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◆ 取り替え子(1)


 9月16日、午後。
 調べたいことが出来たから塔に帰ろうと連絡船に乗って、久しぶりにブレメース島の土を踏んだら、
「アイリーン!?」
 船着場を出たところで、切羽詰った声に呼び止められた。
「あなた、アイリーンでしょう……?」
「え」
 振り向いた先には赤ちゃんを抱いた20歳くらいの女の人が、縋りつくような表情で立っていた。
 私のこと知ってる?
 誰だっけ、と面食らいながらも記憶を辿る。
 三つ編みにした紅茶色の髪。少しそばかすが目立つけど、他にはこれといった特徴が無い、ごく普通な感じの――
(三つ編みと、そばかす?)
 引っ掛かるものがあった。昔、まだ子供だった頃どこかで、そんな子と会ったような?
「あなた、ええっと……リダ?」
 確か島南西部、アイオナの町で暮らしてる女の子だったはず。おばあさんの持病に効く薬をウチのおじいちゃんが作ってたから、ご両親に連れられて塔まで取りに来たり、あっち方面に用事があるときは皆で届けに寄って、何度か一緒に遊んだり、食卓を囲んだこともある。
「やっぱり! ねえ、あなたジグ先生のお孫さんなら、普通の医者じゃ分からない症状の原因、調べられない!?」
 問い返した私の言葉にはうんともすんとも答えてくれてないけど、リダで合ってたみたい。ただ、
「お願い助けて、何とかして!治療費ならいくらでも、一生かかっても必ず払うから!」
 赤ちゃんを片手で抱えたまま、もう一方の手で私の右手首をわし掴みにして、涙目でまくしたててくる。必死だからなんだろうけど、ものすごい力で――ちょっと、いや、かなり痛い。逃げたりしないから放してほしい。
「え、ええっと、病状にもよるけど……とにかくちょっと落ち着いて、ね?」
 こんなところで立ち話していたら、他の乗降客のジャマになっちゃう。
 半ば錯乱状態の彼女を宥めすかして、場所を移して、肝心な話を聞き出すまでに結局30分近くかかってしまった。


「おーい、アイリーン。呼んだか?」

 リダが借りてる宿の一室に響く、ノックの音と聞き慣れた声。
 思ったよりもすぐ待ち人が現れたときは、心底ホッとした。いくら呼べば伝わる結晶石があったって、天使たちも、あちこちで発生する事件の対応に追われてる。
 どこかで戦闘中だったらさすがに来られないだろうし、こっちを優先しろとか主張するのも筋違いだろう。
 私一人で、なんとか出来れば良かったんだけど――
「ルシードね、入って!」
 ついでに他に人がいると判ってか、最初から実体化した状態で訪ねて来てくれたことも褒めたい。少しは地上の常識に慣れたのかも?
 これなら、ただでさえ情緒不安定なリダに、ルシードの素性を不審がられず済みそうだ。
「細かいことは後回し! この赤ちゃんを見て。1週間前から体調不良らしいのよ。少し……魔物の気配がするでしょう? どうしてなんだか分かる?」
「は? 魔物?」
 こちらの剣幕にたじたじとなりながらも、促されて素直に、ベッドに寝かされている赤ちゃんに近寄ったルシードは、顰め面になった。
「おい、この子! なんだって魔物の卵なんか――」
「ま、まも、のの、たまご?」
 そんな彼の発言に青褪めて、詰め寄るリダ。
「どっ、どういうことですかどうしたら良いんですか!? 教えてください!!」
 必死すぎるだけで他意は無いんだろうけど、彼を振り向かせるのに胸倉掴んじゃって、がっくんがっくん揺さぶるもんだから、もう話どころじゃない。
「うわっ!? な、なんだよ? この姉ちゃん!」
「この子のお母さんよ。リダ、リダ! 息子さん助けたいのは分かったから落ち着いて、ルシードが動けないから!」
 二人を引き剥がすのに、また一苦労。
「えーっとね、ブレメース南西部で起きた事件なんだけど」
 どうにかこうにか宥めて、あらためて話を切り出そうとすると、ルシードに片手で制された。
「待て、先にティセナさん呼んどくから! この子はともかく、症状が進んだ赤ん坊がまだ他にいるんなら、そっちは俺じゃ対応出来ない」
「この子は、ともかくって、どういう――」
 結晶石に向かって念を込め始めたルシードに、困惑顔のリダが、おそるおそる問いかける。
「あの、この子は……治るんですか?」
「ああ、異物を除去すりゃ治るよ。だから悪いけど今は話しかけないでくれ。話聞くのに時間使う前に、上司に連絡つけとかないと」
「治る――」
 おうむ返しに呟いたリダは、今までの緊張や不安が一気に崩れたんだろう、その場にへたり込んで泣き出してしまった。

「お呼びですかぁ? ルシード様〜」
「フロリンダが来た……ってことは、ティセナさんは勇者に同行中か」
「はぁい! クライヴ様の魔犬退治に付き添ってらっしゃるはずですよぉ? どうかしたんですかー?」
「そっちを切り上げても問題ないようなら、すぐブレメースに来てくれるよう伝えてくれ。ティセナさんの技量と、あと場合によっちゃ、クレアさんが残してくれた結晶石も必要になる」
「緊急事態なんですね〜? 分っかりましたあ! フロリン、直接お伝えして来まあす!」

 すぐさま現れた妖精には、天使みたいな実体化能力は無いらしくて、私はともかく一般人のリダには見えないはず。
 結晶石のことは訊かれたら 『遠くにいる相手と会話できるマジックアイテム』 とでも説明するつもりだったけど、
「治るんだって、助けてくれるって。良かった、良かったねぇ――」
 半ば這うようにしてベッドに近づいたリダは、すっかり痩せちゃって元気の無い赤ちゃんを撫でながら、泣いたり笑ったり。
 宙を見つめて独り言つぶやいてる状態のルシードなんか、目に入ってなさそうだ。説明の手間が省けたわ。

「えー、とりあえず――これで良いか」
 指示を受けたフロリンダが、ティセナを呼びに向かうのを横目に振り向いて、
「んで。赤ん坊だな」
 大股で近づいてきたルシードが、あらためて赤ちゃんを覗き込む。
「俺が触っても良いってことなんだよな?」
「リダ?」
「お、お願いします!」
 私たちに交互に声をかけられて、ハッと我に返った様子のリダが、少し後ろに下がったのと入れ替わり。
「…………」
 赤ちゃんの腹部に手を当てたルシードが、口を開いた。呪文の詠唱みたいだけど、なんて言ってるか聞き取れない――どうもアルカヤの言語じゃなさそうだった。
 そうして、すぐに赤ちゃんの身体が白い光に包まれて、じゅうっと物が焼けるような音がして、
「ちょっと咽るけど、我慢な。異に悪いモンは遠くに捨てて踏み潰してくるからなー」
 赤ちゃんは、泣こうにも泣けないって感じの苦しそうな顔つきで、手足をジタバタさせている。
「ちょ、ちょっと……!?」
「待って待ってリダ、必要でやってるはずだから!」
 いくら治してくれると言ったって、あんな嫌がってる様子だったら制止したくなるのが親心なんだろう。けど魔法の類は強引に中断させられると、暴走しちゃって周りを傷つけたりもするし色々と危ないんだ。
「ほい、終わり」
 幸い十数秒で、ルシードが完了を宣言した。その右手のひらには、
「うわー……」
 黒と赤の中間。毒々しい色をした、小鳥の卵みたいな物体が乗っていた。
「終わったぞー。頑張ったなー。気持ち悪かったなー。しばらくは消化に良い物だけ食わせてもらっとけよ」
 赤ちゃんに声をかけたルシードは、ふと首をひねって、
「ん? そういや人間の赤ん坊って、元々固形物は食えないんだっけか? なら問題は無いな」
 さっきまで泣きそうな表情だった赤ちゃんは、ぽかーんとした顔で固まっている。
 そうして黒々した目でルシードを見上げて、私とも目が合って、それからリダの方へ首と目線を動かすと、
「きゃあ!」
 さっきまでとは違う機嫌良さそうな声を上げて、にっこり笑った。
「わ、笑ってる――」
 リダは、またボロボロと涙をこぼしはじめた。
 赤ちゃんが伸ばしてきた手を握り返して、どっちが子供なんだかって勢いでわんわん泣いてる。
「リダ、聞いてる? もう、その子から魔物の気配はしないよ。大丈夫だからね」
「うん、うん……!」
 嬉し涙だと分かりやすい満面の笑顔で、私に抱きついたかと思ったら、ルシードの両手をガシッと握って、
「ありがとう、ありがとうございます!!」
 他に言葉も浮かばないみたいで、そればっかり繰り返してる。ルシードはというと、たぶんさっきの私と同じで痛いから放してほしかったんだろう。苦笑いしつつ首を横に振って、
「あー、いいからいいから。その子、マトモに食事できて無かったろ? 水分補給とかさせてやってくれ。俺はその間に、アイリーンから事情聞いとくから」
 解放された両手を背中に隠すと、それとなく揉みほぐしていた。
 
 少し落ち着いたリダは、赤ちゃんにお乳をあげ始めて。
『なんで外に出なきゃいけないんだ?』
 やっぱりまだまだデリカシーに欠ける天使を問答無用で連れ出して、宿の廊下で立ち話。
 
「体内に、そんなものがあったのね――魔物の気配を感じた理由は、それかぁ」
「レッサーデーモンの卵だな」
「うえー」
 リダが知りたがるかどうか分からないけど、詳細は伝えない方が良いかも。
「で、なんだってこんなことに? 人間の赤ん坊は何でも口に入れようとするってアカデミアで習った覚えあるけど、人里にレッサーデーモンの巣は無いだろう」
「当たり前よ! ……あのね」
 支離滅裂なリダの話を要約すると、こんな感じだった。

 1週間前、生後半年の赤ちゃんが行方不明になった。
 朝、目が覚めたらベッドから消えていて、部屋には、家の中にも、町中探してもどこにもいない。
 まだ歩けないどころかハイハイだって出来ないのに。
 残暑が厳しいから小窓は開けていたけど、大人はおろか赤ちゃんだって通り抜けるなんて無理なサイズ。他の扉なら厳重に戸締りしていたし、リダも旦那さんも同じ部屋で寝ていた。どこかをこじ開けて進入した痕跡や、他に何か盗られたり荒らされた様子も無い。
 本当に赤ちゃんだけ、嘘みたいに姿を消してしまって。
 探し回るうち、同じ町内の1歳未満の赤ちゃん皆、いなくなってしまったことが判明して。
 人攫いの仕業か、神隠しかと大騒ぎになったけど。
 次の晩、気づいたときには赤ちゃんは戻って来ていた。ただし――本来の家にじゃなく、でたらめな場所へ。
 幸い、ウチの子じゃないと騒いでいる同士が引き合わされれば、本来の両親はすぐに見つかって。帰って来ていない赤ちゃんは一人もいなくて。
 気味悪いなと思いながらも、とりあえず無事で良かったと喜び合いながら、自宅に連れて帰ったものの――すぐに気づく異常。
 あやしても抱っこしても機嫌が悪くなるばかり。お乳を飲ませても吐いちゃうし、夜は泣き続けてマトモに寝ない。
 問題の晩に行方不明になって戻って来た子、全員がそんな感じで。
 人間業とは思えないから、魔物か、魔導士が関わってるんじゃないかと誰からともなく疑いを抱いたけれど――ギルド所属のウォーロックたちは、帝国侵攻に備える為にグランドロッジに召集されているから、島に残っている人なんていない。
 ならば塔の住人に調べてもらおうとティルナーグ家を訪ねてみても、アイリーンが不在だった以上当然、留守。
 挙句の果てには若い頃に魔導士を志して挫折した、多少は魔力を持ってるおじさんが
『赤ん坊から魔物の気配がするぞ……取り替え子だ、そいつらは悪魔の子だ!』
 なんて不安を煽るだけのことを言い出す。
 マトモな魔導士の診察を受けたいが、帝国に占領され戦火真っ只中の六王国へ赤ん坊を連れて出て行くのも自殺行為。だったら――と考えた末に、こういったことに詳しい人を派遣してくださいと、グランドロッジへ伝書鳩を飛ばし、返事も待たず港まで来て、魔導士の到着を待ちわびていたんだそうだ。

「つまり、他にも様子がおかしい赤ん坊が、かなりいるってことだよな?」
「ええ、少なくともリダの自宅があるアイオナと、近隣の村。それから、この港町周辺でも一昨日の夜、似たような騒ぎが起きたみたい」
「一箇所じゃないのか? 他にも確認されてない被害地があるかもしれねえし……ここは東の港だけど、アイオナって島の反対側だろ? 俺たちがうろついてると、効率が悪いな」
 しばらく唸っていたルシードは、やがてポンと手を打った。
「アイリーン! おまえの家、目立つし島の中央部だよな。患者、そこに集まってくるように出来ないか?」
「ええっ? そりゃ、ティルナーグの塔って言えば、島の住人なら分かるはずだし。リダから他の人に治せるって教えてもらえば、被害者同士の繋がりで、すぐに伝わるとは思うけど――」
「じゃあ決まりだな。俺たちは、このまま塔を目指して西へ進む。道中、患者がいれば対応しながらな。アイオナに残ってる人間にも、リダさんから伝書鳩で報せてもらってくれ」
「う、うん。分かった」
 正直ちょっと、塔に家族以外を招き入れるのは抵抗があるけど、今はそんなこと言ってる場合じゃないもんね。
 私の魔法じゃ、赤ちゃんの体調はどうにもしてあげられないんだから……天使たちが治療に集中できるように手伝わなくちゃ!



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『取りかえ子』 という事件名の意味を調べていたら、アンジェリーナ・ジョリー主演の映画を知ることになりまして、実話が元だそうで、すんごいブルーな気分になりました。そんでもって日本人で良かったと思いました。アメリカ怖いよ警察怖いよ! 犯人より警察の方に腹が立った……。うがー!!