなもので……お恥ずかしいです」
 剣の腕についてか、手当ての迅速さを指しているのか、おそらく両方というよりすべてにおいて不慣れなんだろうが――頷いた少年は、顔を赤らめつつ質問を寄こす。
「……あの。お名前を窺っても、いいですか?」
「私? ティセナ・バーデュア」
「バーデュアさん、かぁ……ヴィグリード隊長も強かったけど。20歳そこらの女性で、見た感じ華奢なくらいなのになぁ」
 呟き、しゅんと項垂れて。
「普段からって、どんなふうに鍛錬してるんですか?」
「参考になるようなことは無いよ」
 アストラル生命体の強さは、物理的なパワーよりも魔法や精神面に寄るところが大きい。興味津々に訊ねられても困るのだが、
「月並みだけど、努力あるのみ?」
 子犬のような目で仰がれると、あまり邪険にあしらうのも躊躇われて、無難な一般論を答えておく。
「あと、眺めてるばっかじゃ上達しないから、見よう見まねでも手を動かす」
「うわっ、はい!」
 言われて素直に従うあたり、これまた、とてもじゃないが帝国兵とは思えない人種だった。
 まったく、こんなだから――軍人がエリート視されていたり、徴兵制度がある国というヤツは嫌なんだ。


「……あれっ?」


 ひととおり処置を終えて、村へと引き返す人々を護衛しつつ移動する途中――リュカが、戸惑ったように足を止めた。

「なんで、あんなところに……子供?」
「え?」

 訝しげな視線を追ってみれば。
 廃屋と思しき建物の戸口に、うずくまる小柄な影があった。

 12、3歳くらいだろうか? ぐったりと板戸に凭れかかっている少年の、頬には血が飛んでいる。
 特に深手を負った様子はないから、掠り傷だろうが――魂が放つ波は、今にも意識を失って倒れそうな疲労具合だった。モンスターから逃げる途中に親兄弟とはぐれて迷い、一晩中、暗い森を逃げ惑っていた――そんなところだろうか?
「あなた、だいじょうぶ……?」
 助け起こそうと近づいていって伸ばした、右手は。

「――僕に、触るな」

 バシッ、と鈍い音をたて。
 幼い外見に似合わぬ、強ばった声と同時に振り払われた。

 ふらつきながらも立ち上がった少年は――アルカヤの遊具なんだろうか――靴底に4つほど車輪がついた妙な履物で、地面を蹴って滑るように歩きだす。
 どんどん遠ざかっていく小さな背中を見送りながら。
「あー……」
 想定外の反応と痛みに面食らった、ティセナは数度、瞬き――次いで苦笑いをこぼした。

(怖がらせちゃった、か……)

 初対面の子供の警戒心を解きほぐす、なんて芸当は “天使様” の専売特許であって。
 自分には出来やしないのだ。

「あの、気にすることないですよ!」
 ぱたぱたと隣まで駆け寄ってきたリュカが、気遣わしげに言い。
「いくら助かっても、あんなモンスターに襲れた直後じゃあ。子供だったら、なおさら怯えて当然ですし――」
 もう一人、オレンジがかった茶髪の青年が、並んで口を揃える。
「まあ、ねえ……でも」
 億劫ではあるが。子供ひとり放ったらかして、もしものことがあったらと考えると、そっちの方が気が重い。
「やっぱ心配だから行って来るわ」
「え?」
「ここの大人は探してるふうじゃなかったから、どこか近隣の子なんだろうけど。ただでさえ夜道は暗いのに、森を抜けてくなんて物騒だし」
「だけど、さっきの様子じゃ……送るよって言っても拒否されると思いますけど」
「うん。だから、あの子が家に帰り着くまで、後ろからくっ付いてく」
 気づかれないように気配を隠すくらい出来るし、人目が無くなった時点で、アストラル体に戻ってしまえばさらに楽だ。
「子供の行動範囲くらいなら、そんな時間かからないだろうし。テキトーに戻ってくるから、あのコンラッドって隊長さんに言っといて?」
「いや。だったら、俺たちが行きますよ」
「そうですよ! さっきみたいな馬鹿デカイのは、ちょっと――手に負えませんけど。そこいらの野生動物からくらい、あの子を守って戦えますし」
「それに、隊長の話……」
 代わる代わるにティセナを引き留め、数秒、ためらっていたリュカが意を決したように言う。
「僕らは、みんな隊長に賛同しているから問題ないんですけど。もし、あの魔犬のこととかで、他の部隊が村に来たら――どこで誰に聞かれるか分からないから、話も出来なくなると思うんです」
「…………?」
 なんの話かと思っていたら、ここの駐屯兵全員が絡んでいると?
「だから、あの子の護衛は僕らに任せてください」

 そう請け負ったリュカたちが、獣道の向こうへ走っていったあと。
 村人たちは、ようやく各々の家へ戻って眠りに就き。

 ティセナは小一時間ほど、ジェフリー・コンラッドと名乗った駐屯部隊長の、打ち明け話に付き合うことになった。


 そうして、殉職した兵士たちの埋葬も終え――東の空が白み始める頃。


 たいしたもてなしも出来ないが、と差し出されたカフェオレ入りのマグカップを手に、野営テントの外で一息ついていると。

「あ! バーデュアさん」

 腹を空かせた獣に襲われたりといったトラブルは無かったようで、無事に戻ってきたリュカたちが、口々に告げた。
「ええっと……報告です! あの子、セレスタの田舎町から来てたみたいで」
「ちゃんと家に帰りましたよ。さすがに中は覗けなかったけど―― “ただいま、母さん” って、話しかけてる声が聞こえましたから」
「……そう。ありがと」
 遊びに来ていた先で、騒動に巻き込まれ帰れなくなっていたというところか。
 なんにせよ、ちゃんと家があって親もいるなら心配ないだろう。
「こっちも、隊長さんの話は聞いたよ」
 ハッとして、窺うような眼を向けてくる二人に、軽く頷いてみせた。
「さすがに即答しかねる依頼だったけど。場合によっては、長い付き合いになるかもね――よろしく」



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セシアは、ちょっとポジションそのものが原作とずれる予定なので、イオン絡みのエピソードはティセナ視点で追う予定。ついでに話の都合上、イオンの魔力は安定性に欠け、オーバーワークするとガス欠状態になって、天使や妖精にも感知できなくなるタイプと設定してます。