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◆ 聖母の森(1)


 夜空を飛びながら、カイゼル将軍の死に様について考える。

 頑なな帝国騎士としての顔の裏には、なにがあったのか?
 言葉どおり、反逆者たるレイラは “敵” 以外の何者でもなかったのかもしれない。
 たとえ私人としての心は、本音は 『剣を捨て、軍服を脱いで逃げろ』 と諭したかったのだとしても――レイラが忠告を聞き入れないことも解っていただろう。
 真実は故人の胸の内、もはや誰にも分からぬこと。
 ただ……救いはどちらにあるだろうかと、ボンヤリ思う。

 理解者だと信じたかった相手が敵に回り、己の選んだ道を否定されたこと。
 本心では、追われる身を案じてくれていた旧知の人物を、その手にかけたこと。

 天の戒律に縛られる自分たちと違って自由なのに。
 わざわざ不自由な道を作り、ひた走って満足だったろうか、あの将軍は?

 しかし、気になることも言っていた。
『馴れ合いを魔女に察知され、融合兵の材料にされるなど死んでも御免だ』
 彼らに融合兵と呼ばれる、それが、イエーナで見かけた合成獣のことなら――新皇帝の方針に異を唱えた者は、片っ端から、呪術の餌食にされているんだろう。
 だったら、なおさら進軍は止まるまい。
 良識を持つ者は秘密裏に消され、死にたくなければ黙るしかなく、侵略戦争を是とする人間たちが増長して。
「あーあ、全部まとめて薙ぎ払えたら楽なのに……面倒くさいな」
 いつまでも、こんな戦いが続いたら、レイラの身体はともかく精神が持たない。しかし帝都へ直接は踏み込めない。どうしたものか――

 疲労困憊の勇者を、ヤドリギまで送り届け。
 ローザに付き添いを頼んで。
 コンラッドたちのところへ様子見に行ってみたが、現時点では魔女が “外” に出てきそうな情報は得られず。
 そろそろクライヴが、カヴァキア半島に入ると報告を受け、同行に向かった。

 獣道しかなく集落の数も限られる未開地、しかも暑い。
 基本的に外と交流が無いから宿屋なんか探すだけムダ。加えてケナーが帝国軍に荒らされた矢先、元々強い余所者への警戒心が、さらに高まっているようだとシータスが話していた。
 帯刀したクライヴが森を歩き回っていたら、偵察にでも来た軍関係者と誤解されかねない。
 だったらいっそ “天使と勇者” として、セシア嬢を訪ねて行き、ついでに休ませてもらった方がトラブルにならず済むだろう。
 ナクル地方のロオクに “聖母の森” と呼ばれる聖域があり、彼女は、そこの神殿で暮らす巫女のような人物に仕えているらしい。なにを根拠にか、
『聖母様になら絶対、天使様のお姿が見えますから!』
 目をキラキラさせ断言していた、その理由に興味が無いと言ったら嘘になるし。
 どのみちクライヴが未開地の事件を担うなど、これっきりになる可能性が高いが、また他の勇者が足を踏み入れることもあるだろう。レイフォリアの部族を束ねる者に、挨拶ぐらいは済ませておいた方が後々の為になりそうだ。


「……その格好で暑くないの?」

 気配を辿って行った先、緑の森を黙々と進む勇者は、普段とまったく変わらぬ長袖姿だった。
「べつに、平気だ」
「なら、いいけど」
 蚊に刺されるのを防ぐ為だろうか? アストラル生命体には無縁の話だが、こういった高温多湿の場所には血を吸う小さな虫がいて、しかも吸われるだけならまだしも痕が異様に痒いものらしい。
「まあ、とにかく――長距離移動、お疲れサマ。差し入れ買って来たから、ちょっと休憩しよ?」
「なんだ、それは?」
「カキ氷」
 冷気を纏わせ両手に持ってきた、大型の紙コップを掲げてみせる。
「クライヴの好み分からなかったから、一番シンプルなのにしちゃったけど、気に入らなかったら私のと交換するから食べてみて?」
「氷……?」
 訝しげに眉を寄せながら、手近な切り株に腰を下ろして。
 傍目には、ただの真っ白い細かな氷の山にしか見えないソレを少し口に入れ、短い感想をもらす。
「……甘いな」
「甘いのダメ?」
「気になるほどではない」
 続けてしゃくしゃくとスプーンを動かしているので、特に文句は無いようだと判断、傍の横倒しになった大木に腰を下ろす。
「そっちは、なぜ赤いんだ?」
「イチゴ味だから。ちなみクライヴのはね、みぞれ」
 自分用のを食べながら、ここへ来る途中で立ち寄った屋台の品揃えを思い返す。
「他にもレモン風味とか、メロン味とか、たくさん売ってたんだけどねー」
「どこの誰が考えたんだ? 氷に味をつけて、食べるだなどと」
「誰って――ああ、そっか。辺境は年中寒いから、氷菓子なんて売っても誰も買わないよね」
 クライヴの疑問に首をひねり、すぐに自己完結して答える。
「レグランスは逆に常夏だからさ、海辺なんかに行くと必ず売ってるんだよ。アイスクリームと、どっちにするか迷ったんだけど、あれは溶けちゃったら食べにくいから」
「これも溶け始めているようだが……」
「うん、でも溶けたらジュース代わりに飲んじゃえばいいし。これ、スプーンだけどストローにもなってるの」
「……そのようだな」

 そんな話をしながらサクサクとかき氷を平らげて。

「あー、冷えたー」
 スッキリした気分で伸びをする。
 純粋にアストラル体として地上に降りている限りは寒暖など感じないのだが、アルカヤの物質を持ち運べる状態にしていると、さすがに暑苦しい。
「…………」
 クライヴはノーコメントだったけれど、一息つけたという表情である。

「ここから少し行ったところに集落があるらしいんだ。顔見知りの子がいるはずだから、頼めば、一晩ぐらい泊めてもらえると思う」
 休憩を終え、再び移動し始めた勇者がナクル地方に差し掛かったところで、立ち寄りを促す。
「慣れない土地で野宿続きじゃ、敵の正体を探る前に疲れちゃうだろうしね」
「この先か?」
 特に表情を変えず、ティセナが指した方向へと視線を投げた勇者は、ふと眉を顰めた。
「なにか、騒がしいようだが――」
「……え?」
 指摘されて耳を澄ませば、かすかにだが聞こえてくる物騒な物音、怒号、それから。
「あれ、ホントだ。悲鳴……?」

 慌てて駆けつけた聖母の森は、阿鼻叫喚の巷と化していた。

「なんなんだ、この不気味な犬はッ!?」
「剣を、弓矢を取って来い、早く!!」
「なんだと、見慣れない子供が?」
「はい! 聖母様がおわす森へ入っていったと、面妖な魔術を使うのだと、倒れていた者が――」

 セシアと似た、独特な服装の老若男女が泣き叫び、逃げ惑う集落の中を我が物顔で荒らし回る、魔物が放つ瘴気の濃さ。
「ケ、ケルベロス!?」
 調査開始した頃よりは混乱の根も深まっている、とはいえ今のアルカヤに、どうしてこんな魔獣が?
「魔法じゃ引火しかねないし、住民も巻き添えか……斬り捨てるしかないな」
 剣を手にし、まずオレンジ、次に黄色と、森の集落においてはやたら目立つ毛並みの獣に斬撃を加えたところで、
(向こうに、まだいる? しかも――)
 道の先から漂ってくる、より危険な気配に気づき逡巡する。
「クライヴ! 少しの間、ここ頼める? 森の奥に、高位魔族級の魔力が渦巻いてる……たぶんこの魔物たちを従えてるヤツだから、先に消さなきゃ」
 今の彼が、ケルベロス二匹を同時に相手取っては不利だろうが、脚に深手を負った魔犬に本来の敏捷性は無い。倒せなくとも、短時間でやられてしまう心配は無いだろう。
「引き受けた」
 短く応じたクライヴが、バスタードソードを構える。
 天使の姿が見えていない村人たちは、彼がケルベロスを切り裂いたものと思ったらしく恐々と、それでも縋るように近寄ってくる。
「あ、あんた何者だ?」
「このデカイ犬、いったい――」
「離れていろ。噛み殺されるぞ」
 振り返ることなく告げたクライヴに、手負いの魔犬が飛び掛ってくる。怒り狂い凶暴性も剥き出しだが、跳躍力の要とも呼べる後ろ足から腹にかけてバッサリやられた体は思うように動かぬようで、ひらりと避けたクライヴに、今度は前脚を刺し貫かれた。
 その背後から襲い掛かった色違いのケルベロスは、浅くだが片目を斬られ、ギャンギャンと激しく咆哮する。
 さすがハンター、専門外の魔物でも、的確に急所を狙い対応している。けれど、いつまた新手が現れるか分からない……急がないと。

 転移魔法を使うには、あまりにも磁場が不安定な為、飛ばなければならなかった。
 魔力の元へと近づくにつれ、話し声が聞こえてくる。

「……魔石はどこだ?」
 冷たい、けれど奇妙に幼げな響き。
「出さないと、ひどい目に遭わせるぞ」
「魔の者たち――こんな子供を利用して」
 対する声はしわがれ、嘆くような呟きだった。
「質問に答えろよ!」
「あれは遥か昔に私が、天使様より託されし大切なもの。誰にも、なにが目的であれ渡すことは出来ません」
 天使? 前任者、ラファエルのことか?
「だったらいいよ。ジャマするヤツみーんな殺して、探すから。大きい紫色の玉なんだろ?」
「聖母様ッ……!!」
「おまえ、さっきからうるさい」
「ああっ!?」
 爆発音。悲鳴。焦げ臭い匂い。
「セシア!」
「おまえが言うこと聞かないから悪いんだ。モーント――僕、魔法に集中したいから、そいつら近づけるなよ」
 ようやく現場が見えた。神殿のような建物に、また目立つ黄緑色のケルベロスと、揺らめく魔力を纏う小柄な影。
 それらと、青いローブ姿の老婆の間に、傷つき倒れ伏す少女たち。

「……え?」

 放たれた攻撃魔法と彼女らの間に割って入り、相殺して握り潰す。
(ずいぶん荒っぽい魔法ね――)
 力任せな印象の、どこかで相手したことがあるような……?
「天使様!」
 はしゃいだ声に振り返れば、いつぞや出会ったセシア嬢が、上半身だけ起こし感極まった表情で、こちらを見つめていた。その呼び方、やめてほしいんだけどなぁ。
「なにが目的か知らないけど、よりにもよってケルベロスなんか引き連れて――」
 ともあれ今はセシアと話している場合じゃない。低く唸る魔犬の陰に隠れてしまいそうな、水色の人影に目線を移したティセナは、戸惑いに目を瞬く。
「あなた……あのときの?」
 12、3歳くらいの少年。珍しい、底に4つほど車輪がついた妙な履物。
 コンラッドたちと知り合った事件の起きた村で遭遇した子じゃないか? いや、あのときの子供に魔力なんか感じなかった。服装が似通っているだけの別人か――と思い直して見れば、さっきまで立ち上っていた魔力の渦が、キレイサッパリ消え失せている。
 高位魔族級どころか、なんの力も持たぬ無力な子供にしか見えない。
(なるほど、アリシェスと同じタイプの魔力保持者か……面倒な)
 膨大ゆえに不安定で、普通なら無意識にセーブするところを、体力と精神の限界ギリギリまで “力” を使い果たし、外から感知不能なほど空っぽにしてしまう。
 こうなると、眠るなり食べるなりしてエネルギー回復しなければ、そよ風ひとつ起こせない。
 一歩間違えば、周囲も巻き添えにされかねない破壊力。だから天界軍も、アリシェス・マルベリーを持て余して後方支援しかさせてこなかったのだが――

 向こうも、こちらに見覚えがあったのか、それとも渾身の一撃を掻き消されてショックだったのか、しばしポカンと突っ立っていた少年は、
「くそっ……!」
 我に返ったように舌打ちすると、くるりと踵を返した。逃げだした少年を追うように、傍らのケルベロスも走り始め、あっという間に建物の外へと消えてしまう。
「ちょっと、待ちなさい!」
 その背を、セシアよりは怪我の度合いが軽かった少女たちが追っていった。共に探すべきか迷ったが、こんな鬱蒼とした森の中では、翼があっても役に立たない。現地の人間に任せた方が確実だろう。
 それより、クライヴの援護に戻らないと――

「ヴァ、ヴァスティール……!?」

 唐突に上擦った声が聞こえ、そちらを振り向けば、
「レッ、な? なぜ、ここに? 違う、あの人は、もう、遥か昔に――だと、したら――」
 その場に残された老婆が、おろおろと視線を彷徨わせ、唇をわななかせていた。なんのことかと訝る間もなく、
「ここに居たのか」
 今度は、よく知る声がした。いつの間にか勇者が、神殿内に姿を現していたのだ。
「あの犬ども、急に消え失せたぞ――どうする? 探すか」
「ううん。急にってことなら、もう狭間へ逃げ込んでると思う。魔犬の主らしい子も、今は魔導士特有の気配が消えちゃってて調べようがないから」
 気になることは多々あるが、まずは爪の痕やら噛み傷だらけのクライヴを治療しないと、二次汚染が心配だ。しかし、あの子が魔犬を連れて “聖母の森” を襲ったとなると――レフカスのクール村を筆頭にした騒ぎも?
 子供相手に剣を向けるなんて気乗りしないけれど、万が一、異変の黒幕と繋がっているようなら、そう甘いことを言ってもいられない。幸い、今の少年はただの子供だ。上手いこと、追いに出た子たちが捕らえて来てくれれば良いのだけれど。



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唐突にクライヴとカキ氷を食べる。養父母は優しい人だったみたいだし、幼少期に、お菓子はあらかた食べたことありそうだけど、雪国育ちじゃカキ氷は未体験かと。