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◆ 空を映す青(2)


 結婚式は、滞りなく終わった。
 リゾート地で暴れる海竜に旅行の予定を台無しにされても、侵略戦争の脅威が迫っていても――新郎新婦は、その親たちや参列者も、幸せそうに笑っていた。
 こういう雰囲気は……嫌いじゃない。
 最初は乗り気じゃなかったけど、まあ、引き受けて良かったなと、式が終わってもまだ談笑している人々を眺めながら思う。

 儀式の類なら教え込まれていたし、結婚式を執り行った経験は何度もある。けどそれは、教皇庁に多額の寄付をしたお偉いさんの子息ばっかりで、仰々しく派手――出席者の半数を親の仕事関係者が占めているような、お世辞にも楽しいとは言えないものだった。
 だから億劫な作業がひとつ終わった、程度の感想しか抱かなかったけれど。

「あなた方に、神のご加護があらんことを」
 たぶん久しぶりに、心から、この言葉を口にしたと思う。そうして悪戯心から言い添える。
「この結婚が祝福されたものならば――明日にでも、問題の海竜は姿を消しているでしょう」
「え?」
 もう辞去するというロクスを、式場の出入り口まで見送りに来た花嫁は、大きな瞳をぱちくりとさせ、その両親は苦笑いした。
「それは、ちょっと……どうかと」
 まあ、それはそうだろう。神に祈れば何でも叶うなんて、どんな熱心な信者でも、さすがにそこまで思っちゃいないはずだ。
「――でも、ありがとうございます」
 ひょっとすると、気休めは止めてくれと怒られるかもしれない、という予想は外れ、穏やかな笑顔を見せた花嫁は、めでたく今日から伴侶となった男を見上げる。
「行けると良いね、ラジェスの海」
「そうだな」
 花婿も笑い返し、あらためてロクスに向き直ると 「お世話になりました」 と頭を下げた。


 そんな予定外の午後が過ぎ、日も暮れて――結局、ティセナは翌朝やってきた。

「移動、お疲れ様。海竜退治、同行させてもらうね」
「あ、ああ」
 サボリ呼ばわりを気にしていたと聞いていたから、自分のことを棚に上げてと憤慨しているか、逆に申し訳なさそうな態度を取られるか……とにかく気まずい空気になるかと思っていたが、天使は、別段いつもと変わらなかった。
 しかし、そう感じたのは最初だけで、だんだん居心地の悪さを感じ始めたロクスは――文句を言おうにも適当な言葉が浮かばず、ただ黙々と歩きながらラジェスを目指している。
 笑わないし、しゃべらない……のは、よく考えると普段からそうだ。
 初対面時や、ヴァイパーの名前の件で馬鹿笑いしていた印象が強いし、見た目の色合いが明るいこと、天使だっていう先入観も手伝ってか、よく笑ってるイメージがあったが――思い返せば彼女は、これといった感情を映さない澄まし顔でいることの方が多かった気がする。
 会話が無い、という現状も、元々そんな無駄話するタイプじゃない。
 ロクスが飲んだくれていれば窘めるし、話題を振られればもちろん応じるが、もしサボリ云々の件が無くて、いつものように同行に訪れた場合でも、モンスターに襲われることもなく目的地へ向かっているだけの状況下では、今と同じく周辺を警戒しながら黙って後ろを飛んでいただろう。
 だから、これは普段どおりなんだ。
 それなのに妙に落ち着かないのは、アールスト侵攻の騒ぎで、休暇を台無しにした罪悪感……なんだろうか?
 べつに、僕が呼びつけた訳じゃない。呼び戻しにリリィを行かせたのはルシードだ。
 休暇中なんだから、事件なんか無視して遊んでいたい、ってタイプでもないだろうし。
 そりゃ教皇庁も、旧帝国領に該当するアールストの守りに関して危機感が薄かったとは思うけど、こっちは教会を追い出された身だし。そもそも諸悪の根源はグローサインであって、エクレシアに非は無いだろう。けど――

「……あれか」

 スッキリしない気分を抱えたまま、潮の臭いが強くなって来た街道を歩き続けていると、風光明媚な海辺に、そこだけ異質な黒っぽい生き物が蠢いているのが遠目にもよく分かった。
「まったく――海なんてだだっ広いのに、なんだってこんなタイミングで、こんな餌も無さそうな海岸に居座るんだかな――」
 それとも、このタイミングだからこそ、なんだろうか?
 天使が言う “元凶” の影響で、凶暴化している……?
 近寄るロクスの気配に気づいたらしく、波打ち際で、砂浴びでもするようにゴロゴロと寝転がっていた海竜は、ぐわっと首をもたげた。
 見た目で怖がられて騒ぎになっているだけなら、叩きのめすのは少し可哀想かもしれないな、なんて甘い考えは、すぐさま吹き飛ぶ。
 爛々と光る海竜の目つきは尋常じゃなかった――熊や狼なんかの猛獣が、かわいく思えるくらいだ。
「うわ!?」
 身構える間も与えず轟と首をうならせ突っ込んできた、海竜の牙を慌てて横っ飛びに、
「……っ!?」
 避けたはずが、ぐいと胸倉を掴まれるような強い力に体勢を崩した――のは一瞬で、ブチンと何かが切れる音、唐突に解放された身体は、斜め後ろへたたらを踏む。
 どうにか転倒を免れたロクスは、獲物を狙う蛇のようにユラユラと左右に揺れている、海竜の牙が不自然に光っているのを見とめ、目を眇めた。
「まさか……」
 シンプルな金の十字架。敵の動きを警戒しつつ左手で胸元を確かめてみれば、ペンダントの紐が切れている。さっきのあれで、食い千切られたのか。
「おい、こら! 返せ!」
 間合いに踏み込みメイスでぶん殴ると、さすが天界の武器、分厚い鱗に覆われた巨体にも効いたようで、海竜は、鼓膜が破れそうな咆哮を上げながらグラリとよろめいた。しかし、
「――げ」
 その拍子に牙から放り出された十字架は、断崖絶壁の中腹から枝のように生えている針葉樹に引っ掛かってしまった。
 砂浜からでは高すぎて影も形も分からないが、太陽の光に反射してキラキラと光っている。
「邪法の類にやられてる様子も無いし、人が近くに寄っただけで襲い掛かる凶暴さじゃ……追い払うだけって訳にもいかないね」
 ティセナが頭上で溜息をついた。
(同感だな)
 あんなのに噛み付かれたら、防具もなにも着けていない一般人なんか即死だ。
「悪いけど、退治させてもらうぞ」
 こちらの言葉を理解した訳でもあるまいが、怒り狂った眼つきの海竜は、再び牙を剥き襲い掛かってきた。

 天使の援護魔法にも助けられ、どうにか勝利を収めて。

「……悪い。あれ、取れるか?」
 ほとんど直角90度の崖、生身の人間が回収に向かうのは、さすがに自殺行為だろう。
「うん、ちょっと待ってね」
 ロクスが例の針葉樹を指し示すと、天使は、すぐに頷き舞い上がった。彼女にも、勇者の私物、ペンダントトップの行方は見えていたらしい。
 さっきまでは無かった影が、ふっと海面に映る様子を、興味深く眺める。
 勇者にも分からない空気レベルから、資質者なら見える姿、誰にでも認識できる状態まで――実体化という術にも、いくつか段階があるらしい。
 それは地上の物に触れるかどうか、にも関係してくるらしく、たぶん今のティセナは一般人にも見えるんだろう。
 海竜に怯えて、浜辺に他の人影は無いから、見咎められる心配は無いが……と、戦闘の疲れもあって、ぼんやり空を仰いでいると、
「!?」
 ゴッと、なにかが唸る音、背後から差す影、迫り来る気配――
「新手かよ……!」
 敵襲か、と振り返る。それは半分当たりで、半分間違いだった。
「げっ!?」
 すごいスピードで迫ってくる高波。巨体の魔物がひっくり返った反動の、軽い津波だと思い至ったときには、もう遅く――突っ立っていたロクスは、まともに波を被った。横転した拍子にメイスが砂浜に突き刺さり、なんとかその場に留まるが、
「わ……!?」
 針葉樹の傍で滞空していたティセナは、とっさに掴まるものも何も無く、短い悲鳴と共に高波に叩き落とされてしまう。
「おい、だいじょうぶか?」
 投げ出された方向がロクスの近くだったことも幸いして、なんとか沖へ押し流されてしまう前に抱き止め、海中から掬い上げる。
 アストラル体の状態なら影響もなにも無かったんだろうが、タイミング悪く実体化していた天使は、見事に全身ずぶ濡れだった。
 水も飲んでしまったらしく、ケホケホ咳き込みながら、
「な、なに今の……あー、良かった……ちゃんと持ってた……」
 右手に握り締めている十字架を確かめ、ホッと肩の力を抜いた。もし、これがさっきの波で流されていたら、たぶん見つからなかったろうなと、礼を言おうとしたロクスを遮る形で、
「……なに、これ」
 腕の中の彼女は、おもむろに口許を拭いながら顔を顰めた。
「しょっぱい」
「まあ、海だからな」
「うみ……なに、それ?」
 意味が分からないと言うように、きょとんと瞬くティセナを前にして、ロクスも困惑する。インフォスってところを含め、何度か地上界守護をやってるようなことを妖精が言ってたけど。
「他の世界に、海は無かったのか?」
「え?」
 不思議そうに小首をかしげた天使は、
「ああ、リメール海――あれ、そうだったのかな――」
 ふっと遠い眼をして、ぽつりと呟く。
「海を見るのが初めてって訳じゃないのに、それが塩水だってことも知らなかったのか? 天界の住人だけあって博識だと思ってたけど、けっこう偏ってるんだな。知識」
「だって、水かぶることなんか無かったし」
 なにも高波をかぶらなくたって海水浴でもすれば、と言いかけた口を、複雑な気分で噤む。
 地上に馴染みが無いわけじゃないのに、海で遊んだこともないのか、こいつ? だとしたら、
“仕事ばーっかり”
 フロリンダがぶーたれたくなるのも、分からなくも……ないな。
「なあ。督促状、そっちに届いてたか?」
「へ?」
「君を誘って行った、酒場のヤツ。三ヶ月経っても払う気配が無かったら――って言ってたろ」
「……ああ!」
 唐突に変わった話題に目を白黒させながらも、思い出したように頷き、細い首を横に振る。
「そういえば、まだ来てないね。ここ何日かは、ちょっと、宿に戻らずにいたから分からないけど――」
 海水をかぶって色を濃くしたライトブラウンの髪から、ぽたぽたと水滴が散った。
「じゃ、もし入れ違いで君のとこに行ったら、支払いに向かったって伝えといてくれ」
 華奢なイメージだったけど、それなりに出るとこは出てるんだなと、天の御遣いを前にしながら罰当たりな感想を抱くロクス。
 濡れた服がほっそりした身体に張り付いて、キレイどころは見慣れている自分にとっても、かなり目の保養だ。
 生地は透けるような素材じゃないらしいのが、少々残念だが……さすがにその状態の天使をジロジロ眺めるのは、神の眷属に対する冒涜か。
「海竜退治も終わったことだし。一晩休んだら、返しに行って来るから」
「へ? 返すの? どうやって?」
「昨日、ちょっと仕事した」
 よっぽど予定どおりに式を挙げられたのが嬉しかったみたいで、庶民にしては奮発してくれた、と思う。
 清く正しい聖職者なら、無償でかまわないと笑顔を見せるか、遠慮して半額程度お返しすべきなんだろうが――お代はきっちり貰ったぶん、頑張って海竜退治したから良しとしてもらおう。
 しかし、うっかり手荷物に入れておいたら、紙幣が水浸しになるところだったな。宿の貸し金庫に預けておいて正解だった。

「酒場に行かない、とは言えないけど――まあ、これ以上、借金増やさない程度には真面目にやるよ。グローサイン帝国を、このまま放っておくのはマズイだろうしな」
 ティセナは目を丸くして、しげしげとこっちを見つめている。そこまで意外そうな顔しなくたっていいだろ……。
「さっさと “異変の元凶” とやらを突き止めて、片付けて――そうしたら、アルカヤ観光くらい付き合ってやってもいいぞ。海が塩水だってことも知らないんじゃ、実物を見たことないもの山ほどあるんじゃないか?」
 最初は、場の勢いで引き受けただけだったけど……ちゃんと協力してやるよ。
「ま、そのリメール海ってところに行くんでも良いけどさ」
 エクレシアまで攻め込まれちゃ、僕の憩いの場も危ないし。アルカヤの混乱が収まれば、君も、インフォスとかいう世界で気兼ね無く過ごせるだろ。
「…………なんかあったの? どっかの借金取りに脅された?」
 かなりの沈黙の後、ティセナは、心底心配そうな口調で問いかけた。
 どういう意味だよ? せっかく人が滅多に出ないヤル気を――って、まあ今までが今までだったしな。
 けど、軽口でサボリ呼ばわりしたことを謝る、っていうのは気乗りしないし、こいつだって謝られたって困るだろうしと、あまり関係ない話を引っ張り出す。
「フロリンダが、僕みたいな怠け者は、こんな立派な法衣じゃなくてナマケモノの着ぐるみでも着てろってさ。さすがに、それはご免だからな」
 呆気に取られたような顔をしていたティセナは、やがて、ぷっと吹き出した。
「それはそれで、見てみたい気もするけど」
 そのままクスクスと肩を揺らしている――もしかしなくても、着ぐるみ姿の僕を想像してるだろ。勘弁してくれ。

「……うん。ありがと、よろしくね」

 ひとしきり笑っていた天使は、そう言って、ふわりと目を細める。
 それが今まで見てきたどれとも比べ物にならないくらい、鮮やかな笑顔だったから――茶化す気にはなれず、いつもの皮肉も浮かばず、
「ま、その前に……装飾品用の紐を売ってる店、探してくるよ」
 紛失せずに済んだ十字架を受け取りながら、思っているのとは、まるで別のことを告げて返した。



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悪かったな〜とか思っても、回りくどい形でしか気持ちを表せなさそうなイメージなのがロクス。確か、ゲーム冒頭の心理テストでも、自分が想ってるだけでいい――みたいな側面あったし。しかし即位前の次期教皇って、儀式の指揮を執ることあるのかな? 子供の頃はともかく10代後半にもなれば経験積むために任されそうだけど、たぶん、その頃から素行不良化してるんだろうし。