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◆ 聖母の森(2)


 大騒ぎだった夜も明け、ロオクの森には静寂が戻っていた。しかし、

「いやあ、まさか天使の勇者様に助けてもらえるなんてな」
「ホント、伝説そのものだわ!」
「あー、オレも天使様のお姿が拝めたらなぁ。こんな機会、きっと一生に一度きりだぜ」
「聖母様は当たり前だろうけど、セシアにも見えてるんでしょ? すごいわね、あの子」
「後継者候補は何人もおるが、こうなると次代はセシアに決まりかねぇ」
「そうね。聖母様も、かなりお年を召されたし……帝国軍に森が荒らされた所為もあるだろうけど、神聖なる森にまで、あんな魔獣が現れるなんて」
「なーに、天使様が降臨なさったんだ! もう心配ないさ」

 住人同士の噂話は延々と続いていて。セシアに出会ったときや、ここへ駆けつけたとき、アストラル体の状態でいて良かったと心底思う。
 実体化可能なんて知られた日には、ますます面倒なことになっただろう。
 狂喜乱舞でクライヴに纏わりつく人々は聖母が窘めてくれたし、寝床と食事も提供され、手遅れになる前に事件ひとつ片付けられた――というには、例の子たちは捕まらず終いで、問題は残っているけれど。

 昨晩は戦闘の疲れもあるからと、まず休んで、勇者が目覚めたら聖母から話を聞かせてもらうことになっていた。
 気になることは多々あるが、まず、あの少年が狙っていた “魔石” とはなんなのか……?

 事件の残滓も消えた、深い森の空気は心地良くて。

 窓際で木漏れ日を浴びながらウトウトしている意識の隅で、だいぶ日が翳ってきたかなとボンヤリ思った矢先、勇者が起き出す気配がした。
「あ、おはよ。クライヴ――ちゃんと眠れた?」
「ああ」
 頭を一振りして、寝台から抜け出したクライヴは、まだ少し眠そうな目を眇める。
「気温を……下げてくれていたか?」
「うん、ちょっとね。屋根も風もあるけど、このエリア高温多湿だから寝苦しいかなと思って」
 祝福ついでに冷気を送るのは、さほど手間でもなかったし。
「休憩してもらうつもりで案内したのに、いきなり戦闘になっちゃって。ごめんね」
「それは構わない。久しぶりに、まともな物も食べられたしな――」
 勇者は小さく笑うと、イスの背にかけてあった上着を手に取りながら、軽く息をついた。
「だが、なんというか……ここの、持ち上げられるような空気は、どうも落ち着かないな……」
「私も」
 全面的に同意だったので、頷いて肩をすくめる。
「セシアさんが極端に信心深いのかと思ってたけど、部族全体あんな感じとはね――」
 千年前の “天使と勇者” が織り成した物語は、多少形は異なれどアルカヤ全土で神話として語り継がれているようだが、ここレイフォリアでは、宗教国家エクレシアよりも熱心に、守護天使及び勇者の一翼・聖ディアナを崇め奉っているようだ。
「そうか」
 相槌を打ったクライヴは、常と変わらず物静かに告げる。
「日が暮れたら、出よう」
「うん」

 身支度を終えたクライヴを伴い、聖母が暮らす建物を訪ねる。
 ティセナとしては、彼が休んでいるうちに情報収集を済ませておきたかったのだが、
『勇者様にもお訊きしたい、お話したいことがあるのです』
 聖母の希望で、二人一緒に向かうことになっていた。
 一応天使の自分ならともかく、こちらの依頼を受けてくれているだけの人間の青年に、なんの話があるのかという疑問の答えは、すぐに判明した。

 来客にイスを勧め、セシアに茶を淹れさせて。
 魔獣を連れた少年に狙われた理由を語りだすものとばかり思われた老婆は、唐突に、こう切り出したのだ。

「あの。お二人は……ヴァスティールという名の男を、ご存知ですか?」
「?」
 訝しげな顔になったクライヴは、無言で首を横に振り。
「前任者が書き記した資料で、読んだ覚えがあります。千年前の勇者、剣士ヴァスティール――その人が、なにか?」
 ティセナの返答に、聖母は、戸惑った表情を見せる。
「でしたら、その。レイブンルフトという名前に、お心当たりは……?」
「ラグニッツの地名ですよね? 最北の俗称、大鴉の丘――それから、彼――クライヴが、必ず倒すといって探している相手です。吸血鬼の王、だっけ?」
「ああ」
 困惑の表情から一転、勇者は、眼光鋭く聖母を見据えた。敵の手掛かりを得られる、という期待と同時に、わずかな警戒心も滲んでいる。
「そ、そう……ですか」
 どこか落胆したように俯いた老婆が、しばらくして、意を決した面持ちで告げる。
「私は――千年前の戦い、聖ディアナ様の記憶を継いでおります」
 さすがに少し驚いた。
 アルカヤは魔法が珍しくない土壌、とはいえ変わった術の使い手がいたものだ。セシアが熱弁していた 『必ず天使が見える』 という理由も、その辺にあるのだろう。資質者の “精神” を、どの程度かは不明だが次代へ譲り渡し続けてきたということか。
「地上と天界の時流は異なるのでしょう? 我々を導いた天使様、ラファエル様は……ご健在ですか?」
「ええ。今は大天使の役職にあり、今回のアルカヤ守護において、私の上司――最終的な責任者でもあります」
 答えると、聖母は複雑な笑みを浮かべた。
 懐かしむような、それでいて嘆くような。
「あの方が、ご存命なら。戦いが終わった後のヴァスティールがどうなったか、なにか……お聞きになっているかと思ったのですが」
「いえ。申し訳ないですけれど、これといって」
 どこの星にせよ守護中に起きた出来事は全て報告書という形でまとめられており、再びその世界に異変が起きたとて、先代から話を聞くということは基本的にしない。天使といえど記憶は薄れゆくもの、書き残された内容を読んだ方が確実であるし、地上界守護に成功した者は天界上層部へと昇進する例がほとんどだから、天界外の揉め事に関わっている暇も無いのだ。
「ラファエル様がアルカヤを去った後の、元勇者たちの話をされているなら、おそらく全く把握していないと思いますよ。ご存知のとおり時流が違うから、知ってる人たちはすぐに寿命を迎えるし――人間界に気を取られて心乱さないように、平和になった世界を水晶球などで覗き見ることは控えるよう、上司から諭されるのが通例ですから」
「そう、ですか……」

 途方に暮れた顔つきで何事か考え込んでいた老婆は、深く長い溜息をついた。そうして急に、張り詰めた口調で話しだす。

「現在、北国で恐れられている、レイブンルフトと名乗っている吸血鬼は――ラファエル様の勇者だったヴァスティールが、ある日を境に魔性に呑まれ変化した姿なのです」
 こちらが意味を理解するより早く、目線を勇者へと移して断じる。
「クライヴ殿の、その姿……あなたは、レイブンルフトの血を継いでいるのですね?」
「――そうらしいな」
 舌打ち混じりに認めるクライヴ。先だって倒した吸血鬼の意味ありげな言は、そのまま事実だった訳だ。
「ラファエル様に導かれ、邪悪な天竜を倒し、世界には平和が戻ったかに見えました。私はレイフォリアの森へ帰り、僧侶エリアスはエクレシア教国を興し、ヴァスティールは気ままな旅暮らしを続けていた……けれど、いつしか彼は気づいたのです。己の姿がいつまでも若いままであること、正しい時間の流れから外れてしまっていることに」
 インフォスの勇者だった、踊り子ナーサディアを思い出す。
 彼女も不老の存在だった。天使と堕天使による、相反する魔法の影響で――けれど、
「原因を考えたとき、心当たりは……私やエリアスとの違いは、戦いの最中、天竜の血を大量に浴びたことでした。弓使いでもなく、傷を癒すでもない、接近戦を得意とする剣士だったが故に。ティセナ様は……どう、お考えになりますか?」
「その予想で当たっていると思います」
 元々嫌いだった大天使ラファエルに対する評価が、また下がる。

 剣士ヴァスティールは、おそらく魔族の血を浴び過ぎたことが原因で汚染された。
(なにやってたのよ、あの人は?)
 魔王級の敵と勇者を戦わせるなら、防御魔法の常時展開は必須だ。
 戦いの途中で魔力が尽きたか、それとも敵の瘴気が強過ぎて、影響を防ぎ切れなかったのか?

「しばらくは半信半疑で過ごしていたという、彼が、あきらかに異常だと確信を抱くようになり。エリアスや、私のところへ相談に訪れたとき……私たちはもう、老い衰えていました。記憶を継ぐ以外、なにも特殊な能力を持たない私は元より、エリアスが持つ “癒しの手” も、彼の身体を蝕む “なにか” には効かず……時間が経てば、天竜の血の影響も薄れるのではないかと、気休めを言うことしか出来なかった」
 傍らのクライヴは唖然としたまま、老婆の話に聞き入っている。
「周りに不審がられるからと定住も出来ず、人目を避けるように辺境の山小屋で暮らすようになって。それでも彼は何百年もの孤独を、耐え続けていました。エリアスは寿命で死んでしまったけれど、私は、こうして記憶を継いでいるからと――時折ふらっと森を訪ねては、捨て鉢な気分になったときに話相手がいてくれて助かると、辛いだろうに笑ってくれて」

 ティセナは、だんだんイライラしてきた。
 数多い訳じゃない、けれど間違いなく天界が不幸にした人間の末路。
 魔族の悪事を見逃せないと思うなら、堕天使を放置できないというなら、さっさと天界軍を派遣して片付ければ良いものを……戒律がどうこうと理由をつけて、人間を巻き込んだ結果が、吸血鬼の王?
 このことを知りもしないんだろう大天使様に報告したら、どんな顔をなさるのやら?

「けれど、ある日――彼は、金髪の女性と幼い子を伴って、会いに来てくれたのです。驚く私に、照れながら、妻と娘だと紹介してくれて。奥様は、すべて承知の上で彼と共にあるのだと――今が幸せだから、あっさり寿命で死んでいれば彼女には会えなかったから、呪いに感謝してやっても良い気分だとまで」
 その記憶も鮮明にあるのだろう。
 聖母は眦に涙を浮かべ、唇を綻ばせる。
「ただ家庭を持った報告に来てくれたのかと喜んでいた私に、奥様と娘さんは切り出しました。魔石に封印を施したい、許可をもらえるかと」
「魔石とは……なんなのですか? 昨晩の少年も、それが狙いのようでしたが」
「天竜を生み出したもの。これがそうです」
 聖母は懐から、なんとか手のひらに乗るくらいの、紫色の球体を取り出した。
「天竜? ああ。つまり――サタンの、魂の欠片を、ここではそう呼んでいるんですね?」
 大昔の戦いでバラバラに砕け散った、悪魔の心。
「はい。サタン云々と呼称を付ければ、事情を知らぬ者たちを無意味に怯えさせてしまいますから」
「けど、これ……なんの魔力も感じられませんけど。偽者?」
「いいえ、本物です。邪悪な波動は、魔女の力で封じ込められているのです」
「魔女?」
「今は帝国軍に “炎の魔女” とあだ名されている者がいるようですが、それは元々は、魔導士ギルド創設者の娘さんの二つ名でした。ヴァスティールの妻となった女性は、とても強い魔力の持ち主で。二人の子は、そんな母親を凌ぐほどの才能を秘めていて」
 聖母は、淡々と語り続ける。
「エクレシアの魔石は封じてきた。ヴァスティールが託された物も、同じように封じて今はギルドに預けてある。ここ十数年、発作のように彼を苛み続けていた破壊衝動が、そうすることで劇的に緩和されるのだと」
 ふと思い返す。
 教皇庁内を歩いているときに遭遇した、共鳴現象。
 クライヴに酷似した、別人であろう青年。泣いている子供と、金髪の女性――あれは、そのヴァスティール一家だったんだろうか?



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とりあえず原作の聖母様は一人暮らしっぽく、セシアは、たまたま成り行きで聖母を継いだけど、あんなおばーちゃんなんだから後継者は自分の手元で育てとかないとダメでしょー……というわけで、セシアは素質を見出された他2人と一緒にお世話係。