◆ 毒蛇との賭け(1)
「なあ、最近ロクスを見かけなったか?」
「あー?」
適当に入った酒場で、顔見知りに声をかけると、
「いや、ここしばらく見てねえが――たまに連れてる、仕事仲間だとかいう姉ちゃんなら、さっき裏通りの賭博場にいたぜ」
期待したものとは少々違う答えが返ってきた。
「……ティセナか?」
男は天使の名前までは覚えていなかったようで曖昧な返事だったが、取り巻き連中ではなく “仕事仲間” という時点で間違いないだろう。あの娘が目撃されたなら、こいつの視界に入らなかっただけでロクスも居る可能性は高い。別行動中だったとしても、訊けば居場所が判るだろうし。
(けど、あいつが一緒じゃ今夜は使えねえな――)
懐のカードをどうしたもんかと考えた結果、馴染みのバーテンにチップを握らせ、しばらく手荷物として預かってもらうことにする。
酒臭い男や客引きの女、ゴミ置き場を漁っている野良犬。
どこでも大して変わらない繁華街の裏通りをすり抜け、さっき聞いた店に着くと、盛り場では浮いた背格好の女はすぐに見つかった。
相変わらず季節外れな黒のロングコートに身を包み、戦利品らしいコインを傍らに積み上げ、ドリンク片手に周りの客と談笑している。
あれが天使だと言われても誰も信じやしないだろうな……次期教皇殿もヒネまくってるし、どっちを向いてもどう転んでも常識外れの連続。
(我ながら、おもしろい賭けに乗ったもんだ)
人垣を縫い近づいて行くと、こっちが話しかける前に振り向いたティセナが目を瞠り、
「あれ? クラレンス」
笑って 「こんばんはー」 と手を振って寄越す。周りにたむろっていた連中が誰からともなく場所を空け、俺は手近な椅子に座りつつ娘の手元を覗き込んだ。
「よう。調子良さそうじゃねえか」
「おかげさまでね――そっちは?」
「ま、普通だな」
「そう。良かった」
ギャンブルの勝ち負けじゃなく体調を気遣われたらしいと、答えを受けた天使のホッとしたような表情で悟り、苦笑する。
俺が敵の片棒担いでると知ったら、どんな顔するだろうな? こいつ。
「ところで、ロクスは一緒じゃねえのか?」
「ロクス? うん、ええっとねえ……先月、エクレシアの首都で別れたっきり。特に移動するような依頼してないから、たぶんまだリナレス近郊にいるんじゃないかな。なにか用事?」
「いいや。前に勝負したときは決着がつかなかったからな。そろそろ再挑戦しようと思っただけさ」
先月からエクレシアに滞在中、か。
当然、次期教皇の顔を知る者も多い――聞き込みをしていけば、そう手間取らず見つかるだろう。
「しかしロクスに誘われて来た訳じゃないなら、なにやってるんだ? こんなところで。あんたも一応、教会関係者って話だろ」
「んー、ちょっと燃料切れで仕事にならなくってね。今は自由時間」
燃料切れ?
レイゼフートの城が吹っ飛んだことと関係あるんだろうか? ……まあ、どうでも良いか。
「あ、ねえねえ。べつに急いでる訳じゃないなら、私とも遊んでよ。クラレンス」
楽しげに提案した天使は、肩を竦めつつギャラリーを見渡す。
「ここの人たち、もう誰も相手してくれないんだー」
「無茶言うな! そんじょそこらの勝負師じゃ、あんたの相手は務まらねえよ」
「わざわざ無一文になりたかねえや」
「あら、毒蛇と対戦? 有名人同士、盛り上がりそうね」
おもしろがって騒ぎ出す客たちを背に、少し考え、テーブルの向かい側に回る。
「ま、いいぜ。今は暇だしな」
わーひゃー囃し立てる声が一段と大きくなり、ティセナは 「わーい!」 とご機嫌な様子で、ぐいっと手元のドリンクを空にした。
パッと見、酒と区別の付かない色合いだが、どうせまた林檎ジュースだかオレンジジュースだかを飲んでるんだろうな、このお子様は。
「カードで良いのか? それとも他のゲームをお望みか?」
「クラレンスが好きなので良いよ。私は特に、得手不得手って無いから」
「そんなら、お言葉に甘えて」
天使とカードゲーム、か……ロクスを餌食にした後じゃ、さすがにもう、こんな暢気な会話は出来なくなるだろう。周囲の反応からして、どうやらかなり強いらしいし、どんなカードを切って来るか興味もある。
そうして、ひょんなことから始まった天使との一勝負は――かなり白熱した後、鎌首を斬り落とされるように決着した。
「……メチャクチャだな、おまえ」
椅子に寄りかかり、無意識に詰めていた息を吐き出す。久しぶりに本気を出して負けた。
どっちが勝つか賭けていたらしい見物人たちからは、歓声と悲鳴が同時に上がる。ざっと見渡した感じ、俺が勝つと踏んだ人数の方が、いくらか多かったようだ。残念だったな。
「…………」
同じく勝負に集中していたらしいティセナは、まだ周りの声も耳に入らないらしく、真顔で手元の札を見つめたまんまだ。
賭博、あまり一般的には褒められた娯楽とは呼べないギャンブルだが、それでもカードの取捨選択には大なり小なり、そいつの生き様が反映される。
ロクスを形容するなら 『やけっぱちになってる甘ちゃん』 ってところか。
俺自身は、最初に 『毒蛇』 って呼び始めたヤツを褒めるべきだろう。
「あーあ。勝っちゃった」
我に返ったように身じろぎ、残念そうにふざけた台詞をこぼす、この天使は――強い自殺願望と生存本能がギリギリのところでせめぎ合っている、そんな感じだった。一言で表現するなら 『捨て身』 か。
「なんだ、おまえ。負けたかったのか?」
冷やかす俺の台詞に面食らったように、元からデカイ目をさらに丸くして、困惑気味に答える。
「負けたい訳じゃ……ないよ?」
なんで疑問系なんだ。
「あー、でも、いつか負けるんだったら――コテンパンにが、いいな」
つまりは負けたことが無いらしい。ふっと遠い眼をして、ささやき落とす。
「もう一回やろうなんて絶対に思えないくらい、手も足も出せないような相手に、徹底的に負けたい」
「そりゃあ厳しいだろうな。これでも俺は、ギャンブラーの中じゃトップクラスの腕だって自負してるぜ。たぶん何回やっても、あんたにゃ勝てねえよ」
「えー? けっこう接戦だったと思うんだけど。ギャンブルには運だってあるし、あと五回くらいやったら半々くらいの結果になるんじゃない?」
「その前に俺が、すっからかんになるだろうよ」
「そーかなー?」
再戦するつもりは皆無の俺の態度に、ティセナが不服そうに頬を膨らませた。
「要らないんだよねー、これ。勝って、どっかに持ってってよ」
胸元から引っ張り出された代物は、凝った造りの、鳥を模した首飾り。
どっかで見たようなと引っ掛かりを覚え、記憶を辿って思い出す――セレニスの部屋で遭遇した、魔族の皇子だという優男の鎧に刻まれていたものと同じようだ。
「なんだ、それ?」
「昔、犬死した馬鹿の形見」
疎ましげにソレを眺めやる天使の表情は、まったく勝者とは思えないほど憂鬱そうだった。
「理由も無しに捨てたら呪われそうだし。賭け事で負けるくらいしか、手放す理由が思い浮かばなくってさ」
「そういう面倒な物こそ手元に留まり続けるもんだ、諦めちまった方が気楽だぜ」
「うわー、ナーサディアと同じこと言ってる人がいる!」
知らぬ名を出したティセナは頭を抱えたが、目に浮かぶ色は懐かしげなものに変わり、苦笑いしつつ気を取り直したように身を起こす。
「ところで俺の負けだが、おまえ、なにが欲しいんだ?」
「へ?」
「賭けるモン、事前に決めてなかったろ」
流れで勝負することになったが、べつに何かを巻き上げたくて乗った訳でもなかった。それは天使も同じだったようで、困ったように小首をかしげ。
「べつに欲しいもの無いし、お金もらったって使い道も無いし……楽しい暇つぶしになったから、それで良いよ。時間もらったってことで」
笑いながら首を振り、思い出したように付け足す。
「あ。ロクスに会いに行くんなら、お酒はほどほどにねーって伝えといてー」
(無欲なこった)
まあ、強欲な天使なんてのにお目にかかれても怖いか。
金は不要と言われては、他にくれてやるような物も無い。本人が良いと言ってる以上、食い下がるほどのことでもなし。
「素直に言うことを聞くとは思えねえが、まあ、言うだけは言っといてやるよ。じゃあな」
伝言係を請け負って、席を立つ。
さて、ロクスの居所も絞れた―― 『魔石の在り処を吐かせる』 強制力はセレニス特製のカードが齎す代物だが、その発動条件は俺の勝利。勝ち負けは純粋に、互いの実力でやりあった結果となる。
神の遣いに選ばれた男と、悪魔に手を貸している俺……果たして、どっちが勝つだろうな?
天使と毒蛇で一勝負。初期設定ではティセナ、グリフィンに淡い初恋で、毒蛇氏に本気で惚れる予定だったんですが――いざ書いてみると、このタイプのお兄さんが相手だと 「良い兄貴分」 の域を出ない。むしろ憧れたり異性として好ましく思うのは、リュドラルやルディタイプのようです。なかなか作者のイメージどおりには動いてくれないものですなあ。