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◆ たゆたう、俤(4)


(……変な一日だったよな)

 バーのカウンター席に掛け、中身が半分ほど残ったワイングラスを見るともなしに眺めながら、脳裏に過ぎる景色。

 天使を連れ、久しぶりに首都アララスを歩き回って。
 法衣を纏うことなく、教皇庁の敷地内に立ち。
 約十年ぶりに、飼い犬のシロに会った。

 さらに今はティセナが隣で、チョコレート菓子をつまみに、三杯目の果実酒を空けつつある。
 いつだったか、こいつに飲ませてみるっていうのも面白そうだと考えたことを思い出し、アルコールだとは告げずに勧めてやったら気に入ったようだ。まあ酒に疎いんじゃカクテルの名前だけ聞いても、なんの飲み物だか分からないよな。
 しかし、なんというか……つまらない。
 少し赤く染まった頬、にこにこと上機嫌な表情――これのどこが “酒癖悪いんです!” だ? 盛り場の客としては満点かもしれないが、模範的すぎて期待外れだ。この様子じゃ、どうせ清廉潔白なクレア様とやらが、飲酒そのものを悪い習慣だからと禁じていたんだろうけど。
 天使様の酒乱っぷりを拝んだら、さっさと妖精でも迎えに呼びつけ、宿に戻って寝ようと思っていたのに……これじゃ、帰ろうと切り出すタイミングに悩む。彼女と雑談するのが嫌って訳じゃないけど、そろそろ瞼が重くなってきた。
 なら、そう言えば良いんだろうけど、誘ったのはこっちだしなぁ――

 けっこう歩いて疲れたし、以前のようにチンピラに絡まれても面倒だから、と。
 ギャンブラーや商売女の姿は見当たらない、小洒落たバーに入ったから、店内は静かで落ち着いた雰囲気だ。
 ちらほらいる客はカップルや、バーテンダーに顔を覚えられている常連ばかりのようで。
 さして広くもないスペースの隅にはピアノが置いてあり、生演奏の最中だった。次々と流れる曲名は知らない。賛美歌じゃない、ということしか分からない。
「……なあ。これ、なんの曲か知ってるか?」
「え?」
 空になったグラスを置いた天使は、とろんとした瞳をピアノの方へ向けると、
「あー……」
 溜息だか何だか分からない呟きを落として、天井を仰いだ。
「って、君が知るわけないよな」
 天界から遠く離れた地上の、人間が作った音楽なんて。
 しかし肩を竦めて話を打ち切ろうとしたロクスを他所に、彼女は、唐突に歌いだした。

「大いなる 光の 小さな星」

 最初は小声で、それが曲名なのかと訝しんでいるうちに一気に、なめらかに高らかに。
「うるわしき 実り 豊かな土地  野に咲き 香る 花々」
 ざわり、と店内の空気が揺らぎ、人々の視線がティセナに集中する。
「美しい 風の音 凍てついた 不動の 平原」
 よく通る涼やかな声。それは言語でありながら、弦楽器を奏でているのかと錯覚してしまう不思議な響きで――ピアノの弾き手も驚きの目を、こちらへ向けたが、すぐ嬉しそうな笑みを浮かべ視線を盤面に戻した。
「大軍と 閧の声 月が……」
 目を閉じたまま気持ち良さげに歌っていた、天使の声が、そこで唐突に途切れ。

「お、おい?」

 ゴチンと、けっこう大きな音を響かせ顔面からカウンターに突っ伏してしまう。
 もう少し位置がズレてたら、グラスが割れてたぞ……危ないな。
 歌のことは分からないが明らかに途中だろうし、頭も痛かったろうに、神の御遣いは、くうくうと寝息をたてて眠っていた。軽く揺さぶってみたが目を覚ます気配は無い。
「あら、寝ちゃったの? あの子――続き、聴きたかったのに」
「上手いもんだったなあ」
 まだざわめいている店内を突っ切って、上気した面持ちのピアニストが歩み寄ってくる。
「あの、失礼します。お連れ様は、どちらに御所属の歌手ですか? お目覚めになりましたら、ぜひ少しお話を……!」
「歌手なんかじゃないよ。君の話に付き合ってる暇も無い」
「そう仰らずに! この曲は北国の民謡なんですが、歌詞の由来は――」
「だから付き合わないって言ってるだろ。連れはもう寝てるし、僕も眠たいし。音楽について語り明かしたいなら、他の娘をナンパしてくれ」
「そ、そんなぁ……」
 男は未練がましい声を出したが、仕事の途中では客を追い回すわけにもいかないようで、がっくりと肩を落とす。
 消沈しているピアニストは無視、酔い潰れたティセナを肩に担いだまま会計を済ます。メイスが思ったより良い値で売れた為、ひとつツケを片付けた後でも懐にはまだ余裕があった。

(しっかし――ホント軽いな、こいつ)

 天使が実体化してても、人間と同じような重さにはならないんだろうか?
 そんなことを考えながら宿に引き返す。

 繁華街の大通りは夜遅くても外灯に照らされ、ほんのりと明るい。

 しかし眠り込まれるとは想定外だった。天界と地上じゃ時間の流れが違うから、ほとんど寝る必要が無いと聞いていたんだが……たまたま眠気が来るタイミングと重なったのか、飲み慣れない酒の所為なのか。
 これじゃ妖精を呼んだって引き取っちゃもらえないだろう。
 手のひらサイズの連中に天使を運べるはずもなく、アールスト侵攻の騒ぎで魔力を使い果たして間もない、ルシードを迎えに来させるのも気が引ける――宿で一眠りさせておけば、そのうち誰かが報告だ事件だって呼びに来るだろ。


 予定外の荷物を抱えて外を歩いたら、眠気は飛んだし酔いも醒めた。

 すうすうと眠りこける天使をベッドに下ろし、部屋に鍵をかけ、ロクスは飲み直しに階段を降りていった。
 暦の上では秋でも残暑は厳しく、宿の1Fにある酒場は、涼を求める男女でごった返している。
 そうして一人になると……思考は、どうしても昔のことへと流れてしまう。

 この手の “力” が判ったのは、8歳の頃のことだったか。

 親に散々ねだって買ってもらった、まだ仔犬だった、あいつが――目の前で馬車に轢かれて。腹がズタズタの血塗れで、今にも死んでしまいそうで。
 けど、だからって、ただの子供にはどうしようもなくて。ピクリとも動かないシロの傍にへたり込んで、誰か、こいつを助けてって祈りながら……泣きながら撫でていたら、血が止まって、傷も塞がった。
 そのときは願いが叶ったと、本当に神様はいるんだって、呑気に感動したっけな。
 目を開けたシロに舐め回されながら、ホッとして嬉しくて細かいことはどうでもよかった。
 その様子を周りで見ていた大人たちは、たぶん大騒ぎだったんだろうけど、それも目に入ってなかった。

 それから何日かした後、家に、法衣姿の男たちが訪ねてきた。

 両親は困惑しきっていたな。
 シロの一件は話してたけど、僕は、自分が治したなんて認識してなかったから、あの人たちは、馬車に撥ねられたけど運良く無傷で済んだくらいに解釈してたんだろう。
 教皇庁から派遣されてきた連中のうち一人は、僕に握手を求めてきた。
 戸惑いながらも、お客さんだしと要望に従い、手を握る。
 おっさんの癖して妙に白い人差し指には包帯が巻いてあって、この人、怪我してるのかなと思ったっけ。だけど、僕の手を放した男が、おもむろに包帯を取り払ったそこには傷なんか痕さえなくて――

 あとは大人の話があるからって、僕は子供部屋に押し込められた。

「…………」

 気分が悪い。やっぱり、もう寝る。
 あいつは叩き起こして帰らせよう。

 そう決めて一人酒を切り上げ、部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、ガタンッと大きな物が落ちるような音が聞こえ、
「? なんだ、もう起きたのか――」
 眉を顰めつつドアを開ければ、ベッドから転げ落ちたのか、ぺたんと床に座り込んでいる天使の姿。
「ちょうど良かった、もう僕も休みたいんだ。悪いけど」
「! 堕天使……っ!!」
 帰ってくれと最後まで言うことは出来なかった。バッと飛び退いたティセナの右手からは、返事の代わりに紅蓮の炎が渦巻き。ロクスは焦り、後ずさる。
「お、おいおいおいちょっと待て! なにやってるんだ落ち着け、宿が火事になるだろうが!」
 立ち上る炎は今にも壁や天井を舐めそうだ。
 せっかく少しは借金を返すかって気になった矢先だっていうのに、ここが燃えたら、いったいいくら弁償すれば済むんだ!?
「宿……?」
 敵意むき出し、手負いの獣めいて鋭かったティセナの眼光が、少し緩み。訝しげに辺りを見渡す。ようやく目を覚ましたかと思いきや、
「おじさん、誰?」
 不審者でも見るような目つきでこっちを睨み、投げかけられた言葉にロクスは絶句した。
「だっ、誰がおじさんだ!」
 断じてそんな歳じゃない。しかも “誰” って、なんだ? 酔っ払ってるにしても言動がおかしいぞ。
「なに、ここ――どこ? 父様と母様は?」
 ティセナは焦った様子で窓から外の景色を眺め、きょろきょろと視線を彷徨わせる。その右手には炎を纏ったままだ。
「まだ寝惚けてるのか? ここは天界じゃない、エクレシアの首都だぞ。あと頼むから、その炎どうにかしろ……六王国周辺ならまだしも、この国じゃ、魔法を怖がる人間の方が多いんだ」
 幸い、まだ見咎められてはいないが、いつまでも騒いでいたら宿の従業員が来てしまう。
「エクレシア? なんで、そんなとこに――飛ばされた?」
 意味不明な呟きを残し、ロクスの脇をすり抜けて行こうとする天使だが、その足取りはふらふらしている。
「おい、待てって。走るのは酒が抜けてからにしろ。この酔っ払い」
「どいてよ、家に帰るんだから!」
「だから、そんな千鳥足で動き回ったら――」
 危ないだろ、と続けるはずの言葉は続かなかった。
 ロクスを振り切り廊下へ飛び出したティセナは、階段を駆け下りようとして案の定バランスを崩し、
「! 馬鹿……!!」
 慌てて手を伸ばし腕を掴むも、大きく傾いだ身体を引き戻すには一歩遅かった。

 二人して宙に投げ出され、そのまま階段を転げ落ちる。

「お、お客様? だいじょうぶですかっ!?」
 ガタガタ響く物騒な物音を聞きつけ、血相を変えスッ飛んで来た従業員に、ロクスは、げんなりした気分で応じた。
「あー、まあ、一応は――」
 打ち身打撲だらけだが、たぶん骨は折れていない。ティセナの方は、とっさに抱き込み庇ってやった甲斐あって、これといった外傷は無さそうだった。ただ気絶したのか、また眠りの世界に戻ってしまったのか、くたっとしたまま動かない。
「部屋で休んで様子を見て、マズそうなら病院にでも行く。とりあえず僕らのことは気にしないでくれ。悪かったな」
「そ、そう……ですか? では、医者の手配が必要になりましたら、フロントに仰ってくださいね」
 心配そうにしながらも、従業員は仕事に戻って行き。
 ロクスは、あちこち痛む身体に辟易しつつも、どうにか天使を担いで部屋に引き返した。

「はいはーい、お呼びですかあ? ロクス様――って、どうしたんですか? その怪我!?」

 結晶石に念じて、ほどなく現れた妖精はシェリーだった。
「ティセナ様が、新しい武器のお届けついでに、治療しに訪問したはずですよね? また追いはぎにでも出くわしたんですか? 最近、化け物を連れた窃盗グループが暗躍してるって噂になってて、私たち、調べてる最中なんですけど……」
 目を丸くして回復魔法を使いつつも、あーだこーだとしゃべり倒す。
「階段から落ちたんだよ。そこで寝こけてる天使様のとばっちりでな。彼女の方は問題ないと思うけど、一応、傷が無いか診といてくれ」
「へ?」
 ロクスの治療を終えた妖精は、きょとんと瞬き、そこで初めて勇者の寝床を占領している上司に気づいたようだった。
「あれ? 寝て――う、お酒臭っ!!」
 鼻をつまんで飛び離れ、キーキー怒りだす。
「なぁにがとばっちりですか! ティセナ様が自分からお酒を頼むはず無いんだから、どうせ私のときみたいに騙して呑ませたんでしょ? 確か言いましたよね? ティセナ様、酒癖が悪いんだって! 前の時だって、クレア様のことも分からなくなっちゃって、家に帰るって暴れて大変だったんですから!」
「悪かったよ……って、家に帰る?」
 さっきと全く同じじゃないか。放火未遂のオマケ付だったとしたら、そりゃ禁止令も出るだろうな。
「なあ、天使にも両親っているのか?」
「へ? いませんよ。天使様たちは、光の塊から生まれるんですもん」
「けど確か、さっき、父様と母様は? って探していたぞ。こいつ」
「聞き間違いじゃないですかぁ? 教育係に任命された天使が、人間で言うところの親代わりにはなるらしいですけど、それだって一人の天使様に一人だけ。そもそもティセナ様の “養父” さんは、彼女が瘴気耐性持ちだって判明してから――」
 訝しげに首をひねりながらもロクスの疑問に答えていたシェリーだったが、そこでハッと口を噤み。
「ちょっとぉ! 話題すり替えてごまかさないでくださいよ!? ご自分が飲むのは勝手ですけどね。だいたいロクス様ってば、いつもいつも……!」
 騒ぐシェリーの声が刺激になったか、くぐもった呻き声がベッドから聞こえ。
「あっ、ティセナ様! 気が付きました?」
 妖精は嬉しそうに、上司の傍へと飛びついた。
「……シェリー?」
「大丈夫ですか? 頭とか痛くありません? なんか、さっきまで意味不明なこと仰ってたみたいですけど――ロクス様がお酒なんか飲ますから!」
「あー、うん……変な夢、見てた気がする」
 上半身だけ起こして、片手でひたいを押さえたまま、ゆるゆると首を振る。その声は虚ろに掠れていた。
「昼間、ちょっと――共鳴現象、あって。引っ張られたかな――」
「えええっ!?」
 シェリーは顔を引き攣らせ、文字どおり飛び上がった。
「ダメじゃないですか! ただでさえティセナ様、この世界と相性良いんだから危ないですよ。こんな生臭坊主の部屋で寝てないで、もうヤドリギに戻りましょう?」
「うん……」
「もしまたティセナ様に変なことしたら、ロクス様の付き添いは、ずーっとローザにしちゃいますからね!!」
 ジロッとこちらを一睨み、物騒な捨て台詞を残した妖精は、まだ朦朧としている様子のティセナを引っ張り窓から飛び去っていった。

 ようやく静かになった部屋に一人、残されたロクスは、どっと押し寄せた疲れに抗う気力も無くベッドに倒れ込み――見知らぬ相手に、心の中で詫びた。

 どうせ頭の固い天使様が飲酒自体を禁じていたんだろう、とか決め付けてスイマセンでした。
 あれは確かに危険です。
 仰る意味が、よく分かりました。
 もう二度と、あいつに飲ませたりしません。



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ロクスの過去話、ざっくり。純白のOP曲はキレイで大好きです。血塗られた大地――の続きを、ぼんやり考え中。天の救いを待ちわびる的な歌詞が続く気がするんですけれども。