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◆ 呪法(2)


「……お?」
 とりあえず月に1回は状況を報告しに来いと言われているが、日時を指定されないと忘れそうなんで、特に問題ない限り毎月1日に立ち寄ることにしている、グローサイン帝国の首都レイゼフート。
 前回訪れたときには、古く厳しい城の左側に聳え立っていた塔やら何やらが、ものの見事に崩壊して一面に転がっていた。
「なんだ、こりゃ。派手な敵襲でもあったか?」
 そこいらで瓦礫の撤去作業をしていた兵士に声をかけると、相手はしゃっちょこばった敬礼を寄越した。
「こ、これは、クラレンス様! ご覧のとおり歩きにくい状態で、申し訳ございません」
「まあ避けて歩ける程度だから困りゃしないけどよ。どうしたんだ、この有様は? ちょっとやそっとで吹き飛ぶような造りの城じゃなかったろ」
 暦は、もう10月だ。ただでさえ北に位置する雪国。なるべくさっさと建て直さないと、隙間風が吹いて寒いだろうな。
「はい。侵入者の影は無く、魔法――魔導士どもの仕業だと、上層部から聞き及んでおります」
「へえ……」
 六王国は散々にやられてるからな。
 グランドロッジの連中も次に狙われるのはアルクマールだと覚悟してるだろうし、攻め込まれる前に反撃に出たか。こんだけ被害が出りゃ、少なくとも元々の進軍予定日より、バーゼル王国への侵攻は遅れるはずだ。
 それでも寿命が少し延びただけ、だろうが。
 脱獄した “想い人” は未だ捕まらず、仕事のジャマまでされた騎士団長殿が怒り狂って、むしろ被害拡大するかもな。まあ知ったこっちゃないが。
「あ! セレニス様の居室はご無事ですので、どうぞお進みください」
「あー、そっちは無傷か」
 城の左側じゃなく、魔女殿がお住まいの中央塔がぶっ壊れていたら、頭を潰されたグローサインの計画は頓挫して、俺の賭けも尻切れトンボに終わっていたろうか?
 いや、宰相親子が瓦礫の下敷きになっても、セレニスは掠り傷ひとつ無しに涼しい顔してそうだな。

「あら、来たの。悪いわね散らかっていて」

 いつになく警備が物々しい城内の、いつもの通路を通った先に――女は常と変わらず、アンティークの長椅子に肢体を預けていた。
「魔導士に反撃食らったって? あんたが張った結界とやらがあるだろうに、ギルドの連中もやるもんだな」
「ああ。そういうことにしてあるけど違うわよ。城を壊したのはね、天使」
 物憂げな口調で答えたセレニスは、こっちの相槌を待たずにクスリと笑った。
「……いえ、あんな真似が出来る者を、天使とは呼べないわね。本当に異端だこと」
「どういう意味だ?」
「天使はね、他人を呪ったりしないのよ。怒りはしても、恨まない。哀れみはしても、憎まない。愛しはするけれど、妬まない」
 指折り数えながら、詩でも諳んじるように語り。
「私の結界が、ただの魔導士やウォーロックごときに破れるものですか。敵はね、こちらが仕掛けに使った “印” を利用して、攻撃魔法を逆流させてきたの。おかげで散々よ。魔界から呼び寄せた手駒たちも、せっかく増やした融合兵も、あれの世話役たちも残らず、潰れたカエルみたいになっちゃったわ」
 肩を竦めてみせる仕草に合わせて、深紅のガウンがするりと揺れた。
「やられたから、やり返す――天使には出来ない発想だし、そんな術も使えないものよ。呪法の源は、憎悪や嫉妬なんだもの」
「へー、そんなもんか」
 魔法に関しちゃ疎いから何とも言えないが、ロクスの傍にいた “天使” が、そこらの人間の娘と大差ないようにしか感じなかったのは確かだった。
「個人的には嫌いじゃないけれど、敵側にいると面倒なだけだわ。早く “新世界” へ連れ去ってくれないかしら? アスラウド?」
「クレア・ユールティーズが存命のうちは、誘いをかけるだけ無駄さ。彼女が天寿を全うすれば、セレスの気も済むだろう。護らなければならない相手がいなくなってから話をした方が早い」
 セレニスと自分の二人きりだと思っていた室内に、唐突に、知らぬ声が響き。

「……なんだ、あんた?」

 振り向けば窓際に、プラチナブロンドの優男が立っていた。
 右の肩口で結われた長髪が、馬の尻尾のように胸元に垂れている。それが黒基調の衣服や、黒い翼にそぐわず浮いて見え、造作は柔らかいのに妙に毒々しい印象を醸し出していた。
 ここで何度か見かけた、バラムだのラルヴァだの呼ばれていた人型魔族の類かと思ったが、それにしては翼が珍しい――最も身近な鳥で例えれば、カラスだろうか? 天使のそれを黒に塗り替えたような色形をしていた。
「皇子様よ。魔族のね」
 答えて寄越したのは本人ではなくセレニスで、魔族の皇子とやらは、無遠慮に人の顔を眺めながら呟く。
「へえ、おもしろいな……本当に、闇に魅入られて手を貸している訳じゃないんだ」
「そう、おもしろい男でしょう」
 こんな場所で、おもしろがられるような言動を披露した覚えは無いんだが。さすがに釈然としない気分で眉根を寄せた、こちらにかまわず、
「魔導士ギルドのことなら “私が” 分かっているし、レイフォリアの聖母が魔石を他人に預けるはずもないけれど、教皇庁内部のことはさすがにね――力技で攻め込んで、発見できないまま瓦礫の下敷きになったり、炎に呑まれて行方不明になってしまっては困るもの」
「といって君の配下を近づければ、天使に感付かれて終わりだろうし?」
「ええ。私が世界に入り込めた、このタイミングで、こんな珍しい人間が存在するなんて……きっとサタン様のお導きだわ」
 セレニスは、うっとりと恋人でも想うような笑みを浮かべた。
 そんな魔女を、どこか冷めた眼で一瞥した男は、こちらへ向き直ると軽い調子で話しかけてきた。
「ねえ、君さ。彼女の話に乗った理由が、世界の破滅を見てみたいからだって、本当?」
「ああ。なんか、おもしろそうだしな」
 否定する理由も無いので肯いてみせれば、探るような色を帯びていた眼差しが感心したように見開かれ、
「惜しいなあ。惜しい人材だ。この地上界が滅びなくても、寿命で近いうちに死んじゃうなんてね――クラレンスって言ったっけ? 君、今度は魔族に生まれておいでよ。人間やってるより楽しいと思うよ。転生の輪は、けっこう意志の力で渡れるものだからさ。その頃には、君の知人もこっち側にいる予定だし」
 愉快そうに突飛な誘いをかけて寄越すと、ふっと、その場から掻き消えた。
「じゃあ、珍しい人物にもお目にかかれたし、僕はこの辺で。インフォスの結界が自然消滅するか、サタンが復活した頃にでも、また来るよ」
 別れを告げる声だけが響いた後、なにか薄っぺらい黒い物がひらりと床に落ち。男の羽が抜けたかと眼を凝らしてみれば、それは黒い模様が刻まれた札だった。
(……なんだったんだ?)
 少し考えてみたが、すぐにどうでもよくなって止める。
 セレニスの知人らしい。あと近いうち、天使にちょっかいかけるつもりのようだ。しかし俺のターゲットには関係ない相手だろう。

「それで? 見世物になりに来た訳じゃないんだが。そっちの進軍予定はどうなってんだ? こないだ一度勝負して引き分けだったんで、ロクスの警戒心もだいぶ薄くなってる感じだ。次に出くわしたら、こっちのカードで本番と行くぜ」
 戦闘用の “力” に加え呪いが施された、魔女特製品。
 こんなもん使っているところを目撃されれば、勇者とはいえ人間に過ぎないロクスはともかく、天使には勘付かれるに違いない。
 前回は油断を誘うため市販品を使ったから、居合わせた神の眷属に見物されてても問題は無かったが、こいつで仕掛ける際にはティセナの不在時を狙う必要があるだろう。
「アルクマールへは12月23日に攻め込むわ」
「聖誕祭の前日か。悲惨なこったな」
「あら、天使が余計な真似をしなければ、もっと早くに焼き払われているはずだったのよ。せいぜい無駄な祭りの準備に心躍らせていれば良いわ。後で、たっぷり嘆き悲しんでもらうから」
 おーお、神のご加護もへったくれもありゃしねえ。
「あからさまな言動を取らせるつもりは無いけれど、魔導士には予言の力を持つ者もいる。こちらの狙いが魔石だったなんて噂が流れれば、エクレシアの警備が強化されるかもしれないわ。もう下準備が整ったなら、それまでに魔石の在り処を聞き出しておいてちょうだいね」
「かしこまりました、っと――ロクスを見つけ次第、勝負してくるわ」
 これで今回の話は終わりだろうと踵を返し、ひらりと片手を振ったところで、
「ああ、それからもうひとつ依頼したいことがあるの」
 珍しく呼び止められ、こっちが振り向くのを待たず投げかけられる言葉。
「アルクマール侵攻には、あなたも同行してちょうだい。アルべリックの補佐として」
「はあ……? なんだって俺が? ギャンブル以外の仕事を、するつもりは無いぜ。あんまり病人を扱き使ってくれるなよ」
 誘いには乗ったが、こいつの部下になったつもりも命令される筋合いも無い。
「そもそも俺は、あんたに手を貸してるってだけのゴロツキだ。進軍に同行したって、お偉い軍人様方が素人の命令なんざ聞くわけないだろう」
「なにも前線で戦って欲しい訳じゃないわ。補佐は建前よ。天使がジャマしに現れたときだけ、ちょっと動いてくれれば助かるのだけれど」
「内容にもよるな」
「簡単なことよ。天使はね、魔石に触れないの。火が水で消えるようなものね。正反対の性質、しかも強大な瘴気を内包するサタン様の、魂の欠片だから――最低でも気絶、未熟な下級天使ならアッサリ消滅するかもしれないわ」
 消滅?
 ああ、魔族って分類されてるモンスターは、殺すと死体も残らず消えちまうんだよな。あんな感じか。
「アルクマールを攻めれば、必ず、天使の勇者が立ち塞がるでしょう。魔石を奪った時点で、ギルドの重鎮は、おそらくこちらの真の狙いに気づくわ。敵側には魔導士の小娘もいる……持ち帰る前に、取り返されては面倒だから。追っ手がしつこかったら、返すフリをして、勇者ではなく天使に取りに来させて欲しいのよ」
 つまりは天使を口八丁で騙して、魔石に触らせろと。
「グランドロッジへは私も出向くけれど。混乱した戦場で、敵が、どこを守ろうとするかは判断が難しいし――勇者が複数、出てくる可能性も高い。こればっかりは天使の声や姿を認識できない、アルべリックや他の連中には任せられないことだから」
 あー、そういや他の連中には見えないんだっけか。忘れてた。
「上層部から歴史の真実を知らされていない可哀相なお馬鹿さんが、あなたや私に遭遇して騙されれば、天使は戦場から消える。回復手段を失った勇者も、そこでおしまい。面倒な敵をあっさり退けて、あなたが望む世界の破滅へ一歩近づく。私たちに見つからなければ、戦力は変わらずゲーム続行……ま、簡単な賭けよね。どう? そう面倒な話でもないでしょう?」
 切った張ったの行軍に付き合わされるのは億劫だが、魔石に触れた天使がどうなるか、には興味が湧いた。
 知らぬうちに消えられるのは少々つまらない。少し考え、答えを出す。
「出くわした天使を騙す、以外のことは一切しないぜ? あんたらが苦戦してようが何だろうが俺は普段どおりに過ごす。同行するだけだ。下っ端どもから文句が出ても知らねえぞ」
「ええ、それで結構よ」
 セレニスは軽く頷きながら、満足げに唇の端を吊り上げた。
「行軍開始より先にエクレシアの魔石を手に入れられれば、それが一番だけれど。間に合いそうになければ、いったん次期教皇は放っておいて、ここかアルクマールに直接来てちょうだい。よろしくね」



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久しぶりにヴァイパー視点〜。原作中イベント 『ヴァイパーの挑戦』 を見る限り、彼は天使が魔石に触れられないことを知ってるようで、それがセレニス経由の情報なのは疑いようがないけれど、そもそも天使の姿や声を認識できないと、天使を名指しで 「取りに来い」 とか言えない筈なので。軍人でもないのにアルべリックに同行してたり、魔石入手後もそれをセレニスに渡さず、しばらく持ったままうろうろしていた (?) 理由は、こんな感じかな〜と。