◆ 呪法(1)
「それじゃ、気を付けてね。いろいろ手伝ってくれて、どうもありがとう」
「こちらこそ。本当に、どうもありがとうございました」
「また会おうね、アイリーン」
赤ちゃんを抱えたリダと旦那さんは、手を振りながら、アイオナへ続く街道を進んでいって、すぐに見えなくなった。
「さて、と。また、いつ患者さんが来るか分からないし……今のうちお昼ごはん用意しちゃおっか」
「あー、買い出し要ります?」
「んじゃ、サンドイッチ用のパンと、あと具に向いてる野菜やハムなんかをテキトーに」
ティセナの指示に 「了解っす」 と頷いた、ルシードがこっちを振り向いて。
「おまえは? なにか買ってきて欲しいもの、あるか?」
「あ、羽ペン用の黒インクが切れそうなの。1瓶お願い」
「分かった。んじゃ行ってくる」
塔に着いた日から丸々1週間が経って、どこで何が売ってるか近隣の商店もすっかり把握したルシードは、玄関に置いてある買い物用のバッグを手に取りながらニヤリと笑った。
「今日もガンガンやらせるからな。練習しとけよー」
「はーい……」
町の方へ歩き出したルシードを見送って、中に戻りながら溜息ひとつ。
「ホント、気疲れするね。赤ちゃん相手って」
「気道も細いし、頼んだってじっとしてくれないしねー。けど、なんだかんだで昨日、ちゃんと治療こなしてたじゃん」
ここへ帰り着いた日は、びっくりするくらい長蛇の列が出来ていて。
それからずっと赤ちゃん連れて駆け込んでる人たちに、朝から晩まで応対して。
一昨日あたりから、だいぶ来客が減って来たこと。
ルシードにしごかれた私が、どうにか “除去” だけなら一人で出来るくらいに腕を上げたこともあって。
ずっと泊り込みで手伝ってくれていたリダたちは、さっきアイオナヘ帰って行った。
「回数こなせばスムーズに出来るようになるって。ルシードはともかく私、ブレメースに留まるの今日までの予定だからね。明日からは忙しくなりますよ〜、お嬢さん」
隣を歩いているティセナが、茶化すように笑う。
「ま、患者数もピークは過ぎた感じだし、重症者がいたら呼んでくれれば来るからさ」
「はーい」
そうなんだよね。ルシードも、もう少し私が処置に慣れたら、普段の任務に戻るって言うし。
そりゃ、いつまでも甘えていられない。むしろ今日まで、これといった新しい事件も起きなかったみたいで、妖精たちが天使を呼びに来なかったから助かったんだけど――
ティセナがお皿を洗ってる台所のダイニングテーブルに座って、私はルシードに指示されたとおり、魔力で糸を動かして針に通す練習を繰り返す。
流れる水の音。キュッキュ、キュッキュ、お皿を拭いている音。
「晩ごはんさ、シチューで良い?」
不意に訊かれて、顔を上げたら。
「う、うん」
エプロン姿で立ってるティセナの姿が一瞬、お姉ちゃんにだぶって見えて、慌ててうつむいた。
……なんでだろ?
彼女は19歳だっていうから、天使ってことを抜きにして考えれば確かに、まだ家にいた頃のお姉ちゃんと同年代なのかもしれないけど――べつに顔や性格は似てないし、髪の長さなんか、まったく違うし。重ねて見ちゃう理由なんて無いはずなのに。
魔力が凄いから……かな?
優しくって家庭的で、だけど病弱だったから――身体への負担になっちゃうから、持って生まれた素質は眠らせておくべきだって、おじいちゃんが判断して。私やフェインと違って、ほとんど魔法を習うことも無かった人だけど。
私よりも、ずっと強い魔力の持ち主だった。
(ティセナと、姉さん……どっちが魔力、上だろ?)
ちょっと分からない。
姉とはもう八年も会えていないし、昔の自分を基準にして考えても意味は無いだろう。
(私だって魔法、上達したもんね)
八年間ずっと、祖父が遺した魔法の本、そこに載っている魔術をひとつずつ習得することに没頭していたんだから、成長してないほうがおかしいんだけど。
(――でも、変わってない)
塔へ向かう旅の途中、一緒に晩ごはんを食べたとき、リダにぶつけられた疑問を思い返す。
『あ、ところで、ねえ。アイリーン? 今更だけど……あなた最後に会った頃から、顔や体型、まるっきり変わってなくない? 胸は大きくなったかなと思ったけど、よく考えたら、元々あの頃から発育良くって、私ちょっと羨ましかった覚えあるしさ』
フェインに再会したときと同じように 『魔法が失敗しちゃって』 って、笑ってごまかしたけど。
本当は、どうして昔のまんまなのか分からない。
“若返りの秘術” なんて、かけた覚えは無い。そんな魔法があるのかどうかさえ知らない。皆で暮らしてた頃に戻りたいって気持ちが、勝手に魔法的な作用を引き起こしてる可能性が高い、とは思う。
たぶん、それが正解なんだろうけど。
今までの任務と違って敵をやっつけるだけじゃない、困ってる人たちを――しかも喋ることも立つことさえ出来ないような赤ちゃんを相手にするのに、こんな子供の姿じゃ信用してもらえないんだってことを、嫌でも思い知る日々だった。傍で雑用してた間はともかく、ルシードの “処置” を手伝うようになってからは何度も、
『こんな小さい子が助手だなんて、本当に大丈夫?』
そんなふうに訊かれたし、口に出して言わない人たちだって、やっぱり心配そうにしてた。
そりゃあそうだよね。子供っぽさが抜けない顔立ち。細い手足。男の子みたいに極端には “変わらなさ” が目立たないから、ぶかぶかの上着を羽織ってフードかぶって、近所へ買い物に出るくらいなら、今まで見咎められずに済んできたけど。
正直、ルシードが帰っちゃう前に、患者さん全員治療済みになって終わらないかな、と願わずにはいられない。
試しに、実年齢どおりの姿になりたいと念じてみたけど、なんにも変わらなかったし。
(なんで、こんなふうになっちゃったのかなあ?)
テーブルの上でウトウトしているウェスタの、ふかふかした手触りは変わらない。
だけど拾った頃に比べたら、ずいぶん大きくなった。
リダも大人の、女の人になってた。
(当たり前だよね。12歳だった子が……八年経ったら20歳になる、なんて)
旦那さんがいて、赤ちゃんも産まれて。
もうとっくに、そんなふうでもおかしくない年齢なんだ。
お姉ちゃんとフェインだって、あんなことにならなかったら今頃――きっと子供二人くらい産まれてて、おじいちゃんは曾おじいちゃんになって、それなのに。
『君も、もう子供ではないのだ……認めなさい、アイリーン』
グランドマスターの静かな、だけど厳しい声音を思い出す。見透かされた気がした。ずっと目を背け続けてた、知りたくなかった。
病気が治って元気になったと思ったのに、優しかったお姉ちゃんの言動が、どんどん猟奇的になっていって。
フェインを問い質すおじいちゃんの怖い声と、歯切れ悪いフェインの声が、断片的に聞こえてきた夜。
魔法の爆音がして、地震が起きたみたいに塔が揺れて飛び起きて、駆けつけたお姉ちゃんの部屋で見たのは――刺し傷だらけで血塗れになって倒れているおじいちゃんと、ボロボロに焼け焦げて家具もひっくり返った部屋の真ん中で、白かったはずのネグリジェを真っ赤に染めて、血に塗れた包丁を握りしめて、くすくす笑っているお姉ちゃんと。
蒼白な顔で、二人の傍でへたり込んでいたフェインの姿。
なにがなんだか分からずに、入り口で硬直していた私の前を、ふらふら歩きだしたお姉ちゃんが通り過ぎて、窓枠から身を乗り出して。
紅い月が浮かぶ夜空へ、鳥みたいに消えてしまった。
一生懸命看病したけど、おじいちゃんは助からなくて。
呆然としたまま、お葬式を終えて。
フェインは、お姉ちゃんを探す旅に出てしまって。
魔法の勉強をしながら良い子で待っていれば、きっと彼が、お姉ちゃんを連れ戻して来てくれるって……自分に言い聞かせて過ごしてたけど、何ヶ月、何年たっても姉さんは見つからなくて。
帝国の魔女になってた、なんて。
(ファトゥスの呪法――)
おじいちゃんが、グランドマスター宛に出したっていう手紙。
そこに記されていた内容が、本当なら。
怖くて見たくなくて、ずっと近寄らずにいたけど……書庫にある、十数冊の禁書。
私は、それを読まなきゃいけない。
『魂まで汚され切った後じゃ、たとえ四大天使でも手の施しようが無いんだ。残念ながら』
フェインが死のうとしてるなら、私が姉さんを止めなきゃいけない。だって死んで償うなんて、そんなこと、きっと誰も望んでいない。私だって――
だからその為にも、まずは本当に姉さんを助ける方法が無いのかどうか確かめなきゃ。
この騒ぎが落ち着いたら、とにかく全部読もう。
おじいちゃんが、姉さんの病気を治す為に――エクレシア教皇の “癒しの手” と同じ効果を魔法で生み出そうと、一生かけて研究を続けた書物ひとつずつ紐解いて。
(でも……)
文句言ったって仕方が無いことは分かってる。
今に始まった訳じゃない、何百年も前からそうだったんだもの。いくらお金を積んでも、エクレシアの教皇様は “汚らわしい魔導士風情” に手を伸ばしてはくれない――どんなにお願いしても助けてくれないんだって。穢れを持ち込もうとするなって、迷惑がられちゃうんだって。
それでも諦めきれずに直談判しに行ったパパとママは、やっぱり門前払いを食らったって肩を落として帰って来たし。
お姉ちゃんがブレメースで平和に暮らせていても、皇帝は、侵略戦争を始めていたのかもしれないけど。
だけど助けてもらえていたら、病気が治ってたら……アルカヤは今、こんな事態には陥ってなかったかもしれないのに。
7月にエクレシアも攻め込まれたって聞いたとき、もし私が依頼を受けていたら、町の人たちの為に全力で戦えたか――正直、自信は無かった。
「ねえ」
「んー?」
「ティセナが担当してる勇者にはさ、エクレシアの僧侶がいるんだよね?」
「うん、そうだよ。話、誰からか聞いた?」
「前にローザが、けちょんけちょんに言ってた」
練習に集中できなくなって話しかけた私の言葉に、天使は、ゆで卵を潰しながら楽しそうに 「あはは」 と笑った。
「ロクスって名前だっけ……ねえ、どんな人?」
「どんなって? まあ、ローザの評価まんまだと思うけど」
「なんで、そんな人を勇者にしたの?」
妖精から噂を聞いて、少し気になってたことだった。
勇者に選ばれる人は、基本的に “資質” を見出された人物だとかで――エクレシアの僧侶って言うから、てっきり “癒しの手” を持ってる次期教皇のことかと思ったら、素行不良が祟って教会を追い出された借金持ちの問題児だって嘆かれて、開いた口が塞がらなかったんだよね。
「教皇庁にはさ、 “癒しの手” って呼ばれる、すごい力を持ってる人がいるんだよ」
「ああ、フロリンダがそんな報告してたっけ」
「なんだ。知ってたなら、そっちをスカウトすれば良かったのに」
拍子抜ける私に、ティセナは肩を竦めて首を振った。
「関わり合いになりたくないよ。神に仕える、清廉潔白な人間なんか」
「……ひょっとして会ったの? 頼んだけど断られた、とか?」
「ううん。けど、どんな人物かロクスに訊いたら、確かねぇ――眉目秀麗、品行方正、非の打ち所のない男だって言ってた」
「ふーん。いかにも勇者って感じで、良いじゃない」
「やだよ。次期教皇なんて面倒な立場の人、引き受けてもらったって、依頼条件が制約だらけになりそうじゃない。協力してもらうなら、身軽に動ける相手じゃないと困るもの」
「それは……そうだね、うん」
「でしょ?」
もしも天使が頼んだら、お姉ちゃんのこと助けてくれたかな?
それでも “穢れる” って嫌がったのかな。
「その、ロクスさんはさ。魔導士のこと、なにか言ってた?」
「なにかって?」
「天界では使えて当然みたいだけど、アルカヤじゃ魔法って嫌われてるから。あの国は特に、神聖なもの大好きだし――この先、事件現場で一緒になったりしても近づいたら悪いかな、って」
「あー、いつだったかな? べつに魔導士のことはどうとも思わないって話してたよ。実際、私が魔法使いまくってても気にした様子は無いし」
「じゃ、じゃあさ。私が魔導士ですって自己紹介して、勇者同士よろしくねって握手しようとしたら……手、握り返してくれるかな?」
「女の子相手だし、喜んで握りそうな感じだけど」
うわ、女好きなんだ。
おまけに聖職者なのに借金って――ティセナ、なにを気に入って勇者にしたんだろ?
「それじゃ、相手がフェインだったら?」
「男と握手するなんて嫌だとかゴネそうな気もするけど、そうだねえ……」
ティセナは顎に手を当てて、天井を仰いだ。そうして小さく笑う。
「たとえば、フェインさんが襲われてるとこに通りがかったのが私たちじゃなくて、ロクスだったとしても。迷わず助太刀に入って、ギルドに送り届けようとしてたと思うよ。重い重いって文句たらたら、だったろうけど」
「……そうなんだ」
そういう人なんだったら、私生活に問題ありでも、教皇庁の人間でも。
ティセナが選んだ理由、分かるし――任務先で会うことがあったら、恨み言なんかぶつけずに、ちゃんと挨拶できる気がする。うん。
不治の病キャラというと、毒蛇くんがクローズアップされてる訳ですが。そもそもセレニスの死因は持病の悪化であって、ロクスの “手” なら治せたろうにフェインが禁呪に頼り、あんな高い塔を建てるくらい経済的余裕もあってギルドマスターに推挙される実力者だったジグ師匠が、孫娘の病に関して教皇庁に依頼しなかったのは、魔導士が嫌われてる世界背景によるものなのかな……。むしろ、それ以外に納得いく理由が思い浮かばない。