NEXT  TOP

◆ 騎士道


 どうして、おじさまと戦わなきゃいけないの。
 なんで、この人が私を殺そうとするの?
 魔女に操られているなら……だから私の部下たちを手にかけたんだったら、どんなに気持ちが救われたことか。だけど目の前に立ち塞がるカイゼル将軍は、記憶の中と変わらない、気迫に満ちた猛者の目をしてる。

 大好きな父、その親友だったおじさま。
 子供の頃たくさん、たくさん遊んでくれた人。
 私が騎士を志すようになってからは、父と一緒に剣の扱いや、身体の鍛え方、騎士道精神を教えてくれた武人に、なんで剣を向けなきゃいけないの!? 近隣諸国で非道を働いている軍人たちは止めずに、私の無実を訴えただけの部下たちを殺した、なんて――

 クロイツフェルド親子に牛耳られた傀儡政権を認めるの?
 私は謀反を企てたりしてないって信じてくれないの?
 父とアルベリックとの決闘に不正があったに違いないって、明らかにおかしいって、“隻腕のラウル” の実力を誰より知っている、親の七光りで隊長の座についたアルベリックを渋い眼で見ていた、おじさまなら分かるはずじゃないの!
 なんで、どうして……あの日、私を牢から連れ出してくれた人が、おじさまじゃなくてティセナだったの!?

 説得の言葉は通じなかった。
 私の腕じゃ到底、カイゼル将軍に敵うはずもなかった。

 亡き父と実力拮抗していた剣士だもの、当たり前だ。

 だけど、勝ったのは私だった。
 だって回復魔法で、消耗した体力は戻るんだもの。
 攻め寄せた大軍は止め切れなくても、一対一の勝負なら、手も足も出せずに即死してしまうような相手でなければ、まず負けはしない。ティセナを呼びに行った妖精が戻って来た時点で、勝負は決まったようなものだった。
 本来こんな小娘に、しかも病み上がりの私なんかに負けるような人じゃないのに――
(なんだ。私も、アルベリックのこと言えないわね……)
 天使の加護を受けているか、魔女に守られているか、その違いだけ。
 なんて、空しい。
 幼心に憧れた広い背中。いつか、胸を張って追いつきたかった。
 それなのに、一人はアルベリックなんかに殺されて、もう一人は私が、この手で致命傷を負わせて虫の息――このままじゃ死んでしまう。

 そこまで考えて、ふと我に返った。

 半壊した建物、割れて転がった酒樽、誰かの落し物らしいクマのぬいぐるみ。
 グローサインの暴挙により戦場になってしまった、ルッカ市街。
 あちこちに帝国兵が倒れている。残党兵は、将軍が倒れたことで怖気づき逃げ出したのか、辺りは静かで、もう立っている敵は見当たらなくて……今なら、誰かに見咎められる心配も無い。
「ティセナ、ローザ! お願い、この人の傷を治して!」
 振り返って、滞空している天使たちに請う。
 叶うなら、こんな重傷は負わせずに退けたかった。
 けれど手加減しながら、カイゼル将軍をどうにか出来る程の腕なんて私には無かった。
「さっきは説得できなくて、戦うしかなかったけれど――好き好んで、こんな侵略戦争をするような人じゃないの、亡くなった父の親友なの! 宰相親子さえ、なんとかすれば、きっと」
 きっと?
 どうなると言いたいんだろう、私は。
「この人が、レイラに負けたから、今後はあなたに協力して帝国を操る宰相たちを討つと言うなら……戒律無視して、回復魔法をかける意味もあるけど」
 ティセナは、これといった感情を映さない眼差しで、地に倒れ伏したカイゼル将軍を見つめている。
「彼は、身動き取れるようになったら、またレイラを殺そうとするでしょう? 裏切り者の粛清、それが国に仕える騎士の務めなんだから」
 そんなことない。
 そんなことない?
 だって現に、さっきまで私を殺す気で剣を振るっていた。
 負けたから意を違える相手にも従う? そんなことするくらいなら自決するわ、きっと――この人は。亡き父だって。
「敵に操られていた訳でもない。自分の意思で、あなたを殺そうと剣を向けた人間を助けられないよ。それが手練の将軍なら、なおさらレイラの身辺に危険が及ぶ」
 辛そうに目を伏せたローザも、天使に同意するように首を横に振った。

 ティセナの言うとおりだ。
 きっと将軍は、何度だって “裏切り者” を斬りに来る。

 だけど、私は……無実なのに。
 ああ、違う。だって、こうして侵略戦争を止めさせようと、同じ軍服姿の人間を何人も、何十人も――祖国から見れば自分は “そう” なのだと、今更な実感に慄然とする。
 そんなつもりじゃなかったのに。ただ身の潔白を、父が敗北した真相を、その言葉が正しいと証明したかっただけなのに。
 だけど、じゃあ。
 あのまま大人しく牢に捕まっていれば良かったの?
 アルベリックの言いなりになって、作り笑いを浮かべて、あの虫唾が奔る親子に従っていれば、おじさまと戦わずに済んだ?
 騎士団を率いて、罪も無い人々を、皇帝の命令だからと傷つけ領地を奪い取って。
 宰相たちに意見した父を、否定して?
 そんな、そんなこと……出来る訳ないじゃない。他国を蹂躙する為に剣の道を志したんじゃない。

 じゃあ、なんの為に?
 誰の為だった?

 国を守るために戦うこと、偉大なるグローサインの皇帝に仕えること、父のような誇り高い騎士になること。
 その想いは今も変わらないのに、祖国の方針に異を唱えて、帝国軍に剣を向けて――おじさまを殺してまで、生き延びなきゃならない程の理由があるの?

 左腕の篭手に、無意識に触れる。
 父の形見。
 目や髪の色が理由で皇帝に相応しいかどうか決まるなんて馬鹿げていると言い切った、父は。
 きっと今の帝国を見て嘆いている。
 娘と、親友が殺し合ったことも悲しんでいる。
 だけど生きていたら、やっぱり……絶対に、侵略戦争を止めさせようとしたはずだ。
 なにより、もう父はいないのに、母を置いて私まで殺される訳にはいかない。

 このまま死んだら、母は、新皇帝を侮辱してアルベリックに殺された男の妻だと、反逆計画がバレて逃げ出した先で粛清された女の母親だと、後ろ指をさされながら生きていかなきゃならなくなる。
 場合によっては、騒ぎ立てられないようにと毒でも盛られかねない。
 帝都の様子を探って来てくれたレグランスの王子が、確か、今は軟禁状態になっていると教えてくれた――いずれ娘が接触してくるかもしれない、という理由で。
 だったら私が生きているうちは、母に、直接の危害は加えられないはずだ。
 逃げも隠れも出来ない。
 心配しているだろう母の為にも、父と自分の汚名を雪いで帰らなきゃ。

「……そうか」

 ふと、掠れた声が聞こえて。
「神話に伝わる、天の御遣い。実在した、とは、な」
 いつの間にか俯けてしまっていた顔を上げると、カイゼル将軍は、ぼんやり宙を――ティセナたちを見上げていた。
「看守だけでなく、アルベリック様も居合わせた中で……牢に、突然現れた騎士に連れられ消えたと……聞いてはいたが……」
 切れ切れに呟いて、ふっと笑う。
 彼女の姿が見えているの? どうして? 瀕死、だから?
「その天使が言うとおり、だ。決して裏切り者を許しはせんぞ――死を持って償わせるまで。敵の傷を癒してやってくれ、などと、片腹痛いわ――」
「おじさま!」
 割り切ろうとしても、懐かしい声を耳にしてしまえば心は揺らぐ。
 たまらず上げた抗議の叫びに、
「敵の情けを受け、馴れ合いを魔女に察知され、融合兵の材料にされるなど死んでも御免だ」
 浴びせられる言葉は冷徹で、耳慣れぬ単語に戸惑う。
(ゆうごうへい? 材料?)
 あの魔女、セレニス……いったい、なにを?
「皇帝の命令に従い、軍を率いて敵を討つことは帝国騎士として当然の務め――それが、騎士道。我が意志、誇り」
 もはや頭上を仰ぐ力も無くなったようで、こちらを睨むように見据え吐き捨てる。
「そんなことすら忘れた愚か者が、剣を持つな。その軍服を纏うな。目障りだ」
 返す言葉が見つからない、自分に代わるように。

「……せっかく、自由な心と身体を持って生まれたのに」

 死にゆく将軍に静かに声をかけた、ティセナの瞳は凪いでいた。
「好き好んで縛られた結果が、これで良いの?」
 再び、視線だけ天使に向けて、次になにを言おうとしていたのか、それとも語ることなど無かったのか――苦笑と呼ぶにはぎこちなく口元を歪め、それきり目を閉じたカイゼル将軍は、二度と動かず。

 妖精が飛んでいるときに似た淡い光の塊が、軍服の背中からフワリと浮き上がり、そのまま消えていった灰色の空を……ティセナに移動を促されるまで、空虚な気分を抱えたまま、ずっと突っ立って見つめていた。



 ヤドリギへ戻るには遠すぎ、その日は、途中で宿を取った。

 ルッカへと急いでいる間は、戦っているときも、気が昂っていたからだろう、身体の不調なんて意識から消えていたけれど――喧騒から切り離されてみると、ひどく頭が痛んだ。
 たぶん、それは風邪がぶり返しただけじゃなく、カイゼル将軍の命を奪ったことが割り切れずにいるからなんだろう、と思う。
 理性では、避けられない戦いだったと分かっているけれど、感情が追いついていない。

 だから眠るまで……寝付けずに、ティセナに問われるまま、あれこれ話した。
 左腕に装備した篭手が父の形見であること、大恋愛だった父と母の馴れ初め、軍に入ってからの訓練時代、厳しくも優しかったカイゼル将軍のこと。
 天使は、いつもどおり淡々とした態度で、今はそれがありがたかった。誰にも、同情されたり励まされたくはなかった。
 だったら最初から、なにも喋らなければ済むんだろうけれど――言葉にすると不思議と、ぐるぐると頭で渦巻いていた様々な想いが整頓されていく気がして。

 帝国の暴挙は、止めなきゃいけない。
 本当に国の為を想うなら、主君が道を踏み外したら……諌めなきゃ。父がそうしたように。それが正しい騎士の在り方であるはずだ。
 どんな命令にも、ただ従うだけなんて、そんなの絶対に間違ってる。
 母を置いて死ねない。
 カイゼル将軍すら私を討とうとした今のグローサイン帝国内に、ヴィグリード親子の無実を証明してやろうとする者など誰もいやしない。自分で、やり遂げなきゃ。
 頼れる人なんかいない、だけどティセナたちはいてくれる。

 ……だいじょうぶ。
 私は、まだ戦える。

 今日は休んで、おじさまを殺したくせに彼を悼んでしまう自分の心も認めて、明日になったらまた――剣を握り、軍服に袖を通して戦うんだ。グローサイン帝国を狂わせ、平和を脅かす者たちと。



NEXT  TOP

レイラのシナリオって、ギャグ要素が入る余地が無い……本人が生真面目だし、帝国による侵略行為がストーリーの軸になってるんだから無理もないけど、そりゃあやけっぱちで宰相暗殺に走りたくもなるわなあ。