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◆ 見えない敵


 ――9月8日、夕刻。

 クラクフ地方のウェルス村から、命からがら逃げてきたという子連れの女性から、ヴァンパイア退治の依頼を受けたクライヴは、足早に宿を発った。
 新品のバスタードソードを届けに訪問していたティセナも、敵がアンデッドならと、実体化したまま同行。
 どの家の門扉も硬く閉ざされ静まり返った集落の中心で、待つことしばし。

「出て来たな……」

 日が暮れて間もなく大地を抉り、ぞろぞろと動きだしたグールの群れを、手分けして蹴散らしていると。
「おやおや。とっくに我々の時間だというのに馨しい香りが漂って来ないから、妙だと思って様子を見に来てみれば――逃げたネズミが、助けを呼びましたか?」
 闇から吐き出されたように、ふわり降り立つ人影。
 逆立った髪、ぬらりと光る牙が目立つ青白い顔。紫色のマントを羽織った長身の吸血鬼が、妖しく笑う。
「ノスフェラトゥ!」
 短く呟いたクライヴが片刃を閃かせるも、敵は、あっさりと空へ逃げた。
 間髪入れずティセナは、その背を炎で狙い撃つ。
「おおっと、危ない危ない」
 すんでのところで攻撃に気づいた、敵はマントを翻す。炎は布地を焦がしたが、ノスフェラトゥ本体は、たいしたダメージも負わなかったようだ。
(……こいつ、別格ね)
 人里に飛び火しないようパワーを抑えた魔法では、雑魚ならまだしも、中位魔族級の相手を瞬殺するには足りない。
 とはいえ、ここは廃墟ではなく、あちこちに生存者が身を隠しているようだ。家屋や田畑を巻き添えに吹き飛ばす訳にはいかない。
「ハンターだけでも目障りだというのに、魔導士までおいでとは。グール如きでは歯が立たなかったのも、無理もありませんね――」
 薄笑いを浮かべたまま、クライヴとティセナを見比べていた吸血鬼が、ふと眉を潜め、
「その顔……?」
 見る間にその形相が険しくなり、そうして、
「なるほど。ここ最近、方々に現れ同胞を狩っているというハンターと、魔導の使い手――王の血を引く者が、なんということを!」
 急にヒステリックな調子で叫ぶと、抑えていた敵意も剥き出しに襲い掛かってきた。
(王の血?)
 応戦しながら、内心で首をひねる。
 アルカヤの不死者たちが王と呼ぶ “レイブンフルト” を必ず倒すと言って、この勇者は連夜、戦い続けているんだったはずだ。
 その血を引いている? クライヴが?
(それにしては、妙ね)
 彼を見つけてきたのは、シェリーだった。
『ちょっと怖そうな人ですけど……』
 確か、そんなふうに言ってはいたものの、天使より力弱い存在である妖精は、天界人に負けず劣らず魔物の気配に敏感だ。
 人間は元々、正邪どちらの側面も併せ持っている生き物。多少、その比率に個人差はあっても、クライヴの魂が放つ気配は他の勇者たちと著しく異なるような代物ではないはず。
 いくら外見が人と変わらなくても、魔性の血が濃く流れているような相手を――勇者候補として報告なんて、する理由が無い。なにより自分だって、彼が闇の眷属との混血なら即座に気づいたはずだ。
(どういうこと? 遠い祖先に “レイブンルフト” の同族がいたとか……?)
 けれど、そもそもカーミラやスカルナイトのようなモンスターは――腐った死体よりは人間っぽい風貌のヴァンパイアでさえ、生きていないんだから命なんて継げない。吸血鬼は、血を啜ることで仲間を増やすし、ゾンビは呪術によって生み出される。
 人間なり、他の生物と交わり子孫を残したというなら、それは “厳密には死んでいない” ということになる。
 アンデッドに襲われ人間ではなくなったものの、その魔性に染まり切らず、子を成す――ごく稀に、そういった者が現れた話も文献に残ってはいる。
 持って生まれた強靭な精神力、祝福された魂が。瘴気に侵されてなお核を守り、本来の自我を保ち、相反する “力” を宿すことを可能にするのだと。
 そうして生を受けた命は、大抵すぐに絶たれる。魔物の子だと周りの人間が知れば、成長して牙を剥く前に殺そうと考えたとて誰も咎められまい。
 そんな複雑な出自を持ちながら、奇跡的に守られ生き延びた者の中でも特に、人間とヴァンパイアの混血を表す呼称が、確か “ダンピール” ――不死者にとっての天敵となることが多い、とか。
(けど、本人に訊くのはちょっとね……)
 それが事実なら、進んで話したい事情じゃないだろうし。
 敵の勘違いか何かなら、なおさら話題にすることじゃないだろう。

 勇者のサポートをしつつ考えている間に、ノスフェラトゥは、クライヴの猛攻によって追い詰められていた。
 翼を焼かれて地に落ちた吸血鬼の胸を、クライヴが無言で刺し貫き。敵の親玉は――ほどなく灰色の砂になって、消えた。


「ありがとう、ありがとうございました! 本当に……!!」

 依頼主の女性と子供たちを、アンデッドモンスターの脅威から解放されたウェルス村に送り届け。
 彼女らを逃がすために残ったという家族や、村人との再会を喜ぶ姿を眺めつつ、また少々強引にクライヴを “アフターサービス” に付き合わせていると――ずいぶん慌てた様子のシータスが、報告に現れた。
 フェス地方のリゼという集落が、見えない “なにか” に襲われ大混乱に陥っているという。
「“なにか” って……敵が、地上の生き物か魔族かも分からないまま報せに来たの?」
「申し訳ありません。調べ回っても見当が付かず、もたもたしているより、ティセナ様のご判断を仰いだ方が良いかと――」
 筋肉質な体を小さく竦め、シータスは続けた。
「その場に居合わせ、生き延びたという人々が話しているところを聞いたのですが、襲撃者の姿は見えなかったと。あっという間に地飛沫が上がり、驚いている間に被害者の手足が引き千切られて無くなり、あちこちに血の海が出来たとか……」
「見えなかった、だと?」
 珍しく、横から口を挟んだクライヴに、妖精は頷いて返した。
「現場に瘴気が漂っておりましたので、アルカヤ土着の生物が凶暴化したものではなく、闇の眷属の仕業であることは確かと思われます。しかし敵の姿形が分かりませんと、どう探したものやら――未開地には、縁のある勇者様もいらっしゃいませんし」
「帝国がケナーに侵攻するまで、事件らしい事件も報告されてなかったエリアだからね。誰も土地勘が無いし、どこもかしこも森だから迷いやすい……フェス地方なんて、未開地の中でも南寄りだもの」
 帝国の脅威がある中で、そんな遠くでの任務、レイラやルディに頼んでも渋られるだろうし。
 アイリーンだって、魔導士ギルドを守りたいだろう。
 ロクスも、なんだかんだ言ってエクレシアから離れたくはないはずだ。
「不謹慎ながら、再び誰かが襲われれば敵を目撃できるかと、数日、リゼで周囲を警戒しながら過ごしていたのですが、なにも起きず――指示を仰ぎに伺った次第です」
「そっか。未開地にも資質者の子、いるにはいるんだけどねぇ」
「ああ! シェリーから聞きましたよ。先日の事件現場で出会ったという――セシア殿、でしたか? ずいぶん天使様に憧れている様子だったとか」
 天使に助けられたと認識した途端そりゃあもう大騒ぎ、満面の笑顔で 『ぜひ、聖母様にお会いください!』 と誘う彼女の勢いにたじたじとなりながら、今は忙しいからと断るのに苦労した。
 良い子には違いないんだろうけれど、ああいう屈託なく押しの強いタイプは苦手だ。変に憧れられても困る。
「まあ、そうなんだけど、人数を増やし過ぎてもフォローの手が回らないからなあ。とりあえず私が、現場を見て」
「……俺で良ければ、調べに行こう」
 遮るように切り出され、少し驚いて傍らの勇者を見やる。
「クライヴ?」
 未開地なんて、彼の活動拠点とは真逆もいいところだ。
「見えない、という点が引っ掛かる。奴等が、寒冷地以外で活動できるとは考えにくいが――レイブンルフト程の存在なら、あるいは南国でも」
 わずかに顔を歪めた青年が漂わせる、ピリピリした空気に、ふと思い出す。
『目に見えない城に住み、すべてのアンデッドを従え、狂った血の饗宴を繰り広げているという』
 追い求める敵について語っていた、頑なな横顔。
「行ってもらえれば助かるけど、でも……良いの? 遠いよ?」
「今は他に、受けている仕事も無いからな。それにおまえは、あまり一所に留まっていられる立場じゃないだろう」
 携えたバスタードソードに目線を落として、静かながら強い口調で言う。
「人里が襲われている最中だというなら、俺より、誰か近隣にいる者か、おまえが直接出向いた方が早いだろうが――敵が今は、身を潜めているなら。血肉を漁った直後で、腹が膨れたから眠っているのか、立て続けに人を襲って目を付けられることを警戒しているのか分からないが、再び姿を現すまで時間はあるはずだ」
 クライヴに引き受けてもらえるなら、シータスに、リゼの様子を定期的に見に行かせておいて。勇者の到着を待たず敵が出現した場合のみ、自分が転移魔法で向かえば済む。
 正直、いつ出てくるか分からない相手を待っている暇は無い。ありがたい申し出だった。
「ただ、おまえたちも話していたように土地勘は皆無だからな。未開の地では、まともに休める集落も無いだろう。問題の場所に、一人で迷わず辿り着けるとは思えない……カヴァキア半島の手前からでかまわない。おまえか妖精に、敵の正体を突き止めるまで同行を頼みたい」
「それは、もちろん。シータス、このままクライヴと発って? 彼の同行サポートと、リゼの偵察を交互に」
「分かりました! 宜しくお願いします、クライヴ様」
「ああ」
 話がまとまり、ホッとしたのも束の間――ラビルク地方のルッカに帝国軍が侵攻を始めたと、噂を聞きつけたレイラが病み上がりにも関わらず止めに向かってしまったと、血相変えて報せに来たローザを伴い、ティセナは慌てて六王国へ飛ぶことになった。



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クライヴを未開地に行かせるって、アンデッド現れないし本人も実は暑さが苦手らしいし、ちょっと頼みにくいよなー……。
ってか、半分吸血鬼でもスカウト対象になるって、妖精の感覚って、なにをどこまで嗅ぎ取ってるんだろう?