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◆ 呪法(3)


「クングルの野営地で、帝国兵が――ったく、騎士道ってヤツはどこ行ったんだかな」
 妖精からの報告書に目を通しつつ、溜息ひとつ。
「場所は、ブラシア地方か。本来ならクライヴさんに頼むとこだろうけど、まだ未開地を出たばっかみたいだし、レイラさんは今のうちに休ませときたい……これはルディエールに依頼だな」
 早朝のブレメース島は、静けさに満ちて。
 塔から眺める景色は一見穏やかなのに、手元には、血生臭い事件の概要が書き連ねられた紙の束。星を守るべく降りてきたというのに、未だ戦火は拡大するばかりだ。
「えーっと、次は――」
「ルシード?」
 かすかに聞こえた少女の声に、目線を足元へやれば。
 屋根の下にある小窓から、パジャマ姿のアイリーンが、まだ眠たげな顔を覗かせていた。肩に止まったフクロウのウェスタも、半目で舟をこいでいる。
「おう、おはようさん。良い天気だな」
「そうみたいね……いつから来てたの?」
「夜明け頃だったかな。まだ寝てるだろうと思って、ここで書類仕事してた」
「落ちても飛べるからって、そんな狭いところじゃ書きにくいでしょ。入って、そこら辺の机使ってなさいよ。私、朝ごはん食べたら洗濯物干さなきゃだから、急ぎの用事じゃないならもう少し待ってて」
 呆れ顔で言い置いた少女は、目をこすりこすり階段を下りていった。

「それで? また依頼?」
「いいや。俺たちが任務に戻った後、患者数がどうなってるか確認しに来ただけだ」
 自分だけ食べているのも落ち着かないからと、朝食を振る舞われることになり。
「ああ。そのことなら、ひとまず心配ないと思うわ。ここ二日は誰も来てないし、今まで五人……かな? 赤ちゃん診たけど、ちゃんと私でも “除去” 出来たから」
 ダイニングテーブルに向かい合わせに座った少女は、野菜サラダにドレッシングをかけながら苦笑した。
「考えたら、姿を見せるから “まだ子供じゃないか” って不安にさせちゃうのよね。魔導士らしく頭からローブかぶってごまかしたら、なにも言われなかったわ。元々ご両親は、赤ちゃんのことで頭いっぱいなんだもの。最初っから、そうしとけば良かった」
「ああ、なるほどな」
 ハムエッグを咀嚼しつつ、ルシードは納得して頷く。
 天使であれば、ティセナのような魔法に精通した者は、魂そのものの状態を感知可能だが、普通の人間にとっては視覚が全てだ。
「なら、もう今回の事件は収束したと判断して良さそうだな。お疲れさん」
「……ホントに?」
「ん?」
「ルシードが任務に戻っちゃった日の夜だったかな。島全体に、すごい魔力の奔流を感じたのよ。また敵がなにか仕掛けて来たのかと思って、しばらく神経尖らせてたんだけど、それっきり何も――町の噂でも、特に変わったことは起きてないみたいだし」
 心配そうに表情を曇らせ言い募る少女に、ルシードは苦笑いを返した。
「あー、あれはティセナさんだ」
 シェリーに印を探させて、なにをどうするつもりかと危惧してはいたが。
「ティセナ? 彼女が、なにかしたの?」
「敵側の魔術使いが、赤ん坊さらって小細工するのに使った印が、島のあちこちにあったんだよな。それを媒介にして、術者のいるとこに攻撃魔法を叩き込んだ」
 テーブルの端をちょろちょろしているウェスタに、くるみパンを千切ってやりつつ、掻い摘んで答える。
「俺たちは結界に弾かれるから直接確認は出来てないけど、妖精たちが掴んできた噂どおりなら、レイゼフートの城が半分近く吹っ飛んだらしい」
「え……!?」
「ま、残念ながら、ぶっ飛ばせたのは合成獣やら魔物やらの実験してた城の外れで――中枢部は無傷だったらしいから、帝国軍の侵攻は止まらないだろうけど。少なくとも、連中がバーゼルに攻め込む時期は大幅にズレるだろうって話だ」
「そう、なんだ……」
 ギョッとしたり安堵の表情を見せたりと、ころころ顔色を変えていたアイリーンは、
「けど、すごいことやるわね。ティセナったら。そりゃ、理屈の上では可能だけど――」
「そうなのか?」
「そうなのかって。あんた、自分の上司のことでしょう」
「小難しいこと考えるのには向いてないんだよ、俺は」
「開き直ってないで、少しは勉強しなさいよ……」
 溜息混じりに首を振ると、手元のマグカップとルシードが使っている物との間に、線を引くように人差し指を動かしてみせた。
「例えばよ? こないだの港町から、リダたちが住んでるアイオナまで、糸電話で繋いだとして」
「そんな長い糸は売ってねえだろ」
「例えにツッコミは要らないの! とにかく、糸電話があるとしてよ? アイオナで糸に火をつけて、港町にあるコップを燃やせると思う?」
「んー? そんなんじゃ、ほとんど進まねえうちに糸が燃え落ちて、火も消えるんじゃないか?」
「でしょう? ティセナがやったことって、そんな感じよ。すっごく細い道が壊れて閉じないうちに一瞬で魔力を叩き込む、コントロールも術の威力も桁違いだわ」

 魔法の細かい仕組みはともかく、上司の力量が大天使級だとは知っている。
(けど、綱渡りし過ぎでハラハラすんだよなあ……)
 そこそこの範囲、レイゼフートの城が吹っ飛んだ。
 いくら、赤ん坊を狙うなんて非人道的な所業に携わっていた連中の根城とはいえ、グローサイン帝国の城であるからには、闇の眷属だけじゃなく人間も居合わせただろう。
 確かめようが無い、見ていない。だから、とりあえず “逆凪” は生じない。
『こんなことに加担できる時点でもう、敵の同類だって』
 どこまで本気か、そう言い切ったティセナは皮肉な笑みを浮かべていたが――戒律違反のペナルティは、いつ彼女を襲うか分からない。これ以上、直接の手出しはさせたくないものだ。
(まあ、それには俺が強くなって、さっさと守護天使の任務を完遂するしか無いんだし。アイリーンの心配事を増やすのも嫌だしな)
 諌められて聞くような性格の上司じゃなし。勇者たちに制止役を頼めば当然、理由を訊ねられるだろう。べらべら勝手に話せる問題でもない。

「でも、それじゃあ……私、そろそろ島を出てもかまわないかな? あれがティセナのやったことで、事件は解決したって判断なら」
 問いかけられ、我に返ったルシードは首をひねる。
「いいけど、おまえ何か調べたいことがあるから家に帰るって言ってなかったっけ?」
「うん。それは、もう済んだわ」
「患者の応対もあったろうに、手際良いな。けど、魔導士ギルドのことが心配だって言うんなら――さっきも言ったけど、帝国軍が侵攻再開するのは、けっこう先だろうし。もう少し、ゆっくり休んどけよ」
「まあ、せっかく戻ったんだけどね。久しぶりに帰ったからかな? それとも港町から、ずっと皆が一緒でにぎやかだったからか……なんか、自分の家じゃないみたいで落ち着かないのよ」
 アイリーンは肩を竦め、室内を見渡した。
「こんなに広くて静かだったかなって」
 十人くらい座れそうなダイニングテーブル、数人が同時に作業できそうな炊事場、やたら大きくて古めかしい食器棚。
 出会って以降、依頼の為に塔に立ち寄ることはあっても、共に食事したり寝泊りさせてもらったりということは今回まで無かったから、あまり気にしていなかったが。
「いやいや、無駄に広いし静かだって! 八年も塔にこもって暮らして、それが日常だったんだろうけど――子供が、こんなだだっ広い家にいたらスペース余りまくりだろ。いくらウェスタがいるって言ってもさ」
「……そっか。気のせいじゃなくて広いんだ」
 何故か、ぷっと吹き出したアイリーンは、ひとしきりクスクスと笑って。
「椅子だって、どうしてこんなにあるんだよ? 多過ぎだろ」
「ああ。昔はね――私が生まれた頃は、パパとママだけじゃなくて、おばあちゃんもまだ元気だったし、曾おじいちゃんたちもいたから。もう一人立ちしたお弟子さんが遊びに来たりもして、にぎやかだったんだよ」
 探究心から来る質問は群を抜いて多い少女だが、こんなふうに自分自身について語ることは珍しい。
「曾おばあちゃんが亡くなってから次々に、追いかけるみたいに天国に行っちゃったけど……姉さんが、私の面倒を見てくれて。おじいちゃんの弟子になったフェインも一緒に暮らすようになって。毎日楽しかったし、ちっとも寂しくなかった」
「そういえば、あんまり話に聞かないなとは思ってたけど、おまえの両親って――」
「うん、死んじゃったんだ。私が小さい頃に、事故で……研究に使う鉱物の採掘に行った先で、船が座礁したらしくて」
 うつむき表情を翳らせたアイリーンは、硬い声音で切り出した。
「ねえ、呪いって実在すると思う?」
 ルシードの反応を待たず、続けて早口でまくしたてる。
「パパたちが乗ってた船が沈んだ時にね、嵐でもないのに座礁するなんて、汚らわしい魔導士の所為だ、海神の祟りだって――そんなふうに言う人がたくさんいたらしくて。他にも、呪いだって伝えられている事件が、けっこうあってさ」
「魔導士の所為って言い草は意味不明だが、呪いなら実在するぜ」
「……それじゃあ、さ……死んだ人を魔法で、生き返らせることって出来ると思う?」
「そいつは不可能だ。終わりを迎えた命は、なにをしようが元には戻らない。魂の管理者・大天使レミエル様の手でさえも、な――それが世界の理だ」
 さほど魔法の仕組みに詳しくない自分でも、即答出来る問いだった。
「もしも “蘇生させてやる” なんて豪語する輩がいたとしたら、それこそ呪いの産物だよ。呪術で蘇ったように見せかけてるだけだ」
「そうなんだ……」
 呟き返すアイリーンは無表情だった。
 けれど、すぐに唇を引き結び、手元のパンを両手で豪快にまっぷたつに裂いて。
「やっぱり私、グランドロッジに引き返すね。ティセナの攻撃食らって進軍が延期になったって言っても、侵略戦争自体が止まったわけじゃないんだし。そっちの任務が無い間は、グランドマスターのこと手伝いたいから」
 そう宣言すると、こちらの戸惑いを他所に、牛乳で流し込むように朝食をかき込み始めた。



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アイリーンの両親って、彼女の幼少期に死亡したとしか言及されてなかったけど、事故死だったのか病死だったのか? 影が薄いなー。流行り病の類だとすると、元から病弱だったらしいセレニスこそ感染して亡くなってそうなんで、不慮の事故でいっぺんに――かと思われますが。