◆ インフォス(1)
「ねぇねぇ、お祝い言いに行きましょうよ〜、クレア様も絶対、内心期待してますってー」
森の木陰で報告書と睨めっこしてたティセナ様は、こっちを向いてくれないまま素っ気なく応じた。
「行かない」
最近、顔を合わせる度に私が同じこと言うから、天使様的には耳タコなんだろう……でもでも!
話しかけてるのにこっちを見てくれないときは、あんまり突かれたくない話題の時だって知ってるんだ。けっこう長い付き合いなんだもん。
「きっと赤ちゃん、ぷにぷにですよ。ご両親のどっち似だって、間違いなくカワイイですよ? 赤ちゃんなのなんて、ほんのちょっとの間だけですよー?」
今は特例で消されずに残ってる、クレア様と元勇者様たちの記憶が無くなるの――つまり “淀みの名残” として時流の正常化を妨げかねない、ガープとの戦いを直接知る人たちが寿命を全うするのを待っている状態だからって。
私たちと再会しても、なにかその問題に新しく影響が出るわけじゃないだろうし。
「資質者さんと元天使様の子だなんて、ばっちりアストラル体を視認できる可能性も高いし、それなら物心ついた頃に行って目撃されちゃうより、記憶にも残らないような今のうちがベストじゃないですか?」
物理的に無理だってことなら潔く諦めるしかないけど、せっかく時空の狭間も世界の壁もなんのそのな、転移魔法の使い手なんだから……たまには自分の為に使ったって良いじゃない?
「任務中だってば」
「そんな固いこと言わずに〜。こんな理由で扉を使う許可なんて出る訳ないから、シェリーちゃん一人じゃインフォスに行けないんですよ。ねっねっ?」
堕天使侵略の余波で時が淀んでいたインフォスは、勇者様たちの活躍で解放されてしばらく――ここ五年くらいは、天界と似たり寄ったりなものすごくゆっくりした時流だったんだけど、それが最近だいぶ速くなって来た。
いよいよ本来の姿に戻ってきた訳だから、良い傾向なんだけど、この先はもう、ちょっと見てないうちに何日どころか何ヶ月経ってるか分からない。
レイゼフートに張り巡らされた結界をなんとか出来ない限り、アルカヤの異変解明の目処も立たないわけだから、この任務が終わったらなんて悠長なこと言ってたら絶対後悔すると思う……もちろん、私が会いに行きたいって理由もあるんだけど。
ティセナ様とクレア様、あんなに仲良しだったんだもん。
会えなくなって寂しいなって、絶対にお互い思ってるはずで。
普段から危険な任務ばっかり請け負って、働き詰めの天使様。こーんなおめでたいときくらい、お祝いに行ったって罰は当たらないと思うんだ。
けど、ティセナ様に 「会いたいでしょ?」 って詰め寄っても認めてくれっこないから、シェリーちゃんが懐かしい皆さんに会いたいから連れてってください作戦で、ここ数日ずっと頑張ってる。
インフォスの任務でも一緒だったローザにも協力を要請したけど 「お祝いしたいのは山々だけど、任務中だもの――いつ、また帝国軍が動くかも分からないし」
うずうずしてるくせに、渋い返事。
息抜きが下手な頑固者は手強いなあ、もう! ルシード様だって、
「行ってきたら良いじゃないですか。そりゃ何ヶ月も抜けられたら厳しいけど、転移魔法で行って、向こうで半日過ごしたって、せいぜい数日のことでしょう? 俺たちがどこで何してようが、帝国軍の思考に影響が出るわけじゃあるまいし……勇者に依頼して被害を最小限に食い止めてもらうって対処も変わらないんですから。ティセナさんたちの留守中は、俺がリリィたちと調査進めてますって」
快く賛成してくださってるんだから、とりあえず事件が起きてない今のうちに行かなくてどーするの!
そもそも任務中って言ったって、ホントの意味で当事者な勇者様たちは――まあ、心の余裕が無くなっちゃってるレイラ様はちょっと別として――適度に休憩を取ってるし、ロクス様なんて相変わらず呑んだくれてるんだから。
疲れたとか痛いとか言ってくれないティセナ様のことは、補佐妖精の私が気遣ってあげなくちゃ!
×××××
……クレア様が、インフォスに降りたいと大天使様に願い出た日のことは、今もはっきり思い出せる。
だって、地上に残ってシーヴァス様と暮らすんだって打ち明けられたときは、そりゃ驚いたけど、なんの問題も無いと思い込んでたんだ。
ナーサディア様と一緒に生きるって約束した、ラスエル様の話も聞いていたから、天使様が望めばそういうことも可能なんだって――だけど、
「地上界に心を惑わされし未熟者の、要らぬ記憶は消す――当然の処置ですぞ、ガブリエル様!」
クレア様が出発するときはお見送りしたいなって、探していたらうっかり迷い込んだ通路の先から聞こえてきた、おじさん天使の怒鳴り声。
「下級ゆえの常、気の迷いです。願い出る者すべて赦していては、地上界守護の経験者は育たぬ!」
クレア様の記憶が、消されちゃう?
(……嘘でしょ!?)
ぜんぶ忘れて、なんにも無かったみたいに?
ティセナ様も見当たらないからって、お二人を探すのに付き合ってくれてたローザも寝耳に水だったみたいで、蒼白になって。
「ええ、分かっています。けれど――」
応じるガブリエル様は、困ってるみたいだった。
「無事に彼女の記憶を消去できれば、表面的には収まるだろう」
溜息混じりな、それはミカエル様の声で。
「だが、おそらく消すこと自体を阻止しに出るぞ。俺の、不肖の部下はな……」
部下? ティセナ様のことかな。
「逆十字が歯止めになるのは、あくまで戒律違反の罪悪感を抱いてる間だ。堕天しても、と振り切ってしまえば、どうなると思う?」
逆十字って、なんだろう?
「キース・アスラウド亡き今、ティセナが天界に反旗を翻せば、元から鬱憤を溜めていた異端天使たちは大多数があいつに同調するだろう。そうなれば天界は――鎮圧出来たとしても、無傷じゃ済まない。ガープが滅びても、まだ “追放された連中” が残らずいなくなった訳じゃないしな」
「し、しかし! 歪んだ記憶をそのままにすれば、再びインフォスの理が乱れ……」
「なにも永遠にじゃない。歪んだ記憶を持つ者が生きている間、ティセナに結界を張らせておく――異界から潜り込もうとする輩を弾くようにな。最終的な責任は、俺が持つ。それで良いだろう?」
大騒ぎしていた上級天使たちは、ミカエル様の一言で、渋々ながら引き下がったらしかった。
辺りは急に、静かになって。
さっきまで筒抜けだった話し声も、小さめに落ち着いて。
「あの子が願うなら、叶えてあげたいと……そう、思ってしまいました」
耳を澄ませてみても、なんとか聞き取れたのは、独り言みたいな響きのガブリエル様の声と。
「ラファエルの奴は、身に覚えがありすぎたろうからな」
苦笑混じりな、ミカエル様の声だけで。
「なにが、本来は神を慕うべき心を惹きつけるのでしょうね。地上という、世界は――」
誰だか分からない男の人の呟きを最後に、話は打ち切られたみたいで、なにも聞こえなくなった。
そんなこんなで、あの人たちの記憶は消されたりせずに済んで。
自分で翼を斬り落としちゃったクレア様は、天使の “力” を失って――転生って形で無事に人間になって、インフォスに送り届けられたんだ。
無事にインフォス編が完結したので、後日談的エピソードを挿入〜。ハッピーエンドの裏側で天界上層部はこんな会話してました。ディケイドの雰囲気的に蛇足かなと思ったので、こっちで回想です。