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◆ インフォス(2)


(……結局、来ちゃった……)

 来てしまった以上は “休暇” と割り切って過ごすしかないんだけど。
 眼前に広がる景色に込み上げる懐かしさと、本来離れるべきではないアルカヤを部下に任せて遊びに出てしまったという後ろめたさの板挟みになっているティセナを他所に、妖精シェリーは少し先を飛びながら、きゃっきゃとおおはしゃぎ。
「あー、あれあれ! あそこ、竜の谷ですよね? そんでもって、クーデターのときアーシェ様がお世話になったルースヴェイク城に――ナーサディア様がお気に入りだった酒場がある町! 今もあるのかなぁ?」
「あのね、シェリー。少しは落ち着きなさいよ……」
 呆れ顔のローザが窘めるが、“今日はお休みだ” と浮かれている元来遊び好きの妖精は、右から左へ聞き流しているようだ。
(しかしまあ、のどかな空気よねー……)
 見渡す景色は、どこもかしこも平和そのもの。
 上司ミカエルの指示で、対魔族用の結界を張ったままだから “敵” の暗躍は有り得ない。
 とはいえ悪事を働く輩や、モンスターと人間のいざこざが無くなったわけではないはず――それでも全土が帝国軍の脅威に怯えている、アルカヤとは比べ物にならない清々しさだ。
 あの星も本来は、こんな感じだったんだろうか?
 想像してみようとしても、あまり上手く行かなかった。
 魔法が存在する時点でだいぶ違うし、文化風習もかなり異なるから、重ねて見るには無理があったろうか。
「あっ、ヨーストのお屋敷! ……じゃなくて、今はヴォーラス市街で暮らしていらっしゃるんですよね、お二人とも。もう、フォルクガング家の当主と奥様なんですもんねぇ」
「そうよ、あそこにはシーヴァス様のおじいさんが隠居していらっしゃるはずよ」
「なんかメチャクチャ頑固なおじいちゃんって話だったけど、少しはマシになったのかなー? どうする? お孫さん見に、ヴォーラスの方に居たら」
「べつに私たちの姿は見えないし話し声も聞こえないはずなんだから――だけど少し、嫌ね。もし同じ部屋にいたら、クレア様だって、私たちに気づいてくださっても会話なんて出来ないでしょうし」
「ねー」
 切れ間なく喋り続ける二人は、インフォスを離れていた月日を感じさせることなくスイスイと西へ飛んでいく。
 嬉しさが顔に出ているシェリーほどあからさまではないにせよ、今日はローザもいつになく饒舌だ。
 気性も合うしとレイラ専属のような状態で来ていたから、彼女の散々な身の上を間近で見聞きしていて……親身に尽くしているとはいえ、やはり気が滅入る時もあったんだろう。
 息抜きが下手なローザにとっては、良い気分転換になるかもしれない。
 こうして来てしまった以上、勇者一人に会うも複数に会うも、たいした違いは無いし、いっそ全員の顔を見てから帰ろうか?
 そういえばティアは “兄さん” を見つけただろうか?
 グリフィンが負けた場合、あのとき賭けをした崖の上にコインを埋めておいてもらう約束になっているけど――

 行く手を遮るものは無く、考え事をしているうちにフォルクガング本家に到着して。
 懐かしい気配を辿り、大きな窓ガラス越しに中の様子を窺う。
 ソファに座ったシーヴァス・フォルクガングは、小さな赤ん坊を腕に抱き、神妙な顔つき、かつ危なっかしい手つきで……我が子の爪を切っている、ようだ。
 長かった金髪がバッサリ短くなっていたのは、少々意外。元から大人だったし、それ以外は最後に会った時と、さほど印象は変わらない。
 そんな元勇者の傍らに立った銀髪の、大貴族の奥方にしてはシンプルなドレス姿の女性が、不意に振り返り――みるみる、満面の笑顔になって。

「ティセっ!!」
「……へっ?」

 こちらへ駆け寄ってくるなり閉まっていたガラス窓を開け放ち、文字通り、飛び出してきた――四階か五階か判らないが、けっこうな高さの屋敷の窓から。
「わーーーーーーーー!?」
 とっさに受け止めようと実体化しかけ、けれどあんまりな唐突さに思考は回り切れず上手く行かず――フォルクガング夫人の飛び降りに巻き込まれたティセナは中途半端な状態のまま、屋敷の庭まで真っ逆さまに落っこちた。
 ティセナ自身の悲鳴に、窓辺で唖然と固まっている妖精二人、それから真っ青になって窓枠から身を乗り出している元勇者の叫び声が、少々ずれて重なる。
(あー……ルシードも、こんな感じで目を回してたのか)
 ぺたんと地面に尻餅をついたまま、アルカヤでの任務開始直後、レグランスの城で目撃した意味不明な情景を思い返す。
 反射的に身体を浮かそうと広げた翼が緩衝材になってくれたから、物理的ダメージこそほとんど無いけれど、色んな意味で頭がクラクラする。
「あ、危ないでしょうがッ!!」
 開口一番の挨拶は、予定とだいぶ違うものになり。
「だって、ティセだぁっ!!」
 叱りつけられたクレアは、人の首っ玉に抱きついたままスリスリと頬を寄せ、ずれた応えを返すばかり。
 地上で暮らして何年も経つのにドアと窓の区別も付かないんですか、とか。私が受け止め損ねてたらあなた死んでますよ、とか――言ってやりたい文句は山ほどあったけれど、喜色満面といった表情でこっちを見ているものだから、なけなしの怒気も削がれてしまう。
 ……だいたい元から、この人に弱いんだ。私は。
 彼女に強く言えないぶん、鬱憤はどうしてもぶつけやすい相手に向くわけで。

「クレア! ティセナ――」

 うろたえる妖精たちを左右に従え、バタバタと駆け寄ってくる足音。覚えある気配を振り仰いだティセナは、胸元に乗っかったままの人物を指差しつつ、大声で抗議した。
「どーいう教育してるんですかっ!!」
「私の所為か!?」
 理不尽な糾弾に、整った顔を引き攣らせつつ、シーヴァス・フォルクガングは妻に押し潰されている来客を助け起こした。



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元天使。高い場所に対する恐怖感は、どうしても薄そう。
シーヴァスが髪切っちゃうエピソードは、いつかインフォス編の後日談として書きたいなーと思ってます。短髪も似合うと思うよ。