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◆ 聖母の森(3)


「その二人か、どちらかは――アルカヤの精霊と契約を?」
「! なぜ、それを?」
「何百年か前の話なんですよね? 魔法は、術者が死ねば効力が途切れるものです。遠い未来にまで繋げるには、星に根付いた精霊と契約を結ぶしかない」
 ただの変わった色合いの石にしか見えないこれが “本物” だというなら、可能性はそれしか無い。
「そのとおりで……ございます。終わらぬ命に悩むヴァスティールを救うためにと、レナ様が呼び起こした精霊ソール……紅の翼を持つ、天使の姿をしておいででした」
 紅の翼?
 純粋な精霊にしては、堕天使紛いな――
「精霊は語りました。たとえ魔族の血に侵されても、その者の魂が汚され切っていなければ、四大天使級の聖気を以ってすれば影響は消し去れると」
 闇の眷属が化けた姿だった可能性も残るが、聖母の話を聞く限りは、正しい情報を伝えてもいたようだ。
「いくら人間離れした魔力の持ち主とはいえ、レナ様一人では不充分だけれど。まだ幼い娘さんが二十歳近くにもなれば足りる、二人が持つ “力” を聖気に純化して、ヴァスティールを解放できると……それまでの臨時処置として、魔石の悪しき波動を完全に封じ込めて」
「それなのに――彼は現在、レイブンルフトとして存在している訳ですよね。浄化に失敗したんですか? それとも精霊は偽者だった?」
「分かりません。真実を訊ける相手は、いなくなってしまったから」
 老婆は疲れ切った面持ちで、ゆるゆると首を横に振る。
「五百年程前、月が赤く染まった夜に……魔導士ギルドで殺人事件が起きたそうです。現場に残されていたのは……猛獣に襲われたかのごとく、損傷の激しいレナ様たちの遺骸で。彼女らと共に居たはずの、ヴァスティールの姿だけが見当たらず」
(――原因は、狂い月か)
「目撃者が言うには、黒髪の吸血鬼が二人を喰らっていたと……」
 最悪だ。
 滅多に起こる現象じゃないのに。その影響だってたかが知れているのに、元々、限界ギリギリだったということか?
「私は、そんなこと、とても信じられませんでしたから――探しました。彼と、なにか知っているかもしれない精霊ソールを」
 傍らに立つクライヴの様子を窺う。
 乏しい表情を補うように、その目には様々な感情が渦巻いていた。
 驚愕、当惑、哀悼、焦燥、混乱。
「魔石の封印は、変わらず施されていたから。精霊の加護を失った訳じゃない、ならばヴァスティールが愛する二人に危害を加えることなどありえないと、そう思って」
 けれど精霊が、聖母の呼び声に応えることはなく。
「数ヵ月後。北の果てで人々を恐怖に陥れている吸血鬼の風貌が、ヴァスティールのそれに合致すると知り……半信半疑で退治に向かった私の前に現れたのは、レイブンルフトと名乗る男でした」
 ああ。間違いなくラファエル様は、なにも知らないんだろう。
 好意を持てぬ人物ではあるが、さすがにそうと知った上で放置できるほど非情だとは思わない。
(このこと、報告したら――)
 なんて言うだろうと、少し考えてみて止める。どんな反応をされても苛つくだけだ。
「彼と、ほぼ変わらぬ姿形で。私を知っていて、守るべき人の記憶もあるようなのに――闇の慈悲を、サタンを讃えながら襲い掛かってきて」
 どのみち元勇者を救うには遅すぎ、自分に叶うのは魔族を狩ることだけ。事実は事実として報告書にまとめれば、クソ真面目な上司殿は必ず目を通すだろうし。
「元より戦闘能力では劣っていたのに、魔性の者として新たな “力” を得た彼に、私が勝てるはずもありませんでした。命からがら逃げ帰るのが、やっとで……そのまま何も出来ず、今に至ります」
 話し続けて少し疲れたか、聖母が、深い溜息をもらせば。

「俺には――関係ない」

 眉間にシワを寄せたまま突っ立っていたクライヴが、はっと身じろぎ、逃げるように踵を返した。
「あ……」
 一瞬、呼び止めたそうな素振りを見せるも、すぐに諦めたように肩を落とした老婆は、
「 “炎の魔女どもは喰い殺した” と――彼は、事も無げに認めました。その真偽も私には分かりません。守れなかったから狂ったのか、殺してしまったから壊れたのか――どちらにせよ」
 目を伏せたまま、静かに訊ねる。
「堕ちてしまったヴァスティールの魂はもう、元には戻れないのでしょう?」
「……そうですね」
「でしたら、せめて――どうか、お二人の手で、彼の歪んでしまった命に “終わり” を」
 勇者の記憶を継ぐ者が語る、勇者だった人間の成れの果て。
 その血を引く青年が勇者として見出されたのは、偶然と必然、どちらなんだろう?
「お話、ありがとうございました。剣士ヴァスティールは、必ず、在るべき場所に還しますから」
 どのみちクライヴが “仇” を追っている以上、避けては通れぬ相手だが。
「よろしく、お願い致します……!」
 今にも泣きだしそうな声音で頭を下げた聖母に、一礼を返し、ティセナは勇者の後を追った。


(――――なに?)


 クライヴの気配を辿ろうと森の上空に出て間もなく、ざわざわした感覚に戸惑い動きを止める。
 聖母が住まう集落は、もう見えず。
 敵が潜んでいる感じもしないのに。
(なにか纏わりついてるね、これ……空気? 近いけど、ちょっと違うな……悪いものじゃなさそうだけど)
 初めて味わう、微かな圧迫感に適した表現が浮かばず、滞空したまま悩んでいると。

「ティセナ様、報告です!」

 前方から姿を現したシータスが、しゅっと旋回して止まり。
「リゼの、例の事件ですが。敵の正体はアンデッドモンスターではなく、ヘルハウンドだったと判明しまして――」
 常と同じくキビキビと話し始めるも、そこで口を噤み、絨毯の上でギョッと飛び上がった。
「ど、どうなさったので!?」
「どうって、なにが?」
 なんのことか分からず問い返すティセナに、あたふたと周りを見渡しながら言う。
「え? いや、その。な、泣いていらっしゃるようなので――」
「へ?」
 説明されても意味不明だったが、ここには彼と自分の二人しかいない。じゃあ泣いてるって私のこと? 訝しみながらも頬に手を当ててみれば、
「あれ……ホントだ」
 確かに何故だか濡れている。なんだ、こりゃ?
 涙がこぼれる理由といったら、普通は、悲しいことでもあったんだろうが――まあ悲惨な話を聞いたばかりではあるけれど。天界軍の遊撃部隊なんかにいたら、そういった事件現場に遭遇することはザラだ。子供の頃ならいざ知らず、いちいち感情移入して泣いたりしない。だったらどうして? と考え、思い至った答えに納得する。

(……ああ、これ共鳴現象だ)

 悲しいのは私じゃなくて、他の誰か。なにか。
 エクレシア教皇庁で出くわしたような、鮮烈な過去じゃなく――残滓のような想いが、訴えかける相手を見つけて騒いでいるんだ。

「心配しなくても、ちゃんと死なせてあげますよ。吸血鬼の王、レイブンルフトは敵だもの」

 聖母の話に出てきた魔女の親子か、もっと別の何かは知らないけれど。
 紡いだ言葉は、残滓が求めるものと、かけ離れてはいなかったらしい――纏わりついてきていた幽かな気配は、すんなり霧散して消えた。

「え、ええと……なんの話で?」
「ああ。ごめんごめん、決意表明ってヤツかな? 泣いてたのは共鳴現象が原因で、私は悲しくもなんともないしピンピンしてるから気にしないで」
 戸惑うシータスに肩をすくめてみせると、数秒、窺うような眼をしていたものの、こちらのあっけらかんとした態度に納得したらしい。
「で、では、話を戻しますが――いかがいたしましょう? 専門外の魔物とはいえ、いまさら他の勇者様に遠出を依頼するより、このままクライヴ様に解決してもらった方が早いですよね」
「うん。ここまで来ちゃった訳だし、クライヴも、だったら嫌だとは言わないだろうし」
 まあ、相手が魔族なら自分が片付けても良いのだが。
「ちょっと今すぐアンデッドモンスターに出くわすのは心配だから、ちょうど良かったかも。剣に乱れが出ないか、しばらく様子を見たいから」
「……やはり、なにかあったので?」
「んー、まあ。勇者の仇敵に関する重大な情報を得ました。シータスは、クライヴに同行してもらうことが多いから、一応頭に入れといて」
 同じくクライヴをサポートする頻度が高い、リリィにも、後で話しておかないと。
「暗い気持ちになっちゃうだろうけど、そこは勘弁ね。任務に関係する話だからさ」

 前置きを受け、正座した妖精は。
 語り聞かされた “レイブンルフトの過去” に眉を潜め、しばらくして、ぼそりと呻くように呟いた。

「クライヴ様――知りたくなかった、でしょうね。そんなことは」



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聖母様の記憶を継ぐ力って、天然物なのか、勇者になった影響なのか分からないけれど、勇者になった人間に特殊能力を与える的な設定は無かったから、たぶんエリアスの “癒しの手” と同じく魔法体系が発達した土壌ならではの天然物なんだろうな――なんか役に立つのかって、これといって活躍してないけれど。対ヴァイパーのイベントで、天使の負傷を未然に防いだくらいか?