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◆ 白き凍てつく荒れ野が原(1)


 惨劇の翌日。

「……ごめんなさい。感情的になりすぎたわ」

 ヤドリギの一室で目を覚ましたレイラは、ひどく虚ろな。
 それでもイエーナでの狂乱ぶりに比べれば、遥かに落ち着いた口調で、自嘲気味につぶやいた。
「あなたに八つ当たりしたって、どうにもならないのにね……」
 体力面においても精神的な意味でも、再び立ち上がるには程遠い憔悴ぶりで。
「ううん。こっちこそ、ごめん」
 うつむいたまま目を合わそうとしない、勇者の横顔を眺めながら。
「もう少し気づくのが早かったら。あの人たち、助ける方法もあったんだろうけど――」
 ティセナは内心、嘆息する。
“慕ってくれた部下たちを、自分の所為で死なせてしまった” と、自責の念に囚われているんだろうことは瞭然で。
「まだ休んでた方がいいよ。私は、外にいるからさ」
「ええ……」
 話しかければ緩慢に頷くが、それっきり。
 今は、なにを言っても彼女の耳に届きはしないだろう。


 泣くにしろ喚くにしろ人目が無い方が楽かと、部屋を後にしたものの。
 一人になりたいと思っても、本当に独りきりにされてしまったら、それはそれで心細いんじゃないかという気もして――結局、ずっとレイラに付き添っていた妖精を伴い、宿の庭先へ出た。

 そうして、寝室の窓からでも見える木陰に背を預け、レフカス北部の山村でなにがあったかを掻い摘んで話す。
 人里を襲っていたモンスターは、やはり魔界の獣だったこと。それから、
「……魔女の暗殺ッ!?」
 コンラッドが持ち掛けてきた “相談事” を端的に伝えたとたん、ローザは文字どおり飛び上がった。
「そ、そんな物騒な依頼を――しかも、見ず知らずの帝国兵からお受けになったんですか? ティセナ様!!」
 血相変えて詰め寄ってくる妖精を前に、説明が大雑把すぎたかと苦笑いして付け足す。
「引き受けたわけじゃないよ。どんな胡散臭い魔導士だろうが、魔族よりタチの悪い極悪人だろうが、人間相手じゃ私は手を出せない……こともないけど」
 それで勇者たちを危険にさらさず済むようなら、戒律無視して片付けに行った方が楽だけれど。
「あの厄介な結界が解けない限り。レイゼフートに乗り込んでいって、侵略戦争を煽ってるお偉方の寝首、まとめて掻っ切るって訳にもいかないしね」
 強行突破の反動でアルカヤが崩壊してしまっては、さすがに意味が無いと、肩をすくめたティセナを軽く睨んで、
「そういう退廃的な物言いは冗談でもおやめください!」
 ローザは、眦をつり上げ怒りだした。
「地上の生物には手を出さないこと! 基本ですよ!? いくらクレア様とは違って、ご自身だけの問題で済むからといって――少なくともシェリーたちは、そんなふうに割り切れはしないんです!」
「分かった分かった」
「真面目に聞いていらっしゃるんですか!?」
「分かったって」
 疑わしげな眼を向けてくる妖精を、どうどうと宥めながら思う。

 よく笑って喋るシェリーは眺めてると和むし、一緒にいて文句なしに楽しいけど……冷静とか堅物とか言われがちな、この子も、また違った意味でおもしろくて好きだ。
 おもしろいなんて思っていると知られたら、頭から湯気たてて怒るに違いないから、それこそ冗談でも言わないけど。

「とにかく、レイラも、クロイツフェルド親子を暗殺すれば――なんて考えてるみたいだったけど。侵略戦争に賛同している有力者が他にもいたら、トップが入れ替わるだけで進軍は止まらないでしょ」
「その通りです! だいたい……誰にも気づかれずに敵地へ潜り込んでいって、標的を討ち、脱出するなんて。いくら手錬の勇者様でも不可能ですよ」
 頷いたローザは、憤然と応じた。
「どんな恐ろしい術者が中にいるかも定かでないというのに。あの結界をどうにかしなければ、私たちは、援護はおろか同行も出来ないんですから」
「そうねー。最初にレイラが閉じ込められてた牢屋は、ギリギリ “外” にあったから、まだ良かったけど――」
 だからこそ妖精が、資質者の存在を感知して。
 どうにか処刑されてしまう前に救出も叶ったわけだがと、そこまで考えて。
「……ん?」
「どうされましたか?」
「天界が動くの見越して、大掛かりな結界を張ったんだろうに――なんで拘束した資質者を、術の範囲外に置いといたかな?」
 ふと引っ掛かりを覚えた。
 もちろん、市街に牢獄があっては景観を損ねるし住民も不安だろうから。大量の犯罪者を収容するには、郊外に大型施設を造る必要があるとは思う。
 しかし女性一人を閉じ込めるだけなら、他にも留置場なり何なり、監禁に使える部屋はあったろうし。
 レイラを陥れた人間こそ、彼女に、皇帝エンディミオンに危害を加えるとかいった叛意が無かったことは解っているだろうから、無理に城から遠ざける必要があったとも思えない……そもそも、追放する意図だったにしては半端な距離だ。
 まさか、アルベリックが夜な夜なレイラの元へ通い詰め、脅迫まがいの口説き文句を繰り返すことによって、変な噂が立つとか、一般兵への示しがつかなくなるなんて理由でもないだろう。

 資質者とは気づいていなかった可能性もあるが。
 妖精の眼力を頼めなくとも、魔族の中にも予言者は存在する。
 だからインフォスの勇者たちは、幼少期に呪いをかけられたり、火災で両親を亡くすといった災厄に見舞われる羽目になったのだ。

 レイラも同じように、敵の策略によって追われる身になったんだと思っていたけれど――そもそも彼女を捕らえながら、生かしておいた理由はなんだ?
 前例を言うなら、アドラメレクは単に標的を取り逃がしていたようだし。
 アポルオンは、己の領域に、天使を誘き寄せる餌として勇者を使うつもりだったようだが。

「……あれ? もしかして早速、嵌められた?」
「ど、どういう意味ですか?」
「仮に敵が、レイラや部下の人たち、カイゼル将軍の行動パターンまで把握して――こうなると見越してたんだったら」
 元隊長を助けようと動く、一本気な男たち。
 それを “裏切り者” として粛清した、カイゼル。
 さらには早かれ遅かれ、誰が誰に殺されたかを知るだろう、ラウル・ヴィグリードの娘。
「レイラは、あくまで一人で戦おうとするだろうから。反帝国勢力が結集するための起爆剤にはなれない……だったらグローサインにとっては、たいした脅威じゃない」
 戦闘に勝てても、戦争には勝てない。
「だけど、レイラが生きて抵抗を続ける限り、血眼になって進軍を続けてくれるだろうね。異様なくらい彼女に固執してる、アルベリックがさ」
 さほど深くは知らない相手だが。
 たとえヴィグリード将軍の死が、不慮の事故に因るものだったとしても。元々は、まっとうな想いをレイラに寄せていたんだとしても――自分が殺した男の娘にプロポーズなんて、普通なら、罪悪感が枷になって憚られるだろうことを真顔でやれてしまうあたり、すでに常軌を逸している。
 政略結婚の類を狙って、好きでもないのに求婚するというなら、気に食わなくとも理解は出来るが、

『だが、そんな強情がいつまで続くかな? いずれ……必ず、君を手に入れる』

 アルベリックの言動を思い返すと。
 彼女に対する恋情や独占欲は、病的ながらも本気としか感じられず、余計に頭が痛くなった。
 レイラもまた、ずいぶんと物騒な男に惚れられてしまったものだ。

「そんな――」
 眼を瞠ったローザが、呆然と呟き。
「我々がレイラ様を助け出すことは、敵の目論みに含まれていたと……?」
「考え過ぎかもしれないし。どっちにしろ彼女を見殺しには出来ないから、筋書きどおり踊ってやるしか無かったろうけど――そろそろ攻勢に転じないと、戦火も広がってく一方ね」
 ティセナは、だいぶ逸れてしまった話を元に戻す。
「……って訳で、やっぱり魔女暗殺が手っ取り早いかなーと」
「なにが “やっぱり” ですか!? 暗殺という発想から離れてください! ティセナ様自ら手を下すなんて以ての外です!」
「でも、相手が魔族なら別でしょ?」
「え?」
 怒気を削がれて点目になった妖精は、一拍遅れて頷いた。
「ええ、まあ」
「ジェフリー・コンラッド――って、この “依頼” を持ち掛けてきた小隊長なんだけど。戦争が始まるまでは、帝都で、軍用犬の世話をしていたらしいのよね」
「ぐんようけん?」
「薬物の匂いとか、災害発生地で生き埋めにされている人を見つけたり、そういう訓練を受けた犬のこと」
 あの村に駐屯していた、他の兵士たちも同じく。
「その中でも一番優秀な子がさ。普段はおとなしいのに、通りすがりの女に噛みつきそうな勢いで吠え掛かかって――しかも相手が、クロイツフェルドの軍部視察に同行していた、占い師って触れ込みの魔導士だったもんだから」
 厳しく躾けられている犬だ。
 なにかを報せる為にでなけりゃ、そうそう吠えたりしない。
「最初はジェフリーも、自分の世話の仕方が悪いのかって悩んだり、クロイツフェルドが嫌な顔するんで胃の痛い思いをしてたらしいんだけど……何回かそんなことがあったあと。まだ若くて元気だったその犬が、急に血を吐いて死んじゃって。死因も解らなくて」
 仕事に自信を無くしていた、そんなときに。
 当時の皇帝が崩御して、後継者争いが勃発――しかし十数名いた王子たちは、病や事故で次々と死んでいき、そうして。
『紅月王の生まれ変わりであるエンディミオン様を、皇帝に据えれば、王室を襲った不幸の連鎖は止まる』 と。
 髪と眼の色を理由に、こじつけとしか思えぬ主張を始めたクロイツフェルドに。
 異を唱えたヴィグリード将軍が……まさかの敗北、死亡。
 いくらなんでもおかしいよな、なにかに呪われてるんじゃないかと、釈然としない気分を皆で抱えていた、ある日――ふと気づく。

 本当に、呪いなんじゃないか?
 クロイツフェルドが言うような迷信的なものじゃなくて、誰かが呪い殺したんじゃないか?
 エンディミオン以外の王子たちや、ヴィグリード将軍を。
 誰かって誰だよ?
 なあ、もしかして……急にあいつが死んじまったのも、あんまり吠えるんで魔女が怒ったからじゃ?
 え、吠えるって、おまえが当番だったときも?
 ああ。押さえてなきゃ飛び掛っていきそうに、ぎゃんぎゃん言って――
 ……なあ。そのときの吠え方って?

「みんなで思い出してるうちに、それが、死臭を嗅ぎつけて吠えるときの鳴き方だったって気づいたらしいのね」
「死臭……? まさか、死霊!?」
「いや。アンデッドが真っ昼間から出歩けるわけないから、死体ってことはないだろうけど。魔族だから体温感じなかったとか、野性の本能で警戒してたとか、そういう理由じゃないかなーと」
 ジェフリーの主観や噂話はともかく。
 こういった部分において、動物の勘は鋭い。
「今のグローサインは政治も軍事も、クロイツフェルド親子が幅を利かせてるから。その女――セレニスって魔導士は、若さと美貌で宰相たちに取り入った “虎の威を狩る女狐” なんて噂されてるらしいけど」
 ジェフリーは、逆と考えているようだった。

 ヴィグリード将軍が殺されたときにも。完全に劣勢だったアルベリックが、セレニスが渡した剣に持ち替えたとたん、形勢逆転したという……まるで、剣に操られているみたいに。

「だから、とりあえず週に一回は村に寄るようにするから。その魔女が、軍事作戦の類でレイゼフートの外に出てくるって判ったら、教えてって頼んどいた」
「なるほど……」
 ようやくローザは納得したようだった。

 ついでに彼らが、そのうち反帝国勢力に育ってくれれば言うことなしだ。
 表立って活動してなくても、軍部の方針に不満を抱いてる人間はグローサインにも少なからずいるだろう。
 イエーナで殺された騎士たちの、二の舞にさせる訳にはいかないから。
 せめて戦力的に勝算が生れるまでは、レイラの所在もなにも報せない方が良いだろうが――ああして自分が事件現場に赴き、バケモノと互角以上に戦える者がいると見せつければ、体制に逆らおうとか刃向かうおうとか考える気も少しは湧くだろう。
 たとえ失敗してもレイラが知ることはない、彼女の心は痛まない。

 ああいった “予備軍” を探して接触して、まとまった勢力に押し上げればいい。
 レイラが、いつか天使の加護ではなく――共に戦える仲間を必要とする日の為に。



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インフォス編から、ティセナのサポート役はシェリーって感じで書いてきたんで。たまには別の子とじっくり会話を……ってな訳で、まずローザ。天使を叱れる妖精って、彼女かレーパスくらいだろうなぁと思います。