◆ 空を映す青(1)
アールストが帝国軍に占領された混乱も未だ収まらぬ、エクレシアの首都南端――ラジェスの海岸で、海竜が暴れていると報されて。
つい1ヵ月ほど前、空飛ぶペンギンもといフロリンダに、西へ西へと追い立てられた街道を、今度は東へ逆戻り。
「もー、ロクス様ぁ! 休んでばっかりいないで早く歩いてくださあい!」
「暑いんだよ! 今、何月だと思ってるんだ!?」
だらだらと滴る汗を拭いつつ、言い返すだけでも疲れる。
暦は8月9日、夏真っ盛り。
暑苦しい法衣は脱いでいるが、それでも休み休み水分補給しなければ、問題の海竜を倒す前にこっちが自滅してしまう。
しかも目的地は、首都リナレスに近い避暑地だ。暑さにやられてひっくり返っているところに、万が一、教会関係者に出くわしたりしたら、なに言われるか分かったもんじゃない。
「しかも、こんな炎天下の真っ昼間に……地上の熱や冷気に影響を受けないっていう、おまえたちには分からないかもしれないけどな」
「お日様の下が嫌ならクライヴ様みたいに、暗くなってから任務したら良いじゃないですかあ!」
ペンギン羽をばたつかせながら、ぶーたれるフロリンダ。
「夕方になったら疲れたーって、お宿に入ってお酒いっぱい飲んで寝て、朝になったら頭痛いーってもう一回寝ちゃって!」
「分かったよ、うるさいな!」
「うるさいって何ですかあ!!」
頬を膨らませ、ますますキンキン声を上げる。
どうも妖精って種族には、生身の人間の疲労だとか睡眠の必要性が、いまいちピンと来ないらしい――昔、インフォスって地上界でも仕事してたらしいシェリーやシータスなら、その辺まだ話が分かるんだが。
普段は動きも話し声も間延びしてるのに、事件発生となったら人を馬車馬のごとく働かそうとする……お日様が昇ったら朝って、そりゃ真夏だから五時前に空も白み始めるだろうが、おまえが言ってる 『夕方』 は夜の八時前だぞ? 完全に日が落ちるまで歩き続けて、やっと宿に入って、腹ごしらえして一風呂浴びて、武具の手入れして。
『お酒いっぱい』 って、そりゃ手のひらサイズのおまえらから見たら大量の液体かもしれないが、クソ暑い中駆けずり回ってるのにグラス一杯のビールも飲むなってか?
それに、二度寝したのは酒の所為で頭痛かったんじゃなくて、早朝四時に 『おはようございまーすっ!!』 って大声に叩き起こされたからだよ――勘弁してくれ。
これまでにも何度か文句は言ったんだが、根本的な時間の概念がズレてるみたいで、こいつのマイペースさに変化は無い。
「フロリンも遊ぶの大好きですけど、遊んでばっかりのロクス様に、怠け者扱いされたくないですぅ!」
「誰もそんなこと言ってないだろ……」
普段の生活態度にケチ付けられるならまだしも、寝不足にならないギリギリまで譲歩してる移動中に、きぃきぃ騒がれちゃ堪らない。
「滅多にお休みしないローザちゃんやティセナ様に比べたら、フロリンたち全員もっともーっと怠け者です! ロクス様なんか、もっともっともーっと怠け者なんだから、そんな立派な僧侶さんの格好辞めて、ナマケモノの着ぐるみでも着てればいいんです!」
言い草が意味不明だが、どうも自分に対して腹を立てているらしいことは分かった。
「だから、誰もおまえが怠けてるなんて言ってないだろ!」
「言ったのと一緒ですう!」
「なにがだよ」
フロリンダは嫌いじゃないが、時々、まだるっこい遣り取りに疲れる。
「サボリって言ったんでしょお?」
「そんなこと、言った覚えは無いぞ」
「むむむむ〜! シェリーちゃん、嘘なんか吐きませんもん! ロクス様が忘れてるだけに決まってますぅ!」
「? なんで、そこでシェリーが出てくるんだよ。おまえが怠けてるなんて思ったことも言ったことも無いって話だぞ――まあ、あいつにも言った覚えは無いけど」
「フロリンやシェリーちゃんが言われた方が、まだ良かったですよう! なーんでティセナ様にサボリとか言うんですか!」
「は?」
「インフォスから帰って来てから、ティセナ様もローザちゃんも仕事ばーっかりで、それはいつものことだけど、仕事ばーっかりすぎて変な感じだから、シェリーちゃんに訊いたら、たぶんロクス様に言われたこと気にしてるんだって」
わあわあ騒ぎながらこっちを睨み付ける妖精は、いつの間にか涙目になっていた。
「シェリーちゃんが一生懸命説得して、赤ちゃんが産まれたお祝いに行くんだって、せっかくせっかくインフォスでのんびり気分転換できるんだったのに、なんで大好きな人たちとちょっぴりお話しただけで、バイバイしなきゃなんですかあ……」
インフォス? ああ、確か昔、彼女が守護していた、泥棒が勇者やってたとかいう、妙な――
「きっと、もう会えないのに」
? べつに、アルカヤのゴタゴタが片付いてから、好きなだけ行けば良いじゃないか。
相手がどういうヤツだか知らないが、揉め事が終わった平和な世界で、子供が生まれたっていうなら、まだ20代か、せいぜい30代……当分は健在だろ。
「ティセナ様たちに休んじゃダメって言うんなら、ロクス様もちゃあんとお仕事してください! アールストが占領されちゃったのも、国境の警備兵さんたちが弱っちいのが悪いんですからあ。エクレシア、教会の人たちが一番偉いんなら、ロクス様、遊び過ぎて追い出されちゃうくらいダメダメでも住んでる皆さんを守る責任あるでしょー!?」
フェルト素材の羽でべちべち頭を叩かれながら、ようやくボンヤリと思い出す。
“久しぶりだな、サボリか?”
遅れて駆けつけてきた彼女に、確かに、そう言ったかもしれないな――
朝から晩まで耳元で大声を上げ続けるフロリンダから、ようやく開放されたのは、翌日にはラジェスに辿り着けるだろうという海辺の街道に差し掛かった頃で。
「目的地まで、もう少しですう! フロリン、ティセナ様を呼んで来ますから、ロクス様はちゃーんとお休みして明日に備えててくださいね〜」
「……ああ」
酷くなる一方の暑さにゲンナリしつつ、空飛ぶペンギンを見送って、辺りを見渡す。
ラジェス近隣は、本来この時期、避暑に訪れる観光客で賑わっているはずなんだが、海竜が巣食っていちゃ海水浴なんか出来やしないわけで――まるで真冬のように閑散としていた。どこの宿屋も暇そうだ。
手近な一軒に入ると、久しぶりの客になるんだろう、ロクスの姿を見とめた受付の男が嬉しそうに出迎えに立つ。
とにもかくにも一風呂浴び、少しスッキリしたところで小腹が空いて、食堂のある一階に降りた。飲食店街まで足を伸ばせばあれこれ選べるんだろうが、もう炎天下の外へは出たくない。海竜を倒しに向かうにも時間帯を選ばないと、戦う前にバテてしまいそうだ。
サンドイッチと紅茶のセットを注文して、テラス席に座る。日除けになる屋根さえあれば、風が吹いているぶん、外の方がいくらか涼しかった。
(あー、静かだ……)
久しぶりの静寂に、しばし浸っていると、
「あの! ……教皇庁の方、ですよね!?」
それは唐突な声に破られた。
驚いて顔を上げれば、妙に着飾った年配の男女が、必死の形相でこちらを見つめていて。
「突然、申し訳ありません。あの、この町の神父様が、暑さで寝込んでしまわれたそうで――私たちの娘が、午後から結婚式を挙げる予定で、もう親族も式場に集まっているのですが、代理をこなせるような人がいないから延期してくれないかと、式場の方から言われまして」
旦那らしい男が、禿げかかった頭を掻きつつ切り出し。
「ですが今日は、あの子たちにとって忘れられない記念の日だそうで……どうしても、日付を譲りたくないと泣くんです」
言い添える妻らしき女は、自分もボロボロと泣いている。
「ただでさえ新婚旅行を楽しむはずだったラジェスの海は、化け物が出たとかで立ち入り禁止にされてしまっていて――せめて、式ぐらい予定どおり挙げさせてあげたいんです!」
「もちろん謝礼はお支払いしますので、どうか、神父様の代理をお願い出来ませんか!?」
代わる代わるに頼み込まれた、ロクスは目を白黒させつつ考えた。
現在の生活態度がどうであれ、儀式の類はすべて幼少期から叩き込まれていて、忘れたくても身体に染み付いているようなもの。結婚式を執り行うくらいは朝飯前だが……ここまで歩き通しで疲れてるし、正直、食べ終わったら一眠りしたい。
じゃあ、倒れたっていう神父を治してやれば、と一瞬考え、すぐにダメだなと思い直す。
衣服やロザリオだけなら、ただの僧侶にしか見えなくても、例の “力” を使えば即座に次期教皇だとバレるに違いない。煩わしい目に遭うのは御免だ。
断る――のも少々、気の毒な事情ではある。首都ならともかく、こういった郊外の小さな教会じゃ、普通、神父は一人しかいない。自分が拒否すれば、たぶん代わりは見つからないまま記念日とやらは終わってしまうだろう。
(フロリンダが戻って来て聞きつけたら、また煩そうだしな……)
午後から、というなら、もうすぐだ。
天使の合流がいつになるかは分からないが、どのみち真っ昼間にラジェスを目指すつもりはない――応じて、さっさと要望を叶えてやるのがベストか。
(……それに)
ふと、あることを思い出し、迷っていた心は “引き受ける” という結論を出した。
「それは大変だ。僕で良ければ、お引き受けいたしますよ」
ロクスは、長年の教皇庁生活で培った営業スマイルを浮かべ、立ち上がった。
シェリー&クライヴに引き続き、フロリンをロクスと絡めてみる。こうしてスポットを当ててみると……意外とズバズバ物を言ってくれるなあと。悪気も遠慮も無く、シェリーたちじゃ言いにくいことを指摘しそう。そういや彼女、インフォス版では、あの気難しいレイヴと相性ベストだったんだよなあ――ってことは、レイヴの好みの女性って、案外マイペースな天然系なのかも?